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二話

 翌日の空はどんよりと灰色だった。空を覆う雲に隙間はなく、太陽の姿は一切見えない。

 やちよと政吉は謝礼品を持って、村の外れにある百目鬼家に向かった。口を一文字に結んでいる二人の足取りはどこか重く、背中も心なしか丸まっている。

 今日のことが気がかりで、やちよは昨晩、一睡もできなかった。両親も同様だったようで、目の下にクマが浮かんでいた。

 二人は無言のまま歩みを進め、村の外れの竹林に到着した。竹林の奥に百目鬼家の屋敷がある。竹林の 入口には、娘を次期当主の妻候補に選ばれた家の父娘が集まっていた。

「田村さん、こんにちは」

 (さわ)が言った。

 百目鬼の屋敷まで一緒に行く約束をしていないが、彼らはやちよたちを待っていたようだ。

「皆さん、こんにちは」

 政吉が沈んだ声で言う。やちよも頭を下げる。

 こんにちは、と、おのおのが頭を下げた。

 やちよは彼らの顔を見た。謝礼品の出来に自信があるのか、誰も沈んだ顔をしていない。

 謝礼品に目をやる。布の下からわずかに顔を見せている謝礼品は、自分たちが持ってきた物とは比べものにならないほど立派に見えた。この人たちには敵わない。やちよの気持ちはさらに沈む。野原さんのところにかけるしかない、と着物の胸元をぎゅっと握った。

「あとは、野原さんだけだね」

 小川(おがわ)が言う。

「野原さんのところは、野菜の出来を心配していたけど、どうなったかね」

 玉井(たまい)が政吉の方を向いて言った。

「さあ、分かりませんね……」

 政吉は苦笑し、傷だらけの謝礼品を背中に隠した。

「あれ、野原さんじゃないか?」

 澤がこちらに向かって歩いてくる男女を指さした。

「野原さーん」

 澤が大声で呼びながら手を振る。どうやら野原だったようで、あちらも手を振り返した。

 三分ほどで、野原父娘も竹林の入口に到着した。

「皆さん、もう、お揃いでしたか」

「こんにちは」

 野原の娘が言った。

 やちよは頭を下げながら、野原の謝礼品に視線をやる。だが、布で完全に隠れていて、謝礼品の出来を見ることができなかった。次に彼らの顔を見る。作物の出来が悪い、という話だった野原。なぜだろうか、やちよの目には、野原父娘の顔が清々しいほど晴れやかに見えた。

「揃いましたし、行きましょうか」

 小川が言い、娘と共に竹林の中に入っていった。澤、玉井もあとに続く。

「俺たちも行きましょうや」

 野原が政吉を見て言った。

「……そうですね」

 政吉は頷き、野原のあとをついていく。やちよは一歩遅れて、竹林に足を踏み入れた。

 竹林の中は一段と薄暗かった。風が吹いて、笹がカサカサと鳴る。竹の隙間から、鬼でも出てきそうな不気味さがある。

 誰も会話をしないまま、曲がりくねった道を抜けると、百目鬼家の門とこちらを向いて立っている鬼の面を被った女が見えた。

 十人が門の前に到着すると、

「皆様、お待ちしておりました」

 女が頭を深く下げた。一週間前、文を持ってきた女のようだ。

「さあ、お入りください」

 女が門扉を開けると、屋敷の全貌がよく見えた。

 やちよは百目鬼の屋敷を初めて目にする。村民が住んでいる茅葺き屋根の家とは違う、瓦屋根の立派な屋敷に圧倒された。

「ご案内します。こちらにどうぞ」

 女に促され、父娘たちは百目鬼家の敷地内に足を踏み入れる。

 女のあとをついていく。正面の玄関から家の中に入らず、向かって右側に案内された。

 屋敷の角を曲がると、縁側が飛び出していた。縁側に人の姿はなかったが、

「青午様、皆様を連れて参りました」

 女は飛び出した縁側の内に向かって声を出した。

「ご苦労」

 太く低い声が聞こえてきた。その声はやちよの腹まで響き、内臓を揺らす。

 女はこちらを向くと、

「こちらに座ってください」

 と、地面に敷かれているゴザを指し示した。

 ゴザの上に正座をしたやちよは、縁側の内側に目をやる。縁側の内側の部屋には、女とは違う鬼の面を被った体格のいい男が鎮座していた。

 あれが百目鬼青午……。

 屋根を修繕してもらったとき、やちよは百目鬼の男を見ていた。だが、青午を見るのは初めてだった。 どしりと座っているその姿は、地に根を這わせ、天に向かって真っ直ぐと伸びる大樹のようだった。当主という先入観があるからだろうか。青午から醸し出される威圧感に、やちよの体は萎縮してしまう。やちよには、自分の少し前に座っている政吉も萎縮しているように見えた。

