1話 証拠なき「掃除」と、拾ってはいけない国宝級の報酬
「ハクション! ……ちくしょう、鼻水が凍ってつららになりやがった」
「おやトレスさん。鼻水は体液の無駄な排出です。凍らせて栓にするとは合理的ですね」
「皮肉なら後にしてくれ。これから死にに行くんだぞ」
極北の収容所『フロストノード』。
ここは人類生存圏のギリギリ境界線。
小便をすれば地面に届く前に凍り、深呼吸をすれば肺が凍傷になる地獄の一丁目だ。
俺、トレスは支給されたボルトアクションライフルの機関部をチェックしながら、隣の青年を睨む。
「帝都から来たと言ったな、パール。お前本当に魔術師か?杖の持ち方が鈍器のそれだ」
「失礼な。れっきとした魔力増幅器ですよ。ただ交渉道具としても使えますけど……こんな風に」
言うや否や、パールは足元のコンクリート床へ杖を振り下ろした。
ドカン、という音はしなかった。
ただ「パシュッ」という、炭酸が抜けるような間抜けな音がしただけだ。
それなのに、分厚い床にはクレーター状にへこみ、粉々になった破片が砂のように崩れている。
看守らは誰一人気づいていない……不自然に静かな破壊だ。
「……何しやがった」
「隆起した床の端を整地しました。無駄な出っ張りは危険ですから」
「……魔術による筋力強化に、逆位相の音をぶつけて衝撃音を消したのか?器用すぎて引くわ」
「一瞬で種を見破るとは……帝都の愚鈍と違って愉しめそうだ」
「元記者の経験が生きたな……お前本当に魔術師か?」
「ハハハ。あんな『神秘』や『奇跡』に発情する変質者と一緒にしないでください」
「じゃあなんだ?」
「『不要資源の強制解放』……まあ、分かりやすく言えば『掃除屋』ですよ」
「……看守!相部屋の相手を変えてくれ!こいつ会話が成立しねえ!」
俺の悲痛な叫びは、警報の鐘にかき消された。
こいつ、パールと出会って三日目。
俺の「生存本能」はずっと警報を鳴らしっぱなしだ。
こいつは悪人ですらない。
ただ「思考」の優先度を「効率」に全振りした純粋培養の狂人だ。
「総員、配置につけ!本日の『ゴミ拾い』を開始する!」
看守の怒声と共に、重厚な鉄扉が開く。
吹き込む猛吹雪に、囚人たちが一斉に悲鳴を上げた。
だが、俺たちの敵は寒さだけじゃない。
「トレスさん、あれを見てください。素晴らしい」
「……最悪だ。今日は『鉄の亀』と『聖歌隊』のお出ましか。両方一緒なんて初めてだ」
雪煙の向こうから、キャタピラの軋む音と、鈴を転がすような金属音が響いてくる。
現れたのは巨大な戦車と、それを守るように囲む、白い修道服をまとった少女たちの行軍だった。
一糸乱れぬ動き。雪を踏む足音すら完全に同期している。
遠目には、帝都の美術館にある彫刻のように美しいが……
「皆顔だけはいいですね」
「そうか?先頭の個体なんか右目と左目の色が違うぞ……」
「右は青玉色、左は紅玉色だ。お洒落ですねぇ」
「馬鹿野郎、現地改修だ。壊れた仲間の眼球を自分に入れてんだよ!」
狙撃鏡越しに見える「少女」の顔は、あまりにも綺麗すぎた。
陶磁器のような白い肌に、汚れ一つない修道服。
だが違和感がある。
ある個体は左右の眼の色が違い、ある個体は手首から先の色が異なる。
治癒ではなく「換装」で美観を整える……その潔癖さはもはや不気味だ。
「気色が悪い。エルフ風情が!こんなお人形遊びのために俺たちを殺しに来るのか」
「亜人の方々は美意識が高いですからね。『醜い姿は見たくない、常に新品同様であれ』という命令でしょう。なんて健気な」
「お前の感性は腐ってんのか?伏せろ!来るぞ!」
敵戦車の煙幕を合図として少女らも銃を撃ち始めた。
本来はお互い見えなくなる代物だがあいつらは俺たちがさっきまで立っていた場所へ精確に攻撃してくる。
けた違いの記憶力と精度だ。
「この音……人形の武器は多連装銃か!岩陰に入れ!」
「野蛮ですねぇ。弾薬の消費量が戦果に見合っていません」
