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ラヤ•トンネリ  作者: 西中凛呉


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1/1

ラヤ・トンネリ

 数年前、ひいおばあちゃんは女学校の同級生にもらった種を蒔いて、話題になり始めたばかりのブート・ジョロキアを作った。

 長年の農業の勘でパプリカみたいに大きい実をつけたので、 有子(ありこ)の家へもビニールの袋にいっぱい持ってきた。

 料理すると、しばらく手がひりひりする。

 持て余した祖母は、ニンニクと一緒にブレンダーにかけてペーストにしたのをチャック付きの袋に入れて冷凍にした。

 これをほんの少し入れたカレーはフルーティでおいしい。

 ただしほんの、少しである。


 それが今年は二千二十年に信州の伝統野菜に選定された芝平(しびら)なんばんである。

 近所の農家から種をもらって育てたのがまた豊作だ。

 高遠町の芝平は明治時代、高遠石灰を産出して栄えた村である。

 それが昭和三十六年に伊那谷を襲った豪雨、三六災害の頃から人口が減少して昭和五十三年には全世帯が高遠の町中へ集団移転してしまった。

 芝平なんばんはその時絶滅するところだったが、一軒の農家が種を持ち出して栽培を続けたという。


 有子が転勤で一人暮らしを始めて家から近くなったので、ひいおばあちゃんは今年は有子のところへ持ってきた。

 アパートの前に駐めてある軽トラが、ほとんど中央線の真上である。

 「有子の学校の先生にも」

と言って差し出したスーパーの袋には、びっくりするほど大きいのがパンパンに詰められていた。


 有子は、翌日そのほとんどを事務室の先生にあげてしまった。

 少し冷蔵庫に残して、一本はマルティネリのアップルジュースの瓶に入れてニンニク二片と一緒にオリーブオイルに漬けた。

 二週間後の日曜日、それでピザを焼いていつもブログに上げる。

 ピザのレシピは珍しくないので、ピザ生地の二次発酵をしないのと長野の伝統野菜の芝平なんばんを使うことで独自性を出した。

 芝平なんばんは肉厚で大きいので、マルティネリの瓶に入れると鮮やかな赤が美しい。

 今回のブログのトップページの画像は見栄えがした。

 辛み成分が普通の唐辛子の二倍あるのでピザは食べると少しひりひりするが、それはブログには書かない。

 タバスコをかけたと思えばいい。


 nihonnjikaニホンジカさんからは今日もすぐに

「わあ、おいしそうだなあ。

 有子.Hさんのレシピで作ったらさぞかし旨いだろうなあ。

 僕も今度やってみようかなあ」

と書き込みがあった。


 有子はブログを初めて気づいたことがある。

 文章フェチなのだ。

 落ち着いた佇まい、雄々しさ、思想性の高さ、朗らかさ、nihonnjikaさんはすべてを持っている。

 nihonnjikaさんの文体は明るい。

 nihonnjikaさんが運営しているブログは「ラヤ•トンネリ」という。

 保護犬を引き取ってキャンプや登山に一緒に行くのだが、犬を飼うというより相棒のように対等な関係である。

 何度か保護施設を訪れカールの野性味を残した犬らしさに惹かれたnihonnjikaさんは、里親希望を申し出た。

 トライアル期間の三週間の間に、フードを前においてお座りをさせられるのにいら立って、カールはnihonnjikaさんの右手の親指の付け根の水掻きみたいなところを噛んだ。

