431話
まさか。
「……ま、まさか」
まさか、あいつじゃないだろうな?
いくらバハムートからもらった偽の肉体を使っているとしても、たかが銃くらいで?
そんな中でも、海賊たちの騒がしい荒っぽい声はどんどん近づいてきていた。
ジオは舌打ちをして路地に入った。
絶対そんなはずはないけど……確認は必要だから。
壁に貼られた指名手配書がひらめく。
写真なしで、文章だけで埋め尽くされた例の手配書だ。
こんな隅にまでべたべた貼られている様子が、執拗なだけでなく、ある種の執念まで感じさせた。
全部、ペク・ドヒョンの仕業だった。
「それでも、力を隠してるってのはひどくない?」
この私が、まだそんな『ファン・ホン』みたいなことする人に見えるのか?
執事の職を引退したからって、キングが描くビッグピクチャーが分からないのか?
『7-A:さすが星座様……!素晴らしいです。あまりにも秘密裏で深遠すぎて、誰も、本当に誰も知らないビッグピクチャーとは!』
「……ゴホン」
「少しは考えろってんだ」
1. 今回の攻略目標:キョン・ジロクの課題解決
2. 課題を出す人:バハムート・アクヤ
3. アクヤとの接触最短ルート:聖戦
でも、記憶を失った異星の神様は論外としても、その聖戦の中で総司令官にまでなったペク・ドヒョンも、まだアクヤに会えてないんじゃないか。
もちろん、キョン・ジオはペク・ドヒョンとは立場が違う。
厳密に言えば、集合官の上司も同然だから、こっちが出向いたらバハムートなんか、慌てて裸足で出迎えるのが道理。
でもだ。
ペク・ドヒョンがまだ会えてない理由があるんじゃないか?
もしかしたら、バハムート・アクヤを目覚めさせること自体が【課題】の一部だったら?
下手に動いたら、ジョーが完全にやられちゃうぞ。
ここで、もう14年も経った。
バンビのことが心配じゃないと言ったら嘘になる。
大丈夫かな?考えるだけでも気が滅入るけど、キョン・ジオはいつか、このテーマに関してキョン・ジロクと話したことがあった。
バベルの塔の内外で時間の流れが違うという話を後から聞いて、訪ねて行った時だった。
「それ、またどこで聞きかじったの?」
「なんで私に言わなかっの?」
「言ったってどうせ、俺が塔に行かないわけでもないだろ」
「それでも、何か……」
「姉さん」
「…………」
「どうせ、塔から出たら無かったことになるんだ。俺が意味を持たせなければ、それで済むことなんだって。それに、一度だってそこで過ごした時間が意味があったことなんてない。俺にとっては」
「…………」
「俺が帰る場所はここだろ。姉さんと俺がいるここ。だから、無駄なこと考えないで、そんな顔しないでいいんだよ」
「……」
「俺を見て、キョン・ジオ。俺を信じてないのか?」
「……信じてる」
バンビはさらに付け加えた。
ある程度攻略体系が確立されてからは、塔で1年以上過ごしたことはないと。
その言葉が真実かどうかはともかく、あいつがただ信じろと言うから、キョン・ジオはただ信じた。
塔の登攀は、キョン・ジロクが抱える最も大きなトラウマによる結果で、あいつの人生の唯一の目標だったから。
そして今は、その座を【昇天】が占めている。
断言するけど、昇天課題を邪魔したら、バンビは絶対に黙っていないだろう。
ハンターとしてのキョン・ジロクは、目標とするものの邪魔になるなら、自分自身すら許せないやつだった。
自分自身も許さないのに、半分だからって例外なはずがない。
だから、めちゃくちゃな大暴れは絶対にダメ。
「みんなで会おうと約束した場所が、アクヤの神殿ではあるけど」
うーん。
状況は変わるものだから。
むやみに騒がず、最大限静かに慎重に、バンビの方と先に合流するのが、色々な意味で最善だろう。
『バベル:そう言う割には、すでに大暴れを……正直、これただの言い訳ですよね?』
『7-A:バベル!』
……もちろん。もちろん、まあ、少しはね。
そっけない顔で、ジオは手に持ったリンゴをかじった。
ふん。
「さっきも言ったでしょ。勝手に記憶を取り戻すまでは、関わりたくないって」
『バベル:何度もお伝えしていることですが、ご主人様の方も事故のはずですよ。自らの意思であれほど格を喪失する可能性は、ほとんどないと考えていいでしょう』
「いいんだよ。自らの意思だろうが何だろうと、私は見たくないんだ」
「……マジか?」
『バベル:マジか』
『7-A:マジか……』
カチコチに固まってしまった星系管理者一味。
ぽとん……コロコロ。
ジオの手の中から落ちた青リンゴが、床を転がっていった。
そのまま、彼の足元まで。
『バベル:だ、一体何が……最高管理者?最高管理者!』
「……あ、ああ。うん」
バベルが何度も虚空に窓を浮かべて、ようやく正気に戻った。
中腰で立ち上がり、わけもなくあたりを見回したジオが、再びそちらを振り返った。
「何だろう……この気分?」
なぜ、ここまでぼう然とするんだ?
