四話
翌朝、政吉とそよが百目鬼家にやってきた。再会するやいなや、
「やちよ! 無事だったかい」
そよはやちよを抱きしめた。春の日差しのような温もりが体に伝わってくる。やちよもそよを強く抱き返し、
「うん」
と、頷いた。
「そりゃよかった……」
やちよの返答に、両親の強ばっていた顔がわずかに和らいだ。
「それにしても何だこの祝言は。花嫁は生家で支度をしてから、新郎の家に行くものだぞ。前日に連れ去って、翌日に祝言を挙げるなんて」
政吉が愚痴をこぼすと、
「やちよ様、着付けの準備ができました」
と、シズが顔を覗かせた。
「こちらにお越しください」
やちよは指示に従い、隣の座敷に行った。座椅子に腰を下ろすと、シズが白粉を塗り始めた。日に焼けた小麦色の肌が人工的な白で覆われる。眉を整え、唇に紅をさし、化粧は終了だ。
整髪も終えると、やちよはヤスから足袋と長襦袢を手渡された。二つを身に付けると、昨日着た赤い花嫁衣装を体に巻き付けられた。最後にシズが帯をきつく締める。昨日よりも締め付けがきつく感じて苦しかった。
「やちよ様、まことに美しゅうございます」
ヤスが力強く言った。
「ご両親にもお見せください」
シズが隣の座敷に繋がる襖を開けた。重く苦しい着物で歩きにくいやちよは、小股歩きで両親に近づいた。
「おっとさん、おっかさん」
と、二人の正面に立つ。二人は目を細め、やちよの姿をまじまじと見つめた。
「やちよ、綺麗だよ……」
「ああ、綺麗だ」
美しく着飾った娘の姿に二人は頬に涙を伝わせる。それは感動の涙ではなく、悲しみの涙のようだった。
これが進さんとだったら……。だが現実は鬼との結婚。やちよだって涙が出てくる。悲嘆に暮れていると、また襖が開いた。今度はキヨノが座敷に入ってきた。
「やちよ様、こちらにいらしてください」
キヨノに言われたやちよは両親に背を向け、座敷を出た。
廊下を歩いていると、
「とてもお似合いですよ」
キヨノから言われた。
「……ありがとうございます」
とりあえず、褒め言葉を受け取る。
キヨノは大広間に繋がる座敷の襖を開けた。窓も障子もない座敷は、行灯の光しかなく薄暗かった。
そこには紋付き袴を着た青慈がいた。礼装姿の青慈は、昨日よりも凜々しさが際立っていた。
やちよが座敷の中に入ると、
「開会までしばしお待ちください」
キヨノは座敷から姿を消した。
二人きりの物静かな室内。居心地が悪いやちよが座敷の隅に突っ立っていると、青慈がこちらに近寄ってきた。
「よく似合っておるぞ」
青慈は静かに言った。青慈から言われると思っていなかったやちよは、驚いて目を瞬かせる。
「あ……、ありがとうございます……」
自分も褒めたほうがいいのかな。やちよもカラカラに渇いている口を動かす。
「青慈様も……」
「かしこまった呼び方などせずともよい」
「せ、青慈さんも、とても似合っています……」
「そうか。ありがとう」
青慈は言うと、襖の方に顔を向けた。
「あそこの襖から大広間に入る。ここではなく、近くにおろう」
「……はい」
やちよは青慈に従い、室内の襖の近くに移動した。大広間の方から、青達の声が聞こえてきた。何を言っているのか耳を澄ましていると、いきなり襖が開いた。
「参ろう」
青慈は短く言うと、大広間へ一歩を踏み出した。やちよは後ろをついて行く。
大広間に満ちていたのは緊張感だった。緊張感に触れてしまったやちよの体は、雷にうたれたようにビリリと痺れた。頭の中も白い煙に覆われる。
緊張感の原因は百目鬼家の人々だった。彼らは、天井から糸で引っ張られているように姿勢よく座っている。特に紋付き袴姿の青午から、威圧感があふれ出ていた。鬼たちと向かい合って座っている政吉とそよは、彼らに圧倒されているようで首をすくめている。
やちよは素顔も知らない鬼の夫と、金屏風の前に並んで座った。進行を務める青達が言い、田村家が全く望んでいない祝言が開始した。
「夫婦固めの盃を」
お銚子を持ったキヨノと、大中小と三つが重なった盃を持ったシズが、やちよたちの前にやって来た。 シズは一番小さい一の盃を、青慈に渡す。青慈が盃を受け取ると、キヨノがお銚子を傾けた。青慈は空の盃を、鬼の面の口につけた。一の盃はシズを経由し、やちよの手元にきた。やちよは手を震わせながら、盃を口まで運んだ。