数秒の空回りの後にドドドドド!!という音と共に、俺たちの隠れた岩が削られていく。
原始的な武器の俺たちの装備に対し、奴らの火力は未来を行き過ぎている。
「トレスさん、反撃しないんですか?その骨とう品の『棒きれ』で」
「そんな余裕あるか!それに俺の銃は博物館の展示品じゃねえ!」
「帝都の文献で見たことがあります。火薬の爆発力で鉛を飛ばす、野蛮で非効率な『筒』ですよね?」
「うるせえ!ここじゃこれが頼りなんだよ!」
俺は岩にしがみつきながら、敵の射撃が止むのを待つ。
奴らは機械だ。必ず放熱や再装填の隙ができる。
だが今日の奴らは違った。
「……おい、なんだあの光」
「おや?素晴らしい!トレスさん、あれは希少ですよ!」
パールの目が輝いた。
戦車の砲身の先が青く光り輝いている。
俺の背筋が凍りつく。かつて古参兵が語っていた伝説だ。
「熱線だ!!逃げるぞ!!」
「あれは古代の文献にあった『収束魔光』?でしたら鏡で跳ね返せるはずです!」
「お前の手鏡じゃ蒸発して終わりだ馬鹿野郎!!」
俺はパールの襟首を掴んで雪原へ飛び込んだ。
直後、ジュッ、という音と共に、俺たちが隠れていた岩がドロドロに溶け落ちる。
爆風も衝撃もない。ただ「熱」だけが通り過ぎ、岩がマグマのように垂れた。
「……あちち。服が焦げました。計算外の出力です」
「当たり前だ!ありゃ魔法障壁すら貫通するんだぞ!」
「ふむ。火の精霊にしては、指向性が高すぎますね……」
「まだ言ってんのか!次が来るぞ、どうするんだ天才!」
パールは焦げたローブを払いもしない。
だが杖を使い、空中に何やら数式のような情報を書きだした。
「トレスさん。敵戦車を見ましたか?主砲以外まともな武器がありません」
「そういえば……今までの奴らは機関銃やら火炎放射器やら、無駄に武装が豊富だったな」
「魔力を主砲に回しすぎた欠陥設計でしょう。つまり、上に乗りさえすればこちらのものです」
「だから戦車の周りにあいつらがいたのか」
戦車の足元を固める無数の少女たち。
あいつらを突破して戦車によじ登る?
俺は絶望的な顔で狂人を見た。
「まさかパール、お前……」
「ええ。私が雑音を引き付けます。トレスさんはその間に、あの亀の甲羅へどうぞ」
こいつ、やっぱりイカれてやがる!
俺の罵倒など気にも留めず、パールは雪原の真ん中へ躍り出た。
まるでオペラ歌手のように両手を広げ、殺到する『聖歌隊』の群れに身を晒す。
「さあ、注目~!指揮者の登場ですよ!」
少女たちの一斉射撃がパールを襲う。
数百の鉛弾と、一筋の熱線。
普通の人間ならひき肉どころか蒸発して消える火力だ。
だが、パールは杖を指揮棒のように軽く振っただけだった。
「さあ!」
瞬間、パールの周囲の空間が砕け散ったように明滅した。
生成されたのは氷の板ではない。空間そのものがガラスのように歪み、敵の熱線をねじ曲げたのだ。
狂わされた熱線は、あろうことか隣にいる別の少女の胴体を焼き切った。
「なっ……」
「座標定義。空間屈折率、再設定……うん、最適解でした……演算領域がカツカツで、頭が割れそうですが」
パールが杖を振るたびに、熱線がデタラメに動く。
脚や胴体と泣き別れとなった少女たちが味方を撃ち抜き、熱線を躱したものまでもが転倒していく。
地獄のような同士討ちのショーだ。
美しい人形たちが、味方の放った火でお互いを残骸に変えていく。
「敵の攻撃を使って敵を倒す。楽な仕事ですねぇ!ハハハハ……」
「……あいつ、本当に人間かよ」
俺は戦慄しながらも、高笑いする狂人を横目に着剣、雪を蹴って走った。
あの大道芸人が注意を引いている今しかない。
俺は雪煙に紛れ、巨大な『鉄の亀』――戦車の死角へと回り込んだ。
「動くなよ……絶対に動くなよ」
俺は足がひき肉にならないことを祈りながらキャタピラに足をかけ、車体によじ登る。
熱っ!!
