3話 監獄を「食らって」生き延びろ
目の前には、無残に切断された魔法陣。
建物の外は、鼻水も凍る極寒の大地。
進むも地獄、退くも地獄。
俺たちは完全に「詰み」の状態だ。
そんな中、パールは呑気に魔法陣の床に這いつくばり、鼻歌まじりで解析をしている。
本当に悠長なやつだ。
「なあ、パール。何か分かったことはあるか?」
「ええ、拍子抜けするほど単純な理屈で作られていますね」
「単純?転送装置というなら空間を折り曲げたりしてそうだが……」
「違いますよ。これは『物質転送』ではなく『情報転送』……つまり、郵送ではなく電信に近い」
「どういうことだ?」
情報?電信?
俺たちが送りたいのは文字情報じゃなくて、この生身の体なんだが。
「トレスさん、先入観に囚われすぎですよ。原理は単純。積み木で作った城を、遠くの友達に送るにはどうしますか?」
「箱詰めにして送るか……あるいは、一度バラバラにしてもう一度向こうで組み上げるか」
「ご名答。この魔法陣は後者です。対象の構成要素をすべて読み取り、その『設計図』だけを転送先へ送る。そして受信機が錬金術として設計図通りに人や物を再構築するんです」
なるほど、理屈は分かった。
だが致命的な疑問が残る。
「それじゃあ……ここにある『元の体』はどうする?二人に増えるぞ」
パールは魔法陣の周囲にこびりついた、煤のような黒い汚れを指先で擦った。
「増えませんよ。『重複』は世界にとって矛盾の元ですからね」
「おい、まさか」
「送信と同時に、元の体は焼却処分されます。その熱量すら情報を飛ばす薪として利用しているようですね……ほら!ここにこびりついているのは『前の利用者』の燃えカスですよ」
俺はとっさに口元を押さえた。
胃の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。
つまり、看守たちは。
「あいつらは……自殺装置に乗って逃げたのか……!」
「本人的には連続していますから、これを死んだとみなすかは解釈次第……すこぶる合理的だ」
「悪魔の発明かよ!俺は死んでも御免だぞ、そんなもの!」
「おや奇遇ですね。私もです」
パールは煤で汚れた指をハンカチで拭いながら、涼しい顔で立ち上がった。
「再構築の失敗で私の美しい細胞が1欠片でも欠損したら大変です。血液一滴まで私は私……ですのでトレスさん」
「なんだ」
「正規の手順はやめましょう。術式の綻びを突いて向こうの扉だけを覗きましょう」
「できるのか?」
「どこを解析しても、外部からの改竄を拒絶する術式が見当たりません……どうぞ書き換えてくださいと、ご丁寧に裏口が開いていますよ」
パールが規格外の天才というのもあるが、どうやらこの魔法陣を作った魔術師も、相当な「うっかり屋」らしい。
重要施設なのに鍵もかけずに放置するようなものだ。
ならば、やることは一つしかない。
「やっちまえ!」
「仰せのままに。……では、少し術式を書き換えますね」
パールが杖を振ると、空中に無数の幾何学模様や文字が投影された。
それらは複雑に絡み合い、光の矢印で結ばれている。
昔、建築現場の取材で見た「青写真」に似ているが、パールはその光の図面を、まるで積み木でも崩すかのように指先で次々と書き換えていく。
俺には何が何やらさっぱりだが、隣にいるナルなら理解できるかもしれない。
そう思って横を見ると。
「…………」
直立不動のまま、完全に沈黙していた。
瞬きひとつせず、呼吸音すら聞こえない。
虚空を見つめたまま、魂が抜けたように固まっている。
「おい、ナル? ……おい!」
俺が目の前で手を振っても反応がない。
立ったまま気絶しているのか?
