聖女は今日も釣り糸を垂らす
「すべてを終えた今、我が思いを貴女に告げよう。ずっと好きだった。どうか私と結婚して欲しい」
王宮での魔王討伐報告を終え、廊下に出たところで見目麗しい勇者様が私の前にひざまずく。
「あ、ごめん。無理です」
迷うことなく即答した。
一緒にいた魔道師様と剣聖様の2人が有無を言わさず私と勇者様を控え室に連行する。
「まずは2人でよく話し合え」
と、いかつい顔の剣聖様が言えば
「そうよぉ~、まずはお互いのことをちゃんと理解しないとねぇ~」
やたらと露出度の高い装束を身にまとった年齢不詳の美魔女な魔道師様が続ける。
そして2人は少し離れた窓際の椅子に腰掛けた。
高そうなテーブルを挟んでソファーに腰掛ける私と勇者様。
「魔王討伐の旅で私達は親しくなれたと思うのだが?」
「そうですね、仕事の上で円滑な人間関係は大事じゃないですか」
魔王討伐は大事な任務である。
「貴女も私に好意を抱いてくれていると思っていたのだが、それは間違いだったのか?」
「えっと、いい人だとは思ってますよ。だけど結婚とかは無理です」
「だからなぜ?!」
ダンとテーブルを叩く勇者様。
「まず身分が違いますよね。勇者様は王子様でもあるじゃないですか」
第五だか第七だかどうでもいいから忘れたけど、とにかく王子様。
「兄上が次期国王に決まっているし、私は近いうちに王籍を離れて爵位をいただいて臣下となる」
「それでも貴族ですよね?私は生まれも育ちも平民、貴族になるなんて無理ですよ」
「貴方はとても優秀な人だ。必要なことなどきっとすぐ身につくはずだ」
「私自身が望まないのに?」
勇者様が驚きの表情を向ける。
「そりゃあ貴族に憧れる人は多いと思いますよ?だけど私は不自由そうだと思っちゃうんですよね」
貴族には財産や名誉などさまざまな恩恵はあるだろう。
同時にさまざまな義務を課せられることも知っている。
魔王討伐の旅でいろんな場所や人を見てきたから。
「貴女に決して不自由な思いなどさせたりしない!」
「だけど貴族になれば交流とかもそれなりに必要ですよね?腹芸とか私にできると思います?」
「うっ…」
勇者様が言葉に詰まる。
旅が始まって間もない頃は毒舌女とか言われてたんだよね、私。
お茶会でウフフオホホとかできる気がしない。
嫌味を言われたら少なくとも3倍返し。
なんなら手も足も出るし。
「私はただ普通にのんびり暮らしたいんですよ」
ほどほどに働いて暮らしていければそれでいい。
休日は食べ歩きとかを楽しんだり趣味に没頭したりとかさ。
道中で意見が衝突することもたびたびあったけど、勇者様自身は嫌いじゃない。
最初のうちはやたらと偉そうで嫌だったけど、打ち解けてみたらなんだかんだで気の合う人だった。
だけど、もしも一緒になった場合、待ち受けているであろう貴族社会を受けて立つ!とまでは思えないんだよね。
「勇者様がどんなにいい人でも貴族なんて私には無理です。ごめんなさい」
立ち上がってぺこりと頭を下げた。
しばらく沈黙が続き、ちょっとだけ頭を上げると目が合った勇者様がぷっと噴き出した。
「わかった、今日のところはいったん退却しよう。私は貴女のそんな率直なところも好きなのでね」
ここは大陸で一番大きな王国。
実は勇者様もこの国の王族の一員である。
頂点は王家で、公爵家が3つに侯爵家7つに以下たくさん。
うん、無理。
対する私は辺境の小さな町で暮らす平民。
冒険者としてごく普通に暮らしていたのだが、何の因果か神託があって聖女になってしまった。
面倒なので逃げようかとも思ったけど、お偉いさんが大挙して押し寄せてきたんだよね。
ちなみに冒険者としてはそれなりのランクだったので、攻撃も防御も野営もこなせる。
だけどなぜか聖女になってしまった。
自分に浄化の能力があるなんて普通は気づかないよね?
