必殺! 裏か表か
[前回の話]
Perfect World
[今回の話]
鏡の街?
言葉には裏と表があることがある。
人の行動にもまたそういう隠された真意というもののあることがある。
私も言葉遊びは好きだし、社会に適応するべく偽善者の仮面を被るし、道化を演じたりもする。そして人間不信な捻くれ者でもある。
人間として不審なせいか、書く作品もまた不振。
お巡りさんに通報する?
運営さんに通報する?
それともこの世から追放する?
せめて『小説家になろう』から追放くらいで済ませてほしいんですけど。
このサイトで活動するとある大先輩だとこんな感じになるのか。
なお、暴言の方は自粛。
さすがにあれをやると本当に追放されかねないし。彼はそんな経験者らしい。
まあそれは置いておくとして、最近また人間不信となる話を耳にしてしまった。
あのイエス・キリストでさえも腹黒い裏表のある言葉を残しているのだと。
『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』
この言葉は、新約聖書のマタイによる福音書(22章15-22節)に登場し、イエス・キリストが、ファリサイ派の者たちによって仕掛けられた罠を回避するために、この言葉を述べたことから知られています。ファリサイ派は、イエスが「皇帝に税金を納めるのは、律法に適合しているか」と尋ねた際に、イエスを政治的に非難しようとしたのですが、イエスは、その質問の意図を見抜いて、この言葉を述べました。
神への信仰と国家への義務は、両方を守るべきもので、それぞれ異なる次元で尊重されるべきということを示唆する言葉です。つまり、国家への義務(税金など)を果たすことと、神への信仰を実践することは、矛盾しないということを示しています。
AIはこういう回答をするし、私もその通りだと思う。だが──。
『物は本来の持ち主に返せ』の意にも用いられるこの言葉。
なんだか解釈が怪しくなってきた。
以下はGoogleでの検索からの引用を切り取り交えたものとなります。
キリストは、納めるデナリ銀貨を持ってこさせて、「これは、だれの肖像と銘か」と尋ねたという。
そこには皇帝ティベリウスの肖像と共に、「高貴なる神の子、皇帝にして大祭司なるティベリウス」という文字が刻まれていて、その裏には、皇帝の母リビアの像が。
皇帝を神の子と呼ぶことはユダヤ人にとって耐えがたいことだったわけだし、モーセの十戒では、「わたしの―つまり天地の創り主である父なる神の―ほかに他の神があってはならない」「刻んだ像を造ってはならない」というのがあり、この銀貨に刻まれているのも『刻んだ像』『偶像』だというわけで──
真の神の治める世界に、偽りの統治者の作った玩具なんざ不要。
突っ返しちまえっ!
──ともとれるんですよね。
こうなるとこれはもう、共存ではなく絶縁のすすめです。
聖書の理解し難い抽象的な内容を考えると納得してしまう。黙示録なんかを考えるせいか余計に。
社会的背景を考えれば仕方のないことだと理解してはいるんだけど、なんだかなあ……。
ねえ、神様、これってわざとなの?
実際は権威を悪用する為政者や教会等を戒める言葉なんでしょうけど、どちらの権威が上かを煽っているようにもとれる言葉。果たして彼の真意はいかなるものか。
かのキリスト教徒にはカルヴァンのような者も存在するわけですし。
予定説? 何それ、西洋版の逆封神榜?
選ばれざるモブの踏み躙じられることが神のキャスティングだというのなら、我らは道化師として狂い踊るのが務めなんでしょうね。
だから宗教とかは嫌いなんだ。
[次回の話]
取り敢えず明日
注) 作中の『神のものは──』はGoogle検索中に
見つけた田村隆明さんの記事の表現を少し変えております。
ただ、私の解釈により彼の意図と乖離している可能性がありますので読者様におかれましてはご注意ください。




