426話
「あれが本名みたいだな?ジロク・D・スパロウか。まさか不滅槍とは……!」
「名前からして只者じゃないな」
サルバが小さく感嘆の息を漏らした。横で海賊たちも羨望の眼差しで頷いている。
しまった、こいつら宇宙人だった。
手に負えない誤解が広がる前に、ジオは慌てて取り繕った。
「そうじゃなくて。ただ、うちの世界で一番有名な海賊二人の名前をくっつけただけ……」
「何!」
海賊たちがわっと騒ぎ出した。
「そっちでも海賊だったのか!」
「やっぱりな!うちの不滅槍の兄貴は筋金入りの海賊だって信じてたんだ!」
「一番有名な海賊の名前を二つも受け継いだ後継者とは……!こんなに正統性のある海賊は初めて見た!」
「さすが海賊界の皇太子……!」
「……」
ああ、だめだ……これは……
「バンビ……ごめん!」
一瞬にしてたった一人の弟を宇宙級の海賊皇太子にしてしまった状況。
興奮に包まれた海賊たちを必死に無視しながら、ジオはサルバに尋ねた。
「あ、いつから?」
「何がだ?ああ。いつから不滅槍が有名になったかって?さあ、どうだろ……ピーター!覚えてるか?」
「どこまで遡るかな。不滅槍が黒海で名を馳せたのは、密入国して神殿とぶつかってめちゃくちゃにして懸賞金がかけられたのが始まりだから……うーん」
指を折って数えていたピーターが首を傾げた。
「7年くらい?」
「……?」
……え?
「え、ええと……?」
「……聞き間違いかな?」
ぱちぱち。ジオのまぶたが高速で痙攣した。
「あっ!違います!違いますよ!」
そ、そうよね?違うよね?
「14年!14年は経ってるはずです。ハハハ」
「……」
「いや~、月日が経つのは早いもんだな。本当に早い」
「俺たちの若い頃はみんな槍を一本持って歩いてたな~。幽霊船と不滅槍の伝説を聞いて海賊になるんだって、夢見たもんだ」
「男なら誰でも胸に不滅槍の伝説を抱いて生きるもんだ!それが黒海の男ってもんじゃないか?」
「槍一本で8層海から1層海まで上り詰めた男の話を聞いて、ときめかない奴がいるか!」
「不滅槍のために!」
「偉大な大海賊のために!」
乾杯!昔話に花を咲かせた海賊たちがラム酒のグラスを激しくぶつけ合った。
輪に入っていないのはサルバだけ。
「おい。なあ、取引先。こいつどうした?」
サルバがジオの肩を掴んでぐらぐら揺さぶった。魂が抜け出たように様子がおかしい。
さっきまでご主人様と復唱しろと偉そうにしていたチンピラと同一人物とは思えないほどだ。
「なんだ?お前、もしかして不滅槍と知り合いなのか?」
「そ、それが……」
それを言うか?そいつは私の生き別れの弟だ。
潤んだ瞳で離散家族ジオがぺらぺら喋ろうとした瞬間。
「そんなわけないだろ」
は、私は何を馬鹿なことを。
一人で呟いたサルバが鼻で笑った。
「頭がおかしくない限り、不滅槍と知り合いがいるわけないだろ。ここの奴らがわざわざ不滅槍って遠回しに呼んでるのがわからないのか?名前を出して知り合いだってバレたら、すぐに幽霊船の餌食になるんだぞ」
海賊たちが我先にと同意してきた。
「そうだ、そうだ。実績はともかく、俺の海賊人生で不滅槍ほど悪質で悪辣な海賊は見たことないな」
「誰でも幽霊船の主になれるわけじゃない。あいつは幽霊や悪魔よりもっと酷い奴なんだ」
「女が知り合いだって言ったら特に嫌がるんだって?宇宙人だってことを言い訳に同じ星出身だって近づいて、いい目に遭った奴はいないって話だ」
「本当に知り合いでも問題だろ?不滅槍本人だけじゃなくて、神殿が黙ってないぞ」
