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馬鹿は本当に馬鹿なのか

[前回の話]

 気持ちの空回りする馬鹿

[今回の話]

 馬鹿についての考察

 馬鹿は本当に馬鹿なのか?


 残念ながらこれは真実だ。

 少なくとも脳に障害を抱えた者に関しては他に言いようがないだろう。何故ならばそれはそういう障害なのだから。


 だが、だからといって彼らが何も考えないかといえばそれは違う。

 生きている限り脳は動いており、一部機能に障害があったとしても全てがそうであるとは限らない。ならば何も考えていないということはないはずだ。仮令(たとえ)それが外部からの感覚が閉ざされている植物状態であったとしても。

 況してや認知症等では患者の感覚は確かであり、それ故にそれを否定するなどということはあってはならない。仮令その言動が理解し難いものであったとしても、それにはれっきとした行動理由があるのだから、周囲はそのことを理解して接する必要があるというもの。決して馬鹿にしてかかってはならない。


 脳の病といえばなにも脳の機能だけというわけではなく、心の患いというものもあるだろう。パニック障害や双極性障害等の精神疾患である。

 これらも精神の正常な者から見れば明らかに馬鹿のすることであり、前者なら前以て予習をしてないから自業自得、後者ならただのわがままな人間の現実逃避と見下されることも多いはず。


 残念ながらこれは真実だ。

 きちんとした学問を修め自身に自信を持つに至ればそんな迷いなんてないのだから。いわゆる超人思想である。


 しかし誰もがそう強くあれるわけではない。特に競争社会においては必ず勝者と敗者が出来上がる。

 勝者はそこから自信を見出だし、その前向きさから更なる飛躍を遂げることでしょう。

 だが敗者は……。


 敗北に敗北を重ねた者の陥る先、それがパニック障害。

 それはそうだ、マイナスの経験を積み続けたのだからプラス方向への自信を見出だすのは難しい。敗北をバネにと足掻き続けた結果がこれなのだから、そこに説得力なんてものは無い。

 故にいざとなると落ち着きを無くし、再び新たな失敗と敗北を重ねるという悪循環に陥るわけだ。


 そんな者の行き着く先、または勝者であってもその過剰なストレスに苛まれ続け疲れ果てた者の行き着く先、きっとそれが鬱なのでしょう。

 といっても、私は医者からそうだと診断されたことはないのであくまでもこれに関しては想像に過ぎないのですが……。


 さて、そんな鬱ではありますが、実は単に気持ちが(ふさ)ぎ込むだけのものではないらしい。

 なんでも精神の不安定さが肉体にも異常を及ぼし、体調不良が精神をより不安定なものにさせるのだとか。そして負の連鎖が続いた果てに待っているのは心身の衰弱と死への渇望。

 そんな自身の辛さからの逃避願望を社会に対する存在価値の喪失観が背を押す。


 正直あまりにもヤバ過ぎる病なのですが、それでも感情抜きの客観的視点に立つのならば、馬鹿な負け犬が社会から淘汰された結果に過ぎないということになるのでしょう。

 なんとも酷い話です。


 そんな迷えし者に対する救済として宗教というものが存在する。

 全能なる神の教えに縋ることにこの世の精神的苦痛からの救いを求めようというわけだ。

 現実的には何も変わることなどはないのだが、それでも精神に安定を齎す効果はある。

 人は弱き故にときとして何かを拠り所とせねば堪えられないことは多々とあるわけで、それを信仰に求めることは決して悪いことではないでしょう。

 だがそれに依存しきるのも問題だ。少なくとも己の価値観をそれに委ね思考を放棄するのはそれこそ馬鹿のすることだ。それは自由意思を持つ人間でなく、ただ信仰に操られている人形に過ぎない。


 人間とは迷うことに意義があり、それこそが考えるということである。

 一見ものを考えることのないような短絡的な人物であっても、それでも経験から齎される直観というものがあり、それは一瞬といえども思考である。

 天才と謳われるテスラは「天才とは99%の努力を無駄にする1%のひらめきのことである」などと嘯いており、エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の努力である」との言を皮肉っているように感じられるが、その閃きとは結局努力による直観から齎されるものである。つまりどちらも同じことを言っているわけで努力を否定しているわけではない。何故ならばテスラもエジソンを目指し努力し続けてきた人なのだから。まあ、その考えは一致することはなかったみたいですけど……。


 つまるところ、馬鹿にも馬鹿なりに考えることがあるというわけで、あまりものを考えないように見える人間や、深く物事を考えない人間にだって考える頭はあるということで、ならばそれを頭ごなしに否定するのは間違いでしょう。


 では、考えていれば馬鹿ではないのか?


 残念ながらそれは違う。

 考えていても馬鹿は馬鹿だ。


 判り易い例を出すならばコメディアンたちのネタがそうだ。彼らは笑いをとるために敢えて馬鹿を演出する。

 ツービートの「赤信号みんなで渡れば怖くない」というネタはその最たるものでしょう。

 これは「禁止されていることも、集団でならば心理的な抵抗もなく実施してしまえる」という集団心理を表す言葉であり、のちにギャグを超えてことわざと認識されるようになったとして、三省堂国語辞典の第8版(2021年)に収録されたという。[Google 参考 ウィキペディアより]

 つまりなにが言いたいかというと、世間の常識とされている良識に叛く行為こそが本当の馬鹿であるということ。「善の欠如あるいは歪曲」というアウグスティヌスの説く悪の概念がそれに当たるでしょう。



 馬鹿とは本当に馬鹿なのか?


 馬鹿を馬鹿と言う者が馬鹿。

 悪を悪と決めつける者が悪。


 固定観念に囚われて正しい判断の出来ない者こそが本当の馬鹿なのかも知れません。


 そんなわけで世間の良識に背くことこそが本当の馬鹿であるというのが私の出した結論です。


 せめて世間との協調を乱すのはこういった言論の自由のある場だけにしたいところです。

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― 新着の感想 ―
これはすごい……身につまされます。的確にしてフェアな視点の論旨。 馬鹿という単語にさまざまな角度から見解が述べられていて、 実に真相なことを描写され…… ↓  固定観念に囚われて正しい判断の出来ない者…
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