幸い旅の途中で能力を開花させたけど、無事に魔王討伐という役目を果たした後は暮らしていた町へ帰ることは決めていた。
ちなみに大神殿との契約で浄化が必要な場合は手を貸すことにはなっている。
生まれ育った家はもうない。
両親も兄も冒険者だけど、今はいずこの空の下ってなもんで、みんな揃って自由人。
冒険者ギルドを通じてたまに短い伝言が届くので、だいたいどのあたりにいるかはわかってるけど。
「おう、聖女様じゃねぇか!無事に帰ってきたな」
久しぶりに馴染みの冒険者ギルド支部に顔を出すと、たまたまフロアにいた支部長が飛んできた。
「もう役目は終えたんだから聖女じゃないですよ」
右手に浮き出た聖紋はまだ残ってるけど。
「みんなして言ってたんだぜ。よりによってお前が聖女だなんて女神様も耄碌したんじゃねぇか?ってさ」
ガハハと笑う支部長。
いやいや、そんなの私自身が一番そう思ってるよ。
冒険者ギルド支部で本拠地変更の手続きを済ませてから不動産屋へ。
「お久しぶりです!あの物件、もう売れちゃいました?」
「まだ売れてませんよ。なんせ旧街道沿いですからねぇ」
数年前に高低差が少なく道幅の広い新街道が整備されたことで旧街道は利用者が激減した。
だけど私は商売するわけじゃないから関係ない。
「じゃあ買います!」
即決した。
両親や兄は今も好んで旅暮らしをやってるけど、私は昔から自分の家が欲しかった。
求めていたのは帰る場所があることの安心感。
そしてずっと気になっていた物件は誰のものにもならずに私を待ってくれていた。
家具類は残っていたものをほとんどそのまま使い、他は中古を適当に購入。
冒険者仲間が食器などの雑貨をあれこれ譲ってくれた。
「今日からここを我が城とする!な~んてね」
「この依頼、よかったら受けましょうか?」
「おう、頼むわ。それ、受け手がいなくて困ってたんだよ」
新居での生活環境を整えてから冒険者生活に戻る。
家を買っても魔王討伐の報酬はまだまだ余裕。
郊外の古い家だからたいした値段じゃなかったってのもあるけど。
そんなわけであくせく働く必要はないけど、腕がなまるのは嫌だから依頼は受けることにしている。
基本的には単独行動だけど、短期間ならパーティに助っ人として加わる。
大神殿からの浄化の要望は指名依頼という形にしてもらっている。
魔王は討伐したけれど、瘴気溜りはいつのまにか自然発生する。
大きくなる前につぶすのが大事。
そんな浄化の指名依頼はいつ来るかわからない。
親しい冒険者はそれなりいて、たびたび誘われるけどパーティに正式に加わるわけにはいかないのだ。
復帰した冒険者生活だが、自主的な休養日ということで週に1日か2日は依頼を受けない日を作っている。
もともとの貯蓄もあったし魔王討伐報酬だってたんまりいただいたしね。
そして休みの日は趣味に費やす時間を作ることにしていた。
「とぉ~りゃ~っ!」
釣り竿を思い切りしならせて糸の先の仕掛けを海へぶん投げる。
ここは家から歩いて行ける砂浜。
そう、私の趣味は釣り。
釣りにもいろいろあるけれど、今は投げ釣りにハマっている。
当初は食糧確保の意味合いが強かったけど今は完全に趣味。
竿も仕掛けも魔獣の素材。
上手くいかなければ少しずつ変えてみたりして、あれこれ工夫するのもまた楽しい。
「おっ、嬢ちゃん今日は来てたのか」
「あ、こんにちは~」
今では釣り仲間もだいぶ増えた。
「王太子殿下が即位する日が内定したらしいよ」
「へぇ、そうなんですか」
釣りの情報だけでなく世間話もしたりする。
今日話しかけてきたのは家を買う時にお世話になった不動産屋さん。
よく遭遇するので釣り場や道具の情報交換をしていた。
お互いの素性を知ったのはずいぶん経ってから。
釣り人あるあるらしい。
「王都の商会の動きがだいぶ変わってきてるって聞いたな」
この国では逝去による即位は少なく、後継がある程度の年齢になった時点での移譲が普通だ。
いきなり変わるよりちゃんと引き継いだ方がいいもんね。
「王太子殿下の弟君達の今後もだいたい決まったってよ」
どこかの貴族の婿に入ったり爵位をもらって独立したりするらしい。
そういえば、あれから何の連絡もないけど王子様だった勇者様はどうするのかな?
