アドルフの指輪3.5
アドルフが他界して、もうすぐ五年……。
撮影を終えて、なじみの店で夕飯を食っていると、
断りもせず、俺のすぐ隣に若い男が座った。
驚いて警戒していると、
彼は、テーブルに華奢な片腕を置き、その手で頬杖をついて微笑んで、
「ステファン、俺と付き合わねえ?」
東洋人の彼は、いい目をしてそう言った。
「……。」
彼は俺を見つめ、可愛い顔をほころばせて、
「無言ってことは、アリ?アリだね。やった!」
うっかり見惚れてしまった……。焦って言う。
「ちょっと待ってください、俺はまだそちらの名前すら知らないんですけど。」
十代の学生のように見える彼は、楽しそうにほほ笑んで、
「オギ・リョーヤ。俺の名前。
あ、一応言っとくけど、俺のほうが年上だから。」
「え?」
色白で、黒髪、黒い瞳。
少年っぽさがある骨格。
小さいあご、大きい眼鏡、オーバーサイズのパーカー。
髪は毛先が少しカールしていて、真ん中分けの前髪が目にかかっている。
彼は、俺の隣から向かいの席に移動して、
「十分だけ時間くれねえ?」
と言う。
「……十分だけなら。」
と答えると、彼はにっこりする。
それから椅子に横向きに座って、片腕をテーブルに置き、足を組む。
「あ、どうぞ食事続けて。」
と、楽しそうに言うと、そのままの姿勢で、何もしゃべらない。
耳にピアス。ツーブロックで、襟足はすっきりしてる。
パーカーは、見たことのない、不思議な模様が描かれている。
後で知ったが、着物をリメイクしたものだった。
そろそろ十分たつ頃、彼は俺を見て、
「一つだけ、質問して。」
と言った。
「え、俺が?」
「そう。」
ファンってのは大抵、質問攻めにしてくる。
逆に、質問してほしいと言われたのは初めてだ……。
「……。」
疑問はいくつもある。
でも……俺が知りたいのは……
「もう少し、時間ある……?リョーヤさん?」
彼は明るく笑った。
彼の笑い方が、好きだ……と、思った……。
小一時間会話して、連絡先を交換して、次に会う約束をして別れた。
リョーヤと一緒に、ディナーを食べた。
彼と会うのは今日で三回目。
店を出て、雨の街道を歩いている。
リョーヤは夜行性らしく、会うのはいつも夜だ。
俺は立ち止まり、リョーヤにほほ笑む。
「最初の質問の答え。」
『ステファン、俺と付き合わねえ?』
初めて会った時、リョーヤは開口一番にそう言った。
俺は、リョーヤにキスする……。
離れると、
リョーヤは傘を落として抱きついてきた……。
「ステファン……!」
リョーヤからキスされる……。
可愛くて……
嬉しくて……
思わず顔が熱くなる……。
嬉しそうな笑顔のリョーヤも、顔が赤い……。
「……二人きりになれる部屋へ、行こうか。」
俺はリョーヤの手を引いて、ホテルへ向かおうとした。
けれど彼は立ち止まって、
「スゲー嬉しいけど……ステファンはまだ俺のこと、よく知らねえだろ。」
「そうだな。けど、おまえが好きなんだ。」
リョーヤはまっすぐな眼差しで俺を見つめて、
「……ステファン、今度、ステファンちに連れてって。
ちゃんと話さなきゃならねえ事があるんだ……。
その辺のホテルでしゃべりたくねえんだ……。」
リョーヤは何かを覚悟している。
「そうか……。じゃあ今度、うちで。どんな話しでも、受け止めるぜ。」
リョーヤは微笑む。
俺は彼の耳元で言う。
「……じつは、ホテルは好きじゃねえんだ。」
リョーヤは笑って、
「俺も。」
もう一度、傘に隠れてキスした……。
俺は電話でリョーヤに、ルイスのことを話した。
「……だから、弟みたいなもんなんだ。」
「へえ、そっか。会いたいな。紹介してよ。」
居酒屋の個室で、
リョーヤにルイスを紹介した。
ルイスが笑って言う。
「ステファン!よかったじゃん!へえ、でも、なんか意外だな!」
ルイスは嬉しそうに笑ってるけど、疲れた顔だ。
「お前、また徹夜か。」
「うん、レポートの締め切り今日だったからさ。」
と、酒のボトルに手を伸ばす。俺は取り上げる。
「酒はやめろ!」
「気分いいんだ!ステファンを寿ぎたいんだ!」
と、楽しそうにグラスを持ち上げる。
「リョーヤさん、ステファンをよろしく!」
ルイスもリョーヤも、楽しそうにグラスを合わせる。
ルイスはそんなに食わないうちに、
「急に眠気が……帰るとき起こして……。」
と、突っ伏して眠ってしまった。
「かっわいい弟だねえ。」
と、リョーヤはルイスの髪をつまんでいじる。
「めちゃめちゃ綺麗だし!声高えから、最初女かと思った。」
俺はため息をつく。
「はあ……リョーヤ、悪いけど、俺はコイツを家まで送るから。」
「あ、俺も一緒行く。」
と、口元を上げる。
「……うん。」
車を運転し、ルイスのアパートにつき、ルイスを背負って彼の部屋に運び込む。
生活感の乏しい部屋のベッドに、彼を寝かせた。
「ん……」
ルイスはまだ起きない……。
「リョーヤ、悪いけど、ちょっと向こう行ってて。」
「おう。」
ルイスの靴を脱がせ、寝苦しくないよう、服を剥ぐ。
リビングへ戻ると、
リョーヤは、壁にかけてある端末のディスプレイを見ていた。
近寄るとスライドが始まる。
アドルフの写真が、次々映っている。俺が写ってる写真もある。
リョーヤは俺を見ずに言う。
「ステファン。
俺……お前のほかに、もう一人恋人がいるんだ……。」
「……そうか。」
少し驚いたけど、ひとまず受け止める。
「……この国に来てから初めて、俺のことを親身に世話してくれた人で、
今こうして普通に暮らしてんのは、その人のおかげなんだ……。」
アドルフの写真の上に、リョーヤの不安顔が写り込んでいる。
「そうか。大切にしろ。」
と、俺は微笑んで、リョーヤを背中からそっと抱いた。
「……。」
彼の心が少し、緩んでほどけた……。
「……あのな、リョーヤ。
悪いけど、お前のこと、少し調べさせてもらった。」
マネージャーにリョーヤのことを話したら、
「探偵に調べてもらいましょう。」
と言われた。俺はもちろん、何一つ、リョーヤを疑ってない。
でもたまに、ファンを名乗る詐欺がいるのは事実。
「形式的なものですから。」
と、マネージャーは同情していた。
「ふふ。もちろん構わねえよ。俳優は気苦労多くて大変だな。けど……そんなすぐ身元わからねえだろ。」
「……。」
不思議なことに、リョーヤは、以前、日本のどこに住んでいたのかも、親兄弟など、身寄りがいるかどうかも、わからなかった。
親族の戸籍が見当たらないらしい……。
同居している彼氏の事と、この国の国籍を取得している事、語学学校に通っていた事や、作家業なことくらいしかわからなかった。
リョーヤはこちらを向いて言う。
「俺だって、客観的に見て、自分のこと、得体が知れねえって思うぜ。
……そうだな……俺は難民みたいなもんかもな……。」
あの治安の良い日本から……?