「ああ、彼女なら恐らく『休眠』に入っていますよ」
「休眠? 立ったままか?」
「ええ。途端に魔力が感知できなくなりました。無駄な魔力を食わないための機能だと思います。合理的ですね」
パールは感心したように言うが、俺にはそうは見えなかった。
要するにコイツ、俺たちが必死になっている横で。
「……ただサボって寝てるだけじゃねえか」
「人聞きの悪い。彼女なりに、次の戦闘に備えて体力を温存しているんです」
「はいはい、器用なこって!」
こいつもパールとは別方向にぶっ飛んでいる。
俺たちは今、命綱なしで崖を渡っているというのに、この緊張感のなさは何だ。
「――はい、掌握完了。術式の翻訳も終わりました」
パールの指が止まり、空中に散らばっていた光の文字が、魔法陣へと吸い込まれていく。
消灯していた床の紋様が、今度は不吉な赤色ではなく、澄んだ青色に輝き始めた。
「あとは起動するだけですが、心の準備は?」
「いきなり看守どもがこっちに飛んでくるとかじゃないよな?」
「そんな強力な機能はありませんよ。……まずは『道』を繋いで、向こう側の景色を『覗き見る』程度です」
パールが杖を振ると、魔法陣の上に靄がかかり、幻影のように映像が浮かび上がった。
どこかの建物の中のようだ。薄暗い倉庫に見える。
「あちらも寂れた場所ですね……これだけじゃ場所が特定できない」
「座標を逆算できないのか?」
「ええ、数値自体は拾えましたが……無意味です」
パールは空中に浮かんだ数字の羅列を指さし、肩をすくめた。
「『X=4092,Y=8852』……座標はこれですがこの世界地図の『基準点』がどこなのか分かりません」
「はあ?」
「このXとYが『どこ』から数えた距離なのかが分からない以上、ただの数字の羅列に過ぎません」
「……迷子か?」
俺はその場に崩れ落ちそうになった。
扉は開けた。だが、その扉がどこに繋がっているのか、誰も知らないのだ。
「詰んだ……今度こそ終わりだ……」
「おや、トレスさん。何を絶望しているんです?」
膝をつく俺を見下ろし、パールは不思議そうに首を傾げた。
「座標が分からないんだぞ!? 外には看守たちの足跡一つもありゃしない。これじゃ追跡どころか、一歩外に出た瞬間に遭難確定だ!」
「轍がないのは当然です。彼らは空間を移動したのですから」
「だから、どっちに行けばいいんだよ!」
「最初から看守を追わなくても良いんです。私の記憶頼みですがここから南西へ約二百キロメートル先に街があったはず」
パールが杖で壁の方角を指し示す。
距離と方角は分かった。だがそれが分かったところで絶望は変わらない。
「二百キロ……! この吹雪の中をか? 生身じゃ一時間も持たずに凍死するぞ!」
「ええ。私の貧弱な体力なら十五分で低体温症になり、三十分で心停止する自信があります」
「威張るな! お前のその杖で空を飛んだりできないのか?」
「無理ですね。浮遊魔術は燃費が悪すぎますし、この強風の中を飛べば、私は木の葉のように飛ばされて行方不明になります」
俺は頭を抱えた。
移動手段がない。
食料も燃料もない。あるのは極寒の雪原と、俺たち3人だけ。
……いや、待てよ。
「無いなら、作ればいいんですよ」
パールが不敵な笑みを浮かべて言った。
「作れるわけないだろ。ここは廃材置き場じゃ……」
「ありますよ。ちょうどいいところに、極上の『素材』が転がっているじゃないですか」
パールが指さしたのは、建物の外。
そこにあるのは先ほどの戦闘で俺たちが撃破した隣国の自律戦車しかない。
「……正気か?」
俺は呆れて物が言えなかった。
あれはもう「車」と呼べる代物ではない。
先ほどの戦闘で俺が内部を焼き、パールが極低温で急冷したなれの果てだ。
熱膨張と収縮。
急激すぎる温度変化に耐え切れず、装甲は真っ二つに裂けている。
まるでパカッと割れた木の実だ。
「あんなスクラップ、動くわけないだろ! 動力も燃料槽も、中身は延焼で全部オシャカだぞ!」
「ええ。ですから『ガワ』だけを使います。あれは隣国――『共和国』の無人機ですから」
「あの国の兵器がお前に分かるのか?向こうは魔法を捨てて科学に走った国だろ」
「技術の根幹を転向させようと根っこにある設計思想は変わりませんよ」
パールは楽しげに杖を回し、床の魔法陣をコツンと叩いた。
「それに『高効率の焼却炉』ならここに」
「……は?」
「先ほど言ったでしょう。この転送陣は『物質を分解・燃焼させ、その力で情報を飛ばす』仕組みだと」
「ああ、聞いただけで吐き気がするな」
「つまり、この魔法陣の中核にある『物質変換術式』は、あらゆる物質を力に変える心臓部そのもの……これを戦車に移植します」
俺は開いた口が塞がらなかった。
こいつ、今なんて言った?
「待て待て待て! じゃあ燃料はどうするんだ! まさかまた人間を……」
「それは非効率すぎます。物質なら何でもいいんですから」
パールはニヤリと笑い、俺たちのいるこの施設を見渡した。
「ここには逃げた看守たちが残していった家具、書類、そして建物の瓦礫が山ほどあります。なんなら外の枯れ木を放り込んでもいい」
「お前……!」
「共和国の機体に、旧式の焼却炉、手当たり次第にゴミを食わせて走らせる。いわば『全自動魔導焼却炉』ですね」
こいつの発想はかなり自由だ。
魔法陣を「移動手段」ではなく、ただの「動力炉」として部品取りにするなんて。
「真っ二つになった車体はどうするんだ!」
「くっつければいいんです。物理的に」
パールは事も無げに言い放つと、休眠中のナルの肩を叩いた。
「起きてくださいナル。肉体労働の時間です」
ビクッ!
叩かれた瞬間、ナルが大げさに肩を跳ねさせて覚醒した。
まるで居眠りが先生に見つかった生徒のような反応だが、本人は真顔で直立不動に戻る。
「……了解。命令を受諾」
「寝てただけだろ絶対!」
「否定。活動の抑制を行っていただけです」
口元に涎こそ垂れていないが、その挙動はどう見ても寝起きそのものだ。
「トレスさん、貴方は使えそうな金属やパイプを集めてください。私はこの魔法陣から『胃袋』を摘出します」
「お、おい……本気なのか?」
「無論です。看守たちは食料も燃料も持ち去って勝ち誇っているでしょうが……甘い」
パールの目が、探求者の冷徹さと、子供のような無邪気さを帯びて怪しく光った。
「我々は、この監獄そのものを食らって生き延びるんです」
極限状態においては、正気よりも狂気の方が頼りになるのか?