今日は釣れすぎたので釣果なしだった不動産屋さんに魚をちょっと譲った。
「よっ、聖女様」
朝、いつものように冒険者ギルト支部に顔を出すと支部長が待っていた。
「何ですか?」
「いつもとは違う指名依頼があるんだが、ちょっといいか?」
「別にいいですけど」
支部長室へ移動した。
「まぁ、簡単に言うとギルドからの依頼で内容は新人の教育係だな」
「新人教育、ですか?」
冒険者ギルドでは新規登録者には必修の講習や任意で受けられる各種研修が用意されているはずなのだが。
「いろいろ事情があるみたいでな。神殿騎士になるはずがこっちに押し付けられたってとこかな」
支部長が自慢の髭をなでながら言う。
その流れからすると、いいとこのお坊ちゃまである可能性が高い。
神殿騎士は貴族の嫡男以外が就くことが多く、平民はほとんどいないから。
面倒なことにならないといいけど。
「私なんかでいいんですかね?」
ちょっと不安になって支部長に尋ねる。
「ああ、こっちのやり方に一切文句は言わないと一筆書かせるってよ」
支部長がニヤッと笑う。
「ビシバシ鍛えてやってくれ。ダメな奴なら叩き出してもいいからな」
そしてとうとうやってきた新人教育の初日。
貴族相手はどうにも気が乗らないけど仕方がない。
引き受けたからにはちゃんとやる、それだけだ。
「失礼します」
ギルド職員に案内されて支部長室に入る。
「おう、来たか。実績はあるんだが冒険者登録したばかりの新人だ。よ~く指導してやってくれ」
「よろしくお願いいたします!」
支部長に紹介され、ガバッと頭を下げてお辞儀したのは見覚えのある男性。
「…これはいったいどういうことですかね?」
新人冒険者が勇者様っておかしくない?
「貴女は今も瘴気溜りの浄化依頼を受けているだろう?だから神殿騎士として護衛しようと考えたのだが、冒険者としてそばにいた方が効率がよいと思い付いたのだ」
ニコッと笑う勇者様。
「あの、王族が冒険者とかしちゃっていいんですか?」
「もうすぐ王となる兄上の許可を得て王籍からは外れているし、賜る予定だった爵位も辞退した。だから今はただの平民、心配は無用だよ」
マジか。
勇者様は片膝をついて胸に手を当てる。
「私は新人冒険者ではあるが同時に聖女殿を守る騎士でもある。それから勇者の称号は今も保持している。今後ともよろしく頼む」
なんかとんでもない新人が来ちゃったよ。
「おや、嬢ちゃん、子分ができたのか?」
「そうなんですよ~。私より年上だけど新人なんでかわいがってやってくださいね~」
最初こそとまどったものの、もはや開き直った。
幸い登録したばかりの子供達の指導ならそれなりに経験がある。
実技面では教えることもないので、冒険者としての心得が中心になっちゃうけど。
「これは指定された薬草だと思うのだが」
差し出された葉を見て、すぐに指でバツを作る。
「はずれ。形はよく似てますけど裏を見てください」
「あ、黒っぽい」
「でしょ?本物は裏が白っぽくて細かいとげがあるので触ればすぐわかります。あと、においも違いますね」
身近な薬草を知っておくことは初歩中の初歩。
いざという時に自分の身は自分で守ることが大切だから。
「魔王討伐の旅で貴女がいろいろ出来ることに驚いたが、冒険者としては普通だったのだな」
休憩時に差し出したお茶を飲みながら勇者様がつぶやく。
「まぁ、そうですね。冒険者にもいろんなスタイルがあるので人それぞれではありますが」
「王宮では優秀な講師陣をつけてもらって知識はあるつもりだった。だが、しょせんは頭の中だけで五感が伴っていなかったことをここに来て思い知らされたよ」
そう言いつつも勇者様は日々楽しそうだ。
そろそろ教えることもなくなってきたので、支部長に今後どうするか相談しないとなぁ~などと思っていた頃。
「そういえば明日は休みと聞いたが?」
「あ、はい。私は週に1日か2日は必ず休みを取ることにしているので」
「何か予定でも?」
そう言われてちょっと考える。
「ん~、明日は天気もよさそうなので海へ行こうかと」
「海か、私も同行してよいだろうか?」
「いいですけど、朝はかなり早くから出かけますよ?」
「別にかまわない」
待ち合わせの場所と時間を決めてその日は別れた。
「おっ、嬢ちゃんはどこでそんないい男を釣り上げてきたんだ?」
「なかなかの大物っぽいじゃねぇか。やるなぁ!」
夜が明けかけた砂浜で釣り仲間がからかってくる。
別に釣ってはいないけど大物は当たってるかも。
「違いますって!」
「そう、違います。私が彼女を釣り上げようとしているんですが、これがなかなかの難敵でして」
は?!
