304話
すべての準備は完璧だ。
母と末っ子は「キョン・ジオ」の記憶が消えたまま、安全な場所で守られている。
世間は昨今の状況を最悪だと思っているが、最悪とまでは言えない。
依然として国家は残っているし、覚醒者たちも残っているではないか?
どんなに過酷な寒さが襲っても、種さえあれば花は粘り強く咲くものだ。 回生する可能性はいくらでもある。
ジオは氷の中の弟を見つめた。
すべてを止める極地大魔女の氷。
おかげで、何一つ失うことなく蘇るキョン・ジロクが彼女の意志を継ぎ……そうしてすべては元の場所に戻るだろう。
「魔力を継承するには、根が同一でなければならない。 私の魔力を譲り受けることができるのは、世界にたった一人。」
「……キョン・ジロクだけだ。」
「どれほど幸いなことか? 他の人でもない、私のキョン・ジロクだから。」
「あの子に全部あげて、私は死ねばいい。 そうすれば『格』の高い挑戦者や求道者たちが訪ねてくることもない。」
キョン・ジオは「古い終幕」の挑戦者の一人。 そして有力な優勝候補の一人だった。
そんなうまそうな候補がここにいるから、競争者たちもそのレベルに合わせて、そうそうたる連中ばかりが地球を探し回るのだ。 それを聞いた後は、番人たちの傍若無人な振る舞いも少し納得できた。
「もちろん腹が立つのは別だが。 クソ野郎ども。」
【今からでも全力で戦場に飛び込め。 そんな風に私の前で諦めるな。】
「みっともなくするな、お星様。 認めろ。」
星の声は番人にも聞こえる。 苦虫を噛み潰したような顔のクロウリーを見て、ジオは笑った。
光一つない魔法使いの真っ黒な瞳が、冷ややかな狂気に光り。
「キョン・ジロクが死んだ瞬間、このすべては終わったんだ。 私が正気でいることを望むなら、その場で私の弟を助け出すべきだった。」
「私も、あなたも、みんな失敗した。」
緩んだ心の綱を必死に握っているのは、特別な理由はない。
やるべきことが残っているから。
家族にキョン・ジロクを返してあげるという、家長としての責任感。 そして弟を助けようと壊してしまった世界に捧げる贖罪。
ひるがえって。 ジオは氷棺を後にして振り返った。 大股で外へ歩き出したその時。
ドーン!
「••••••何?」
山が揺れた。
まさにマントを羽織ろうとした手が止まる。 ジオは眉をひそめた。 クローリーが大したことないように呟いた。
「近くで雪崩でも起きたんじゃないか。」
……いろいろあるな。
「とにかく北極の田舎。 アイスクリームが溶けにくいこと以外、長所が一つもないわ。 ちっ、ちっ。」
早く城に戻って、温かい泡風呂にでも入ろう。
複雑な魔法陣に触れないように、この中では魔力を使わない方がいい。 ジオがちょこちょこと外に出た瞬間だった。
「••••••あれ。」
「おや?」
後について出てきたクロウリーも、珍しいものを見たように感嘆の声を上げる。
「人じゃないか? 死んでるのか?」
ヒューイイイイイ-!
