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三話

 草木も眠る丑三つ時。

「そろそろ出よう」

 政吉が衣類の入った風呂敷を背負った。やちよとそよは小物が入った風呂敷を手に持つ。

 先頭の政吉が玄関引戸を開け、一歩外に踏み出す。やちよとそよも外に出る。すると、男の声がした。

「こんな時間にご家族で外出ですか?」

 三人の肩がびくりと動く。

 百目鬼家の男が玄関脇に立っていたのだ。雨は止み、空には月が見える。月明かりに照らされた白い鬼の面が、闇夜に不気味に浮かんでいる。

「ちょっと、畑の様子でも見に行こうかと」

「逃げるなどという浅はかな考えは、今ここでお捨てください」

 大荷物を背負った政吉の嘘は簡単に見透かされている。

 屋根の修理や力仕事を請け負っているからか、体格がいい百目鬼の男。貧相な体の政吉が刃向かっても太刀打ちできそうもない。

「……はは」

 政吉は苦笑し、百目鬼の男に背を向けた。

 やちよは政吉の顔を見た。影を落としていて暗い。絶望の色がはっきりと見えた。

 ああ、私は逃げられないんだな。やちよも諦念を抱き、半回転した。

 最後にそよが家の方を向き、三人は仕方なしに家の中に入った。

 玄関引き戸を閉めた政吉は背負っていた荷物を土間に放ると、

「くそーーっ!」

 脱走しないか見張っている百目鬼の男に聞こえることもいとわず、胸の内を半夜に叫んだ。


 朝が来た。朝日が窓や壁の隙間から家の中に差し込む。青野村逃亡に失敗した三人は、肩を寄せ合って一夜を過ごした。涙で目を腫らした三人の元に、

「田村様、お迎えにあがりました」

 女の声が響いた。

 玄関を開けてしまえばやちよは連れていかれてしまう。だから誰も開けようとしない。

「おはようございます。田村様ー」

 女がどれだけ声をかけてきても、無視し続ける。諦めて帰らないかな。やちよはひそかに思っていた。

 誰も反応しないことにしびれを切らしたのか、

「誠に勝手ながら、開けさせていただきます」

 と、外側から引き戸が開けられた。

 女は広間で体を震わせているやちよに向かって、真っ直ぐ歩いてきた。そして、正面に立つ。

「おはようございます。では参りましょう」

 女は平坦に言った。鬼の面で表情が見えない分、平坦な言い方がまた怖い。

 もう逃げられない。

「……はい」

 諦めたやちよはふらりと立ち上がり、素直に従う。土間に降り、草履を履いたやちよは、両親に背を向けて女の隣に立つ。

「お二方は、日を改めて別の者が迎えにきます。それまでにお二方が着る祝言用の着物をご準備ください」

 女は両親に言ってから、開いている玄関の方を向いた。

「さあ、急ぎましょう」

 女が外に向かって腕を伸ばし、出るように促す。

「……はい」

 やちよは振り返ることなく、地獄に続く道に向かって歩き出した。

「やちよー!」

 悲鳴のようなそよの声と、引き戸の、パタンと閉まる音が、耳の奥にしっかりと届いた。

 闇の中にいるやちよの目には朝日が眩しい。今日ほど夜が明けなければいいと思った日はない。

 百目鬼家に向かって歩き出すとすぐに、

「お名前はやちよ様でよろしいですか?」

 女から尋ねられた。どうやら名前を知らなかったようだ。

「……はい」

「私はやちよ様の世話係を務めさせていただく、キヨノと申します。よろしくお願いします」

「……はい。お願いします」

 会話は続かなかった。その後、双方、口を開かず無言で歩みを進める。

 道中、朝が早い村民たちと幾度となくすれ違った。やちよは下を向いて歩いていても、自分がちらちらと見られていることが分かった。自分は見せ物になったみたいだ、と思った。