バカで間抜けになった感じが、以前49階時代、脳みそがないレベルで知力が大幅に低下した時と似た感覚。
「も、もしかして、また弱体化でもされたのか?」
非常に合理的な推測なので、そっとステータスウィンドウを確認してみたが、[知力:最上]。
魔法使い王時代と同じ能力値が、すまし顔でそこにあるだけ。
「……ここで今、鳴り響いているこの不規則な心臓の鼓動を、不整脈だと疑ったら、あまりにもKYなアホヒロインのテンプレだよね?完全にキャラ崩壊案件じゃん?」
『バベル:ご存じで何よりです……』
………………ということは、この偶然の出会いに本当にときめいているということか?
妙な敗北感に、うろうろと迷っていたのもつかの間、ジオはすぐに、とぼとぼと歩き出した。
少し離れた路地の隅っこ。
嘘みたいに倒れている長身の男。
血まみれで一般の制服、フード付きの男性用マントまで。
すっかり着込んでいる姿だったが……。
いつもベタベタくっついていた恋人を、見間違えるわけがないだろう?
忘れる方がおかしい。
もしかしたら勘違いしたかもと思い、眼帯まで外してもう一度確認してみても、間違いなし。
近い位置に立ち止まったジオが、無表情にジン・キョウルを見下ろした。
軽く蹴る仕草はぞんざいだったが、少しも力はこもっていなかった。
「もしもし。おい、おっさん。ここで寝たら顔が歪むぞ」
「…………」
「もしもーし?」
何だよ、マジで。
「……格を失って、記憶を失って、お星様は本当にバカになったのか?どうしてこんなところにいるんだ」
返ってくる答えはない。
微かなうめき声だけが聞こえてきた。
「……本当に痛いのか?」
ジオは悩んだ末に、額のバンダナをほどいて目の下に巻いた。
目を合わせても冷たい風が吹いていたやつなのに、何でわざわざ見せてやる必要があるんだ?
どうせ、見分けられないだろうし。
「顔を突き合わせた距離で、また同じことになったら、ダメージがちょっと……」
「腕をどけてみて」
どこを見ようか。
ジオは返事のないキョウルのマントを適当に開けた。
制服とコートはどちらも濃い色なので、血痕だけでは判別できなかった。
血の匂いが最も強い部位を探すと、肩と腹部。
それぞれ貫通傷と刺し傷がある。
「肩はさっきの海賊たちが撃ったやつで」
銃創は正直、大したことないけど、腹部の刺し傷の方が非常に深刻に見えた。
どこかで刺されたのか?
一目見ただけでも、相当な感情を込めて突き刺したのが、ただの恨みではない。
「ムカつく」
それでも、私のものなのに。
息をするように恨みを買うのが得意技ではあるけど、こんなことはないはず……ハッ?
「ま、まさか、ちょ、ちょお……?!」
このろくでもない世界観最強の奔放変態野郎が、また懲りずに!
「あ、うっ」
「あちゃちゃ」
思わずキョウルの頬を拳で殴ったジオが、再び心を落ち着かせた。
目の前のこれは患者だ、患者。
『バベル:……最高管理者。ご主人様を脱がすのはおやめください。裸にするおつもりですか?ここは道端ですよ』
「あっ。うん」
『バベル:胸も触るのはおやめください』
でも…………でも!
決定的な証拠を見つけておかないと、後で思いっきりぶっ飛ばせないじゃないか?