二の盃も終わり、三の盃。本来、三の盃には御神酒が注がれるはずだが、お銚子から何も注がれず、空のままだった。形だけの三三九度を終え、やちよと青慈は夫婦となった。
百目鬼家流の祝言では、親子固めの盃、親族固めの盃は行われなかった。百目鬼家は田村家からやちよを奪っただけ。田村家と家族になるつもりはないようだ。
祝言は粛々と進み、あっという間にお開きとなった。
大広間から退出したやちよと青慈は、隣の座敷に入った。大広間と座敷を仕切る襖が、向こう側からぴしゃりと閉められる。
今日からこの人と夫婦なのか……。やちよは青慈を横目で見る。知っているのは、名前、年齢、鬼であるということだけ。素顔と性格は全く分からない。見続けていると、青慈がこちらを向いた。やちよは肩をびくりとさせる。
「姉上が来るであろうから、そなたはここで待っておれ」
「あ、姉上とは?」
「知らなかったのか。キヨノだ」
青慈は言うと、座敷から出ていった。
ようやく一人になれた。張り詰めていた糸が切れると、祝言の間に感じなかった花嫁着物の重みが体にのしかかる。立っているのがつらくなり、その場に座り込んだ。
放心状態のやちよが虚空を見つめていると、キヨノがやって来た。着付けをした座敷に連れて行かれ、花嫁着物を脱がされた。
「あの、おっとさんたちは、まだここにいますか?」
花嫁衣装を衣桁にかけているキヨノに問いかける。やちよは、もうこの屋敷から出してもらえない身。最後にちゃんと両親にお別れを言いたい。
「もうお帰りいただきました」
キヨノは前を向いたまま言った。
「そうですか……」
鬼だもん。人の心なんて分からないよね。やちよはキヨノの背中を見ながら、心の中でため息をついた。
キヨノは衣桁にかけた花嫁着物をピンと伸ばすと、こちらを振り返った。
「昼餉にいきましょう」
と、連れて行かれたのは大広間だった。
まだ金屏風が飾られている大広間には、九つのお膳が並べられていた。すでに青慈、叔父、叔母の六人がお膳の前に着座していた。
やちよはキヨノから、青慈の正面に座るように指示された。青慈の右側に青達、青麻、青宗と並んでいる。やちよの左隣にキヨノが座った。キヨノの隣に、ヤス、シズが座っている。
八席が埋まってほどなくすると、青午がやって来た。空席の上座に腰を下ろす。胡座をかき、背筋をピンと正し、威厳を示すと、
「無事に祝言も終わった」
大広間に太い声を響かせた。
「青慈、やちよさん、おめでとう」
「ありがとうございます」
やちよは言いたくなかったが、
「あっ……、ありがとう、ございます……」
妖術で操られたように口が勝手に動いてしまった。
「今日は若夫婦の円満を願いながら、昼餉をいただこう」
青午が箸を取ると、やちよ以外も箸を取った。
面を外すのかな? やちよは正面に座っている青慈を凝視する。だが、面を外さなかった。面を横にずらし、口元だけを見せて、昼餉を口に運ぶ。実に食べにくそうだった。
他の鬼は……。やちよは視線を室内に滑らせる。誰も面を外していなかった。
太陽が地平線に沈み、夜が来てしまった。
「寝床にご案内します」
心身共に疲弊しているやちよは、背中を丸めてキヨノの後ろをついて行く。
通された寝床は昨日と違っていた。縁側と接している角部屋。十畳の部屋に二枚の布団が敷かれている。ここに青慈が来ることを示していた。
「おやすみなさいませ」
と、キヨノは障子を閉めた。足音が遠ざかっていく。足音が聞こえなくなって、やちよは布団の上に腰を下ろした。
祝言を挙げて、夫婦になった。初夜。夫婦の契りを交わすよね。嫌だ、怖いよ……。
やちよが体を震わせていると、障子に人影が映った。障子戸が開き、青慈が入ってきた。
布団の横に青慈が立った。やちよは青慈を見る。涙で青慈の持つ手燭の炎が、歪んで見える。
「今日は疲れたであろう。早く眠るがよい」
青慈は言い、手燭の火を手で扇いで消した。
契りを交わさなくていいことに、やちよは安堵する。
眠るときは鬼の面を外すのかな。面の下には角でも生えているのかな。だが、青慈は面をつけたまま、布団に横になった。
やちよは青慈に背を向けて横になり、瞼を下ろした。