 もうすぐ百目鬼家へ続く竹林への入口だ。二人は進の家の近くの橋を通った。ここはやちよの思い出の場所。ふと川に目をやると、進が川で顔を洗っていた。

 彼に妻選定のことは伝えたが、妻に選ばれたことは伝えていない。けれど、誰かが言っただろうと思う。

 鬼の妻になる前に、彼の姿を目に焼き付けよう。やちよは足を止め、進の姿をじっと見つめる。

 すると進が顔を上げ、目が合った。

「やちよ……」

 進は唇をもぞもぞと動かした。だが背後の鬼に気がついたのだろう。目を見開き、喋ることをやめてしまった。そしてやちよから顔を背けると、その場を足早に去っていった。

 さようなら。進さん。やちよは心の中で別れを告げ、再び歩き出した。

 橋を渡りきると、

「先ほどの方はお知り合いですか?」

 キヨノが訊いてきた。

「……はい」

「そうなんですね。やちよ様はもう外に出ることもなくなるでしょうから、最後に顔が見られてよかったですね」

 百目鬼家に嫁いでしまえばもう一生こちらに来られない。隔絶された世界で鬼と暮らさなければならない。キヨノの宣告は、やちよにとって死も同然だった。さらに視界が暗くなる。

 ほどなくして竹林の入口に到着した。入ってしまえば、待っているのは鬼との生活という死。やちよの体は小刻みに震え、足もすくむ。どうしても一歩が踏み出せないでいると、

「予定よりも遅れているので急ぎましょう」

 キヨノから急かされた。やちよはうまく動かない足を何とか動かし、竹林の中に入った。

 繁った笹が傘となり太陽光を遮っているため、竹林は今日も鬱蒼としている。

 屋敷に近づけば近づくほど呼吸が苦しくなり、足も重くなる。

 竹林を抜けると、屋敷を守る門と一人の門番が見えた。

「キヨノ嬢、お帰り」

 門番は夜中に玄関脇に立っていた男と同じだった。

「無事に連れてこられたんだな」

 門番の鬼がやちよの方を向く。夜中のことを思い出したやちよは、そっぽを向く。

「出てくるまでに時間はかかりましたが、その後は素直に従ってくれましたので」

「とりあえず連れてこられたんだから、もう安心だな」

 笑いながら言う男に対し、

「予定より遅れているので、もう行ってもいいですか?」

 キヨノはぴしゃりと言った。

「おっと、悪いな」

 男が門を開けた。門をくぐった二人は、百目鬼家の敷地内に入り、正面にある開けっぴろげの玄関から家の中に入った。

「こちらです」

 キヨノは、玄関から伸びている廊下を歩いていく。やちよは後ろをついていく。

 百目鬼家の屋敷は、村民の家の造りと大幅に異なっていた。まず広い。田村家は広間と座敷の二部屋しかなかった。この家は十部屋以上ありそうだ。

 それぞれの部屋は襖や障子できちんと仕切られている。田村家は、広間と座敷を仕切る障子も襖もなかった。だから、背の低い衝立を置いて二つの座敷を分けていた。

 広すぎる家に目が回っていると、いつの間にか松が描かれた襖の前に来ていた。

 キヨノが襖を半分ほど開けた。やちよは部屋の中に視線をやる。そこは三十畳ほどの荘厳な雰囲気がある大広間だった。太陽光の届きが悪いからか、下座は薄暗い。

「田村やちよ様を連れて参りました」

「ご苦労」

 青午の太く低い声が聞こえてきた。

「さあ、やちよ様、中にどうぞ。二人の前に行ってください」

「……あ、はい」

 キヨノに指示され、やちよは恐る恐る大広間の中に足を踏み入れる。うぐいす色の畳はしっかりと張りがあった。

 上座を見る。明るい円窓の下に青午と細身の鬼が待っていた。二人の鬼がいることで、荘厳な雰囲気がさらに引き上げられている。

 やちよは肩をすくめ、震える足を動かして前に進む。小鳥のような歩幅で歩き、どうにか二人の鬼の前にたどり着いた。