こんなとこで何を言い出すのよ勇者様!
「ははは!確かに嬢ちゃんは難しそうだよなぁ」
「花や菓子なんかじゃ釣られそうにねぇもんな」
「上手くいかない時は次の手を考えて試す、釣りじゃ大事だぜ」
彼が勇者様であり王族であったことは誰も知らないので言いたい放題だ。
「皆さんのご意見、大変参考になります」
釣り仲間達の言葉に勇者様がぺこりと頭を下げる。
「あ、そうそう。一番大切なのはあきらめないことだぜ。覚えときな!」
最後に最古参の声が飛んできた。
「はい、がんばります!」
釣り仲間からちょっと離れた場所に陣取る。
「さてと、まずは道具をお貸ししますね」
さっきまでの話はサラッと海に放流し、マジックバッグから長い釣り竿をひっぱり出す。
「見たことのない素材だが、この竿は何でできているんだ?」
不思議そうに竿を触る勇者様。
細くてよくしなるのに折れない自慢の一品。
「ブラックドラゴンです」
「は?」
勇者様が竿を落としそうになったので急いでつかむ。
「子供の頃、両親の討伐の手伝いをした時にお駄賃で少しもらいました」
この国というか大陸ではドラゴンは神聖なもので敬うべき存在である。
個体数は少ないけど高い知性を持っていて人間との意思疎通も可能。
そして激怒した際は熟練の冒険者ですら身動きがまったくできなくなるほどの威圧を放つ。
そんなドラゴンだけど、何らかの事情で闇落ちして黒くなってしまう個体が時折現れる。
自我を失って他のドラゴンや人間を襲うようになってしまうので討伐対象となるのだ。
「これは尾のあたりの皮なんですけど、熱を加えることでしなやかさを維持しつつ強度が増すんですよ」
その熱の加減が難しいんだけどね。
「いや待て!ブラックドラゴンの素材がとんでもない相場であることは私でも知っているぞ!」
「そんなの自分で獲ればいいだけじゃないですか」
タダとは言わないけど買うより全然安い。
「ブラックドラゴンはベテランの冒険者パーティが共同戦線を張って数十人体制で挑むもので、それでも討伐できるかどうか微妙と聞いているぞ!」
「へぇ、そうなんですか~」
うちは1人1頭は当たり前。
家族からの独り立ちの試験もブラックドラゴン討伐だった。
勇者様がため息をつく。
「はぁ…もういい。この話は後にしよう。それより釣り方を教えてくれないか?」
「あ、そうでしたね」
まずは仕掛けや餌の説明をする。
「こ、これは…」
「森の地中によくいる虫ですね。なぜか魔獣がいるあたりの方が食いつきがいいんですよ」
いろいろ試した経験が生かされている。
容器の中でうねうねしているうちの1匹をひょいとつまむ。
「で、こうやって針に引っ掛けます。はい、やってみましょう」
「…私はこのような虫を触ったことがないのだ」
なかなか手を出せずにいる勇者様。
王子様だった人がこんなうねうねしてる虫は触らないか。
「やってあげましょうか?」
自分でできないのなら面倒なので次から連れてこないけどね。
「いや、やる!」
意を決した勇者様を虫をつまんで針につける。
「あら、上手いじゃないですか」
「こ、これくらいできなければ貴女の護衛など名乗れないからな」
ちなみに私はヘビなんかも手づかみしてますけどね。
「向こうに見える岩を目指して投げてください。あのあたりが魚の住処になっているんです」
勇者様は投げる方はあっという間に上達した。