純白の万年雪で果てしない雪原。
目が眩むほど真っ白な世界の中央で、吹き荒れる吹雪が一箇所にぶつかって折れ曲がっていた。
白色一色の風景で唯一色彩を帯びているもの。
まるで白黒の水墨画に押された絵の具のように、異質感は凄まじかった。
うつ伏せになったまま雪の中に埋もれた男は、クロウリーの言うとおり死んだように静かだ。
「こんな奥地にまで人が来るのか?」
「••••••うっ。」
トッ! ジオが足で蹴ると、うめき声をあげて呻く。 人間の生存力とは……すごいな。 ジオは失笑してクロウリーを振り返った。
「こいつ、死んでないぞ?」
その時。 不知不識の間だった。
M | »
低く響いた声に、おぼつかない手つきで雪を掻き分けていた手が止まり。
白雪よりも冷たい光がギラリと光った。
「専用武器召喚……?!」
ジオは目を瞬いた。
いつの間にか入れ替わった体勢。
一気に上に乗った男が鎖骨を押さえつけながら、剣先をジオの首に突きつけていた。
フーフー、フーフー……。
目と目が合う。
黒色。 韓国人だ。
雪山に埋もれても艶を失わない黒い髪が、彼の眉をかすめた。
涼しげで淡白な目つきの美青年……。 彼が熱く吐き出す息は、ジオの唇に触れる頃には冷気に冷たくなっていた。
そうやってじっと互いを観察すること数秒。
動揺のないジオとは対照的に、傷ついた獣のように男の目が歪んだ。
元々は善良で綺麗だったはずの目だ。
「探しに探したぞ、お前を……。」
ジオもそれを知っていた。
「勇敢な善意の守護者」。 読んだことのある人物情報なので。
「ペク・ドヒョン……。」
ペク・ドヒョンが泣きそうに笑って囁いた。 恋情と憎悪で無残に染まった目をしながら。
「お前を殺しに来た。 魔王。」
「彼は『審判の剣』よ。 もし彼が本当にあなたを審判しようと決めたら、世界はジオ、あなたではなく彼を全力を挙げて助けるわ。 それが決まったルールだから。」
「ふむ。 世界の魔力は私に服従するのに?」
「今はそうでしょうね。」
振り返るクロウリーのニュアンスが意味深だった。 まるで彼らがいつか裏切るかのように……。
魔力が最も偉大な魔法使いである自分に服従しないなど、想像したこともないことだ。
ジオの眉がうんざりしたように歪んだ。
「そんな風に肩入れしていいわけ? クソ、節操なんてクソくらえだ。」
「世界の偏愛はもともとちょっと卑怯な面があるのよ。 それを誰よりもよく知ってるんじゃない?」
「知らない、知らない。 めちゃくちゃムカつくジオ。」
ふん。 偏愛はジオの年寄り。
「……本当にムカついているみたいね。」
正気じゃないのか? クローリーは傍若無人な振る舞いをなだめるために、コーヒーを淹れるのに普段より心を込めた。
「知ってるでしょ。 世界はバベルと指向性が少し違うから。 応援してくれるふりをしながらも、自分が手に負えない一線を越えたと思ったら、いつでも制裁しようとするのよ。」
「一体誰の調子に合わせろって言うんだ。 疲れる、疲れる。」
ふう、哀れな超越者の人生よ。
「違うわ。 哀れなのはあっちの方がもっとひどいかも?」
嘆いていたジオがちらりとペク・ドヒョンの方を見た。
魔王に敢えて挑んだ罪で束縛刑を命じられた男は、鎖でぐるぐる巻きにされているくせに、眼光は未だに炯々としていた。
瞬きもせずにずっとこちらをじっと見つめているが、どこの家の審判者なのか、とても執拗だった。
「あいつ、元々あんな怖い目つきじゃなかったのに。 ちぇっ……。」
バンビが初めて三戒を破った時、その場にいた奴だった。
義兄弟だと言っていたか?
ファン・ホンに劣らず、バンビの口からよく出ていた名前なので覚えている。
「韓国ランキング2位……。」
死亡直前のファン・ホンのランキングが3位だった。 B級覚醒者がS級を飛び越えたのは前例のないこと。
キョン・ジオがランキングから消えたにもかかわらず、生きていることが広く証明され、ランキングを信じない者が増えたが、それでも。
B級のくせにそこまで上り詰めるのに、どれだけのことがあったのだろうか?
5大ギルドのうち4つが消えた韓国だ。 1位であり最後の砦としてジョン・ギルガオンが守っているが、一日一日が地獄のようだっただろう。
「お前、99階に上がったんだって。」
「私が知る限り、バベルの塔は100階が最後の階だ。 99階で何を得た?」
その言葉がペク・ドヒョンのスイッチだったようだ。
チャカン、チャカン!
ジオの言葉が終わるとすぐに、彼が束縛された体を捩った。 犬のように塞がれた口から、獣のような呻き声が漏れ出た。
ジオは床にポタポタと落ちる血の滴をじっと見つめた。
発見当時からすでに満身創痍に近い体だった。 生きてここに辿り着いたのが奇跡なほど。
「もしもし。 そんなボロ雑巾みたいな体でずっともがいていたら、私を殺す前にあんたが先にくたばるわよ。」
一応止めてみても、もがきは収まらず、むしろさらに煮え滾る目でジオの方を睨みつける。
鍛えられた筋肉と首に血管がピーンと浮き上がった。 ますます血の匂いが濃くなる。
「いっそのこと殺してしまおうか?」
どうしようか……。
ジオはゆっくりとコーヒーカップを置いて近づいた。
チャルク!