 青午との距離は昨日の選定会のときよりも近い。手の伸ばさなくても彼に触れられる距離だ。体は震え、呼吸は浅くなる。

「やちよさんでよろしいかな?」

「はっ、はい」

 恐怖と名前を呼ばれた驚きで、声がひっくり返る。

「さあ、座って」

 青午は厚みのある座布団を示した。腰を下ろしたやちよは俯き、太ももの上で拳をぎゅっと握る。

「そんな固くならずに」

 目の前に二人の鬼がいるのだ。固くなるな、と言われても無理だった。よけいに体に力が入ってしまう。

 青午はそんなやちよの姿を見かねたのか、

「若者二人で話してみなさい」

 と、大広間から退出した。

 青午という威圧感の塊が抜けても、大広間から恐怖はなくならない。もう一人の鬼のせいだ。

 大広間は、早鐘を打つ心臓の音が相手に聞こえそうなほど深閑としている。

 深閑を破ったのは鬼の男だった。

「百目鬼青慈と申します」

 名乗った声は、冬の空気のようにつんと冷たかった。

「たっ、田村やちよです……」

 やちよは視線だけを青慈に向ける。背筋を伸ばして座る青慈の姿は、反りがない刀のように真っ直ぐ凛としていた。彼は威圧感ではなく冷たい空気をまとっていて、近寄りがたい雰囲気があった。

 自己紹介のあと、やちよは俯いたまま、青慈も真っ直ぐ前をむいたままで何も話さない。十五分ほど経った頃、青午が戻ってきた。

「話はできましたか?」

「はい」

 青午の問いに青慈が答えた。話という話はしていないが、一応自己紹介はしたので嘘はついていない。

「それはなにより。夫婦になるのだから、仲良くしてもらわなくては」

 言いながら青午は座布団の上に胡座をかいた。座るやいなや、

「やちよさん」

 青午は言った。やちよは肩をビクリとさせ、視線を青午に滑らせる。

「このあと、やちよさんにはこちらが準備した花嫁衣装を試着してもらいます。もし、仕立て直しが必要なかったら、明日、祝言を挙げてもいいですか?」

 嫌です。心の声はそう言っていた。だが、青午を前に恐怖が勝ち、

「……はい」

 と、言うしかできなかった。

「では早速、着物を試着しにいってください。キヨノが案内しますから」

 青午から言われ、やちよはようやく大広間から退出できた。廊下に出ると、息が少し楽になった。

「お疲れ様でした。次はこちらです」

 廊下で待っていたキヨノは、すぐさま歩き出す。連れて行かれたのは、十畳の座敷だった。そこには絢爛豪華な花嫁着物と、鬼の面を被った女が二人待っていた。薄緑色の着物を着ているのがヤス、藤色の着物を着ているのがシズと名乗った。二人とも手や首の皺の具合から、四十代くらいなのかな、とやちよは感じた。

「早速、こちらの着物を着てみましょう」

 シズが花嫁着物を持ってきた。それは赤い生地に、鶴、扇、梅の花などの刺繍が施された豪華な着物だった。やちよはみすぼらしい藍色の着物を剥ぎ取られた。シズから赤い花嫁着物を、体に巻き付けられる。

 されるがまま、やちよの着付けが終わった。しっかりとした生地と、立派な刺繍で埋め尽くされている着物は、ずっしりと重かった。帯もきつく締められていて苦しい。

「あら、ちょうどいい。仕立て直す必要ないですね」

 着付けを担当したシズが、顎の下で手を合わせて言った。

「キヨノ、明日、祝言を挙げられる、って兄上に伝えてきて」

「はい」

 ヤスから命令されたキヨノは、部屋から出て行った。

 祝言にやちよの意思など全く必要とされない。百目鬼家の都合で全てが進んでいる。

「汚れたら困るので、脱ぎましょう」

 シズは花嫁衣装の帯に手をかけた。やちよは、自分の着物姿を見ることができなかった。花嫁着物を脱いだあと、自分の着物ではなく、百目鬼家が用意した真新し着物に着替えさせられた。

