126話
「当然だ。こんなことに軍の痕跡を残しておくはずがないからな……。とにかく、シンチャンは?すぐにこちらに合流すると言っているのか?」
「連絡が途絶えました。」
暗くなるトンリとの顔。ヤン・ガンを見回し、二人の早い会話が続いた。
「どこから情報が漏れたのか、把握はまだか?」
「内部から漏れたのではないかもしれない。あちらもこちらの状況をずっと注視していたはずだから。」
「それでもあり得るか?こんなに極端に状況を追い込むなんて!みんな本当に狂ったとでも言うのか!」
「落ち着け、リリ。正直、我々がややのんびりしていた面もある。」
ナ・ジョヨンは複雑な心境で彼らの話を聞いていた。
早朝、ジオが出発してから一時間ほど経った頃だ。突然、ホテルが「揺れた」。
斜めに部屋が傾き、バランスを失った物が雹のように落ちてきた。
廊下に響き渡る悲鳴を聞きながら、ナ・ジョヨンは一瞬、地震かと思ったが、違った。
目の前のガラス窓越しに見える光景は……迷路になったホテルの周辺。
「現実偽造 - 空間操作、迷路化」。
近くのすべての明かりが消えたのは、まさに次の瞬間だった。 戸惑うナ・ジョヨンの口元を、ナ・ジョヨンの口元が塞いでいるのも。
「シーッ。誰か来る。」
先手は奪われた。
冷静にならなければ。
とりあえず、彼らのペースに合わせてみようと、翻訳機を渡し、彼が暗闇の中に消えていった。
ゴホッ!ナ・ジョヨンが短く咳をした。
タバコの煙が近い。先端の短いフィルターをくわえたトンリが、神経質そうに呟いた。
「おかしい。私が知っている『キョン・レイ』の力は絶対にこんなものではないはずだ。一時的だとしても、範囲が広すぎる。どうしてこんなことができるんだ?」
ナ・ジョヨンは何となくその答えを知っている気がした。
「……バフです。」
「何?」
「覚醒者が持つ能力以上を発揮する理由が他に何かありますか?……『バフ』。あの人に協力者がいるんです。それも、とても強い覚醒者で。」
「……ハッ、何も知らないからそんなことを言うんだろう。我々の軍に所属しているレベルの高い覚醒者のほとんどは、私、トンリの指揮下にいる。」
「もし内部からでなければ?」
「……。」
「それよりも外……外部の何らかの勢力がわざとキョン・レイを送り込み、計画的にこの状況を作り上げたとしたら?」
トンリが冷たく表情を固めた。
「……ここで話すことではないようだ。」
ナ・ジョヨンの推測通りなら、国全体が特定の集団に操られていることになる。異物による単純な内部意見の相違などではなく。
トンリは周囲をさっと見回した。
こちらを何度もちらちら見ている一般人と、だんだん狭くなる足元……。
フー。
今回が最後の一本だ。
トンリは吸い殻をポイと落とした。歪んでいる空間の中に、赤い点が跡形もなく消えていく。
むやみに現状が暗澹としているのではない。キョン・レイの空間操作は、今この瞬間にも進行中だった。
足止めされた屋上の面積はどんどん狭くなっていくのに、崖の下には奇怪な渦が巻き起こっている。
「あそこに落ちたら、体が粉々になる程度では済まないだろう。」
恐ろしい想像をしている最中に、ナ・ジョヨンが静かにトンリの隣に近づいた。
「あの……、こんな質問は失礼かもしれませんが。」
「どうぞ。」
「方法が全くなくて、何もせずにいらっしゃるわけではないですよね?」
あの「虚海姫」だ。
世界一のヒーラー。
聖力という点ではフランスの聖女よりは劣ると評価されているが、ヒーラーとしては断然トップ。
戦闘系のジゼルに代わって、世界一のヒーラーとして名を連ねていた。
世界的な名士を前にすると必ず話題に上る名前の一つであり、補助系のヒーラーがそれほどの名声を得るには、治療術だけでは絶対に不可能だった。
当面の事態を解決する「キー」としてだけでなく、個人的にもナ・ジョヨンは彼女が気になっていた。
とりあえず、同じ「ヒーラー」だから。
「無礼な質問だな。私の能力について何も知らないのか?」
「中国のハンターはベールに包まれていて、それに、私が覚醒してからまだ日が浅いんです。」
しどろもどろになりながらも避けずに、真っ直ぐぶつかってくる目。
何の汚れもついていない瞳だった。トンリ、彼女自身とは違って。
「……メイ・リリのようだ。」
「え?」
「メイ・リリ。韓国にもあるはずだが、違うか?」
「あ、あります。私たちはスズランと呼んでいますが……ところで、急にどうしてそんなことを……。」
さあ。純粋な同年代の女性を見て、トンリは冷たく鼻で笑った。
「私の能力は二つに一つだ。消滅させるか、蘇生させるか。」
何?