「でも、私は体罰はしませんでしたよ。

  許すのは 最大の強さだと言いますからね」

と言うnihonnjikaさんの言い分に、有子は笑ってしまったものである。

 南信州の山岳地帯の情報が多い。

 山道を走るカーブやオフ会の写真が掲載される。

 オフ会の写真には、有子の知っている化学の教員が写っていた。


「nihonnjika」というアカウントは、ニホンジカの保護団体に入っているからである。

 鹿の落とし角を集めてペンやキーホルダーをDIYして、保護活動の資金にする。

「今朝のうちの裏の畑はこんな感じ」という言葉の下の、こちらを向いて座った数頭の鹿達のとぼけた顔の写真。

「車の前で牡鹿が2.3回頭を振ったら……落ちた」

という言葉の下の立派な落し角。

その下に

「皆さん、北海道でエゾシカをご覧になったことがありますか。

 ニホンジカはエゾシカに比べると肩高で三分の二程度の大きさです。

 雌はそれより一回り小さくて本当に可愛いなあと言う感じです。

 今日はこんなに立派な角に巡り合えまして、これからすぐに加工をして、キーホルダーとかボールペンなんかにして道の駅伊那に置かせていただきます。

 皆様こちらへお越しの際は、ぜひお買い上げくださいませ。

 売り上げの一割がニホンジカの保護団体に寄付されます。

 と言っても、筆者売り上げはそのまま自然保護団体の募金箱に入れて帰るんですがね。

 いやあ、こんな筆者の気持ちを聞いたら鹿たちも農作物を荒らしたりしないで、まじめに働いて人間とうまくやっていこうなどと考えてくれないですかね」

と続く。

 nihonnjikaさんは楽天的である。


 以前ダイナムさんが、Nihonnjikaさんのブログ名の「ラヤ・トンネリ」について質問したことがある。

 Nihonnjikaさんはいつものように丁寧に答えた。


「私が暮らしているのは長野の南の方ですが、たくさんのトンネルがあります。

 中には古い手掘リのトンネルもあり、六地蔵が祀られたり国境の関所跡の看板が立っていたりします。

 トンネルに入ると鹿が目の前を走っていたことが何度かあります。

 牡鹿は結構体高があるので、すっくりと角を立ててパッカパッカという感じにそれは恰好よく走ります。

 だんだん山を登っていくと電柱や電線に蔓が巻き付いていたり、はるか下に真っ白に泡立つ川が見えたり、人間が手を入れる前の自然に還っていく山の姿が見えます。

 山の頂のトンネルは大抵県境になっています。

 トンネルにはパワーが満ちていて、出口の光が見えると私は今でも違う世界に入るようでわくわくします。

 ブログの「ラヤ・トンネリ」はフィンランド語で国境のトンネルと言ったような意味です。

 なぜフィンランドかと言うと、私の綽名は学校が変わってもずっとムーミンだったからですね。


 こちらでは鹿やリスをよく見かけます。

 私の娘は、私が庭に作ったバードフィーダーにリスが来るのを楽しみにしていつも見ていました。

 ある日、「クルミ」と名付けたオスのリスがフィーダーに入ったまま出てこないと言い出しました。

 そのリスは他のリスよりも毛が白みを帯びていて優しい印象なので娘はたいへん気に入っていました。

 この日は、一度正面の穴から顔を出してバイバイをして直ぐフィーダーの中に入った、いつもならもう出て来るのに今日はまだフィーダーの中にいる、と言うのです。

 リスが何かの拍子に片手をあげて「やあ」と言うような仕草をすることはよくあります。

 妻が台所から出てきて「リスさんはしたいようにするのだからあまり喧しくしてはいけない」と言い聞かせました。

 食事の時間になっても、娘は

「私はずっと見ていたのだからクルミはまだフィーダーの中にいる、おかしい」

と言い張ります。

 私は裏山へ続く庭へ出て、フィーダーをそっと浮かせてみました。

 中で何かが動く気配はありません。

 屋根を開けてみると、中でクルミが丸くなっていました。

 そっと持ち上げたクルミは動きませんでした。

 私はクルミの体がまだ温かいうちに、娘がフィーダーへ行かせてくれたことに感謝しました。

 娘はそれから「クルミが私にバイバイをした」と繰り返し言いました。


 私の父方のおじは、第二次世界大戦末期に戦闘機に遭遇しました。

 町中の機銃掃射を終えた戦闘機は山の上に現れたと思うとみるみる大きくなり、麦畑の上に真っ黒い影を落としました。

 春に国民学校に入学したばかりのおじがもう駄目だと思ってしゃがみこんだ時、低空飛行で接近してきた掃射手と目が合いました。

 男の目は笑っているように見えたと言います。

 そして飛行機は高度を上げて飛び去りました。

 おじは「どうして掃射手は自分を撃たなかったのだろう」と思いながら生きてきたと言います。

 