 やちよが座敷にいると、キヨノが戻ってきた。

「やちよ様、次は昼餉です」

 朝餉を食べていないのに、やちよは全くお腹が減っていなかった。キヨノに言われ、昼なのだと気がついた。

「昼餉の準備ができました」

 いつの間にか座敷から姿を消していたヤスが、顔を覗かせた。

「ご案内します」

 やちよはキヨノの後ろをついていく。隣の座敷に一人分のお膳が準備されていた。その前に腰を下ろす。お膳の上には、白米、鮎の塩焼き、茄子の田楽、瓜の漬け物、味噌汁が並んでいた。

 鬼も私たちと同じようなものを食べるんだな。でも、鬼が食べるものを食べて大丈夫なのかな? 疑問に思ったやちよが箸をつけないでいると、

「食材は村民の皆様からの謝礼品が主なので、変なものは入っていません。ご安心してお召し上がりください」

 キヨノから言われた。

 準備されているのだから食べるしかない。

「……いただきます」

 やちよは箸で茄子の田楽を掴み、口に運んだ。思いの外、美味だった。他の物も食べてみると、どれも美味だった。

 半分ほど食べ進めたところで箸の動きが遅くなった。麦飯中心、一汁一菜だった田村家の食事に慣れているやちよには量が多くて、満腹になってしまった。それでも箸を止めないでいると、

「もう満腹なのではないですか?」

 キヨノから問われた。

「……はい。すみません」

 と、やちよは箸を置いた。

「いえ、お気になさらずに。ヤス叔母上に、この半分でいい、と伝えておきます」

 キヨノは、やちよが食べ残したお膳を持って、座敷から出て行った。戻ってくると、

「予定がつまっているので、次にいきましょう」

 と、またどこかに連れて行かれた。

 昼餉のあとは、二人の男の鬼と対面させられた。体が横に広い小柄な鬼が青達(せいたつ)、高身長でしなやかな体躯の鬼が青麻(せいま)。今現在も門番をしていて、この場にいない鬼は青宗(せいしゅう)だという。彼らは青午の弟だという。

「先月、屋根を修繕しに行った家に、こんな娘いたかなあ?」

 青麻の鬼の面が、鼻先まで来た。突然の出来事に、やちよの心臓はヒュッと収縮する。

「可愛らしい娘じゃん」

「青麻叔父上! 失礼ですよ!」

「馴れ馴れしいぞ」

 青達は青麻の首根っこを掴み、やちよから遠ざけた。

「やちよ様、青麻の無礼をどうかお許しください」

 と、青達は平謝りをする。だが、青麻はけろりと立っていて、真っ直ぐこちらを向いていた。

 こんな人たちと関わりたくないよ……。個性豊かな鬼たちに、やちよの不安は募るばかりだ。

「叔父上たちは村民への施しで忙しいので、やちよ様が関わることはあまりないと思います」

 キヨノの言葉を聞いて、わずかにほっとする。

 その後は家の中を歩かされたり、再び青午と対面させられたり、一日中、気が張り詰めっぱなしだった。

 日が暮れると風呂に入らせてくれた。百目鬼家の風呂は薪風呂だった。田村家には風呂がなく、井戸水で体を洗っていたやちよには、薪風呂の湯は熱かった。

 入浴後、

「明日に備えて、お休みください」

 と、月明かりが差し込むほの暗い寝床に通された。

 キヨノもいなくなりようやく一人になれた。恐怖と緊張の糸が切れたからか、どっと疲れが現れた。敷かれている布団に横になる。真綿のようにふかふかの布団。そよの抱擁のように安らぎをくれた。

 寝返りを打つと、壁上方の円窓が目に入った。やちよはおもむろに体を起こして立ち上がると、円窓の下に立った。見上げると、漆黒の空の中に青白い月の姿があった。冷たい月光が半夜の出来事を思い出させる。

 家に帰りたい。無意識に溢れ出した涙がやちよの頬を伝った。

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