【第3話】瘴気の階層へ
【クエスト確認】
•対象階層:第30層
•目標:呪毒喰いの巣を特定し、個体2体以上を討伐
•難易度:Cランク(ペア限定、重装不可)
•必須装備:防毒装備
•報酬:銀貨80枚+追加戦利品査定(最大50枚相当)
「この層は瘴気が濃くて、小型の魔物も多い。ゆっくり探らないと、すぐ消耗するぞ」
リオはマスクのフィルターを軽く押し、周囲の空気を確かめる。
「うん。瘴気感知用の魔導結晶は常にチェックする。結晶の光が強まったら、毒気の濃い場所か魔力の濃い気配を示しているはずね」
エリシアはランタンを両手で掲げ、小さな結晶を手のひらに載せて、まわりの瘴気を探った。
「俺の魔力感知は、壁や床に残る魔力の残滓もわかる。呪毒喰いの巣の痕跡、あるいは異常個体の残した瘴気の“ゆらぎ”が察知できるかもしれない」
リオは続けて、自分のもうひとつのスキルについて軽く説明した。
「それと、俺の念動は近距離の小さめの石や瓦礫を飛ばせる程度だけど、モンスターの行動を止めることはできる。発火は遠距離で火の玉を飛ばせる。ただし、連射はできないから、チャンスは限られてる」
エリシアは頷きながらランタンの光を前方へ向けた。
「私は“重圧領域”で半径三メートル内の斥力しか使えない。近づいてきた相手を吹き飛ばすにはいいけれど、もし感情が揺れると暴走して味方を巻き込むかもしれない」
リオはその言葉を真剣に受け止め、手をそっとエリシアの肩にかけた。
「だから、俺が“おとり”になる。まずは俺が囮になって敵を引き出すから、君は誤爆しないように構えておいてくれ」
エリシアは少しだけ笑みを浮かべ、ランタンをゆっくり下げた。
「──わかったわ。私も慎重にいく」
二人はしばらく黙って歩き続けた。
洞窟の壁はところどころに緑がかった苔が絡みつき、地面は踏み込むたびにぬかるんでいた。瘴気が重く、呼吸をするたびに胸が少し焼けるような感覚を覚えながらも、二人は互いの背中を確認してゆっくり足を進める。
――しばらく歩くと、洞窟内に張り巡らされた古い魔導陣がかすかに青白く輝き、瘴気を抑えるかのようにうごめいていた。
リオは魔導結晶を手に取り、陣の近くで一度立ち止まる。
「この陣がある場所は、瘴気を一時的に薄める効果があるはずだ。ここで息を整えてから先へ進もう」
エリシアは一歩前に出て深呼吸し、ランタンの光で壁を照らしながら頷いた。
「ありがとう。少し楽になった気がするわ」
リオはフィルターを交換しつつ、ポケットから反応式魔導釘を取り出した。
「小型の罠を仕掛ける。この先で何か来たら、まずこれを発動してバリアを張る。動きが止まったら、俺の念動で押しつぶす形にしよう」
「わかった。それで私は重圧領域で吹き飛ばす……」
エリシアはランタンを調整して洞窟を再確認し、少し緊張した面持ちで言葉を続ける。
「でも、初めて使う場所で暴走したらどうしよう……」
「大丈夫だ。俺もフォローするから」
リオは軽く笑い、ランタンをエリシアに向けた。
「お互いまだ慣れてないけど、協力すればなんとかなる」
エリシアは小さく息を吐き、再度頷いた。
「……じゃあ、行きましょう」
二人は魔導陣を抜け、さらに深い瘴気の世界へと足を踏み入れた。
――しばらくさらに進んだ先、やがて薄暗い岩の通路から小部屋のような空間に出た。
壁に張り付く大小の結晶が所々で緑や紫の光を放ち、暗闇にちらついている。地面には薄く緑色の毒水が溜まり、触れれば泡が立つ音が響く。
リオはゆっくりランタンを掲げ、影が落ちないように空間を見渡した。
「ここは……闇蜘蛛が巣を作る場所だ。本来なら蜘蛛の死骸や糸の残骸が散らばっているはずだが、今は見当たらない」
リオは足元に仕掛けた罠符を改めて確かめながら言った。
「奴らが移動中なのか、それとも……」
エリシアはゆっくりランタンで足元を照らし、魔導結晶をかざして瘴気の濃度を探る。
「瘴気の流れはあるけれど、何かが潜んでいるような気配はまだ薄いわね。だけど、蜘蛛はいまにも出てきそうな気配がある」