そして1投目から魚が釣れた。10センチくらいだったけど。
2投目以降はだんだん大きくなっていき、最後はなんと50センチ超え。
このあたりではかなり珍しいサイズ。
今になって思い出したけど勇者様って強運の加護があるんだっけ。
「すげぇな、兄ちゃん!」
「これは嬢ちゃんに捌いてもらいな。釣りだけじゃなくて料理も上手いんだぜ」
見に来た釣り仲間達が口々に言う。
「あ、そうですね。せっかく釣ったんだからご自身で食べる方がよいですよね」
そんなわけで釣りの後は我が家へ勇者様をお招きすることになった。
「…ここが貴女の家なのか?」
内部はきれいなんだけど、外壁はまだ直してないからかなりボロい。
「そうですよ。以前は食堂を営むご夫婦が住んでましたが、今は移転して新街道沿いに宿屋を兼ねた酒場を営んでるそうです」
勇者様を招き入れたのはまさに食堂だった場所。
今は主に冒険に使用する装備や釣り道具をいじったりする作業場として使っている。
かつてはテーブル席とカウンター席をあわせても15名程度のこじんまりとした店だった。
不動産屋さん情報によると味の評判は昔も今も上々なんだとか。
「ちなみに移転先は勇者様が現在泊っているところですよ」
「あ、そうなのか。確かに料理は美味かったな」
「これから作りますんで適当に座っててください」
勇者様はカウンター席の椅子に腰かける。
カウンター越しに厨房の様子が見えるようになっている。
「魔王討伐の旅でも思ったが貴女は料理上手だな」
「慣れですね。数をこなせばこれくらい誰だってできますよ」
ちなみに魔王討伐の一行の中で料理ができないのは勇者様だけだった。
王宮で調理の授業はなかったらしい。
小さい魚はフライにして野菜とタルタルソースとともにパンに挟む。
中くらいの魚はムニエルかな。
一番大きな魚はやっぱり刺身で。
厨房機器は旧式だけど正常に稼働してるのでサービスでエールも出しちゃおう。
「ち、ちょっと待ってくれ。この料理は生のままではないのか?」
普段の食事用に残しておいたテーブル席に移った勇者様は刺身の皿にビビっている。
「そうですよ。新鮮なやつじゃないとダメなんで王都じゃまず無理でしょうね」
作った料理を並べ終えて私もテーブル席に腰かける。
「はい、まずは乾杯しましょ。大漁の勇者様にかんぱ~い!」
「乾杯」
木製のジョッキをコツンと合わせる。
ぷはーっ!美味いっ!
「刺身は別に無理しなくていいんで、まずは食べてくださいよ」
「わかった」
フォークとナイフでムニエルを切り分ける勇者様。
ちなみに私は東方では一般的な箸という2本の細い棒を使っている。
「そんな棒で器用だな」
「慣れると楽だし、たいていのことはこれで足りますよ」
勇者様が手を付けない刺身を口にする。
「美味しい~!」
脂がのっていてほんのり甘味さえ感じる。
「あ、そうだ!ちょっと待っててくださいね」
どうやら刺身そのものは抵抗があるようなので、勇者様の分はカルパッチョに変更。
ソースはいつものように適当、野菜もあるやつを添えてある。
「これならどうでしょう?」
おそるおそるフォークで口に運ぶ。
「…美味い」
勇者様の驚く顔がうれしい。
作ったかいがあったというものである。
「よかったぁ!どんどん食べてくださいね!」
笑顔で声をかけたら、なぜか勇者様が顔を赤くしていた。
もう酔ったのかな?