 私にも大学二年の夏に忘れられない思い出があります。

 一九六五年の移民法改正により急増したアジアからの移民の中に、母の妹がいました。

 横田基地のアメリカ兵と結婚して、スチュワート空軍基地へ赴任する夫に付いてニューヨークへ引っ越したのです。

 おばは青空を背景に飛ぶ一機の航空機の絵葉書を私に寄越し、遊びに来るようにと言いました。

 アルバイトをして貯めたお金と、自分たち夫婦の育てた米をどうしても娘に届けたい祖母の援助で私は渡米しました。

 おばの家で二週間を過ごした後、私は空路でベルリンへ行きました。

 西側からは壁のすぐそばまで行けました。

 その時、壁の二、三メートルこちら側に落ちている麻のアルパインハットを見たのです。

 そんなところに帽子が落ちているのが不思議でならなかった。

 西側の人間が落としたのであれば必ず気が付いたであろうし、東の国境警備隊の一人が誰かの飛ばされた帽子を投げ返してくれたとすれば親切すぎる。

 薄い緑のリボンのついた亜麻色の帽子が、それからずっと私の頭の中にあります。

 

 おじの掃射手の笑みのように、私の国境のアルパインハットのように、娘もきっとクルミの小さなバイバイをずっと抱えて生きていくのだろうと思っていました。


と、話が長くなってしまいました。

 このような最果てのブログを訪問していただき質問までしてくださったダイナムさん、どうもありがとうございます。

 爺は感激のあまり、喋りすぎてしもうたかもしれません。

 お許しを。」

という事だった。

 これもいい話だった。


 有子がブログを始めたのは、高校でコンピュータ部の副顧問になった年の夏である。

 女子のテニス部の顧問だったが、春に体調を崩して部活に行けなくなり、週一度の活動のコンピュータ部に替わった。

 ペットロスでうつ病を発症したのである。


 シャンパンは、有子が小学校四年生の秋に買ってもらったレッド&ホワイトのコーギーである。

 土曜日にピアノ教室から帰ると、玄関で待っていた父が有子に抱かせてくれた。

 前の年に父が再婚した新しい母が廊下で見ていた。

 実の母は恋しいとも思わないほど幼い日に亡くなっていた。

 まだ生後十か月だった有子は、牧場を経営している父の姉の婚家へ半年の間預けられた。

 ハイハイを始めたばかりで動き回るので、おばが家を空ける時は使っていない牧羊犬の檻の中に入っていた。

 そんな話を聞いたから、犬が好きになったのではないかと思う。

 まだ涎を垂らしているような有子に一匹の犬が哀れを催して、涙を舐めてくれたことがあったかもしれない。

 その優しい哺乳類が生まれ変わって来たのかと思うほど、シャンパンといると心が安らいだ。

 シャンパンが来て、この世は居心地の良い場所に変わった。

 有子が就職して三年目の人事異動で家から通えなくなったとき、シャンパンは白内障で左目が見えなくなっていた。

 ペット可の部屋は家賃が二万円ほど高かったので、とりあえずシャンパンは実家に置いて出た。

 いつも、シャンパンと暮らせる部屋を探してはいた。

 父と有子が朝晩に散歩をさせていたが、その頃はカラスの声を恐れて座り込むようになっていた。

 よく転ぶ。

 有子が家を出てからは、外廊下に置いたペットベッドで一日中寝ていた。

 それでも、おやつを持って実家へ帰るとそれは喜ぶ。

 ある時、実家を出てから忘れ物に気が付いて取りに帰った。 

 廊下の硝子越しに、向こう向きになって日向ぼっこをしているシャンパンが見えた。

 毛がそそけ立って斑になった、もうあまり人に相手にされなくなった背中が丸い。

 胸が詰まった。

 シャンパンは有子の気配に気づかなかった。


 翌年の春休みの終わりに、父からシャンパンが余りフードを食べないと電話があった。