ナ・ジョヨンがびっくりして見つめた。
いや、それならなぜ傍観しているのかと詰め寄ろうとしたが、トンリの言葉がすぐに続いた。
「そして、範囲調節が一切不可能だ。」
「……あ。」
「敵味方の区別も不可。味方と一緒に皆死ぬか、敵と一緒に皆生きるか。私の選択肢はいつもこの二つだけだ。」
党の呼びかけによって、トンリが初めて能力を使った場所はタクラマカン砂漠。
一緒に行った軍隊も、戦っていたモンスターも、すべて消え去った。
戦闘が終わって、有名な死の砂漠の上に残ったのは、たった一人だけ。
虚無の虚(虛)、海の海(海)。
トンリの異名が「虚海姫」になった瞬間、また彼女がスキルよりも拳銃と親しくなったきっかけだった。
「こんなに狭くて、ぎゅうぎゅう詰めの場所で能力を使えば、結果は見なくても明らかだろう。」
能力使用ペナルティも莫大なのに、なぜそんな賭けをするのか。
「私の能力はこんな場所で無駄にするものではない。もっと価値のある場所で使わなければ。」
「何だ、その顔は?世界的なヒーラーというのが全くヒーラーらしくなくて、がっかりでもしたような表情か?」
それでも仕方ないだろう?バベル様がこんなのもヒーラーだと言うのだから。
冷笑とともに背を向ける軍人。
慌てて掴もうとしたが、切羽詰まった様子で近づいてきたヤン・ガンが先だった。
「リリ!近くの基地と連絡が取れた!2分後にこちらにヘリが到着するそうだ。」
一緒に聞いたナ・ジョヨンの表情が明るくなる。だからトンリは、そのヘリが何台なのかわざわざ聞き返さなかった。
ドドドドド。
思ったよりも早く到着した。
すでにトンリを探すために動いていたようだ。
魔石技術が適用された戦闘用ヘリは、暗闇の中でも躊躇がなかった。それでも着陸までは無理だったが。
ヘリの光が屋上を照らす。警告音とともに、かろうじて機体が傾いた。
民間人に早くこちらに来るように促しながら、ナ・ジョヨンが叫んだ。
「次のヘリはいつ来るんですか!」
ヘリコプターの音のせいか、返事がない。ナ・ジョヨンは再び尋ねた。あの、他のヘリはいつ来るんですか!
「来ない。」
「え?」
屋上の面積が急激に狭まっていた。
中から出てこようとするヤン・ガンを押し退け、トンリがヘリに搭乗した。きょとんとした顔のナ・ジョヨンに手を差し伸べる。
「だから、馬鹿な真似はやめて、そちらから早く乗れ、ヒーラー。」
え……私が理解したことが正しいのか?