勇者様の冒険者新人教育は無事終了したのだが、なし崩し的に2人でパーティを組むことになった。
支部長の勧めもあるけど、勇者様に
「私なら浄化の依頼にも同行できるので役に立てるはずだ」
と押し切られてしまったから。
そんなわけで一緒に依頼を受けたり、釣りをして魚を食べたりする日々。
でも再会してから求婚は一度もしてこない。
ちょっと前に酒の勢いで聞いたら勇者様はこう答えた。
「しばらく会えなかった時に気がついた。ただ一緒にいられる、それだけでいい」
恋愛とか結婚とか私にはまだよくわからない。
だけど一緒にいて心地いいのはわかるかな。
しばらくは平穏な冒険者生活を満喫していたのだが、大神殿から瘴気溜り浄化の指名依頼が入った。
「今まではわりと近場でしたけど、今回はちょっと遠いですね」
私が暮らしているのは国の南端の海沿いだけど、新たな瘴気溜りが発見されたのは北の国境近くの谷。
「移動の手配と貴女の護衛は私に任せてほしい」
「手配は助かりますけど、私に護衛って要りますかね?」
冒険者のランクなら私が上なんですけど。
「魔獣相手なら貴女の方が慣れているだろうが、貴族相手だったら私が有効だからね」
「なんで貴族?」
思わず首をかしげる。
「聖女とお近づきになりたい連中は少なくない。貴女は貴族になりたくないだろう?息子の嫁とか後妻とかいうのを防ぐのが私の役目だな」
勇者様であり元王子様というのは最強の手札らしい。
勇者様と2人で北の谷へ向かう旅が始まる。
各地の冒険者ギルド支部で情報収集し、王都に立ち寄った際は剣聖様と魔道師様に再会した。
「アンタ達、まだくっついてないのぉ~?」
「まぁ、そう言うな」
剣聖様に請われて勇者様が手合わせをしている。
その間に魔道師様に以前から考えていたことを相談してみた。
「なんだ、つまんないの~。どうせなら恋愛相談だったらよかったのにぃ~」
そう言いつつも魔道師様は私の仮説を肯定してくれた。
「なるほど、そう考えたわけね。可能性としては十分に有りうると思うわ。あとは貴女が検証するだけね」
めずらしく真剣に対応してくれた魔道師様。
「ありがとうございます!これで自信が持てました」
「それはいいけど1人で突っ走っちゃダメよ~。貴女には頼れる相棒がいるんだからね~」
北の谷間であと数日という頃。
最寄りの冒険者ギルド支部で家族への伝言を送って宿に戻る。
「勇者様、ちょっとお話があるんですけど」
宿の食堂でめずらしくエールを頼まなかった私に何か気付いたのだろう。
私達のテーブルにだけ防音魔法を張り巡らす。
「これで大丈夫。それで何の話かな?」
「魔王討伐のこと、覚えていますか?」
「それはもちろん」
追い詰めた末に浄化により判明した魔王の正体、それは小柄で貧相な老人だった。
ある地域に長い時間をかけて増えていった濃い瘴気、そして彼の一族に受け継がれた強い負の感情が結びついて誕生したのが魔王。
体格も容貌も凶悪なものに変化してしまっていた。
元の姿に戻った老人は今もどこかの独房で生存しているらしい。
魔王としてやったことの被害が尋常ではなかったから、簡単に処刑などしないと聞いている。
「私の両親と兄もそれぞれ北の谷へ向かっています。巨大なブラックドラゴンの目撃情報があったから」
「は?」
驚く勇者様。
「私ね、ブラックドラゴンも魔王と同じなんじゃないか?って思ってるんですよ」
「つまり普通のドラゴンが瘴気や負の感情で変化した、と?」
こっくりとうなづく私。
少しだけ黙って考えていた勇者様が口を開く。
「そうか、貴女は北の谷だけでなくブラックドラゴンも浄化したいのだな?」
「はい、先ほど冒険者ギルドを通じて家族にも伝えてきました。さっき送ったばかりなので返事はまだですけど」
できると思うからこそ頼むのだ。
できない相手になんて頼めない。
「そうか。それで貴女は私に何を望む?」
「私の家族とともにブラックドラゴンの捕縛を。浄化が効かなければ速やかに討伐に移行で」
浄化にはどうしても時間がかかってしまう。
生かしたまま動きを封じなくてはならない。
当然のことながら討伐よりも捕縛の方が難易度は高くなる。
無理を言っているのは承知の上だ。
だけど救えるものならば救いたい。
「わかった。貴女の冒険者パーティの一員として恥ずかしくない活躍をして見せよう」
