雪の中でⅠ
出来たら、10話完結にしたいです、
昭和30年の泉州地域は縫製業が盛んであり、そこかしこに小規模経営のミシン工場が存在した。泉州地域の定義が難しいが大阪府南部、岸和田市より南に存在するのが泉州といえるだろう。この地域は昔から言葉の荒い地域であり、また同時に気性の荒い地域としても近隣には名を知られていた。
「あんた、女が学問なんかやっても嫁の貰い手がないじぇ。」
五十絡みの母親は娘に、言葉を荒げて言った。
いや荒げたつもりはなかったかもしれない。
元々この地域の言葉は、こんな雰囲気だ。
「お母ちゃんは古いわ。そんなん言うてたらあかん、女もなんかにならなあかんねん。」
「悪いけど私、お母ちゃんみたいなオバチャンになりたないねん。もっと世の中に知られたいねん。」
大正時代の初め頃に建てられたという平屋の家で、母と娘は言い合いをしていた。
そんな広い家ではなく、どちらかと言えば陋屋に近かった。
娘にとっての父親、母親にとっての夫が戦争で命を落としてからの二人だけの生活は、女性二人の生活ということもあり、なかなか上手くいかないことも多くあり、それはやはり金銭的な事情によるものが多く。母親としては精一杯に娘に惨めな思いをさせたくないとそだててきたが、娘にとってはそんな母親の姿に惨めさと情けなさの混じった感情を抱いてしまっていた。
娘は、そんな自分を子どもだと思い、変えたいと思っていた。
母親との口論で気まずくなった娘はまだ明るい夏の夕暮れ時を一人歩きながら、言いすぎたなと思う。
娘の名は「一子」。
学校では教師に注意などされたことはないが、尊敬の出来る教師などいないと思っていた。
そんな一子に大袈裟に言えば人生を教えてくれた人。それはイギリスの女性作家、ジェーンサイモンであった。正確にはジェーンサイモンの書いた本が一子の先生だった。その読み込まれてカバーも破れ、表紙も汚れている本は少し値段の張るお菓子の平べったい缶の中に入れている。
もしかしたら母である立子が見つける可能性はあるが、読んだところでわかるまいとタカをくくっていた。昭和に生まれた私と、明治の終わりに生まれたあの人は別の人間なんだからと。
そう一子の夢は小説を書いて、世に出版することだった。多くの人にと読んでもらいたいだとかそこまでの欲はなく、とにかく自分の書いた物語を誰かに読んで貰いたかった。その為にも大学の文学部への希望届けを出したのだ。そしてそれが母と娘の口喧嘩にと繋がった。
母である立子は娘に良い結婚を、なるべく早くしてもらいたかった。自分が夫を亡くして育ててきたことには恥ずかしさはない。しかし自分のような大変な思いを子供にはさせたくはなかった。だから堅実な仕事に就いた健康な男性と、一子に結婚して欲しいと思っていた。また普段からそんなことを娘の前で、結構言ってきたはずである。
それなのに大学に進学とは、私の育て方が間違っていたのかと味噌汁をつくりながら立子はため息をついた。
棚の上に置いてある真空管ラジオから、流行りの音楽が流れてきた。近頃はアメリカで流行っている曲に日本語の歌詞をつけて歌うのが流行っているらしく、貧弱なスピーカーから流れてきたのは、その手の歌。娘の一子は、うっとりとした表情でその音楽を聴いているが、それが母親である立子には腹が煮えくりかえる。ほんの10年程前には日本はアメリカと戦争をしていたのだ。あの時のアメリカへの敵愾心と、戦争で負けたことの恥が心の奥底にあって、どうしてもアメリカ音楽はきらいだ。それなのに一子は知らない顔で、ラジオを貪るように聞いている。その蕩けるような表情を見ていると、なんで日本は戦争に負けたんだと口には出さないではいるが、あの頃の兵隊達に言いたい気分にもなってくる。




