430話
「ふむ、神官たちだけの暗号みたいなものだろうか?」
噂では総司令提督の方が強硬に求めたとか。
あの清廉潔白な方がこだわるくらいだから、どれほど深遠な意味が込められているのか想像もつかない。
「ヒムスウムチュイン……発音すら難しいな。やはり、教養のある人は違うな」
新聞でこの手配書を、精巧な暗号文だとか、簡単に見えても高度な解読能力を要求する新しい暗号技法だとか騒いでいたのを思い出す。
ウルルカは改めて湧き上がる尊敬の念と共に、手配書を懐にしまった。
この手配書の特殊な点は、それだけではなかった。
• 生け捕りのみ許可。
• 薬物禁止。美人局絶対禁止。
• 傷害時、聖戦1級功績として指名、即時強力処罰。
• 誘拐され、自覚なく協力している可能性が非常に有力。
• 心神耗弱状態が確認された場合、被害者として扱うこと。
• 情報提供は必ず尋問部ではなく、総司令部へ。
「こんなに口うるさい手配書は初めてだ……」
これじゃあ、手配書じゃなくて家出した人を探す失踪チラシじゃないか?
よくある写真一枚貼られていないという点も、とんでもなかった。
手配犯の顔が公開されていない手配書は、不滅槍の肩鎖骨だけが出ていた手配書以来だ。
それさえ、どこかの変態どもが全部剥がしていくせいで、最近では物を見つけるのが難しいレベルだったのに……とにかく。
「もしかしたら、特級はみんなこんなものなのかも」
聖戦で【特級】に指名された功績は、不滅槍以来、百億の魔法使いが初めて。
おかげで、ろくでなしどもはとっくにふるいにかけられ、ベテランのバウンティハンターの間だけで、口コミで外観情報が回っていた。
ウルルカもその一人だった。
「よし。ここか」
〈波に乗る男〉酒場。
ツーフェイスの中心に位置する、この無法街の象徴とも言える大型酒場だ。
旅館を兼ねている上に、大海賊たちの長年の馴染みの店であるだけに、先日入港したサマリア海賊団もここに滞在していた。
ウェスタンハットを深く被ったウルルカが、スイングドアを押して入っていった。
「銀河ウィスキーを」
「あんた、見かけない顔だな」
「俺を知っていれば、お前の首は繋がっていないだろうな」
「チッ。物騒なやつだ」
舌打ちしたバーテンダーが、空のグラスを満たす。
彼の背後から、ざわめきが聞こえてきた。
「あれ、ウルルカじゃないか?」
「まさか、あの双銃のウルルカ?!」
「結局、上層海で一番残酷なバウンティハンターまで乗り出すのか……少し前にはキャモロウが来てたのに!」
「百億だぞ。なんと百億!オプションは厄介だが、不滅槍以来の歴代最高金額だ。みんな集まってくるはずだ」
「でも、キャモロウもあんな目に遭ったのに、ウルルカだからって違うか?」
「確かに、めちゃくちゃ凄惨だったな……」
「キャモロウのやつが来てたのか」
フン。
ウルルカは苦笑を隠した。
あの傲慢なやつなら、情報もなしに突っ走って逆襲されたのがオチだろう。
百億の魔法使いが、かなり慎重なやつらしいが、ベテラン中のベテランである俺にはありえない話だ――。
「準備はすごく徹底してたみたいだけどね!豚の丸焼きになって出て行くなんて、誰が想像しただろうね?チッ、チッ!」
「お尻に火をつけて空までピューンと飛び上がるから、俺はキャモロウが空の星になるのかと思ったよ」
「お前も?俺も!いや~、遠くまで飛んでったよな?」
「…………」
思ったより手強い相手なのかもしれない。
ウルルカの眉間に、わずかに皺が寄った。
「魔法、俺は正直バカにしてたけど、本物は違うんだな!」
「神官様たちが、むやみに百億もつけるわけないだろ?4層海で船20隻を一度に全滅させたんだって。『バハムート出てこい!』とか言いながら」
あの伝説的な事件なら、ウルルカもよく知っていた。
「おい!お前ら悪神マリンボク着てるか?俺はお前らの子供と一緒にアイスも食ったし、サウナにも行ったぞ!全部やったぞ!」
歴代級の神聖冒涜だと、教皇が泡を吹いてひっくり返ったとか。
さすが、口先だけでも並みのルーキーではなかった。
「正直、ちょっとかっこよくないか?」
「かっこいいって?」
「だって、荒くれ者の黒海男なら、それくらいの度胸は必要だろ。俺はフック・ジョー、男としてちょっと尊敬する!あの兄貴なら海賊王になれる器だと思う!」
「海賊王?」
「知らないのか?【最初の海】に一番最初に到着するやつが、海賊王だ!フック・ジョー兄貴の名言じゃないか。キャー!最近1層海に行こうと必死なのも、全部それが原因だろう?」
「ちょ、ちょっと待って。私、心臓がドキドキする……!なんだか、幼い頃に偶然聞いた夢を見つけた気分!」
「そもそも、こんな男のことを世の中を動かすって言うんだ!」
「…………」
ウルルカの喉がゴクリと鳴った。
「……フック・ジョーのやつ。一体何が足りないんだ?」
名声、実力、度胸、人柄、野望、ロマン……どれ一つとして足りないものがなくて、同じ男として劣等感すら覚えた。
「海賊王とは」
誰もが胸をときめかせるような、そんな偉大な夢、俺は考えたことすらなかったのに。
「考えるスケールが違う男だ……!」
すでに敗北した気持ちでウルルカがウィスキーグラスをドンと置いたのと同時だった。
ガタタン!
