56話
* * *
退勤時間が近づく午後。
誰ともなく、皆がちらちらと時計を盗み見ている頃だった。
「ジオさん、こんにちは」
パーティション越しに、にゅっと差し出される顔。
しばらくぼんやりと見つめていたジオも、すぐに軽く会釈した。すると、ぱっと明るくなる相手の表情。
「ええと。私、誰だかわかる?」
「はい」
「わあ、ほんと?」
フルネーム、ドミ。
姓がド、名前がミだ。
バンビの右腕がサセジョンなら、こちらは左腕。
ランキングは少し前にペク・ドヒョンの進入で一つ順位が落ちて28位。
韓国「ファーストライン」ハンターたち。1番チャンネル所属のハイランカーであり、〈バビロン〉第1のランカーでもあった。
そして、人の顔を覚えられないキョン・ジオが彼女を正確に覚えている理由は。
「うちのグミのインスタの友達じゃないですか」
「わあ。そうそう!ジオさんもインスタやってるの?」
「いいえ。グミのアカウントをストーキングしてるだけ」
「……あ、そ、そうなんだ」
この兄妹もどこかちょっとおかしい。ドミは気まずそうに鼻の頭を掻いた。
「あ。言葉遣い、楽にしてもいい?」
「イエス。ノー問題」
「性格さっぱりしてるね、いいね!用件はこれ。リーダーが前もって言っておくように言ってたんだけど」
「はい」
「そう、そう。じゃあ、よろしくね!」
さっぱりと去っていくドミ。
遠ざかる背中を見ながら、ジオは引き出しに入れるふりをして、インベントリにぽいっと放り込んだ。
メッセージは1時間ほど前に来ていた。
ママの息子│010-7351-xxxx
━ x月xx日 ━
おい、力の隠しすぎ
暇だろ?お前、座ってばかりいるってギルドで噂になってるぞ
いやwww なんだよwww 反省椅子かよwww
とにかくww だから、久しぶりに仕事一つしろ
明日からめっちゃ忙しくなりそうだから、別に回せる余剰人員がいないんだよ
でも、これが金庫の鍵だから、他の人に任せるのはちょっとねㅇㅇ
後で人を送るから受け取っておけ
なくすなよ
絶対
おい、見てるか?
ああ、返信しろよマジで
横の1が消えたからわかったこととする
ジオはソーセージを剥きながら、インベントリウィンドウをぽんと開いてみた。サファイアの鍵が綺麗に一マスを占めている。
インベントリの容量にも限界があるし、全てのアイテムを毎日持ち歩くわけにもいかない。
各ギルドごとに共有倉庫は必須だった。
また、規模が大きいギルドほど当然倉庫の数もそれだけ多かったのだが、ジオが今受け取った鍵は地下第9金庫。
別名〈バビロン〉の黄金の蔵。
その鍵だった。
「ドミ様が何か伝えて行ったんですか……?」
「サファイアの鍵」
「え。金庫の鍵ですか?そこ、ギルド員、ロイヤルたちだけが入れる場所じゃないですか……?」
「うん。だから臨時。まあ、明日からすごく忙しいんだって?」
ジョー(キング)ジオのような高級人材を、たかが倉庫番として使いこなすとは。
バンビめ、嘆かわしく、けしからんことこの上ないが。しかし、しかし。
「ついに私にも仕事らしい仕事が来たってことだ。」
世界最強の倉庫番になってやる!
ジオは凛々しい顔でコーヒーをワンショットした。
「それ、私のですけど……」
「うまい」
「失礼します」
慎重で丁寧なノック。
そして、人々の注目をかっさらう柔らかい低音。
遅い午後。退勤だけを待っていた社会人たちが、一瞬にして全員、眠りから覚めたような表情を浮かべた。
「ど、どうされましたか?何かお手伝いできることでも?」
「大丈夫です。気にせず、見ていた仕事を見ていてください。別に探している人がいるので」
そのまま直進した彼が、少し前にドミと同じパーティションを見つけた。
一つ隔てて顔を出したドミとは違い、パーティションの上に腕をかける。
ハンサムな背の高さのおかげで、隠れることなくよく見える顔。
「地下金庫を利用したいのですが、リーダーがこちらに行ってみろと言うので」
「……」
「今になって、ようやくまともにご挨拶できますね」
どんよりとした天気に見ても清涼な笑顔。
ペク・ドヒョンが挨拶した。
「良い夕暮れですね。……ジオ」
* * *
タッ、タク。
狭い空間内に響く二つの足音。また、一つの声。
「もともと自由な方だから期待はしていませんでしたが」
「……」
「やっぱり寂しいですね。もともとこんなにがらんとした家だったのかと思ったり……」
「……」
「いる時はわからなくても、いなくなって初めてわかるって、こういうことなんだなと思ったりもしました」
「……」
「ミーティングルームで少しお会いしたことはありましたが、あの時は短すぎましたから。これまで、何か変わったことはありませんでしたか?チュートリアル以来初めてなのに」
……
……
「ジオ」
「なぜ?」
「……距離を置きますね。まるで初めて会ったあの時のように」
ソンルン駅、あの日、あの時のように。