ナ・ジョヨンはぼんやりとヘリの中の軍人たちを見つめる。皆、何の動揺も見せていなかった。
ナ・ジョヨンは後ろを振り返った。
屋上のドアの方にぴったりとくっついている民間人たち。恐怖と諦めに浸っていて……その時、父親にしがみついている子供が顔を上げた。
そのまま目が合った。
後ろからトンリが言った。
「おい、新入り。本官が忠告してやろうか?先輩として。」
ナ・ジョヨンはトンリを見上げた。
今まで会った誰よりも血の匂いが濃い、世界一のヒーラーを。
「無駄な感傷に浸るな。」
お前の薄っぺらな同情心が、皆の仕事を台無しにする悪手になるだろう。
「のんびりそんなものを抱えている人まで面倒を見てやれるほど、今は寛容な時代ではないからな。」
「分かったら掴め。早く。」
こちらに来いと、強引に手を差し出す。
ナ・ジョヨンはゆっくりとその手を掴んだ。そして、荒れた手の甲を一度握った後、未練なく離した。
「……この馬鹿な女。」
トンリが歯を食いしばった。
「お前と何の関係もない者たちだ!お前が何か違うとでも言うのか?」
ナ・ジョヨンは答えた。
「違います。」
「……!」
「ヒーラーは『この時代の灯火』だ。」
フランスの聖女、ジゼル・ジュヌヴィエーヴが言った言葉だった。
「苦しむ者の手を握り、苦痛に苛まれる者たちを救いの道へと導くこと。それがヒーラーの役目であり、当然背負うべき義務だ。」
もし覚醒するならヒーラーになりたいと、そしてついに望んでいた道へと覚醒しながら、ナ・ジョヨンはその言葉を胸の奥深くに刻み込んだ。
「誰か」に出会い、ますます。
「気づいていらっしゃったでしょう?あの時。」
「……。」
「貴官の命を握っていたあの方、私が横から止めていたあの方が誰なのか。」
ナ・ジョヨンは笑った。
「私は皆を『王』へと導く灯火になります。あなたとは違って。」
私が照らす道は王道。
灯火としての私は、誰よりも堂々とした光で王の前を照らすだろう。
もう二度と足を踏み入れる場所は存在しなかった。足が滑る。
一片の後悔もなく、ナ・ジョヨンはそのまま落下した。
視界からトンリが遠ざかっていく。茶色の長い髪が空中でなびいた。
[おめでとうございます!ファーストタイトルの発芽段階が完了しました。]
[ファーストタイトル、『救主(救世主)の灯火(伝説)』が開花します!]
「助けて……!」
光よ、ナ・ジョヨンが命綱のように約束の真言を囁いた。
いつどこでも光を呼び起こすその呪文に、暗黒の中で光輝が湧き上がり……誰かの「目」が正確にその地点に辿り着いたのも同時だった。
タッ!
掴み取る手。
ナ・ジョヨンがさっき掴んだものよりもずっと小さくて、柔らかい手だったが、 何よりも固かった。
落下が止まる。
空間の歪みも止まった。
絶対的な「領域」が宣布された時点で、支配権はたった一人のみにあったからだ。
一筋の光と触れ合い、魔力回路が輝く。一人の人の中にある、ある宇宙。
ナ・ジョヨンの手を掴んだ、ギョン・ジオが、フッと笑った。
「……おい、灯火。」
「バレるからここではドラゴンも出せないんだって。面倒かけないで。」
私の救世主。
私のたった一人の主人公。
とても安心したので、不思議と涙が出てきた。ナ・ジョヨンは悲しそうな顔で唇を噛み締めた。
「め、面倒かけても毎回、いつも、毎日助けてくださるからでしょう!」
「あらまあ、この堂々とした開き直りっぷり。ドビー、お前ずいぶん大きくなったな?」
「じ、ジオ様、人が……」
「分かったからグズグズ泣くな、少しは。聞くに堪えない。」
支える空間がないのが問題なら、作ってやればいい。
月ランキング1位がここにいることを広告するのはまずいから、空間修復まではいかなくても、適度に安全なものにしよう。
魔術師王は数千重の演算を終えた。
[積業スキル、7階級高位呪文(変形) - 『マトリックス(Matrix)』]
黄金色の線が都市を猛烈に横切る。咲き誇り、一つの線から、また別の線へ。
魔力で編まれた広範囲の網。
空を覆い、大地を覆う。
都市のどこにも、落下する者はもういなかった。