「絶対ないな!神殿どころか本部である聖戦から異端審問官が派遣されるぞ!ハイロードHigh Lordが直接来るかも!」
「天罰が個人単位じゃなくて都市全体に降り注ぐんだぞ。うわ~、想像するだけで恐ろしいな。絶対に関わらないようにしよう」
部下たちの言葉に頷きながら共感していたサルバがジオを振り返った。
「で、なんだ?何か言いたそうだったけど」
「……い、いいいや、何でもない!全然?全然ないけど?私みたいな善良で純粋無垢な一般人が、そんな悪辣な海賊悪党ボスと知り合いなわけないじゃん?ハハハ。まさか!とんでもない悪党め!天罰が下る海賊野郎!」
いきなり真顔で激昂をぶちまけるジオ。
海賊たちが尋常じゃない勢いに押されてたじろいだ。
「知り合いだなんてひっ、どうしてそんな酷い誤解を?末世だ、末世だ!私の前でそんなこと二度と言うな!私がキョン・ジロクを探しているのはだな?つまり、つまり……そ、そうだ!親の仇!修羅だ!」
パク女史が(キョン・ジオ限定だけど)いつも仇のような息子だと言ってるから、あながち間違いでもない。
「そ、そうだったのか?あらら……それは大変だったな」
「ちっ、ちっ。そんな事情があったとは……」
「やっぱり親の仇だったんだな」
「でもとりあえず落ち着いて、お嬢さん。気持ちはわかるけど、どうしてそんなに怒ってるんだ?」
「怒るのも当然だ!両親の仇と知り合いだなんて、私たちが悪かったな。あれを見ろ、どれだけ強い恨みがあるんだ、目が回ってるぞ!」
「あの、でもご主人様、お嬢さん。世の中に悪い海賊ばかりがいるわけじゃないから」
「そうだ。黒海に不滅槍みたいな海賊ばかりだったら、とっくに世界は滅んでるって。海賊に偏見を持ちすぎるのも良くないよ」
とんとん。
いつの間にか集まった海賊たちが、震えるジオの肩を慰めるように叩いた。
たった一人の大切な弟を海賊界の皇太子どころか、とんでもない悪党に祭り上げたキョン・ジオが、肩を震わせながら頷いた。
「今度から気をつけろ!」
「オーケー、オーケー!わかった!」
『7-A:あの、バベル。星座様が弟の社会的体面をリアルタイムで地に落としていってるんですが』
『バベル:眼を見ればわかるでしょう。そういう方です』
いや……みんな、今私だけが聞いたの?
「都市単位で天罰が下るって言ってたじゃん」
弱体化状態でそんなの食らったら「星座封印解除」したくなるかもしれないって。
とりあえず私とこの惑星が無事じゃないと感動の再会もできないんじゃない?
水浸しの世界で素手で泳ぎ回るわけにもいかないし、海賊どもを利用して30歳になった弟を探し出さなきゃいけない状況で密告者でも現れたら、え?
「それ誰が責任取るんだよ。未開な海賊どもがキングの裏をかいたら、その時誰が責任取るんだよ!」
顔面蒼白になった星座が必死に精神勝利している刹那。
ドタンドタン!
「ふ、副船長ー!」
大きな音に反射的に武器を握った海賊たちが、手から力を抜いた。
さっき、サルバの命令を受けて船を手配しに行った団員だった。
転がるように酒場に入ってきた彼が息を切らした。
「は、はあ。ぐ、ぐ、軍艦!今、はあ、今1番埠頭に飛行軍艦が着きました!」
「……!何?マークは?」
「[祈る黒竜]!あ、あいつの旗です!」
何だと?
サルバが真顔になって勢いよく立ち上がった。
海賊たちの雰囲気が一瞬にして変わる。
ジオは彼らの顔に浮かんだのが、他でもない戦闘の緊張だということに気づいた。
「ハイロードがここまで一体なぜ……!」
「ハイロード?」
天罰を都市単位で下すとか言ってたあれ?