「皆様、今日はお越し頂きありがとうございます。告知していたように、本日は私の息子であり、百目鬼家次期当主である青慈の妻を、皆様の中から選ばせていただきます」

 青午は言うと、彼から見て左側に顔を向けた。

「では、澤様からお願いします」

 澤父娘は立ち上がると数歩前に出て、謝礼品を縁側に置いた。謝礼品を覆っていた布をはぐると、つやつやと美しい茄子が姿を見せた。

「これは美しい茄子ですな」

「ありがとうございます。田楽にすると絶品です」

 澤は言ったあと、一礼して青午に背を向けた。褒められたから娘は選ばれない、と思っただろう。澤の顔は安堵しているようだった。

 続いて小川が持ってきた瓜、玉井が持ってきた空豆も賞賛した。青午に背を向けた父娘が安堵の表情を見せる度に、やちよの胸は締め付けられて苦しくなる。

 次に野原が縁側に謝礼品を置いた。どうかうちの人参とかぶよりも、悪い出来でありますように。やちよは心の中で必死に手を合わせて祈る。だが、祈りは届かなかった。

 野原がはぐった布の下には、青々とした葉が繁る立派な甘藍があった。

 出来が悪いんじゃなかったの?

 野原が持ってきた甘藍に、やちよの頭は真っ白になる。

「おお、これは立派な甘藍ですな」

 青午の声は、澤、小川、玉井の謝礼品を見たときよりも感心しているようだった。

「はい。今年は一段と出来がいいです。ぜひ、食べてみてください」

 野原父娘は一礼して、青午に背を向けた。そして、やちよたちを一瞥した。やちよにはその顔が勝ち誇っているように見えた。

「最後に田村様」

 やちよと政吉はよろりと立ち、謝礼品を縁側に置くと、布をはぐった。

「田村様はこちらを?」

 鬼の面で青午の表情は見えない。だが、さきほどまでとは違うどこか冷めた声から、やちよは面の下の顔を容易く想像できた。きっと、怒ってるんだろうな、と。

「……はい。畑を獣か何かに荒らされてしまって……」

「そうですか。それは災難でしたね」

「今日はその中でもいい物を持ってきました」

「分かりました」

 やちよと政吉は一礼して、青午に背を向けた。とぼとぼとゴザの上に戻って正座をする。

 青午は咳払いをすると、

「青慈の妻には、田村様の娘様を選ばせていただきます」

 と、告げた。政吉の言い訳など、青午には全く効果がなかったようだ。

 やちよの心は、奈落の底に突き落とされる。野原の謝礼品を見た時点で、自分が選ばれるんだろうな、と薄々は感じていた。自分が思っていた最悪な事態を実際に告げられると、精神がより削られた。