最下層の地下金庫に降りていく階段の上。
朱色の照明がペク・ドヒョンの顔の上に影を描き出す。ジオは答えずに階段を降り続けた。
「……」
「……これ、離さないで」
ぎゅっ。
離す代わりに、ペク・ドヒョンは掴んだ手にさらに力を込めた。
強すぎないように、しかし、彼女が自分から離れていかないように。
「避けないでください」
「は。避けるって何を避けるのよ」
「僕を。僕を避けないでください」
「……」
「面倒なことが嫌いなのはわかっています。正確には、騒がしくなることを嫌がるのを知っています。だから、僕を嫌がるのも理解できます」
「……」
「理解は、できます」
「……」
声がぼやけていた。
顔も似ていた。
固い信念で二度も生を繰り返して生きることを選んだ男とは、あまり似合わない表情だった。
ジオは静かにペク・ドヒョンを見つめた。
続く数分の沈黙。
自分の感情を抑えたペク・ドヒョンがジオの手を握り直した。脈拍の上に彼の震えが伝わってきた。
「気をつけます」
「……」
「思った通りにはいかないかもしれませんが、また以前のように、どうしようもなく、あるいは不可避的にあなたを不快にすることが起こるかもしれませんが……」
気をつけます。回帰者はかすれた声で同じ言葉を繰り返した。
「だから、どうか距離を置かないでください」
泣きそうに笑った。
「会いたかったです」
「……」
「名前、教えてくれたじゃないですか」
地下階段は十分に暗く、また、十分なほどに狭かった。
お互いの顔だけが確認可能で、お互いの息遣いしか聞こえなかった。
キョン・ジオはその空間の中で、仙人の影を目撃した。
まるで、月の裏側のような。
「痛い」
「……あ。す、すみません……」
「いなり寿司、美味しくなかった」
「……」
「砂糖が本当に多すぎるんだって。糖尿病になるわ」
無味乾燥なぶつぶつ。
普段から聞いていた口調そのままだ。ペク・ドヒョンは小さく肩を震わせて笑った。
「レシピ、本当に変えないといけませんね」
「うん。私の好みじゃない。マジで」
「……ジオ」
「なぜ?」
「この手。階段が終わるまで……握っていてもいいですか?」
「……」
「ここ、とても暗いので、転ばれるといけないと思って」
「私が?」
「僕かもしれませんし」
「……好きにすれば」
手首を伝って降りてきて、そのままゆっくりと握りしめる手。
固い彼の指が慎重に内側に絡み合ってきた。
「熱い」
「見ていてください」
淡白な男だと思っていたのに、参ったな。
二人は再び無言で階段を降りていった。
その長くもなく、短くもない道。降りてくる間、さらに続く言葉はなかった。
* * *
共有倉庫のセキュリティシステムはギルドごとにそれぞれだ。
ガードを立てておく場合もあれば、魔法、陣法などなど、まあ色々だった。
その中でも〈バビロン〉は少しアナログタイプ。
マニュアルは降りてくる前に全て熟知した。ジオは巨大なドアに手のひらを当てた。
あらかじめ登録しておいた情報をセキュリティシステムが読み取り出力した。魔力スキャンまで終えた後、鍵を挿入。
ゴゴゴゴ-!
重厚な音と共に隙間が開き。
まるでドラゴンの巣のような外観とは異なり、中は現代美術館のようにすっきりとしていた。ジオはきょろきょろと見回した。
「バンビめ……金持ちじゃん?」
「これは全てリーダーの私有財産ではありません」
笑いを交えて答えると、一方向に直進するペク・ドヒョン。
この空間がとても慣れているようだ。
ジオは目を細めた。
「来たことあるんだ、ここ?」
「……ええ、まあ」
「もともとバビロンのメンバーだったんだ」
ふむ。
ジオが長く音を出した。ペク・ドヒョンは苦笑いで答えを代わりにした。
「よく知っていた人たちと最初からまた仲良くなるの、難しいだろうな。いや、辛いだろうね。完全にリセットじゃん」
「仕方ないことですよ。そのリセットを望んだし、全部そこに含まれていることですから」
「後悔みたいなものは聞こえてこないの?」
「ええ。しません、後悔は」
以前の世界に全部捨ててきたから。全部。
「断固としてるね。それで?今は望む方向に行ってるの?」
「さあ。そこまでは……まだわかりません」
意味を持って変わったこともあれば、予期しない、変わったこともあった。
事実、ジオのアルバイトだけでも以前にはなかったことだったから。
しかし、このような変化までもある程度予想していたこと。
回帰者とバタフライ効果は不可分の関係だ。
彼が始めた蝶の羽ばたきがどんな嵐を巻き起こしてくるのか、現時点では知ることもできず、避けることもできない。
だから。
ペク・ドヒョンは躊躇うことなく自分の正面に置かれた剣を手に取った。
死ぬ瞬間まで一緒だった、彼の伴侶。自分の愛剣を。
[すでに検証済みの所有者です。]
[滅剣「カルキ」の封印が解除されます!]
「だから、続けていかないと」
最後まで。最後の終章まで。