難民……?
ルイスのベッドサイドのテーブルに、水のボトルを置いて、俺とリョーヤは帰宅した。
リョーヤが初めて、俺の部屋に来た。
何か打ち明けたい事があるらしい。
俺の他に、もう一人恋人がいるって話しは聞いたけど、
それとはまた別のことなのか……。
「リョーヤ……緊張してるな……」
彼の頬と肩に触れる……。
「……。」
今日のリョーヤは少し無口だ。
「大丈夫だ。俺はちゃんと受け止める。もし、少し時間がかかるとしても。
それに、何であろうと、絶対、リョーヤを嫌わない。」
微笑んでキスする……。
彼は、眼鏡をはずしてから、
俺に背を向けて、数歩離れた。
「……。」
そして、オーバーサイズのTシャツをたくし上げて脱いだ。
「え……!?」
驚いた。
背中に……
美しい絵が描かれていた……。
緻密な、和柄の絵が……。
綺麗で迫力のあるタトゥーだな……。
俺に打ち明けたいって、この事か……?
彼は、こちらを向く。
俺の目を見て、少しほっとしたのか、
俺のそばのベッドに座って話し始めた。
「俺が二十歳の時、ヤクザに拉致られた。
ヤクザってのは、日本のマフィアだ。」
……ヤクザの映画は見たことある……。
「目が覚めたら、目の前にヤクザの親玉がいて、
俺を息子だって言うんだ。
その日から監禁されて、後継ぎになるための教育が始まった。
ああ、これはもう、終わったな、従うしかねえなと思って、そうした。
いつか親父を殺して逃げようと、思ってた。」
「……。」
俺は、彼の肩にガウンをかけてやった。
リョーヤは、ヤクザの跡取り……?
父親によって、無理やり、ヤクザにさせられた……?
「俺は、ごくフツーの母子家庭で育った、ただの大学生で、インドアで空想癖のもやしだったから、怖くてしょうがなかった。
この絵を彫られたり、
薬物中毒の水商売の女と監禁されたり、
拳銃持たされて練習させられたり、
チンピラがうようよいる会合に出させられたり、
ヤバすぎて、もう、笑うしかなかったよ。
聞いてて、なんかそういう感じの三文小説に聞こえるだろ?
しょうがねえから、ありったけの勇気を振り絞って、俺の付き人の連中と会話してみたんだ。
そしたら結構、話が通じるし、普通にいいやつも多くて、何とか逃げられねえか、相談して考えた。
そうしてるうちに、一年がたったころ、親父が心臓の持病で倒れて、入院した。
俺は、信頼できる付き人と話の裏を合わせて……
病院のベッドで眠ってる親父に……
一服盛った。」
「……。」
「点滴に、薬品を仕込んだ。医療ミスに見せかけたんだ。あれは親父にとっては強い毒薬だ。」
俺は、彼の眼を見て話を聞いている。
リョーヤは、俺が全部を受け止めると信じて、打ち明けてくれている。
彼の口調は穏やかで、目は明るささえ感じられるけど、すべて本当のことなのだ。
彼の肩にガウンをかけてやった時、ほっとしたのが伝わってきた。
俺を信頼して、トラウマのある背中の絵を見せてくれたのだ……。
日常や、学業を取り上げられ、監禁されたのも……
彼が、父親を殺したのも、本当なのだ……。
今も苛まれ続けている、リョーヤの過去なのだ……。
彼は、少し口元をあげて見せ、話を続ける。
「点滴に毒を入れたその足で空港に行って、海外へ脱出した。
親父がどうなったかは知らない。
もしかしたら、俺みたいな息子が何人もいて、成人した順に、適性を試してたのかもな。
付き人が用意してくれたあれも、毒じゃなかったかも。
……飛行機を降りた後は、車を買って、それで大陸を移動した。
金だけはあったから、半分旅行気分で旅したよ。
どっから持ってきたのか、付き人が、俺の分だって渡してくれた札束だった。
丸一年、捕まらなかったから、この国で落ち着こうと思った。金も底をついたし。
レミーと出会って、世話になって、この国に住む事に決めて、国籍を取った。
以来、俺は夜型になって、物書きになって、ほとんど夜しか出歩かない。
日本人と顔を合わせたくねえから。
ネットにも、電話にも、顔を出さない。
極力、SNS以外でつながりを作らない。
最初にステファンと会った、あの店に入ったのも、あの時が初めて。
リアルで人に声をかけたのは、五年ぶりだった。
だから、うれしかったよ!ふられなくってさ!」
「……。」
俺はリョーヤにキスした……。
少し頬の染まった彼は、俺の眼を見て言う。
「俺は空想癖で、作り話が好きだけど、今の話しはホントの事だぜ。信じる?」
俺は彼の眼を見てほほ笑む。
「ああ。信じるよ。」
もう一度キスして、
彼の髪と胴に触れた……。
リョーヤは、幸せそうに笑った……。
「ステファン……好きだよ……
三年前、ドラマのPR動画で初めて見たときから……。」
抱きしめられる……。
彼の頬を伝う涙に、キスした……。
「俺もリョーヤが好きだ。初めて会ったときから。」
彼を抱きしめる……。
「……スゲー嬉しい……」
彼は、笑いながら泣いた。
リョーヤ……。
大切にしたい。
彼の幸せそうな表情を見てると、俺も幸せを感じる……。
「ステファン……ひとつ、頼みがある。」
「何でも言え。」
「あんまし、背中、直に触んないでほしい……。」
「ガウンの上からは?」
「それは大丈夫。……ごめん……。」
俺は微笑む。
「リョーヤ……。謝るな。」
愛しい……。
こんなに美しい人がいるなんて……。
幸せにしてやりたい……。
俺は優しくキスして……抱きしめる……。
リョーヤは、舌で俺の首を撫でる……。