放熱板の近くは灼熱地獄だ。靴底が溶ける匂いがする。
……流石に乗ったら気づかれたか。
戦車の砲塔がギギギと旋回し、俺を振り落とそうとするが、真上には主砲が向かない。
あいつの読み通りだ。こいつは遠距離砲撃に特化しすぎて、自分の背中についた虫も払えない!
――パシュン
空気の音とともに砲塔ハッチの一部が開く。
中から護身用の小型銃座がせり出してくるのが見えた。
「遅えよ!俺はビビりなんだ。お前が動く前に予兆は見えてんだよ!」
俺はライフルを腰だめに構え、完全に展開する前の銃座の隙間――検知器が赤く光る「目」を銃剣で刺した。
これで一安心……じゃねえな、これは。
視界を奪われた砲塔は、高速で回転しながら乱射し始めた。
「ふざけんな!」
すぐさま長大な砲身につかまり鉛の雨を躱した。
あの銃座は水平より下が射角外のようだ。
カタカタカタ……弾切れか。
するともう一つのハッチが開こうとした。
「させねえよ!」
隙間からピンを抜いた手榴弾を投げ込み俺はハッチの上に立った。
――ボンッ!!
足元でくぐもった爆発音が響き、鋼鉄の蓋が激しく跳ね上がる。
俺は反動で雪原に投げ出されたが、すぐに受け身を取って走り出した。
「パール!今だ!蓋も開いてるぞ!」
「了解ですトレスさん!では、仕上げと行きましょう!」
聖歌隊を全滅させたパールが、優雅に杖を向ける。
その切っ先には、周囲の熱を吸い尽くしたような、絶対零度の冷気が渦巻いていた。
一方ハッチから火を噴く戦車は、最後の悪あがきとばかりに再び主砲を撃とうと力を蓄えている。
積もった雪を溶かすその熱は、パールとは対照的だ。
「これを待っていました。熱いものを急に冷やせば……どうなるか分かりますね?」
「脆性破壊でパリーンだろ!早くやれ!」
「ご名答」
パールが杖を突き出すと、白い冷気が戦車を包み込んだ。
内部の手榴弾爆発で灼熱と化し、挙句熱線用に動力の出力を上げた鉄の亀は、瞬時に極低温に晒される。
瞬時に極低温に晒された戦車から、「ギイイイイ!!」という巨大な獣が死ぬような金属音が響いた。
耐えきれなくなった装甲が、ガラス細工のように無数にヒビ割れ――
バギィィィン!!
轟音と共に、巨大な戦車が真っ二つに裂けた。
爆発ではない。自らの熱と冷気の差に耐えきれず、自壊したのだ。
もうもうと立ち込める蒸気の中、巨大な鉄塊だったものは、見るも無残なガラクタの山へと変わっていた。
「……はぁ、はぁ。本当にやりやがった」
「まるで瓦だ……鋼鉄がこんなにあっさり砕けるのは爽快ですよ……ちょっと脳を焼きすぎました……」
パールは雪の上に大の字に倒れこんだ。顔は笑っているが全身が汗で濡れている。
「おい!大丈夫か?」
「……空間を曲げる計算は意外と頭を酷使するんですよ……」
「さっさと帰るぞ」
「いや……まだやるべきことが」
パールは無理やり起きると、息も絶え絶えに戦車の残骸へ向かった。
「何をする気だ?」
「トレスさん、忘れてますよ。宝箱の開封が!」
「……お前なぁ、少しは身体のことを考えないのか」
「確認するまでは帰れません……これは?」
戦車の残骸――裂けた装甲の奥を覗き込んでいたパールが、まじめな声を上げた。
俺は重い体を起こし、彼の隣に並ぶ。
そこには……人型がいた。
先ほどハッチを開けようとした乗員だろうか?