 有子は帰らなかった。

 父は何かと連絡をしてくるが、有子にとって家はシルバニアファミリーのリスように心地悪い物だった。

 ふわふわだと思って触れると、下の硬質の芯に押し返される。。

 その居心地の悪さを埋めたのはシャンパンであった。

 居心地の悪い家を出た有子には、もうシャンパンが必要でなかったのかもしれない。


 初めて新入生の担任になるのが決まって、準備にバタバタしていた時だった。

 入学式は月曜日だった。

 前日に準備のために高校へ行くと、着いてすぐに父からシャンパンが亡くなったとラインがあった。

 有子が明日は入学式なのでどうしても休めないと言うと、父はシャンパンの火葬を明後日に延ばした。

 着火ボタンを押したのは有子だった。 

 自分が燃やしたシャンパンの体を指が覚えていた。


 それから二か月ほど経って有子は体調を崩した。

 十キロ近く体重が落ちていた。

 食欲がないのでよく食事を抜く。

 忙しいからだと思っていたが、体がふらふらして喉が痛む。

 インフルエンザを疑って受診すると陰性だった。

 解熱鎮痛薬をもらって帰ったが、一週間たつとますますひどくなった。

 めまいがする。

 陽性反応が出ているかもしれないと思って再び受診すると、やはり陰性であった。

 四日分薬を出しておくがそれで良くならなければ大きな病院で検査をするように、と医師に言われた。

 その帰り道で、あの丸くなった背中が支えになっていたことや続け様のミスや体調不良に思い当たったのである。


 有子は、自分のシャンパンへの依存の強さに驚いた。

 それはこれまで有子が寂しさを抱えていたということである。

 何も問題を起こさずに生きてきたが、ずっと感じてきた違和感や居心地の悪さが思い返された。

 

 これでも人間は生きていられるのかと思うほど眠りが浅く短かかった。

 一時間半の二セット程度しか寝ていない。

 十二時頃寝て三時には起きる。

 それからスマホでペットロスの体験談や癒し方をみる。

 ペットロスの癒し方には「祭壇を作って偲ぶ」「ペット宛の手紙を書く」「太陽光を浴びて幸せホルモンのセロトニンの分泌を促す」「朝起きたらベッドの中でにっこりして脳に楽しいと勘違いさせる」「扁桃体にありがとうと言う」「自分の名前に○○さんありがとう、と繰り返し言う」「悲しみを表に出す」「無理に忘れようとしない」「悲しみを受け入れる」とたくさんあった。 

 ペットを失った人の悲しみの深さがよくわかる。

 声を出して笑うと脳が勘違いして幸せホルモンが出るというので、一日何度もひとりで大声で笑ってみたが効果がなかった。

 SNSやブログで同じ経験をした人と気持ちを共有すると良いというものもあった。 

 なるほどそういう人となら話してみたかった。


 同級生の柳沢さんが、市役所の広報の担当でホームページを制作していた。

 有子も取材に協力したことがある。

 それで、コンピュータ部の副顧問になったのでSNSの実際を学びたいと言って呼び出したのである。

 教えてくれた無料のブログの中から、知り合いが少なそうなサイトを選んでアカウントを作った。

 その後、柳沢さんが「ブログを教えてよ」と言ってきたが、高校のホームページだけ教えてまだ個人では開設していないと答えていた。

 ところが、有子は週二回のペースでブログをアップし続けていたのである。

 どうせ夜は眠れていなかった。


 有子のブログに最初にコメントをくれたのがnihonnjikaさんだった。

 花を飾ったシャンパンの写真をアップして、朝ベランダで焚火をしてコーヒーを淹れたけれどあまり寂しいので「君のいない暮らしは寂しいなあ」と大声で亡き愛犬に言ってみました、と書いたらコメントがあったのである。