猿轡についている鎖をひょいと引くと、ペク・ドヒョンの首が傾いた。
決して死なない眼差し。
しばらく彼を見下ろしていたジオが、ふと彼の片方の頬を包み込んだ。
すると炯々としていた両目が揺れる。 鮮明な動揺だった。
「ん? 顔に弱いタイプなのか?」
確かに魔王を退治しに来た勇者様が美人に弱いのは、伝統的なクリシェだ。 ジオは面白くなってきた。
「大人しくしていれば口は解放してあげる。 聞いておいて答えを聞けないのは、私も少しもどかしいから。 代わりに、舌は噛み切らないで。 わかった?」
ジオを見上げていたペク・ドヒョンがゆっくりと、頷く。
「本当に犬みたいだな。」
もちろん良い意味で。
ニヤリと笑ったジオがペク・ドヒョンの頬を叩いた。 主人のようにわざと優しく。
「えらいね。」
チャロン、トッ……。
カーペットの上に猿轡が転がった。
騒ぎ立てたせいで拘束具に擦れた口元が生傷でめちゃくちゃだ。 善良で芯が強そうではあるが、性格がこんなにも汚いとは思わなかった。
腫れた口元をジオが何気なく弄ぶと、ペク・ドヒョンが深いため息をついた。
「……離してください。」
「あっ。 ごめん。」
「ふう••••••。」
妙な雰囲気だ。
ペク・ドヒョンがうんざりしたように横目でチラチラ見るので、ずっと様子を伺っていたクロウリーが両手を上げて席を外した。 わかったって。 行けばいいんでしょ。
ジオは人差し指をちょいと動かした。 ドルルク、魔法使いの命令に椅子が動いた。
そのまま座ると目線が楽になる。 膝をついたペク・ドヒョンは言葉を選ぶ様子だ。
「むやみに飛びかかってきた時はいつのことやら、大人しいじゃないか?」
「……あなたも知っておくべきだと思って。」
「何を?」
「私があなたを殺そうとする理由のことです。」
「理由があるの?」
ジオはますます面白くなって顎を突っ張った。
「魔王だって言うじゃない。 私をそう呼ぶ奴らの心理はわかりきってるんじゃない? 犬みたいな勇者様。」
ペク・ドヒョンは首を横に振って、自分の頬をいたずらっぽくトントン叩くジオの手を振り払った。
憎んでいるが、一目惚れした人だ。 手が触れるたびに正直に反応する自分の肉体が、うんざりして邪魔だった。
「99階は……はぁ、もう触らないでください。」
「あ。 ごめん、ごめん。 あんたがあまりにも犬みたいだから、つい手が伸びちゃうの。」
「ちくしょう……。」
「わかった。 話して。 うんうん。 聞いているわ。」
「……99階。 煉獄の最後の区間は『時間』の階です。 星位【カイロス】がそこにいました。」
「うん、ギリシャ神話の神ね。 知ってるわ。 時間と機会だったか?」
「正確には両方です。」
「カイロスは時間回帰を約束しました。 このすべてをやり直せる機会。 条件は二つありましたが。 一つは『その場にいる一人の犠牲』。 そしてもう一つは……。」
ペク・ドヒョンが揺れる目で言った。
「その場にいない一人の死。」
「カイロスが言うには、[挑戦者の時計]は元々あなたのために用意された物です。 予備された主人を殺し、『審判の剣』という私の使命を果たしてこそ、アイテムが発動すると言っていました。」
キョン・ジオはその瞬間、なぜ自分がこの男をすぐに殺さなかったのか悟った。
眼光のない真っ黒な瞳。
ジオにもあまりにも見慣れた眼差し。
「あなたとこの世界のために、私の手で死んでください、ジオさん。 私がすべてを元に戻します。」
それは狂人の眼差しだった。