「自律車両かと思ってましたが、乗っているとは」
「人間か?」
「ただの人間が密閉空間での手榴弾に耐えきれるはずがありません。引っ張りだしてください……私はもう指一本動きません……」
パールに言われるがまま引っ張りだしたそれは……透き通るような肌を持つ少女だった。
長い髪、薄い唇。まるで眠っているように静かだ。
だが首元には識別番号らしきバーコードが刻印され、手足には拘束具のような銀のリングが嵌められている。
「なんだこいつは?」
「心音はありません。ですが……美しい」
パールがうっとりと呟く。
その目は、美術品を鑑定するような、あるいは未知の数式を見つけた学者のような狂気を帯びていた。
「聖歌隊のような量産品とは設計思想がまるで違う。これは『一点物』だ」
「おいパール、よせ。そいつはヤバい。俺の直感が全力で逃げろと言ってる」
「逃げる? まさか。これは我々への『報酬』ですよ」
ピクッと動いた。
「――再起動。目標を視認」
「生き返ったか!」
少女の唇から、小さな吐息が漏れる。 そして、ゆっくりと瞼が開かれた。
「――目標確認」
鈴のような声。
だが、その言葉の意味を理解する前に、彼女の手がパールの首元へ伸びた。
「失敗。接続拒絶……あなたは誰ですか?」
首を絞めると思いきや、彼女は不思議そうにパールの頬に触れただけだった。
まるで、赤子が初めて親を見るような無垢な仕草。
だが俺は見逃さなかった。
彼女の指先が触れたパールの肌が、一瞬だけ青白く発光したのを。
「おや……トレスさん。どうやらこのお姫様、私に『精神干渉』を仕掛けてきましたよ」
「あ?」
「私の体内に魔力で侵入しようとしました。まあ、障壁で弾きましたけど」
パールは事も無げに言う。だが侵入だと?どういうことだ?
俺は距離を取るために動こうとしたら、左腕が岩に挟まれたように重い。
……こいつに裾を掴まれていた。細い腕だ。
だが、そこには生物の筋肉とは違う、重機のような絶対的な拘束力があった。
「……貴方がエージェントか?」
「いいえ違います。私はただの通りすがりの囚人Aです」
俺は慌てて手を振りほどこうとしたが、少女の握力は万力のように強かった。
彼女の瞳が、俺を捉えて離さない。
「認証。個体識別名トレス。生体情報を登録」
「勝手に登録するな!俺の個人情報は安くないぞ!」
「トレスさん、懐かれましたね」
パールがニヤニヤしながら見ている。
そうか……パールが障壁とやらで侵入を防いだから、守りの甘いこっちを目標に変えやがったな!
「連れて帰りましょう」
「はあ!?正気か!こいつは敵の新型かもしれないんだぞ!」
「だからこそです。分解して構造を理解すれば、世界をもっと効率的に『掃除』できるかもしれません」
「……ろくなことにならねえぞ」
全く乗り気ではない俺を見てパールは作戦を変えたようだ。
「帝国の民生人造人間が『量産型の懐中時計』なら、彼女は『値段のつけられない国宝級の職人手作り時計』です」
「……なるほど。つまり売れば金か自由が手に入ると」
「警告。エージェントの金銭欲による売却リスクを検知。自衛行動の準備を……」
「冗談だ!売らないから指の関節を逆に曲げようとするな!」
俺の監獄生活は、今日をもって完全に終わった。
これからは、このイカれた魔術師と、正体不明少女との、最悪の共同生活が始まるのだ。
「さあトレスさん、帰りましょう!今日の夕食は凍ったスープですよ!」
「……くそッ! 覚えてろよ!」
俺はライフルを背負い直すと、悪魔のような笑顔の相棒を追って歩き出した。
だが魔力欠乏でふらつくパールはまともに歩けない。
見かねた少女が、彼を軽々とお姫様抱っこで抱え上げた。
今後の雲行きは最悪と知りながら、俺たちは白銀の闇へと消えていった。