 「泣きそうだ。

 私は先代の犬を亡くした時、毎月命日によく散歩をした近所の公園へ行って献杯をして号泣しました。

 いい年をしたおじさんが通報されかねない状態です。

 有子.Hさんのブログを読んでいると抑圧的なのに、それでいながら寂しげなのですよ。

 時には感情を出して大泣きするのもよいのでは」

というアドバイスだった。

 最初から「それは寂しいですね」と言ってほしくて始めたブログだから、地域情報や自慢のレシピを交えながらもペットロスの寂しさを小出しにするようなブログになった。


 翌年の春にアップされたnihonnjikaさんのブログは、カールを連れて沢を渡って登山道のコシアブラを摘みに行った事と数枚の写真だった。

「リュックいっぱいのコシアブラ、素敵ですね。

 コシアブラの天ぷら大好きですが、私は根性なしなので採りに行けそうにもありません。

 nihonnjikaさんの行動力にあこがれます」

と書き込むと、すぐに

「いつも丁寧に読んでいただいて、コメントをありがとうございます。

 私はカールとバタバタしながら暮らしているので、有子.Hさんの丁寧な暮らしぶりや静かな生活に惹かれます。

 ところで以前から思っていたのですが、有子.Hさんの表示名の”有子”は本名ですか。

 するとありこさんと読むのですか、ゆうこさんですか」

という書き込みがあった。

 アドレスが相手にわからない、ブログアプリを通してのやりとりである。

  

 有子の名付け親は父である。

 歴史の好きな父は曽祖父の故郷の香川県を調べていた時「西讃府志京極家」の中に「藤原朝臣長良」の名を見つけた。

 長良は父の名であった。

 長良、ながらは姓にもあるが全国で四百五十人と言うマイナーな姓である。

 名前になるともっと少ないだろう。

 父の名前は長良と書いて「おさたか」と読む。

 藤原朝臣長良の娘の名前が「有子」なので、女の子なら「有子」と生まれる前から決まっていたのである。

「あり」は、神の御子が生まれる「みあれ」の「あれ」に繋がる。

「有」とか「在」の字のつく人は卜占の徒だ、と父は話した。

「おさたか」などと言う珍しい名前なのだから、病院や役所へ行くたびに訂正する苦労はわかっているはずなのに、珍しい読み方にされたせいで有子は小学校へ入学するとすぐに先生から「ゆうこちゃん」と呼ばれた。


