282話
数分前。
「え……ええと。『リーダー』を任されるって?この方が?」
「うんうん。ああ、クソ、どこにいるんだ?確かにここで見たのに!」
ティモシーは戸惑った顔でジオとジン・ギョウルを交互に見た。
障害物レースのスタートラインの前。
騒がしい観客席と旗の下で、四方八方が飛行船を最終点検するエンジニアと作戦を練る参加者でてんてこ舞いだ。
ジオもティモシーが戸惑おうが関係なく、マンタ爺さんの工具箱をまさぐって忙しい。
「出発直前に来て一体これは」
待つ人々の気が焦げ付く頃になって、のそのそと登場してポンと投げた爆弾。
「挨拶しとけ。リーダーだか何だか、それ連れてきたぞ!」
ティモシーは思わずゴーグルを落とした。
フードを被っていたが、それが何になる?飛行場での一件で既に見知った相手だった。見間違えるはずがない。
キョン・ジオが、あの得意満面で生きている気まぐれ屋だと知っているが(また、そんな無法者だから好きなのだが)、これは想像以上だ。
余裕たっぷりに周辺を見物中の執政官閣下を見て、ティモシーは声を潜めて囁いた。
「キング……?私たちのミッションを知ってるよな?忘れてないよな?キング、……キング!私の話を聞いてるのか?」
「ああ。分かってるよ。心配しないで。あのクソ野郎はもう私の飯の種だ。余命宣告だよ、余命宣告」
「ああ。そちらがエンジェルか。首を刎ねる問題ならご心配なく。必要な時に適切に死んでくれることで合意済みだ」
知らない人が見れば、まるで夏の蚊を叩き殺す話レベルののんきさ。クールを通り越して眩暈がするような会話に、善人のティモシーは目眩を感じてよろめいた。
「どうせ一人足りないじゃないですか。最後の道連れに思い出でも作ってやろうと思って連れてきたんですよ。ほら、ありがたいだろ?」
「感謝して涙が出るほどだよ」
「そ、それ……やめて……やめて……!」
「そうだって。あっ、見つけた!」
ついに探し物を見つけたジオが、ぱっと両手を上げた。そのままぴょんと飛び降りて、ジン・ギョウルの頭にぐいっと被せる。
「イイねえ?」
ジオが腰を後ろに引きながら、親指を立てて見せた。ハンサム!
ふむ。恐竜の被り物を被ったジン・ギョウルが首を傾げた。
過度にリアルな恐竜の顔に、通りかかった整備士がぎょっとする。
「本当に大丈夫なのか?」
「ずっとマシだ。ハンサムになった。レースが始まったら風で顔が剥げるから、こうしているんだ。お前を殺さなきゃいけないのに、お前の手下どもが押し寄せたら面倒だ。視界は勝手に確保して」
「そうしよう」
ジン・ギョウルが満足そうに工具の鏡に映った自分の顔を撫でた。ティモシーは家に帰りたくなった。
「あ、 いやー!あれは俺のティラノマスク!この野郎ども!あれは苦労して手に入れた限定版なのに!」
ちょうど整備を終えて飛行船から出てきたマンタ爺さんが、かんかんになって騒ぎながら指をさした。
ティモシーがため息をついた。どうりで無駄にハイクオリティだと思った……。
「早く脱がないか?すぐに降ろせ、このろくでなし!」
「爺さん、空気を読め。こいつは金持ちだ。使用料で100ゴールドくれるって」
「気をつけて行ってこい、この野郎。その程度の被り物ならまた買えばいい。お前の方が大事だってことを忘れるな。孫みたいに思ってるんだ!」
「今からでもやめて家に帰ったらダメかな?」
ひょっとして前払いはダメか、と付きまとうラクー爺さんが、ティモシーの言いたいことだらけの眼差しに咳払いをした。
「コホン、何をしているんだ?時間がないぞ!早く登録して搭乗しろ!」
露天市場に近いめちゃくちゃなレースだからか、選手までは別途の受付手続きが必要なかった。
ただ出発前に、登録した飛行船のシステムに名前だけを登録すればよかったのだが、ジオチームは一人が元々空いているのでさらに簡単だった。
ジオは飛行船側面のモニターをタッチした。
チームアイコンを押すと、仮の名前とチーム員リストがずらりと表示される。
[No. 777 I チーム「マンタのブッ飛ばし号」ホイールマン 一 ティミー(大韓民国)リーダー 一 キング(大韓民国)スピア 一 キング(大韓民国)]
バトルトーナメントの方もそうだし、この共和国では全体的に本名を特に要求しなかった。
名前よりも所属とバベルニックネームをより重要視する感じ。
だからそうでなくても情報露出の危険もあるし、こちらもできれば本名を明かさないことに一行で話しておいたところだった。
「マンタのブッ飛ばし号?ああ、私の目が!こんな眼球テロだなんてすぐに変えてくれ。お前は名前を何にする?本名を書いたらダメだろ」
ジオはタタタと入力しながら、ジン・ギョウルに目配せした。
「さあ」
「何でもいいよ。大して重要じゃないから」
しばらく考えていたジン・ギョウルが答えた。
「ウィンター」
「簡単にそれでいいか」
何気ない命名だったが、ジン・ギョウルは不思議に思って振り返った。なぜかジオの手が動いていなかったからだ。
「どうしたんだ?」
「……いや。何でもない」
キョン・ジオはひらひらと首を振った。
ただ変な既視感のようなものがしたと、何でもないと話そうとした刹那。
プアアアアアン!
[星の夜を疾走せよ!障害物レース30秒前!]
