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みじかい小説

『みじかい小説』No.044:人生めくる本屋 ~1000文字に満たないみじかい小説~

掲載日:2025/11/12

日曜日、妻に誘われ本屋にやって来た。


本屋など、息子の学生時代に参考書を買いに来て以来だ。

その息子も、今はもう一人立ちして都会でよろしくやっている。


とりあえず寄った小説の文庫本コーナーで、妻はとある一冊の本を手にして読み始めた。

「あなたも好きに見たら」と言って、そのまま本に目を落とす。

昨今のトレンドを眺めたり、時代物を手に取って見たり、しばらく妻のまわりをうろうろしていたが、それにも飽きて、俺はビジネスコーナーへと移動した。


ビジネスコーナーでは、『働き方の極意』とか『部下はこう育てる』といったタイトルの本が平積みされており、なるほど向上心を刺激するようなものばかりである。

もう定年間近な俺には必要ないかな、と思い、俺は他人事のように、これらの本を手にするであろうどこかの誰かに心の中でひそかにエールを送った。


その隣の自己啓発コーナーに目を移すと、『40歳からの人生』だの『人生、70歳からが本番』、はたまた『30歳までに知っておくべき人生の基本』、『がんばらない。』といった本が並んでいた。

20代、30代の頃にはこの手の本をむさぼるように読んでいた記憶があるが、60歳を超えた今となってはそこまで食指も動かない。

しかし少し気になって『人生は60歳から』という本を手に取って見た。

ざっと目次を眺め、気になった箇所をぱらぱらとめくって読んでみる。

大体、こういう本は出版社と作者が儲けたいだけで、たいしたことは書いていない。

分かってはいても、60代という本のタイトルに当てはまる自身を顧みて、ページをめくる手が止まらない。


「あら、こんなところにいた」

背後から妻の声がして思わず全身がびくりと反応した。

「そんな本読んでも何も変わりませんよ」

妻が子供のいたずらを見つけたかのように言う。

「わ、分かってるよ」

俺は急いで本を元あった場所に戻すと、「こういうのは気休めでしかないからな」と念を押した。


結局、妻は文庫の小説を一冊、俺は何も買わずに本屋を出た。


「あの本、買わなくてよかったの?」

と帰りの電車の中で妻が問う。

「いいんだ。ああいうのは、自己満足の本だから」


それっきり、あの本のことは忘れていた。


『人生は60歳から』

という本のタイトルを見ることになるのは、次の誕生日のサプライズを待つことになる。


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