数日後に到着した北の谷では両親と兄がすでに待っていた。
「家族が勢ぞろいするのは久しぶりね。みんな元気そうでよかったわ~」
細身の母が朗らかにそう言えば
「…うむ」
日頃から無口な父がうなずく。
「まったく、うちの妹ときたら再会の手土産が無理難題だもんなぁ」
顔は父に似てるけど母に似てよくしゃべる兄。
「ううっ、ごめんね」
手を合わせて謝る。
「そちらが貴女のパーティの方かしら?」
母の視線は勇者様に向く。
「はい、ともに冒険者活動をさせていただいております」
勇者様で元王子様というのは家族に伝えてあるのだが、頭のてっぺんからつま先までをじろじろ見る母。
「ん~、なんとか使えそうかしらね。みんな、さっそくだけど作戦会議に入るわよ!」
そう、うちの司令塔は母なのである。
「なぜこんなに詳細な図があるのですか?」
テーブルに置かれた谷の図面を見た勇者様の疑問はごもっともである。
「空間把握能力とでもいうのかしらねぇ。立体的に理解できるの。ちなみに娘もできるわよ」
実は海にも使えるので釣りでかなり役立ってるのは内緒だ。
工夫して作った仕掛けを失いたくないから根がかりはしたくない。
「まぁ、だいたいこんなところかしらね」
作戦は簡単に言えば谷の一番狭い場所で挟み撃ち。
前面は父が待ち構え、奥から兄が追い込み、谷の上には司令塔の母という配置。
「それで私はどうすればよいでしょうか?」
母に尋ねる勇者様。
「娘と一緒にいてもらうわ。浄化の時は無防備になってしまうでしょ?」
浄化するにはできるだけ近くにいなければならない。
そして浄化に集中するので自分の身を守ることまでは気がまわらない。
「いざとなったら途中でも連れて逃げてもらう必要があるわ」
「わかりました、重要な役目ですね」
浄化がうまくいかなかった場合は谷の奥に追い込んで仕留める。
その場合の動きもだいたい決まった。
決行は明日の夜明け頃。
その時間帯ならブラックドラゴンの動きが鈍いから。
まだ暗いうちに勇者様とともに岩場の隙間に身を潜める。
「勇者様、母は『いざとなったら私を連れて逃げろ』とか言ってましたけど、ブラックドラゴン討伐を優先してください。たぶんここが一番近いはずですから」
「何を言ってるんだ?!」
耳元で大きな声を出さないで欲しいんですけど。
「ブラックドラゴンが人家のあるあたりまで行く方が問題でしょう?その前になんとしても止めないと」
一瞬言葉に詰まった勇者様が絞り出すように言った。
「…貴女が浄化に成功すればいいだけの話だ」
「それもそうですね、がんばります」
ズシン ズシン
地響きとともにブラックドラゴンが谷を下ってくる。
真っ黒な体躯に真っ赤な瞳でかなりの大きさ。
兄がうまく追い立ててきたようだ。
父は所定の位置で魔法による見えない壁を作り出し、それ以上進めないようにしている。
母は谷の上から指示を出しつつ風魔法を使って上に逃げるのを防ぐ。
母が起こす暴風の中、勇者様が背後から私を支えてくれている。
「いいわよ!やっちゃって!」
母の声が聞こえる。
「浄化、始めます!」
手ごたえがないわけじゃない。
だけどまるで分厚い鎧に挑んでいるよう。
それでも浄化に全力を注ぐ。
どれくらい時間が経っただろうか。
家族の協力でなんとかその場に留まっていたドラゴンがとうとう動き出す。
失敗だったかもしれない。
でも最後まで力を振り絞るしかない!
「うおっ?!」
勇者様の声と同時にまばゆい光が谷を照らす。
しばらくして光が消えた時、そこにブラックドラゴンはいなかった。
『浄化の乙女よ、我を闇落ちから救ってくれたこと、深く感謝する』
そこにいたのは金色のドラゴン。
穏やかな深い緑色の瞳がこちらを見つめる。
周囲には黒い皮やうろこが散乱しているようだ。
『そなたに礼をしたいが、何か望みはあるか?』
そう聞かれて少し考える。
「…えっと、新たに…闇落ちしたドラゴンが発生したら、浄化に協力してくれます?」
『もちろんだとも。同胞を救うためならいくらでも手を貸そう』
「私は…それで十分で…」
そこから先の記憶はない。
「…ここ、どこ?」
目が覚めると全然知らない部屋だった。
カーテンが閉められている薄暗い部屋。
「目が覚めたのか?!」
ベッドの脇には勇者様がいた。
「…ここって?」
「北の領主の館だ。貴女はあれから1週間眠りっぱなしだった」
マジ?