「マスターお兄ちゃん!来たよ!」
ひらめくピンクのケープコートの裾、そしてそれとは相反する野太い低音。
酒場の中の空気が、一瞬にして一変する。
急速に緊張感が漂う店内。
誰かが唾を飲み込む音が響いた。
「…………来た」
「サマリア海賊団だ……!」
二つに編んだ髭を生やした大男が、ドシンドシンと足音を立てて歩いてきた。
事故で家族を一度に失い、頭がおかしくなって自分が女だと信じて疑わない中年男。
不運な過去と狂気で有名なサマリア海賊団の船長、エンカン「サマリア」ウルフベルグだった。
「昨夜言ってたアイスクリームは?用意してあるんでしょうね?キャー!よくできました。ご主人様お兄様~!準備万端ですわよ~!」
「ご主人様お兄様だと?」
ゾロゾロとドアの方へ向かう視線。
何人かは目を輝かせながら武器を握りしめる。
サマリア船長が、あんなにかん高い声で、また恭しく呼ぶほどの人物といえば、当然…………!
ヒューン、ギイッ!
蹴り飛ばされたスイングドアが、荒々しく回転した。
湿った海風と共に現れた、険悪な顔つきの海賊の一団。
先頭に立つのは、絶対に折れることのないという「マーキュリー」だ。
銀髪の副船長、サルバ・ガスパルが放つ気迫に圧倒された者たちが、思わず武器を握った手から力を抜いた。
そんなサルバの後ろで、どこか腰の低い態度で海賊たちが案内する――。
来たか!
エキストラが勢いよく立ち上がり、約束されたセリフを口にした。
「それでは、あの方が噂の…………!」
海賊船長よりも海賊らしいゴシック風のフロックコートが、肩の上でひらめく。
額にはバンダナを巻いた黒髪。
タフな隻眼眼帯、クチャクチャと口元に挟んだ爪楊枝。そして、とても小さい――。
「噂の…………!」
とても小さい………………?
「…………え?」
「オイオイ」
「…………あ、あれ?」
「私のアイスクリームは無事か?」
大いに威張り散らす口調と、無理に低くしたハスキーボイスが響くと、酒場の中が一瞬静まり返った。
エンカン・サマリアが甲高く後押しした。
「マスター、何してるのよ!うちのご主人様お兄様にアイスクリームをお出ししなさいよ!」
「は、こら。エンカン、この悪猫め。黙ってられないのか?いい年した女が、どこでお兄様の前で声を荒げているんだ、叱ってやる!」
「あ、ああっ。ごめんなさい、ご主人様………!」
「…………」
ウルルカと酒場の人々が、思わず顎を落とした。
彼らの瞳が揺れた。
「どこから突っ込めばいいんだ……?」
「みんな。今の状況、私だけ怖い?」
「何なの、この奇妙奇天烈な役割劇は……!」
「…………お願いだから、中に入って騒いでくれ」
どこか諦めた表情のサルバが、奥歯を噛み締めながら囁いた。
「そうしましょうか。ついて来なさい、悪猫」
「は~い、ご主人様お兄様!」
すぐに答えたエンカンが、わざわざ後ろ向きになってフック・ジョーの後ろにぴったりとくっつく。
彼らが歩を進めるたびに、いつの間にかジョーの手に握られている鎖が音を立てた。
「…………」
ジャラジャラ。
「…………」
ジャラジャラ。
酒場の人々は、エンカンの首についたピンク色の首輪を見ないように必死だった。
サマリア一味が片方のテーブルに座った後も、酒場の中の沈黙は依然として消えない。
「…………ゴホン」
「コホン!」
ダラダラと冷や汗を流していたサマリアの団員たちが、我先にと咳払いをした。
ピーターが大声で必死に叫んだ。
「アハハ。い、いや~!う、うちのフック・ジョー兄貴は、本当に男らしいっすね!」
「そ、そうだ!あまりにも男前だから、うちの船長が一目でほ、惚れちゃったんだ!」
「同じ男が見てもすごいじゃないか!」
酒場の人々、一同思った。
「女じゃん……」
「あ……あの。エンカン?お前たちの部屋はどうするんだ?昨日も言ったけど、予約客がいるから部屋を一つ空けてもらわないと。お前たちは仲間なんだから、フック・ジョーが一人で部屋を使う必要はな――」
「な、何よ!何言ってるのよ、このオヤジ!私に臭い男たちと一緒に部屋を使えって言うの?頭おかしいんじゃないの?男女七歳にして席を同じゅうせずって言うでしょ?最近の世の中がどんな世の中だと思ってるの!」
「そうよ!マスター!うちのお兄様が、どうして男たちと一緒に部屋を使わなきゃいけないのよ?!狂ってるわ!」
「女だ……」
「あらやだ。びっくりした。パク女史が聞いたら気絶するようなこと言ってるわ。あ~う、心臓がドキドキする」
「ご主人様お兄様、大丈夫ですか?こちらのアイスクリームを食べて落ち着いてください。あ~ん」
「ああ~」
「うちのお兄様の首も、つるつるしてるわ!私と違って喉仏もないし、どうしてこんなに綺麗なの?」
「生まれつきだ」
「キャルルル!」
「女だ……」
「……」
船長と取引先(ご主人様)。
二人の男女を黙って見ていたサルバが、ピーターの方を向いた。
見つめ合う二人の海賊の目の下は、同じようにクマができていた。
「おい……」
「はい、兄貴……」
「ドアを閉めろ。誰も出られないようにしろ」
「……はい」
☆☆☆
「あ~あ。本当に最悪の運命だ」
悪質な海賊団に間違って出会って、男装を強要されるなんて、一体何の苦労だ?