両手で背中を撫でられる……。
それだけで、上手いとわかる……。
俺よりも……。
「ステファン……?」
「……。」
俺はもう言葉が出ない……。
ゾクゾクする……。
「ステファン……」
リョーヤは嬉しそうに微笑むと、俺の手をつかんで、指を舌でなぞり、口に含んで甘噛する……。
「……っ、ちょっと、待ってくれ……。久しぶりで……」
俺はすでに肩で息をしてる……。
こんなに気分がのってるのは、アドルフの時以来だ……。
「うん。待つよ。ステファンのタイミングで、来て。」
リョーヤはベッドに寝そべり、人差し指一本で、おいでと合図する……。
可愛い顔で、幸せそうに笑っている……。
幸せで……
俺は……
涙が滲む……。
俺は天井を見上げながら、思い出し笑いする。
「ふふ……」
「何。」
バスローブを纏って隣に座っているリョーヤは、こちらを見て微笑む。
「リョーヤ、最初に声かけてきたとき、自信満々だったよな。」
「ナンパするには、多少のうぬぼれは必要だろ。でも、俺はそんな自信家じゃないぜ。」
「ああ。」
リョーヤに脆いところがあるのは知ってる。
だから、守ってやりたくなる……。
俺は、彼のトラウマや痛みごと、リョーヤを愛してる……。
「ステファン、休んでいいぜ。
俺は仕事してる。」
と、端末を手に取る。
作家で夜行性のリョーヤは、俺が寝てる隣で執筆するらしい。
「ああ。側にいてほしい……。」
リョーヤの腕に触れる。
「ふふ。おやすみ。」
キスしてくれた……。
ステファンが後から聞いてきた。
「リョーヤ……。もやしってなんだ?」
俺は大笑いする。
「あははは!」
手帳で調べたらしい。
「大豆の芽?リョーヤが?」
意味不明らしい。
「色白で細くてひ弱な奴のことを、もやしっていうのさ!」
ステファンが俺を見つめる。
「リョーヤは弱くねえし、大豆の芽より何千倍も魅力的だ。」
「あっははは!」
「日本人は大豆にこだわりすぎだ。」
「ははは!違えねえ!」
「醤油とかうまいから好きだけどな。」
「ステファン、日本料理も作れるようになってよ。」
「そうだな。リョーヤは料理作れる?」
「フツー。ステファンが作って。」
「未知の料理を作れるかわからねえ……。」
「楽しみにしてるぜ!焼きそばとか、天ぷらとかほうれん草のお浸しとか作って!」
ステファンは手帳で検索している。
「あとは……」
食いてえ日本食を思い浮かべてたら、
「あー、腹減ってきた。」
「天ぷらなら作れそうだな。」
「やっった‼天そば食いてー!」
一時間後……。
パスタに海老天が載ってんのが出てきた。
「これはこれでうまいぜ!」
「よかった。」
調理中に俺が買ってきた大根とめんつゆで、おろしだれ作って、かけて食った。
「リョーヤ。ここに引っ越して来ないか?」
俺は嬉しくて、笑って言う。
「あはは!じゃあ次は、本物の蕎麦食おうぜ!」
「……ん??」
冷たい雨が……
降っていた……。
俺は金がなくて、
外国の町を、トラムで点々と移動しながら、
毎日、一晩の宿を求めて、
片言の英語で、男に声をかけていた。
心底嫌だし、スゲー怖えけど、
他にどうしようもなかった。
昼間は、雇ってほしいと何件も店を回って頼み込んだ。
全部断られた。
そりゃそうだよな。
家も身分証もねえんだから……。
マジで、夜の商売の店へ行こうかと思っていた。
寒くて震えて、座り込んでた。
あー、俺もうダメかも……。
何か盗んで、捕まって、そしたら雨宿りできるな……はは……。そんで、日本に送り返されると……。
こないだ泊めてくれたヤツに頼んでみようか……。
ヤバい事されかけたから、もう会いたくねぇんでけど……。
寒い……。
真っ暗だ……。
これが……人生、行き止まりってやつか……。
ウケる……。
逃亡生活、舐めてた……。
さっきから、震えるが止まらねえ……。
朝には死んでると思うと、
泣けてきた……。
すると、足を止めて、傘の下へ入れてくれた人がいた。
白髪交じりの彼は、こんな夜中に子供がいると、思ったらしい。
「君?立てるかい?」
顔をあげると、彼は、
「……あなたは、日本人ですか?」
と、日本語で言った。
俺は青くなって、逃げようとした。
けれど、足がもつれたし、腕をつかまれた。
「何も聞かないし、だれにも言いませんから!」
と、引き留められ、
どうしたい?という目で俺を見た。
「……一晩泊めてください……。」
雨粒まみれの眼鏡越しに見た彼は、
俺に同情して、優しく微笑んでうなずいた。
アパートの自分の部屋へ、連れて行ってくれた。
彼は一人暮らしだった。
質素な方だけど、雰囲気の良い部屋だった。
「寒かったでしょう。まずは風呂に入って。」
と、浴槽に湯を張ってくれた。
風呂から出て、彼の服を着て、リビングへ行くと、
温かい料理が用意してあった。
今まで泊めてくれた奴の中で、
俺のために料理を作ってくれた人なんて、いなかった。
「じゃあ、食べよう。いただきます。」
「……す。」
温かくて……美味くて……
かき込んで食った。
急に涙がこみあげてきて……
泣いた……。
彼は、優しく肩をさすってくれた。
「どうぞもっと食べて。」
温かくて、やさしかった。
俺が、どんな人間なのか、知らないのに……
明るく、もてなしてくれた……。
「仕事で、しばらく日本に住んでいたんです。」
と、彼は話した。
「日本は素晴らしい文化の、いい国です。」
と慈しむように微笑んだ。
「行くところがないなら、しばらくうちにいますか?