「ありこさんですか」と言うのは珍しい質問である。

 ふつう、ゆうこさんと言う。

「珍しい読み方なのですが、ありこなのですよ」

と返事をすると、また

「いい名前ですね。

 プロフィールに「H2.初夏生まれ」とありますが、何月ですか」

と返信がある。

「6月です。」

と返事をしたら

「そうですかあ、いい季節ですね。 

 何日ですか」

とすぐに返信がある。

 面倒になってその日はそれきりにしたが大人げないと思い、翌日学校から帰って

「ひ、み、つ…ですよ」

と返信したら、十二時前になって

「お願いですから教えてくださいよぉ。

 お祝いにプレゼントを送りますから。

 ヴィトンのバッグでもなんでも(笑)」

と返事が来た。

 若い人の書き捨てみたいな投稿が多いサイトの中で、nihonnjikaさんはユーモアのある端正な文章を書く。

 内容も有子の興味を引く。

 しかし、繰り返し個人情報を聞かれているうちに、情報の公開授業で聞いた

「インターネットの知り合いは知り合いではありません。知らない人なのです」

という言葉を思い出した。

 温まっていた気持ちが一気に冷える気がした。


「ブログ コメント 困る」と検索すると「事務的な返事にする」や「コメントの許可設定を変更する」などが出てくる。

 しかしnihonnjikaさんとは今までの成り行きもあるので、急によそよそしくしにくかった。

 それで全てのコメントを拒否にした。

 危険な人ではなさそうだが、もともとが引っ込み思案なのでnihonnjikaさんとはそれきりになった。

 ただ自分に強い関心を示した人として、nihonnjikaさんは有子の記憶に残った。


 今年の十月のことである。

 県教委主催の講演会があり長野県庁へ行って、nihonnjikaさんのブログのオフ会の写真に映っていた塚田先生に会った。

 少し猫背で細身の長身なので優しそうに見えるが、とてもマイペースな人なので管理職が持て余しているという噂がある。

 その代わり年功序列など関係なく、娘ほどの年齢の有子にも対等に話しかける。

 今日も遠くから手を挙げて頭を下げてくれたので、有子は近寄った。

 ジビエカレーの店の場所を聞いていた時、突然nihonnjikaさんの話が出た。

「ブロガーでnihonnjikaさんと言う人がいましてね。

 いい人でね、南の方の情報はピカイチ詳しかったのに十八日に亡くなってね。 

 明日が葬式なんじゃが行けないんで、今から行かなくちゃならんのですわ。

 よかったら乗っていきますか。

 ちょっと待ってくれたら、送りますよ」

 と言う。

「わあ、助かります。いいんですかあ」

 一緒にいた宮井先生が言った。

 まだ十二時を過ぎたばかりだし、土曜日なのでこの後は自由である。

 一緒に後部座席に乗せてもらった。


 車の中で、nihonnjikaさんの話になった。

「nihonnjikaさんて鹿の角のペンとかをDIYする人でしょう」

「ああ、よく知ってるね。僕ももらったよ」

「そうなんですか、いいですね」

「今から行くところの道の駅に売ってたんじゃないかなあ。

 何割かが保護団体に寄付されるらしいよ。

 寄りますか。

 お悔みはすぐに終わるんで」

「行きたいです。

 あの辺行ったことないから。

 もう、紅葉とか始まってるんじゃないですか」

 有子より先に、宮井先生が返事をした。

「いやあ、まだでしょう。

 あと一週間すると見事なんですがね。

 途中で蕎麦でも食べていきましょう。

 もう秋そばがでちょうるけん。

 キノコのてんぷらの揚げ立て、出すとこがあるんですわ」

 伊那市役所の前を通り過ぎて、どこかの空地へ車を止めた。

 民家の間の細道を通って商店街へ出ると、小さな蕎麦屋がある。

 暖簾がなければ民家だと思う。

 テーブルが五つほど置かれた店に客はいなかった。

 だしの香りが強い。

 マイタケのてんぷらの芯がまだ熱い。

 確かにおいしかった。


 食事が終わって店を出ると、日が弱くなっていた。

 夫婦杉の巨木のある小学校の手前で東へ曲がると、急な山道になる。

 一車線の木漏れ日が時々道路に斑を落としている山道は寂しい。 

 カールの背中をnihonnjikaさんが撮影したのはこの道だろう。 

 道の駅は思ったよりずっと小さかった。

 もう野菜はほとんど売り切れている。

 奥に福祉施設で作ったアクリルたわしやクッキーに交じって、鹿の角のキーホルダーとペンがあった。

 ずっしりと重量があるボールペンを二千五百円で買ったら、ステッカーをくれた。

 右上に二行に個性的な字で「伊那ニホンジカ愛護団体」と書いてある。

 黒い牡鹿のシルエットの絵が描かれていた。

 道の駅を出ると、日が渓の向こうの山に隠れていた。


 ラヤ•トンネリでよく見た鹿がいたのはこの山だろう。

 渓の向こうの山が低くなって、時々西日が差して急に明るくなる。

 崖の下に、青い渓流が白く泡立つのが見える。

 岩があって滝のようになっているのだろう。

 山頂近くの緩やかな右カーブの手前で、ナビが「目的地付近に到着しました」と告げた。

 車が停まると左手の山がえぐり取られたように急に引っ込んで、奥に平屋造りの家があった。

 百人ほどの喪服の人達がいる。

 スタンドの花が、山肌のカーブに沿って一面に立てられている。

 ブログには娘さんや奥さんの話が出てくるが、現在は一人暮らしのようだった。

 しかし、これだけの人が別れに訪れるのは社会と誠実に関わってきた証だろう。


 塚田先生が弔問に入っている間、有子は車の中で待っていた。

 玄関前に初老の女性と犬が立っている。

 艶やかな茶色の短毛で、体全体が筋肉質の犬だ。

 大きな体に似合わず静かなたたずまいの犬である。

 女性はブログに出てきた、nihonnjikaさんの同級生に嫁いだ3つ下の妹だろう。


「ああ、ありこちゃんが死んだ年の暮れだ」

 少し開いた車の窓の側で、女性の声がした。

「そうそう。福美さん、長いこと入院して生まれた子だからね。

 あの子、何年生まれだった?」

「平成2年6月、うちの美樹と一緒だから」

 平成2年6月生まれ、誕生月と名前が有子と同じ人の噂をしていた。

「福美さんが自殺して、太一さんも何もかもなくなった」

「おやげねー」

「ほんとねー」

 