異端審問官がどうのこうの言ってたから、彼らのトップくらいの地位だろう。
海賊と神官たちが殺伐と対立するこの惑星では、敵陣の首長も同然だった。
険しい顔になったサルバがジオを振り返った。
「じゃあ、取引は成立だな。俺が情報を渡して不滅槍を探してやる代わりに、お前は俺たちの船に乗る。不満は?」
「ない」
「よし。じゃあ、これから……いや、ちょっと待て。ちょっとちゃんと見せてみろ。確認させてくれ」
テーブルをぐっと押さえる、海風に荒れた手。
ジオは顔を上げた。
いつの間にかサルバの顔が近かった。
見下ろす海賊の淡い青色の眼光が、ジオの顔の隅々まで舐め回すように見つめる。
慎重な眼差し。
それがだんだん……何なのこれ?ジオが眉をひそめた。
「何を確認するの?」
「……」
「あの?」
「……あ?ああ」
サルバが慌てて視線を逸らした。
「今……何だったんだ?」
確かに確認のために見たはずなのに、いつの間にか夢中でこの宇宙人の女をじろじろ見ていた。
サルバが必死に当惑を鎮めた。
「ところで、お前の名前は何て言うんだ?そういえばまだ聞いてなかったな」
「……私?」
「じゃあ、お前以外に誰がいるんだ?」
「そ、そうだよね。私だよね。ええと。それが、つまり」
キョン・ジオ、キョン・ジロクは黒海のてっぺんからダイビングしながら見ても血縁関係にある名前。
今まさに親の仇になった弟との関係をここでばらすわけにはいかない。
ジオの頭脳が必死にぐるぐる回転した。
「考えろ。考えろ、キョン・ジオ……!」
「ふ、ふう……」
『バベル:……?なぜ急に黒幕みたいに笑ってるの……』
いや、クソ、そうじゃなくて
「フ、クフン、フック・ジョー!」
「……フック・ジョー?」
「フック・ジョー。それが私の名前です」
ジョー、バルドゼ、キョン・ジジョ、シルバー・ジョージに続く5番目のサブキャラ。
海賊フック・ジョー登場。
「……ふむ、そうか?俺はサマリア海賊団のサルバだ。覚えとけ。とにかくフック……ジョー?」
「顔と全然合わない名前だな」
聞き慣れない響きを舌先で転がしてみたサルバが、サブキャラを作り上げたせいですっかり青ざめた顔に向かって、ぽんと告げた。
「お前。今から男装しろ」
☆
上層海賊、〈サマリア海賊団〉は全員男で構成された海賊団だ。
本人が女性であることを公言する船長の独特な趣味のおかげ。
しかも副船長のサルバ・ガスパールは、海賊にしては女色に淡泊なことで有名だった。
ある層では彼を去勢説まで流れるほどなのに、女を連れて歩いたら噂を立証するようなものだった。
お前の男装に俺の命がかかっている。
取引しないのか。
判子を押しただろう。
サルバの脅迫のような懇願に、ジオはやむを得ず応じるしかなかった。
本当にやむを得ず。
「…………あいつ、髪を結んで服を着替えさせるだけでいいんだって?何で眼帯までしてんだよ、クソ、その短い間に隻眼にでもなったのか?」
「あ、いや。それが、兄貴!キャプテン・フック様が眼帯は海賊の必須ロマンだと」
「誰が様だ、馬鹿野郎ども!キャプテンって一体どこから出てきたんだ!」
「みんな。鉤爪はないの?」
「たかが男装するのにそんなものが必要なわけないだろ、クソったれ!」
「うわ~、規模がすごいな。兄貴一人捕まえようと、こんな大勢の人数が押し寄せてきたんですか?」
「うちの副船長は本当に大物なんだな」
急いで手配した船が停泊している4番埠頭に行くためには、必ず1番埠頭を通らなければならない。
黒層海でたった九隻しか存在しないという飛行軍艦。
伝説を見物に来た人だかりで、1番埠頭は足の踏み場もないほど混雑していた。
そんなことはお構いなしに。
キョン・ジオは横で騒ぐ海賊たちの言葉を聞き流しながら、物思いに耽っていた。
「14年……」
「お前ら、俺一人捕まえようとハイロードが軍艦を引っ張ってくるか?馬鹿げてる」
「え?じゃあティンカーベルのせい……あ、痛っ!痛いです、兄貴!何が原因なんですか、じゃあ!」
「知らねえよ、クソ。何かわからないけど、俺たちが知らない何かがこの6層海にあるんだ。聖戦がひっくり返るほど途方もないものが」
フードを深く被ったサルバの沈んだ低音が、普段より重々しかった。
そして、まさにその時。
「キャー!」
「うわああああ!」
街のあちこちで同時多発的に湧き上がる歓声。
「本物だ!本当にハイロードが来た!」
「悪夜よ、海の子供たちを祝福してください。こちらです、ロード!こっちを一度だけ見てください!」
「隣に総領提督もいるじゃないか?父の最も強力な錨がこの溶鉱炉まで来るとは!なんてことだ!」
「愛してるわ、キョウル様!ドヒョン様!」
「……!」
ちょっと待って。
何?
ジオの首が勢いよく回った。