「…あのドラゴンは?」
「その日のうちに去っていったよ。そして貴女にこれを渡してくれと」
手渡されたのは金色のうろこ。
「それを手に祈れば、いつでも貴女の元に駆けつけると言っていた。闇落ちの元へ連れて行ってくれるそうだ」
協力して欲しいという願いを叶えてくれたのか。
その後のことは勇者様があれこれ説明してくれた。
ベッドの上で上半身を起こして話を聞く。
闇落ちから解放された時の光で北の谷の瘴気溜りも消滅らしい。
「貴女のご家族は良い方々だな」
眠ったままの私の脇で両親や兄といろいろと話したそうだ。
母は過去の冒険譚や私が子供の頃の話など話したんだとか。
何を言ったのかちょっと気になる。
兄からはたびたび手合わせを求められたとか。
あいかわらずの脳筋である。
父は相変わらず無口だったけど、
「式を挙げるならできれば呼んでほしい」
と言ったらしい。何それ?
そんな私の家族はブラックドラゴンの素材を山分けして一昨日旅立って行った。
ちゃんと私と勇者様の分もあるらしい。
「ああ、そうだ。貴女の母君から手紙を預かっている」
封筒を開けて便箋を開いてみる。
経緯と気遣いが綴られていたのだが、最後の一文に思わず声が出た。
「はぁ?」
『次に貴女のお姫様抱っこを見るのは結婚式かしらね?』
バッと勇者様の方を見る。
「ああ、あの谷から意識のない貴女を抱きかかえて帰って来たな」
私が手にした便箋の内容を見た勇者様が答える。
「単なる魔力切れだとわかってはいたが、正直なところ気が気ではなかった。目が覚めてくれて本当によかった」
そう言って抱きしめられる。
「…心配かけてごめん」
素直に謝る。
「まったくだ。自分より他を心配をするような貴女には私がついていないとな」
そう言って額にキスされた。
『家まで送ってやろう』
数日が経って魔力と体力が回復した頃、金色のドラゴンが迎えに来た。
真っ直ぐ帰ると思いきや、なぜか王宮に寄り道。
王宮前の広場で勇者様の兄である新国王陛下より「ドラゴンセイバー」の称号を授かった。
そして勇者様は私を抱きかかえて金色のドラゴンを操って王宮に来たことから「ドラゴンライダー」に。
さらに聖女の正式な護衛として「聖騎士」の称号も受けていた。
「王籍を離れたとはいえ、私にとっては血のつながったかわいい弟だ。まっすぐで気のいい男なのでよろしく頼む」
非公式の場で国王陛下から直々にお言葉もいただいた。
外堀、埋まりまくってない?
いつもの釣り場である砂浜で金色のドラゴンが私達を下ろしてくれる。
『また会おうぞ』
金色の翼が遠ざかっていった。
定宿を引き払っていた勇者様は我が家で暮らすようになった。
そしてブラックドラゴンの素材を一部売却して釣り用の船を勇者様と共同で購入。
「こうしてのんびり釣り糸を垂らすのもよいものだな」
波間に浮かぶ船の上でつぶやく勇者様。
「そうですねぇ」
まんまと釣りの沼に引きずり込まれた勇者様は自分専用の釣り竿を何本か手に入れた。
その1本は私がブラックドラゴンの素材を加工したものである。
「あ、今日の1匹目!」
ふふふ、1投目から当たりましたよ。
この場所を選んだのは正解だったみたい。
「以前、貴女が『貴族は不自由そうだ』と言ったのも今ならわかる。やはり貴女の笑顔は太陽の下が一番よい」
「そ、そうですかね?」
「そしてこんな心地よさは貴女がいてこそだな」
私は好きなことやってるだけなんだけどね。
「改めて告げよう。貴女を愛している。これからもずっとこんな時間をともに過ごしたいのだが、どうだろうか?」
「…かまいませんよ。べ、別に嫌いじゃないし?」
いつか素直に言える日が来るのだろうか?
金色のドラゴンは呼んでもいないのに遊びに来ては上空を旋回している。
陸地からはだいぶ離れ、聞こえるのは海鳥の鳴き声と波の音。
青い空にはぽっかり浮かぶ白い雲。
船の上でキスしても、見ているのは太陽と金色のドラゴンだけ。