「アマンダの赤い口紅の跡だとか、カロリーナの艶やかな金色の長い髪の毛だとか……」
「ハア………………」
「…………!」
「…あ…うっ…」
「…………」
果てしなく続いていた妄想が、ピタリと止まる。
キョン・ジオは静かに彼を見下ろした。
力なくジオにもたれかかったキョウルの顎のラインを伝って、血と混じった冷や汗が滑り落ちた。
「…あ、痛い……」
「ああ。分かった。もう少し我慢して」
「ハア……」
ジオはさらに近づき、彼が壁に寄りかかれるように支えた。
ただでさえ体格差も大きい上に、キョウルが力まで抜いているせいで、それだけでもうめき声が漏れた。
じめじめした裏路地。交差する息遣い。
首筋に触れる彼の息が、熱せられた砂漠のように熱い。
キョン・ジオの額にも、いつの間にか汗がにじんでいた。
白い手も真っ赤に染まって久しい。
めちゃくちゃになったキョウルの腹部を圧迫する眼差しが、次第に慎重になる。
ジオは集中して口を開いた。
「[否定し、誤り、混濁し、引っ掻き焦がし、幾重にも積み重なっていく黒業と自滅の中で、ただ禁忌のみが我々を自由にするだろう。この弾指の間の奇跡は、沈黙のように訪れよ。]」
[積業スキル、7階級高位呪文(真言深化) - ‘超速再生Hyper Regeneration’]
[積業スキル、6階級最上位補助呪文(強化) - ‘永続する慈悲Perpetual Mercy’]
不世出の魔法使いが、一字一句の修飾真言も省かずに、隙なく唱えていく詠唱。
魔法使いの詠唱は、時として何かの朗読のようだ。
叙事詩のようにも、あるいは子守唄のようにも聞こえた。
広がっていく穏やかな言霊に、ジン・キョウルの指がむくりと動いた。
「…………」
「………………体が」
急速に意識が戻った彼は、目を開けない状態で体を点検した。
完璧だ。
この世界の信仰を基盤としない総司令官、ペク・ドヒョンの力は、アクヤの子供たちにとって、どんな海賊よりも致命的だった。
「簡単に回復できる傷ではなかったはずなのに」
キョウルは自分の腕の中で、息をゼーゼーさせている存在をゆっくりと自覚した。
彼の腕を離そうと、ずっともぞもぞしているが、重さのせいで簡単にはいかないようだ。
うめいている。
こんなことをしでかしておいて、腕一本ほどくこともできないなんて……。
「そうだ、利子だ。まさにこの利子が、私にしたことだ」
「……」
彼は静かにまぶたを持ち上げた。
触れ合う顔が近い。目が合う。
「……」
ジオがハッと凍り付いた。
「……」
「……」
互いを見つめたまま、沈黙が続いた。
長い眠りから覚めたかのように、彼女を鑑賞するキョウルの視線に、だんだんと活気が帯びてくる。
特有の生気のない目が、奇妙に光り始める。
見ごたえのあるやつだった。
見つめ合うだけで、背筋がゾッとするほどではないが、ぞくぞくする、独特な黄金の瞳。
汗のせいか、頬に何本も張り付いた黒檀の髪。
そして。
「涙ぼくろ……」
ジオがわずかに首を傾げたのは、その時。
そして、避けることはないと言わんばかりに、再びこちらを見るが、瞳の中に立つさざ波までは隠せなかった。
動揺しているのか?
瞬間、腹の奥のどこかがザワザワする感じに、ジン・キョウルは眉をひそめた。
「……何を見てるんだ」
結局、ジオの方から先に聞いた。
気づいて。
見たくないのではなく、怖いのだと。
自分を知らない星を一度も経験したことがないから、キョン・ジオは逃げたかったのだ。
「やっぱり」
キョウルの目が細くなった。
「やっぱり。女だと思っていたぞ」
「我慢できない」
腹の中がむず痒いどころか、もう内臓まで痒くなっていた。
ジン・キョウルは低い笑い声を上げた。
我慢できないなら、我慢しなければいい。
「え?」
ジオの目が見開かれる。
無意識のうちだった。
血まみれのジン・キョウルの肉体が、目の前でそのまま溶け出したのは!
そして同時に。
「……!」
「驚くな」
「ま、マジかー!」
「本番はこれからだ」
入れ替わった位置。
怪我をして乱れていた姿はどこにもない。
ポマードでなめらかに整えて撫でつけた髪、しわ一つない将校用制服。
革手袋をはめた手が、ジオの腰を掴む。
壁と自分の間に閉じ込める力が、隙間なく断固としていた。
「罠として、私の分身もなかなか悪くなかっただろ?」
100億ウォンもする貴重な体だから、粗末に扱うわけにはいかない。
何度も乾く口の中を舌でなめながら、ジン・キョウルは笑った。
ところで、質問があるんだ。
その笑みが陰険だった。
「お前はどうして、そんなに美味しそうなんだ?」
「……!」
歪む顔……。
やっぱりむず痒い。
キョウルはジオのバンダナの端を甘噛みしながら、いたずらっぽく囁いた。
「捕まえた。海賊」