私は構いませんから。」
「……俺の名は、リョーヤです。
どうか、ここにいさせてください。お願いします……!」
深く頭を下げた。
「顔をあげてください。リョーヤ。私の新しい友達。
私はレミーです。よろしく。」
握手した。手も、笑顔も、温かかった。
ソファを寝どこに貸してくれた。
「おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」
明かりを消してソファ横になると、
遠くの車道の音と……
雨だれが、窓の外の手すりにあたる音、
部屋のどこかにある時計の音が……、
聞こえた……。
俺は、裸足でソファーを下りて、
レミーの寝室へ行き、
そっとドアノブを回した。
驚いた事に、鍵が開いていた。
音が立たないようにドアを開けて、部屋に入った。
ベッドに寝ている彼に近づき、
静かに、彼の隣に横になって……
彼の腕を、指先でなで……
耳に、顔を寄せた……。
彼は目が覚め、
俺を見て、そっと身を引いた。
「レミー、お礼をさせて。」
彼の手に、キスして……
指を舌先で撫でる……。
今まで俺を連れ帰ったやつは、当然のように俺を求めた。
もしくは、こうして近づくと、突き飛ばして怒った。
レミーは……
「……こんなこと、する必要ないんだよ……。」
と、涙をこぼした……。
「でも、私の隣のほうがよく眠れるんなら、ここにいていいよ。
この家では、自分が心地いいように過ごして。」
と、微笑んだ。
本当にいい人なんだな……。
「すみません、もう二度としませんから!」
俺は恥じて、部屋を出て、ソファーに戻った。
次の日、レミーは休日だった。
彼は、
「眼鏡を買いに行こう。」
と、店へ連れて行ってくれた。
俺の眼鏡は、長旅の間に、つるが折れて、レンズにひびが入っていた。
眼鏡はすぐにできた。
「レミー、本当にありがとうございます!」
「似合うよリョーヤ!」
それから知り合いの店へ行って、アルバイトをさせてやってほしいと頼んでくれた。
俺はピザ屋で働くことになった。
俺は、心からレミーに感謝した。
「たくさんの親切、本当にありがとうございます!
レミーは、俺の神様です!」
彼は驚いた。
「そんな!私は普通の人間だよ!」
ジェラートを買ってくれて、二人で川べりで食った。
天気が良くて、気持ちよかった。
「さっき、私の事を、神様だと言ってくれたね。」
「レミーは神様ですよ。」
「私はね……リョーヤが神様だと思いました。
今もそう思うよ。だから、放っておけないんです。」
「……。」
俺が……神様だって……?
……逆だぜ……。
俺は、父親を……
「リョーヤ……?」
ジェラート美味いぜ!って、笑って見せればいい。
でも、遅かれ早かれ、
俺が何で無一文でうずくまってたか、
話さなきゃならない……。
レミー、俺は、神様どころか、人間ですらないんだ……。
俺も……。
親父も……。
その日の夕方。
「レミー、誰にもしゃべらないでください。」
と、俺はリビングで上を脱いで、
彼に背中を見せた。
刺青を……。
俺は何があったか、説明しようとしたけど、息苦しくなってしまって、できず、黙っていた。
彼も、黙ってしまった。
彼は、片手を口に当てて考え込んだ。
出て行ってほしいと言われるかと思ったら、
レミーは深く反省した声でこう言った。
「私は、リョーヤを傷つけてしまった……。
昨日、日本文化をほめたけれど、
君を苦しめているものを、肯定したわけじゃないんだ……!
どうか許してほしい……!」
俺は驚いて、首を横に振った。
「そんなのわかってます……!」
俺のために、心を痛めて泣いてくれる大人……。
「辛いのに、見せてくれてありがとう……!」
俺は、レミーが好きになっていた……。
レミーは、日曜は必ず教会へ行くのだと話した。
「よかったらリョーヤも行かない?」
連れて行ってくれた。
レミーは、真剣に祈っていた。
俺は、旅の途中に書き溜めた短編を、レミーに見せた。
モバイルはどれも日本に置いてきたから、全部ノートに手書きだ。
彼は面白いとほめてくれた。
「落語みたいで楽しい!
リョーヤは喜劇の才能があるよ!」
「あはは!俺もそう思う!」
レミーとの暮らしは、幸せで楽しかった。
彼は、愛しそうな目で俺を見ていた。
俺は、彼の眼を見て訊ねた。
「レミー……俺のことが、好き……?」
「……。」
彼の眼が潤んだ。
「俺も好きだよ!」
彼を抱きしめた。
「レミーに出会わなかったら、俺は死んでたよ……!」
喜びのままにキスした……。
彼はうれし泣きして、俺を抱きしめた……。
温かな手が、背中を抱えて……
……するとなぜか……
……彼が触れたところは、
刺青が消えたように感じられた……。
不思議だった。
生まれ変われるような、期待感があった。
彼に、じかに触れられたいと思った。
そしたら、
あんなひどい目に遭って、
父親を殺す前の自分に、
戻れるんじゃないか……。
俺はキスしながら、シャツのボタンを外して脱ごうとした。
けれど、彼に止められた。
レミーは赤い顔で、申し訳なさそうに、
「無理なんだ。私が信仰しているのは、そういう宗教なんだ。
結婚するまでは、肌を合わせるのは禁じられてるんだ。」
「え?」
彼は、寝室へ引っ込んでドアを閉め、お祈りを始めた……。
レミーは口数が少なくなって、悩んでいるようだった。
俺も、傷ついて哀しかったし、悩んだ。
早くカネをためて、ここを出て行こうと思った。
レミーの信じている宗教は、同性婚は認められていない……。
レミーと俺が、結ばれる事は無い……。
優しいレミーを、悩ませたくなかった……。
リビングで、レミーが俺を呼んだ。
「リョーヤ。大事な話があるんだ。座って。」
と、微笑んだ。
俺は、彼の向かいの席に座った。
「リョーヤ、君を私の息子にしたい。
養子縁組をしたい。」
「……レミー……」
「私の気持ちを、知ってほしい。
私は君を愛している。
家族として、
友人として、
人間として。
そして今では……
恋心も抱いている。
リョーヤを守りたいと思っているし、
幸せも、苦しみも、
分かち合いたいと思っている。
君が私を必要としてくれているのなら、
いつまででも、ここにいてくれて構わない。
リョーヤはいい人間だ。
君を失うのは、とても悲しいことだよ。
だから、どんなことでも、私を頼ってほしい。
君が、新しい暮らしを望む日が来るまで、
私と一緒に暮らしてほしい。」
「……。」
俺は、つらくなった。
人殺しの俺が、
やさしくて強い彼の差し伸べる手を取っていいとは、
思えなかった。
そうだよ……俺は人殺しなんだ……。
うつむいていると、
レミーがやってきて、やさしく俺を抱きしめてくれた。
「リョーヤがどんな過去を抱えていても、
私はあなたを愛しているよ……。」
「……父親も、俺も、罪人だとしても……?」
「そうだよ。」
レミーの、迷いの無い肯定に、俺は後ずさる……。
「……。」
レミーに許されても、俺は……
彼に寄りかかれない……。
彼の言葉を、受け入れられない……。
たとえ受け入れても、
俺が罪人である事実は消えない……。
消してはならない……。
人として生きるなら、罪を背負ったまま、過ごさねばならない……。
同情に甘えて、レミーに背負わせてはダメだ……。
俺は、自分でこれを、どうにかしなくては……
いけない……。
……受け入れられなかったけれど、
俺は毎日、
レミーの言葉を掌に載せて、なでた。
「どんな過去を抱えていても、
あなたを愛しているよ……。」
優し過ぎて、美し過ぎて、
到底、俺には見合わない言葉だ……。
俺は……、レミーのような父親がよかった。
親父に拉致られる前は、
顔も名前も知らない父親に、ごく淡くだけど、思慕を抱いていた。
けれど……
本当の親父から、
思慕も、未来も、学歴も、人権も、何もかも、奪われ、壊された……。
だから殺して逃げた……。
優しいレミーに出会って、俺は彼に、理想の父親、大人を見ている……。
でもそれじゃダメなんだ。
俺を救おうと差し伸べる両腕に飛び込んで甘えたら、
優しいレミーを、
俺はいつか、壊してしまう……。
そう思えて怖かった。
毎日働いて、
小説を書いて、
レミーに見守られて、
過去を思い出して、
季節が移り変わっていった。
レミーが言った。
「語学学校で、この国の言葉を学んでみない?