二人が静かに見守っていると、洞窟の奥からかすかに足音のような振動が伝わってきた。
エリシアは眉を寄せ、ランタンをやや前へ突き出す。
「来る……」
すると、闇蜘蛛が数匹、狭い通路の奥でうごめき始めた。
小さな脚音が岩に反響し、その異様な気配だけで緊張が走る。
「来るぞ」
リオは腰の魔導釘を握りしめ、ゆっくり通路の中央へ移動した。
「俺が引きつけるから、君は重圧領域の準備を」
「はい」
エリシアは両手を腰の位置で構え、指先にわずかな魔力を感じていた。
闇蜘蛛は十数匹、まるで緑色の霧が這い出してくるかのように近づいてきた。
その小さな甲殻は瘴気をまとい、牙のような前脚をちらつかせている。
「よし……まずは一体、念動で吹き飛ばす」
リオは一歩前に出て手を掲げる。
「念――動!」
小さな念動の奔流が、蜘蛛のひとつを弾き飛ばした。
だが、残りはすばやく散開して通路の死角に隠れようとする。
「次は君だ、エリシア」
リオが囁いた瞬間、エリシアは両手を前に突き出した。
「重圧領域!」
彼女の周囲約三メートルに圧力が走り、小型蜘蛛は強制的に宙に浮き上がった。
宙高くから落下した蜘蛛は瘴気に巻かれ、転がるように床へ崩れ落ちる。
リオはすかさず念動を詠唱し、地面に転がる蜘蛛を砕く一撃を放った。
「一体、確実に抑えた」
リオは深呼吸し、再度岩肌に罠符を設置する。
「あと数匹かもしれないが、この調子でいけばなんとかなる」
エリシアはランタンを水平に構え、両手を小刻みに震わせながら息を整える。
「……ありがとう、リオ。あなたの念動と連携しないと、あの数には対応できないわ」
リオは笑みを浮かべ、ランタンをエリシアの方向へ向ける。
「お互い得意なことを組み合わせれば、生き残れる。重圧領域は威力が強いぶん、ゾーン内のモンスターを一気に抑え込めるから助かるよ」
エリシアはランタンを軽く揺らし、次の移動に備えて一歩を踏み出した。
「だけど、油断はできないわね。呪毒喰いはもっと凶暴だし、巣の近くには罠や罠符があるかもしれない」
「だな。次は呪毒喰いを探すつもりだが、闇蜘蛛みたいな別種にも警戒しながら進む」
リオは腰にかけた小瓶を確かめ、再度フィルターを交換した。
「交換はこれで三回目。残り二回は本命と遭遇した後に使おう」
エリシアは頷き、小さくため息をつく。
「了解。では、あそこの紫色の魔導結晶の近くから探索再開しましょう」
二人は再び緑色に輝く結晶を目指して進み始めた。
――さらに進むこと1時間ほど。
通路の途中、壁に張られた結晶は次第に紫みを帯び、瘴気の濃度がさらに増していた。
エリシアは魔導結晶をかざし、結晶の光が一段と強まった箇所を示す。
「ここね。魔導結晶の光が極端に強いから、この先が巣の近くだと思う」
リオはランタンを高く掲げながら周囲を警戒し、静かに頷いた。
「よし。ちょうどいい。呪毒喰いを探そう」
エリシアはランタンをさらに近づけて洞窟の奥を凝視する。
「確かに瘴気が強いわ……でも、まだ巣そのものは見えない」
リオは岩壁の裂け目に手を伸ばし、小さな穴を指先で広げた。
「たぶん、この先の横穴が本命の空間だと推測できる。だが、周囲に罠や罠符があるかもしれない。慎重にいくぞ」
「わかった。私が最初に重圧領域を出すわ」
エリシアは足元の魔導結晶を一度確認してから、静かに言った。
「そのあとにリオが念動か発火で詰める……最初は一体ずつだよね?」
「そうだ。そのほうが余裕がある。無理に多く相手しようとすると、二人とも消耗する」
リオはゆっくり息を吸い込み、魔導結晶をランタンと組み合わせるようにかざした。
「いくぞ……」
二人は息を殺しながら、横穴の奥へと足を踏み入れた。
横穴を抜けると、そこは大きく開けた空間だった。
天井からは瘴気を吸い上げるかのように細い気柱が立ち上り、床には瘴気の鱗片のような結晶が散らばっている。
視界はわずかな緑の靄で霞み、ランタンの光がまるで海底を彷徨うかのように揺らいだ。
リオはランタンを高く掲げ、その光がかすかに届く範囲を見渡した。
「……呪毒喰いの巣は、この先に間違いない」