 青午は絶望の中にいるやちよの気持ちなどつゆ知らず、

「夜が明け次第、迎えの者を送ります。娘様の花嫁着物は、鬼に嫁いで頂く詫びと感謝として、こちらが準備しますので、何も準備しなくて結構です」

 淡々と伝える。

 やちよも耳に青午の声は入るが、内容は頭に入らない。右から左に抜けていくだけだった。

「……村さん。やちよちゃん」

 放心状態のやちよは、野原の声にハッとする。いつの間にか、妻選定会は終わっていた。

「帰りましょうや」

 野原に促されたやちよと政吉は、ゆっくりと腰を上げ、百目鬼家をあとにした。

 空を覆っていた灰色の雲は、散り散りになっていた。太陽が顔を見せたのに、やちよには竹林が行きよりも暗く見えた。

 竹林を抜けると、政吉が拳と声を震わせた。

「うちの畑を荒らしたのは誰だ?」

 政吉の唐突な発言に、やちよは顔を上げる。前を歩いていた八人も皆振り返った。

「田村さん、急に何言い出すんだよ?」

 澤が言うと、玉井が続けた。

「そうだよ。獣に荒らされたんだろう?」

「獣の足跡なんかなかった。あったのは人間の足跡だった」

「俺たちが畑を荒らしたって言いたいのかい?」

 小川が眉をひそめる。

「誰が選ばれても恨みっこなし、って約束だろ?」

 そう言った野原の顔は、嫌らしくにやついていた。

「うちの畑を荒らしたのは野原さんかい? 自分のところのが出来が悪かったからかい? それにあの甘藍だって、自分の家の畑でできたものじゃないだろ?」

 野原は口角を上げ、にやりと笑った。

「ああ、そうだ。頼み込んで、わけてもらったんだ」

 あっさりと不正をしていたことを認めると、「それと」と付け加えた。

「田村さんちの畑も荒らしたよ。でも俺一人で荒らしたんじゃない。澤さん、小川さん、玉井さんも一緒に荒らした」

 娘を百目鬼にやらずにすんだからだろう。焦る澤たちを横目に、野原は秘め事であろうことを口にする。

 真実を知った政吉は、父親の四人を睨めつけた。あまりの剣幕に、野原以外は肩をすくめた。

「……皆、大事な娘を百目鬼なんかにやりたくないんだ」

 小川は目を反らし、申し訳なさそうに言った。

「それはうちも同じだ!」

 初めて耳にする政吉の怒声に、やちよはびくりとする。やちよは政吉の優しい声しか聞いたことがなかった。

 野原が再び口を開いた。

「田村さん、知ってるかい? 二十四年前に百目鬼に娘をやった家。ボロ屋を建て替えてもらったんだぞ。家畜小屋みたいな田村さんの家も、綺麗にしてもらえるんだからいいじゃねえか」

「家なんかよりも、やちよのほうが大事だ!」

 政吉が叫ぶ。すると野原は不愉快そうに顔を歪めた。

「もうやちよちゃんに決まったんだ。諦めろ」

 と、捨て台詞を吐き、背を向けた。

「帰るぞ」

 野原は娘に言うと、その場から離れていった。

 他の三組も娘の背中を守りながらやちよたちの元を離れていく。

 皆が帰り、嵐が去ったあとのように場が静かになると、政吉はその場に膝をついた。

「やちよ、ごめんな……。俺が先月、屋根の修繕を頼んだばっかりに……」

「おっとさん……」

 やちよだって、「何で、先月頼んだの?」と言いたい気持ちはあった。だが、自分を百目鬼の元にやるまいと、最後まで最善を尽くしてくれた父の背中を思い出すと、責める気にはなれなかった。

 悲嘆に暮れる父の背中を見つめていると、うなじに冷たさを感じた。空を見上げる。晴れ間が見えていた空は再び灰色の雲に覆われていた。二人の気持ちが反映されたのか、空が泣き始めた。

「帰ろう」

 やちよは泣き崩れる政吉を立たせる。二人は雨に降られながら、とぼとぼと家路についた。

 オンボロの家に到着すると、政吉が動きの悪い玄関引戸を開けた。

 やちよは家の中に目をやる。奥の座敷にいたそよと目が合った。するとそよは、こちらに早足で向かってきて、裸足のまま土間に飛び降りた。

「どうだった?」

 政吉の両腕を掴んだそよの目は血走っていた。

 妻の問いに、政吉は無言で首を振るだけだった。

「ああ……」

 そよは政吉の腕から手を離すと、その場に崩れ落ちた。手で顔を覆うと、

「どうしてやちよが……」

 と、嗚咽を漏らす。

 三人が下を向く。土間に陰鬱とした空気が満ちる。

 悲しみに沈み行く中、最初に顔を上げたのは政吉だった。

「……逃げるか」

 政吉の言葉にやちよとそよも顔を上げた。

「逃げるってどこに?」

 やちよが訊く。

「決まってない。とりあえず、誰も知った人のいない遠くにだ」

 政吉の目は真っ直ぐ力強かった。冗談なんかじゃない。本気なのだ、と、やちよは直感する。

「逃げましょう。ねえ、やちよ」

 土間に膝をついたままのそよが、やちよの着物の袖を揺らした。

 鬼に命令にそむくなんて恐ろしい。でも家族で逃げれば、恐ろしさもきっと大丈夫だ。

「……うん。逃げよう」

 と、やちよは力強く頷いた。

「夜中のうちにこの村から出る。荷物をまとめるぞ」

 政吉はそよを立たせると、一緒に広間に上がった。

 やちよも奥の座敷に行ってタンスを開ける。

 必要最低限の衣類と農作業道具をまとめ、家族は夜が深まるのをじっと待った。

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