世界が広がるよ。」
オンラインで授業を受け始めた。
頑張って勉強した。
半年後。
俺は、この国の言葉で、レミーに伝えた。
「俺は、父親に、拉致されて、監禁されてた。
だから、殺して、逃げてきた。」
レミーは
辛そうな、同情の眼をして
抱きしめてくれた。
それから、キスしてくれた。
「私を信じて、話してくれてありがとう。」
見る間に彼の目から涙がこぼれた……。
俺に同情して、
喉を痛めるほど泣いてくれた……。
レミーは素晴らしい人だ。
自分と戦って、俺を救おうとしてくれている。
だから俺は、決心した……。
その日の夜。
「リョーヤ。私の部屋へ来て。」
呼ばれてレミーの寝室へ行った。
彼はベッドに腰掛けていて、
「もう一度、背中を見せてくれる……?」
と言った。
「……。」
俺はTシャツを脱いだ。
レミーは、
「ここへ座って。」
と、隣を示す。
「背中に触れてもいいかい?」
「……少しなら……。」
レミーは、そっと、俺の背中の絵に触れる……。
俺は苦しくなる。
やっぱり、
見られるのも、触られるのも、つらい……。
レミーであっても。
俺は……
軽く背中にぶつかられただけで、動揺して、手に持っているものを落としてしまう。
バイト先でやらかして、背中を怪我してるのかと、聞かれた。
息をつめてじっとしていると、
レミーの手が離れた。
「……ありがとう。」
礼を言われ、俺はTシャツを着る。
彼の目を見て言う。
「レミーは、俺に、
どんな過去があっても愛してるって、言ってくれたよな。」
「うん。変わらず、そう思っているよ。」
「俺はレミーに……
辛さを見てほしいと思うし、
話を聞いてほしいと思う……。
楽になりたいと。
でも、
それで終わりじゃないって、わかったから……
どんな過去も、
苦しみも、憎しみも、罪も、
俺のものだから……
俺は、
自分で何とかやっつけて、
自分で幸せになりたいんだ……
そうしなきゃ、俺はこの先、
自立できねえし、
自由に生きらんねえんだ……。」
レミーはうなずいた。
「君が何かを覚悟したのは、気づいていたよ。
さっき私が触れたのは、
君が何と戦おうとしているのかを、もう一度知りたかったからだ。
でも、一人で難しい時は、必ず頼って。
いつでもなんでも構わないから。
サポートするよ。」
「ありがとう。
レミーが俺を愛してくれてるから、俺は前向きに、自立しようと思えるんだ。
……レミー。」
「なんだい?」
「俺がいつか、
これを克服したら、
この闇から出られたら、
俺と付き合って……。」
「ああ。いいよ。」
愛しそうに微笑んで
髪をなでてくれた。
俺たちは、キスした……。
俺は夜型人間になって、小説を書きまくって、文学賞を取って、小説家になった。
数カ月後、テレビでステファンを見て、恋をした。
父とのことを下敷きにした小説を書いた。
レミーは読んでくれた。
語学を頑張ったし、
なんとか、この国の国籍を取得した。
少しずつ、客観的に過去を振り返れるようになっていった。
ステファンのなじみの店を知って、
彼に会いに行った。
「ステファン、俺と付き合わねえ?」
リョーヤと付き合い始めて、間もないころ。
俺がリョーヤの背中を眺めて、そっと触れていると、
彼は苦しそうに言った。
『やっぱり、あんまし触らないでほしい……。』
『この国では、タトゥーはファッションだよ。』
でも、彼の国では、ずいぶん意味が違うらしく、
彼は、自分の背中の絵を嫌っていた。
消せない、忘れられないトラウマと、
セットになっているらしく、
触れると、苦しそうにした。
『自分で見えない分、
人から見られんのが嫌だし、
いろんなイメージが混ざってて、
余計につらいんだ。』
背中にトラウマを背負っている……。
彼を、苦痛から、救ってやりたかった。
でも彼は、
長い時間をかけて、
つらい記憶を
いくつもの小説に昇華させて、
自分で克服していった……。
俺は今まで、なるべく素手でリョーヤの背中に触らないようにしていたし、
彼のほうから話してくれるまで、背中の絵のことを言わないようにしていた。
「ステファン、
前にさ、俺の背中の絵を、美しいって褒めてくれたよな。」
「ああ。」
「やっと苦しみを吐き出しつくしたから、
触られても、つらくはならねえよ。」
色白の肌に、
モノトーンの流水と、
一匹の大きな魚(鯉と言う魚らしい)、
たゆたう花びらが描かれている……。
花びらと魚にだけ、
淡く色を差してある。
俺は、彼の背中を直に撫で、
モチーフ一つ一つにキスして、褒めた。
「こんなに美しくて見事なタトゥーは、初めて見たんだ。」
「タトゥーじゃなくて刺青だよ。タトゥーより、深く彫るんだ。」
相当痛そうだ……。
「……辛かっただろう。」
「体の痛みも確かに辛かったけど、それより支配される苦痛が、とにかくしんどかった。
刺青は、消せねえらしいから、彫られるのは心底嫌だったけど、抵抗できなかった。」
「……。」
俺はリョーヤを抱き寄せて優しく撫でる……。
「……刺青って、もっとカラフルだよな。」
「そうだな。今風の墨絵を意識した刺青なんだろう。
派手でこってりしたのは、流行んなくなったのか、
俺が不適応だから、色を足すカネを惜しんだのか……。」
「俺には、完成してるように見えるけど。
それに……
お前に似合ってる……。傷ついた?」
リョーヤはふっと笑った。
「そりゃあね。
でも、嘘つかれたり、ごまかされたりするより、スッキリする。
はは、……似合ってる、か……。
……なんでなんだろうな……。
アイツは、俺をどう思ってたんだろうな……。
殺す前に、一度でも聞きゃあよかったな……。
逃げて、忘れたくて、もがいて、
それでも考えるんだ……。
一度でもちゃんと会話するべきだったんだとか、
俺から全てを奪って、
こうして刻み付けて、
自分が築いてきた悪行を見せつけて……
押し付けて……