「悲しいわ、悲しいわ」
ジオは思いっきり荒々しく噛んでいた爪楊枝を、ペッと吐き出した。
こんな野蛮な行為は本当に趣味に合わないけど、仕方ない。
「おい……クソ、お前本当にこれが最善なのか?本当にずっとそんな風に振る舞うつもりなのか」
「ほら。またそんな風にプレッシャーをかけてくる」
ここで、もっと頑張れって言うのか……!
歯を食いしばったサルバの睨みに、しょんぼりしたジオは仕方なく通り過ぎた従業員の尻をパン!と叩いた。
「あら、いやだ?」
「お嬢さん。誰の前で、恐れもなく魅力的なスカートの裾をひらひらさせてるんだ?このキャプテン・フック・ジョーの漁場で、おぼれて泳ぎたいのか?」
「もう、キャプテン!乱暴ね」
「今夜、私の部屋に来い!」
キャッキャッと笑った従業員が、言われた通りにすると言って海賊ジオの頬を掴んでキスをした。
あっという間に口紅の跡でベタベタになった顔で、キョン・ジオがサルバをチラッと見た。
ほら。いいでしょ?
「…………」
「…………」
海賊団の最年少団員ウーリーが、衝撃と悟りが入り混じった顔で呟いた。
「あ、あんな風にするのか……!」
「ウーリー。頭おかしいのか?夢にも見るな」
ただ遊んでくれてるだけだ、あの姉さんたちは……。
ロサ戦の年老いた妖怪たちが、こっそり隠して見ていたマッチョ映画を真似ているだけの見え透いた嘘が、本気で通用するはずがなかった。
脱力感いっぱいの顔で、サルバが顔を覆った。
「お前はもう……出て行け。出て行って、ここのやつらの口止めが終わるまで風にでも当たって来い」
「オッケー。わかった」
ジャラジャラ。
「…………このクソ、おい!そのクソみたいなピンク色の犬の首輪は外せ!お前一人で行って来い!お願いだから二人で離れてくれ!」
「あ」
またか。
「散歩に行って来いって言われたのかと思った」
ジオは足元でクンクン鳴いているエンカンの頭を撫でてやり、トボトボと酒場を後にした。
☆☆☆
『バベル:最高管理者?』
『バベル:恋人の記憶喪失に衝撃を受けて黒化し、海賊ルートに乗ってしまった悲恋のヴィランコンセプトに、今更ケチをつけるわけではありませんが』
『バベル:ちょっと………………』
『バベル:これちょっと……失敗したんじゃないですか~』
『7-A:バベル!星座様に何という口の利き方ですか!星座様がいくらリアルタイムでドジを踏んでいらっしゃっても、それさえも包容して補佐するのが私たちの義務です!』
「…………」
虚空から降り注ぐ打撃感が、なかなか痛かったが、ジオはひたすら無視して歩いた。
私の名前は海賊フック・ジョー、愛に傷ついた孤独な銀河の狼一匹。
海賊王バンビ探しは野蛮な協力者たちもいることだし、一人でも十分だ。
神殿の助けなど。
「記憶喪失イベントのお約束、知ってるだろ?先にメソメソ泣いてすがりつくやつが負けるって、みんな知ってるだろ?」
『バベル:これは……………自強頭天…………?』
見ていろ。
「勝手に記憶を取り戻して、自分で反省文を書くまでは神官どもの方には近づかない――」
「徹底的に探せ!絶対にちゃんと当ててるはずだ!」
「今撃ったやつ、神官で間違いないんだな?」
「チッ!あの野郎の口ぶりを聞いたか?異端審問官だってよ!それも高位の」
「チッ、くそ、フードのせいで顔が見えればいいのに。」
「高層に来てから、生きているうちに神官どもを全部殺してみるなんてな!早く探せ!」
「…………え?」
キョン・ジオは湿った感触に足を止めた。
土の地面に点々と散らばった血痕。
路地の奥へと続いている。
…………これは一体?
「どこかでよく見た赤血球の形だけど」