 塚田先生が前へ傾くようにして、玄関から足早に出てきた。

 運転席の扉を開けると、入る前に喋り出す。

「えれえ話を聞きましてね。

 ここの人、信日新聞の記者なんやそうですわ。

 女の子が殺されて犯人が分からんで、そのあと奥さんが自殺したそうなんですわ。

 さっき通った県道の真白橋いうとこから、奥さん、飛び降りたらしいですわ。

 そこの河原で子どもさんが死んでたんやそうで」

 

 女児殺人事件が起きたのは、有子が小学校の低学年の時である。

 まだ再婚していなかった父は仕事から帰ると祖母にテレビの前へご飯を運んでもらって、どんな情報も聞き逃すまいとするようにニュースを見ていた。

 ランドセルを背負った女児がトンネルに入るのを近所の女性が見ていたが、五百メートルほど下にある家には帰らなかった。

 それからすぐに女児は遺体で見つかった。

 上空から映した山々が徐々にズームアップしていって、渓底のブルーシートに近づいていく。

 絞殺の後があって殺人事件として捜査されたが、犯人はわからなかった。

 その事件があって有子の小学校では同じ方向へ帰る児童が班になり、順番で保護者が付き添うようになった。


 頂上に近く西が開けている家の辺りは明るかったが、車が山を下り始めるとまた日は山に隠れた。

 nihonnjikaさんの家へ来たのは殺処分の一月前だったというカールの艶やかな背中が山道を走り回るのを見る時、命とは何と野太いものなのだろうとnihonnjikaさんは思っただろう。

 

 左手の木立が途切れて、深い渓が見えてきた。

 渓の向こうへ架かった真白橋は、わっと光を集めたように山の日が差している。

 塚田先生は車を止めた。

 宮田先生が

「なんか、怖いなあ」

と言う。

 ほとんど水のない河原が白々と見えた。

 橋の手前の右手に、真白橋の謂れを書いた立て看板がある。

 白いペンキが剥げて、ところどころ木目が出ている。


「真白地区は、古くは馬柱と呼ばれていました。

 その昔、この川は暴れ川で大雨が降るたびに川筋が変わりました。

 渓の向うへ行くのに一里ほど下って橋を渡らなければならず、村は孤立していました。

 ある年、旅の僧が一年ほどこの村の鉢割れ地蔵の庵に住んでおりました。

 僧は村を去る時にお礼に、橋のたもとの大杉を伐り倒して向う岸へ橋を架けました。

 村人はたいへん喜びました。

 しかし翌年の夏に大雨が続いて川の水嵩が増して、村へ流れ込みました。

 村では二十数名の犠牲者が出ました。

 村人は橋を作った時に人柱を立てなかったためだと恐れ、ある朝、農耕馬を冷やしにきた川上村の若者と馬を人柱にしました

 その若者には許嫁がいましたが、しばらくしてこの川に身を投げました。

 そのため、この橋を渡った男女は必ず別れると言われ「縁切り橋」とも呼ばれています」


 不吉な話だった。

 この川はそういった怨念をずっと抱えている川なのだ。

 向う岸に数件の家があったが、灯は点いていなかった。

 壊れ放題の雨樋には雑草が生い、軒を蔓草が這い上っている。

 nihonnjikaさんと話したことはないが

「筆者、これからはこの山で好き放題に走り回っています」

と言う明るい声が聞こえる気がした。

 見ると、立て看板の下にシラカンバの実が落ちていた。

 きれいなのを二つ拾ってハンカチに包んだ。


 有子はアパートへ帰ると、それをピンチハンガーに挟んで乾した。

 月曜日は駄菓子ををつまみながら中間テストの点付けをして、九時前に部屋へ帰った。

 シャワーを浴びると、頭にタオルを巻いたままで机の前に座った。

 壁に立ててあるコルクボードに、シラカンバの実ををグルーガンで貼りつける。

 明日、マスキングテープを買って帰って「H30.10真柱橋」と書いて貼ろうと思った。

 



 

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