支配したかっただけなのか……
それとも……
いや、そんなの愛情じゃねえ。
単なる自己満足としか思えねえ……。
俺からしたら、呪いだ。
二度と顔も見たくねえ。
生きちゃいねえだろうけど。」
本当に彼の親父さんが死んだかどうかは、わからないけど、
リョーヤは、自分のことを親殺しだと思っている……。
「……。
……後継ぎ息子に殺されたんなら、本望だろう。母親に聞いてみたら。」
「母にも、逃げろっつったから、どこにいんのかわかんねえ。」
母親とは仲いいらしいから、何とか合わせてやりたい……。
「遺伝子解析とか、してみたら?」
親族の存命や居場所がわかる。
けれどリョーヤは、
「俺はまだ、今の自分を、自分で助けるべきなんだ。
自分で、決着をつけたいんだ。」
楽になるより、
痛みから、背負っているものから、
小説を描き出す方を選んだ……。
リョーヤが言う。
「ステファンが俺だったら、どうした?」
「え。」
「もしも、ステファンが、俺と同じ目にあわされたら……。
日常と、自由が奪われ、束縛されたら……。
暴力で、支配されたら……。
ステファンは……
親父を、殺した……?」
「どうだろう……。俺は……」
父親より
自分を殺すかもしれない……。
いや……
……持病で倒れた元凶……、
……俺の手には毒薬……。
……これを盛れば、逃げだせる……。
俺はリョーヤの眼を見て言った。
「……殺さなきゃ逃げらんねえんだったら、
俺もやってた。」
……リョーヤは……
……俺を見つめたまま……
……涙のにじんだ目で……
……ほほ笑んだ……。
……俺の手に触れて……、
……つぶやく……。
「たどり着いた……。」
リョーヤが、
俺にたどり着いた……。
長い旅をして……。
俺が、
リョーヤにたどり着いた……。
苦しみと、
殺意と、
毒薬を持って……。
リョーヤとつながった手を伝って、
俺の背中にも、魚が……。
リョーヤは、
息も、手も、震えている。
俺も、泣いている。
監禁されたのも、
背負わされたのも、
殺したのも、
俺……。
初めて、ひどく生々しく感じられる……
痛くて、苦しい……。
俺たちは……
お互いの痛みを食うように……
キスする……。
あの日から、
リョーヤと俺は、
繋がっている……。
リョーヤと付き合って、一年がたった。
「リョーヤ。俺と結婚してほしい。」
俺はプロポーズした。
「……ステファン……!」
リョーヤは嬉しそうに目を輝かせた。
「でも、向こうの恋人としたいんなら、俺は構わない。」
「ステファン、
レミーとは、恋人ではあるけど、
なんつ―か、キスしかしたことねえし、
歳離れてるから、息子みてえに思われてる。
結婚とか、考えたことねえ。」
「へえ。」
少しほっとする。
「あ、少しはやきもち焼いてくれてたんだ。」
と、おかしそうに笑う。
「俺は日本語しゃべれねえしな。」
「ステファンは、しゃべれねえほうがいいよ。」
学びたい気持ちはあるけど、そう言うと、こうしてそっと押し戻される。
「……。……新しいシャツ買ったんだな。似合うぜ。」
リョーヤは時々、着物の生地で作られた服を、ネットで買う。
「着心地いいぜ。ステファンにも今度買ってやるよ。」
「ありがとう。」
彼は、辛い目に遭って、日本を捨ててきたようなものだから、
シャツを着てるのを見るたび、俺は嬉しくなる。
後日。
「あっはは!めっちゃカッケー!」
リョーヤが買ってくれたシャツを着た。
無地だけど、色がオレンジ。
「リョーヤが買うみたいな、渋い、古典柄じゃねえ……。」
「俺は大抵、久留米か大島か浴衣だからな。
着物っていろんなのあるから、VRでステファンを着せ替えてて、面白かったぜ!
これなら外にも着ていけるだろ。
もっと派手なヤツと迷ったけど。」
ちなみにその派手なヤツは、紫地に、カラフルな花模様が描かれたシャツだった。
手帳で見せてくれた。
「こんな豪華でち密な絵柄の衣装は、見たことねえ……。
……着てほしいんなら着るけど。」
「……ステファンは男前だからな、やっぱ、シンプルなほうが引き立つんだよな。
ボタン、もう一個外して、裾を出して。」
言われたとおりにする。
リョーヤはテーブルに頬杖をついてにっこりする。
「いい感じだ。」
「ありがとう。大事に着るぜ。」
彼にキスした……。
うれしいし、気に入った。
でも、
彼の買い物は、いつも高額……。
たぶんこれも、家賃の半分くらいの値段がする……。
彼はにこにこして言う。
「普段着にしてほしいな。」
俺はいつも古着屋の安価な服だ……。
「ああ、そうするよ。」
リョーヤのためだ。汚さねえように気をつけよう。背筋が伸びる。
「あ、ちなみに元は、よそ行きの女ものの着物だぜ。」
「へえ。」
小柄な黒髪の女性が着ているところを想像する。
「ステファンがかわいく見える。はは!」
楽しそうで何より。
穏やかな日差し。
緩やかな風に、
波の音。
柔らかにきらめく
木漏れ日。
ヨットの浮かぶ
海……。
地中海の、孤島の村に、僕らはいる。
静かで居心地のいい、宿の部屋。
僕は彼に微笑む。
『アドルフ。そのシャツもハーフパンツも、良く似合ってるよ!』
彼は、淡い砂色の半そでシャツを着ている。
とても着心地の良さそうな生地だ。
彼は、いとおしそうに僕に微笑む。
『ルイスのシャツも、良く似合ってるよ。』
僕のシャツは、白地に花々が三日月型に散らばっている柄。
この生地も、さらっとしていて着心地がいい。
『ふふ!ありがとう!』
開け放った窓に、レースのカーテンが揺れている。
バルコニーから、きらめく海が見える。
僕はアドルフに笑いかけ、
指を絡め、
寄り掛かる。
幸せで、温かくて。
ずっとこうしていたい……。
アドルフが、やさしく僕に微笑む。
『ルイス。』
僕も微笑む。
『アドルフ。』
幸せで、幸せで……
なんだか久しぶりに会ったような気がするし……
目一杯甘えちゃう……!