「この野郎ども!適当にして搭乗しろ、まだぐずぐずして!」
スタートライン全体に響き渡る警笛の音。
慌てたマンタ爺さんの催促に、ティモシーから急いで操縦席に乗り込んだ。そして中央にジン・ギョウル、最後に一番後ろの席。
タアッ!
濃い色のゴーグルをかけたジオが、虚空から現れて飛行船の後尾の上に腰掛けた。
周辺のライバルチームの視線が一瞬にしてそちらに集まる。
「何だ……今の瞬間移動だよな?」
「ウォーミングアップか?開始前からアグロを思いっきり稼ぐな」
「ハ、気にする必要はない。スピアが少しは腕があるようだが、あんな奴らが一番最初に脱落するんだ」
パン!グルルルン!
遠い空の上で花火も相次いで上がった。カウントダウンの数字だった。
あっという間にスタートラインが始動するエンジン音で覆われる。
「お聞きになりましたか?隣のバトルトーナメント決勝戦がまだ行われているそうですよ!夜8時からは私たちの時間なのに!ずるい!」
「フェスティバルの本当の主人公が誰なのか見せつけるチャンスですね」
「ライダーの皆さん!頑張ってまだそこにいる私たちの観客を、この華麗なレースで連れてきましょう!スタート3秒前!」
操縦桿を握ったティモシーの腕に血管が浮き出る。
船体が振動する。まるで空が唸るような錯覚がした。
緊張感もなく走行スクリーンをすべて表示するジン・ギョウルの背中がすぐ目の前に見える。
マンタ爺さんの話によると、元々はせいぜい二つが全部だったのに、一人だけ目が百個でもついている奴みたいに。
失笑したジオが横をちらっと見た。
先ほどの瞬間移動に刺激された隣のチームのスピアが、力いっぱいこちらを睨みつけていた。
ジオと目が合うと、金箔を被せた前歯をこれ見よがしにむき出しにする。
「おっ……パフォーマンスを見せてくれるか?」
ジオも反射的に隣のチームのマーキングを確認した。No. 18……チームコロナ……。
「何だ?このクソほどムカつく第一印象は?」
まあ、どうせなら体をほぐす必要があったからちょうどいい。
キョン・ジオが向かい合ってにやりと笑ってやる間、数字1を描いた花火が上空から消えていった。
そしてその最後の火の粉が地面に触れる瞬間。
プアアアアアン!
「レーススタート!!始まります!」
高い場所に座った観客たちが歓声を上げながらハンカチを振った。
同時に数十台の飛行船が一斉に飛び出す。夜の海に白い波がうねりながら押し寄せる壮観と似ていた。
ティモシーの魔力がタンクのように熱くなるのを感じながら、ジオは立ち上がった。
「あら?もうスタンディングするスピアがいます!」
女性司会者のトーンが慌てて高くなった。レース開始から立ち上がるスピアは極めて稀だ。
ホイールマンが全力でアクセルを踏みながら出発するので反発力もそうだし、船体と周辺状況も安定していないため。
「攻撃しようとしているのでしょうか!それとも周辺のライバルたちを意識した気勢争いでしょうか?何にせよかなり危険な……!」
しかしキョン・ジオには関係のない話だった。
ジオは飛行船後尾に突き刺さっている銛を掴んだ。魔力を込めると銛の長い 本体がぶるぶると痙攣し始める。
ヒュイイイイイ!
強風が激しく幼い頬を叩いた。夜の色をそっくりそのまま真似た髪がひるがえる。
何気なく振り返ったジン・ギョウルが、その光景にそのまま驚愕した。遥かに見上げるその視線の中で、一人そびえ立つジオがにやりと笑った。
風、星、夜、そして空。
すべて私にはこの上なく親近感のあるものだ。
「777番チームのスピアが銛を抜きました!なんてこった!」
本物の狂人の登場に狂ったように疾走していた飛行船が、慌てて速度を落として距離を置いた。
ティモシーが操縦桿を右に強く引く。
まさかと思った船体が本当に近づいてくると、相手チームのスピアが慌てて、立ち上がるのが見えた。這って行って
慌てて銛を掴むが……。
「もう遅い」
魔法使いの目から聖光が炸裂する。銛の鎖が解ける。
天空を切り裂く音が聞こえた。
クワアアアアン!
思いっきり膨張しながら飛んでいった銛が、船体を容赦なく貫いた。
貫通された飛行船が浮力を失い、力なく墜落する。
「キャアアアク!墜落!墜落しました!」
悲鳴と感嘆がめちゃくちゃに混ざった声が空を鳴り響かせた。
「バイバイ」
目を細めたキョン・ジオが、悠々と銛を回収した。元の大きさに戻った銛が元の場所に着地する。
騒ぎの中で飛行船が再びサーキットの元の場所に戻る。
パルラッ!
脱落者を知らせる赤色旗が立った。ジン・ギョウルが浅い笑みを浮かべながら呟いた。
「フライングは先頭。ライバルたちが一生懸命追いかけてくるが、距離が遠い」
ティモシーはふとマンタ爺さんの言葉が頭に浮かんだ。
「スピア。飛行船を貫く銛。チームで最も強くて鋭い強者が務めるポジションだ」
よく分かっているが、再び近づいてきた勝利の確信が背筋を痺れさせた。操縦桿を握ったティモシーが我慢できずに爽快な笑いを爆発させた。
「だからお前が好きなんだよ!お前は本当に最高だ、ジオ!」
爽快に上空に響き渡るティモシーの笑い声。しかしその瞬間、一人の男だけは絶対に笑うことができなかった。
ジン・ギョウルが顔を上げた。
「今……何て言った?」