エリシアはゆっくり息をはき、掌に魔導結晶を載せた。
「瘴気が渦巻いている。結晶の光が激しく瞬いているわ」
「行くぞ」
リオは静かに足を踏み出し、壁沿いに慎重に進んだ。
「君は重圧領域をいつでも出せる体勢で」
エリシアは両手を額に構え、ランタンを地面に近づける。
「わかってる……視界が悪いから、まずは音と気配に集中する」
二人がゆっくり進むと、やがて前方から呪毒喰いの低いうなり声が漏れてきた。
その声は瘴気で歪み、まるで壁の奥からこだましてくるかのように響く。
エリシアは魔導結晶をぎゅっと握りしめ、目を見開いてその気配を追った。
「……そこにいる」
エリシアが囁くと同時に、床に潜んでいた呪毒喰いが闇の中から動き出した。
赤黒い瘴気を纏った巨大な犬型魔物が、口元から黒い泡を落としつつ剣のような牙を剥き出す。
「……一体だけか?」
リオは目を細め、瞬時に距離を測る。
「よし。念動で動きを止めるから、そのまま構えてくれ」
リオはエリシアの背後へ一歩下がり、集中した。
「念――動!」
空気が一瞬ねじれ、呪毒喰いは前脚を拘束されたかのようにピクリと動きを止めた。
「今よ、エリシア!」
リオの叫びで、エリシアは躊躇なく掌を前に突き出した。
「重圧領域!」
強烈な圧力が走り、呪毒喰いは宙を舞ったまま天井へ叩きつけられる。
固い岩に跳ね返された後、大きくよろめき、瘴気を撒き散らしながら地面へ落下した。
「──詰める!」
リオは火を灯した掌を前にかざし、呪毒喰いの背を狙って小さな火球を放つ。
「――発火!」
火球は暗闇を切り裂き、呪毒喰いの背を赤く焦がした。驚きの声のような咆哮が響く。
エリシアはランタンをわずかに下げ、魔導結晶の輝きを確認しつつ呼吸を整える。
「まだ体力が残ってるわ……あぶない」
彼女は地面にかすかに影を落とし、小刻みに足を動かした。
「俺の念動で押しつぶす」
リオは一歩前へ踏み出し、掌に念を集中させた。
「念――動!」
呪毒喰いはもう一度宙を舞い、そのままゆっくりと地面に崩れ落ちた。
「仕留めた……」
リオはゆっくりと息を吐き、ランタンをエリシアに向けた。
「大丈夫か?」
エリシアは乱れた髪を額から払い、はあはあと呼吸を整えながら頷いた。
「うん……でも、いつもより力を抑えている感覚だった。操作が不安定で怖かった」
リオはポケットから小瓶を取り出し、フィルターへ再度魔力ポーションを注いだ。
「俺が先に動いて正解だったな。君があれを自分で出してたら、一気に暴走していたかもしれない」
エリシアは少しだけ下を向き、「……そうかもしれない」と静かに答えた。
「あなたがいてくれて助かったわ」
リオは軽く頷き、岩壁を指で指し示した。
「巣そのものはまだ見つかっていない。あの紫の結晶が光っている方向に進んでみよう」
エリシアは再度ランタンを掲げ、壁の奥を見つめる。
「わかった……行きましょう」
二人は再び暗い洞窟の奥へと歩を進めた。
――洞窟の奥にある小部屋は、大きな空洞になっていた。
天井からは緑色の瘴気が吹き出すかのように流れ落ち、小さな滝のように床を濡らしている。
その中心には、紫みを帯びた大きな魔導結晶がぽつんと立っており、瘴気を吸い込むように微かに脈打っている。
「ここが……呪毒喰いの巣か」
リオはゆっくり息を吸い、ランタンを少し揺らして結晶を浮かび上がらせた。
「結晶の光が一気に強まった。間違いなく巣の中心だ」
エリシアはランタンを結晶に向け、小さくつぶやく。
「瘴気がすべてここに集まっている……こんな場所で奴らはひそんでいたんだわ」
リオは剣帯から封呪札を取り出し、腰のキーストーンに結びつけた。
「ここから先は“巣”の中だ。警戒しよう。」
エリシアはひときわ深く息を吸い、ランタンをわずかに揺らしたまま答えた。
「ええ、……でも、ここで引き返すわけにはいかない」
リオは軽く笑みを浮かべ、エリシアの腕を軽く叩く。
「お互い、ここまで来たんだ。最後までやり遂げよう」
二人は視線を交わし、共に小部屋の中央へと一歩を踏み出した。