「アドルフ〜!」
彼は笑って、髪を撫でてくれる……。
けれど急に、
全く別のほうから声が聞こえてくる。
「ルイス!ルイス!?」
……ステファンの声だ……。
地下みたいに反響している。
アドルフの声が掻き消され、
アドルフも、何もかも、
消えていく……。
え……
寒い。
すごく寒い……
ガタガタ震えてくる。
たった今まで、
居心地のいい宿で、
アドルフと寄り添っていたのに……。
え……?
暗くてぼんやりした頭。
僕はどうしちゃったんだろう。
アドルフはどこ……?
目を開けると、
僕は、地下駐車場の床に倒れていた……。
ステファンが走ってきて、すぐ近くに立ち止まっ両膝を床につく。
「ルイス!?」
「ス……テファン……」
僕は凍えていて、起き上がれない……。
ステファンに抱き起こされる。
ああ……そうか……。
アドルフは、
とっくにいないんだった……。
瞬間、
さっきまで、幸福で温かかった僕の心は、
沢山の氷の矢で、
ズタズタにされる……。
痛くて……
寒い……。
「怪我は!?」
「ない……。たぶん。寒い……」
ステファンは僕に自分のマフラーを巻き、自分のコートを着せた。
ステファンに背負われる。
彼は歩きながら言う。
「悪い。どうもありがとう。」
「いいえ。」
と、ステファンのヘッドセットから、彼のマネージャーさんの声。
彼女が、僕を見つけたらしい……。
ステファン……
ステファンはいいな……。
味方や仲間や、恋人がいて……。
車にたどり着いて、僕を助手席に乗せると、ステファンは車を発進させた。
コートには彼の体温が残っていて、少し僕の心も温めてくれた。
でも、まだまだ全然足りない……
ステファン……
もっと僕に頂戴……。
ステファンの愛で……
もっと僕を温めて……。
それとも一緒に……
アドルフのところへ……
行かない……?
うちのソファーで、ルイスが寝ている……。
ステファンが連れ帰ってきたから……。
ルイスは普段、明るくてテンション高えけど、
酒が入ると、同じテンションで闇に落ちるらしい……。
死にたがるから、ステファンはルイスが酒を飲むたび、迎えに行って、連れ帰ってくるらしい。
俺がここに住み始めてから、今日初めてルイスが来た。
彼と会うのは、二度目。ステファンから、
『弟みてえなもんなんだ。』
と、二ヶ月前に、紹介されて以来。
俺にとってルイスは、迷惑以外、何物でもねえ……。
寂しがり屋の、愛されたがりの、無邪気なガキで、
面倒見のいいステファンに、べったりなついてる……。
『あいつはあれで、辛い目に何度もあってんだ。』
ステファンは優しいから、
かわいそうなルイスを放っとけないらしい。
……俺のこともそうだ。
背中の絵の話を聞いたから、
俺と離れられなくなった……。
かわいそうだから、なんて、まっぴらなのに……。
けど……
ステファンに救われたいと思っている、自分がいる……。
ステファンはステファンで、
アドルフさんを失った痛みや暗闇を、無くしたいと思っている……。
俺を愛することで、忘れようとしている……。
俺とステファンの……
孤独で弱いとこが……
響いて……繋がって……
二人で生きている……。
ステファンは、ルイスとも……。
ステファンが担いできたルイスは、青ざめて震えていた。
駐車場で倒れてたらしい。
真冬なのに、コートをどっかに置いてきたらしく、薄着で。
ステファンは、自分のコートを着ているルイスを、
ソファーに座らせ、毛布でくるんでやった後、
風呂に湯を張りに行った。
俺がルイスに近づくと、
彼は、俺を見上げてほほ笑んだ。
それから、酒の匂いのする息で話す。
「リョーヤさん、死にそびれちゃいましたよ……。」
ステファンに電話したことを忘れて、凍死する気だったらしい。
「ねえ、リョーヤさん、僕と恋愛しませんか?」
……俺をなんだと思ってんだ?
「死にたい奴と?ステファンと別れて?」
俺は鼻で笑う。
そもそも、ルイスとはありえねえ。
ルイスは俺を見つめて微笑んで言う。
「ふふ。じゃあ、僕を殺してください。」
胸の奥が裂けて、
血が湧き出す。
俺が人殺しだって、
知ってて言ってんのか……?
ちょっと首を絞めてやろうか……。
マフラーをほどいて、
折れそうに細い首に手をかけたら、
ルイスはきっと、嬉しそうに笑うだろう。
アドルフさんのところへ行けると……。
それはきっと、ステファンも同じ……
『アドルフに、生きるって約束した。』
と話していたけど、そう思っている向こう側では……
アドルフさんのところへ行くことを、望んでいる……
俺は……ステファンに縋りついて言いたい。
ステファン!俺だけを見て!
ルイスが起き上がり、物音のする風呂場のほうを見る。
ふいに……
ルイスがステファンの手を引いて……
道連れに心中しようとしているように思えた。
……もし誘われたらステファンは、
俺を捨てずにいてくれるだろうか……
振り向かずに……
ルイスと一緒に逝ってしまうんじゃないか……
嫌だ……!連れていくな……!
俺は拳を握りしめる……。
「……甘えてんじゃねえ……。
死にてえんなら、死ぬ気で生きろよ……!」
睨むと、ルイスは笑った。
「はは!かっこいい!
……僕だって、そうしたいですよ……。
でも……
そうできるような出会いがないと、僕は頑張れなくて……。
真っ暗で、苦しいんです……。
……あ、そうだ、付き合うのがダメなら、
一回だけでいいから、僕とエッチしてくれませんか……?
