第十一話 この感情は何
斎は私の腕をしっかり掴み、混乱の中を駆け抜けるようにして、近くの東屋へと連れて行った。
そこにはすでに、一人の少女が立っていた。
「遅かったねー。なんでそんなに時間かかったの?」
「ごめん、人が多くて、なかなか出られなくて」
「そうなのー」
「どなたですか?」
「こちらが、現四芸の画師の芸『彩』を持つ、心遥だ。さっき、律也の隣に座ってただろう?」
私は咄嗟に視線を向けたが、緊張でよく覚えていなかった。
少女は肩の力を抜き、にこりと笑う。
「はじめまして、心遥さん」
「えー、堅苦しいなぁ。これから会う機会も増えるし、気軽にいこうよ、弦ちゃん」
その笑顔は小悪魔のように愛らしく、陽炎のように軽やかだ。だが、その奥には狂気に近い熱が潜んでいることに、私は無意識に気づいていた。
斎が横から低くささやく。
「心遥はいつもこんな感じだから、気にするな。本当は律也と四人で顔合わせしたかったんだけどね」
心遥は両手をひらひらさせ、まるでいたずらっ子のように言った。
「だってしょうがないじゃん! 完全に公主に支配されてるんだもん」
斎は涼やかに肩をすくめる。
「心遥、やめ」
「はーい、ごめんなさーい」
斎はふと私を見つめ、目の奥に何かを光らせた。
「じゃ、僕と心遥はここで。あとで監明司に来て、案内してやる」
私は小さく頷く。心遥の軽やかな笑顔に、少しだけ安堵する。
「またね、弦ちゃん」
背後から落ち着いた声が響いた。
「元気か、弦」
振り返ると、そこに父が立っていた。
――18年間、一度も会えなかった父。
「元気です」
緊張で体が固まっていたはずなのに、なぜか肩の力がすっと抜けた。
父は少し俯き、言葉を選ぶように続ける。
「……本当は、弦に宮廷に来てほしくなかった。危険だから」
胸の奥がひりつく。
「お母さんは、もう……」
「知っている。とても残念だった」
「なぜ、他人事のように話すの」
「いや、そういうつもりは全くな……い」
「そうか。……他にも女がいるのか」
「違う、いない。弦だけ、大事な娘だ。
一番大事な娘なんだ」
怒りと涙が混ざり、言葉が胸を突き上げる。
「もういい。
弦、奏和宮にいたほうがいい。監明司なんて危険すぎる。すぐに命を落とす人もいる」
「もう、話しかけないでくれますか。
別に、あなたのことを父親だなんて思ったこともないし、急に近づかれても困る」
そう言い放ち、私は足早に去った。涙が止まらず、頬を伝う。
なぜ私は、冷静ではいられないのか。恐れでも、喜びでも、期待でもない。
ただ、18年間会えなかった父が目の前に立った現実が、私の内側の何かを揺さぶっていた。
斎はそんな私を遠くから観察している。
口元には微かな笑みが浮かぶ。
――この混乱を、どこか楽しんでいるのかもしれない。
心遥も、無表情でこちらを見ている。
その瞳の奥には、じっと熱を潜ませる子どもらしい狂気があった。
私はまだ、涙のあとを拭くことも、感情を整理することもできなかった。
ただ、父と18年ぶりに交わした短い言葉の残響が、胸の奥で鳴り続けていた。
小説の連載ですが、しばらくお休みをいただくことにしました。楽しみにしてくださっていた読者の皆さまには、ご心配やご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。再開の際には、また温かく迎えていただければ幸いです。