何されてもいいし、なんでもしま」
俺はルイスの頬をはたいた。
ルイスは反動で倒れる。
背後からステファンの声。
「リョーヤ!」
ステファンに見られた。
俺は振り返って少し笑う。
「こいつ、そーと―壊れてんな。」
ステファンは俺の腕をつかみ、引っ張って、ルイスから離れたところへ連れていく。
彼は小声で言う。
「ルイスは、酔ってるときの記憶が飛ぶんだ。
何言われても聞き流せ。」
ステファンの眼をじっと見て言う。
「……ルイスは自分のことしか見てねえ。
ステファン、
ひとりで生きてるやつに関わってると、
ステファンまでボロボロになるぜ。」
そんなこと言ったって、
ステファンはルイスを捨てらんねえってわかってる……。
「……今はそう見えるかもしれねえけど、普段はいいやつなんだ。
こないだ一緒に食事した時はそうだったろ。」
「……。」
明るくて、頭の回転が速い、優秀な医学生……。
よく笑って、人懐っこい、犬みてえなヤツ……。
だった。
『じゃあ、僕を殺してください。』
その実、中身ズタボロだな。
……もしルイスが闇に飲まれて死んだら、
大事な弟みてえに思って情をかけている、ステファンが傷ついて、穴が開く。
それはごめんだ。
不愉快だけど、ステファンのために、
俺もルイスを生かさなきゃなんねえ……。
俺はため息をついて、ルイスを見る。
「……ステファン、あいつ、一人で風呂に入れねえだろ。」
ルイスはまだ蝋みてえに顔が真っ白で、ソファーに倒れて震えている。
「手伝ってやるよ。」
嫌だけど、そうすれば、ステファン一人でアイツを脱がさずに済む。
ステファンがルイスを支えて、俺が脱がせた。
シャツとズボンを脱がせ、腰にタオルを巻いてやる。
「すみません、リョーヤさん……。」
半裸で床に座ってるルイスにステファンが言う。
「あっち向いて。下着は自分でおろせよ。」
「ん……」
俺はそっぽを向く。ルイスは、
「僕は別に見られたってかまわないけど。タオルがもったいないし。」
ほどこうとする。ステファンが、その手を掴んだ。
「いいから巻いてろ。」
タオル一枚になったルイスを二人で支えて、湯船に入れる。
「あ……あったかい……!生き返る……!」
まだ酒が抜けてねえみたいだから、ぬるい湯。
それでも十分心地いいほど、冷え切ってるらしい。
「二人とも、ありがとう。僕のことなんか、見捨てていいのに……。はあ……気持ち良い……。」
ステファンは、じっくりとルイスの体を見ている。
前に何度も、見ず知らずの男と、行きずりにホテルへ行ったことがあるらしいから、そういう痕跡を探してるんだろう。
「どっか痛いとこねえか?」
「ここ。」
と、頬を指す。
俺がはたいたとこが、少し赤くなってる。
「そこだけか?」
「うん。」
ルイスが笑いだす。
「はは!ステファン、僕のことよりリョーヤさんの心配してあげなよ!
毎回エッチするときしんどい思いしてるだろうから!」
「!」
ステファンが、俺を見てからすまなそうに目を伏せる。
ステファンは優しいし、全然何ともねえって、いつも言ってんだけど。
ルイスが、
「いーなー。辛くてもいいから、恋人欲しい……。」
と、目を閉じる。
……。
……寝たか。死んだか。
少しずつ、湯に沈んでいく。
ステファンが叫ぶ。
「……ルイス!起きろ!」
彼はビクッとして、
「!?……あれ!?ステファン!リョーヤさん!
え、やだな、何?この雰囲気とシチュエーション……!」
と、驚いて笑っている。
記憶がリセットされたらしい。
ステファンがため息をつき、腰に両手を当てる。
「はあ……確かに壊れてるな……。」
ステファンとふたりで、
うとうとしてるルイスを風呂から出して、拭いてやって、
下はバスタオルを取り替え、上はパジャマを着せてやって、(ルイス用のパジャマが用意してある)
ソファーへ連れて行った。
と、そこまでが数時間前のこと……。
ルイスは今、ソファーで寝ている。
スヤスヤよく寝てやがる。
『夜中に席を立つついでに、ルイスを見てやってくれないか。』
って、ステファンに頼まれたから、様子を見にきた。
俺は、ルイスのそばにしゃがんで言う。
「……お前には、ステファンがいる。
……あの時の俺より、よっぽど幸せだぜ……。」
二十二の時……。
知らない街で……
一晩の宿を求めて、男に声をかけてた俺……。
孤独で、苦しくて、寂しくて、真っ暗で、粉々で、
相手は誰でもよかった……。
なるべく人のよさそうな奴を選んだけど。
それでも目ざといやつが寄ってきて、ラブホに連れてかれて、嫌な目に合った。
レミーに出会わなかったら、
俺は確実に壊れ切って、
自死してた……。
……レミーが俺を連れ帰って泊めてくれたあの日、
お礼をしようとレミーのベッドにもぐりこんだ時、レミーは、
『この家では、自分が心地いいように過ごして。』
と言った。
……さっきルイスに、寝てほしいと誘われた俺は、
ステファンにも同じこと言って絡んでんのかと
頭にきて、はたいた。
俺は、そういう人間なんだ……。
レミーみたく、誰にでも優しくできるほど、強くねえ……。
馴れ馴れしく絡んでくるルイスを振り払って、突き飛ばした……。
「死にてえんなら、死ぬ気で生きろよ!」
『でも……
そうできるような出会いがないと、僕は頑張れなくて……。
真っ暗で、苦しいんです……。
……あ、そうだ、付き合うのがダメなら、
一回だけでいいから、僕とエッチしてくれませんか……?
何されてもいいし、なんでもしますよ。』
愛してください。
身体だけでもいい。
じゃなかったら、殺してください。
「ルイス。はたいて悪かった……。
ひとりで生きてるなんて言って、悪かった……。」
『今夜一晩、泊めてもらえませんか。なんでもしますから……。』
愛されるわけがねえ。
何されるか、わからねえ。
殺されても、何も言えねえ……。
暴力は二度とごめんだったけど、
一晩だけの関係でも、求められたかった。
体だけでも、価値がほしかった。
親切な人に気に入ってもらえれば、関係を続けられるかも……。居候させてもらえるかも……。
そう期待してた。
怖くて必死だった俺は、そんな風にでも人と関わって、活路が開けるチャンスを待っていた。
藁一本でもいいから、希望がほしくて探してた……。
でも、報われねえ事の方が多かった。
背中の絵に気付かれて、見られて、触られんのは地獄だったし……。
それでも、そういう事を仕事にしたら、
背中ごと身体を売って金に変えたら、
割り切れんのかな……と思ったり。
金が底をついたのは、割と自業自得だったから、笑えた。
監禁されてた反動で、好き放題してたってのもあるけど……。
悪かった……。
そうせざるを得なかった、俺……。
「死ぬ気で生きろよ!」
あの時の俺は、そんな事言われても、
自分とは縁遠い人だなと思って、
「そういう事言えるって、幸せだな。」
と羨ましく思って、立ち去っただろう……。
少しは、ルイスにやさしくなろう……。
翌朝。
パジャマにガウンを羽織ったルイスが、
俺の横で朝飯を食ってる。
ステファンが心配そうに言う。
「ルイス。二日酔いとか大丈夫か?」
「うん。少しだるいけど平気だよ。」
「昨日はどこで飲んだんだ?」
「初めて入った店で、いい感じで、お酒もおいしくて、気分良かったんだけど、
来る客がカップルばっかりで、寂しくなっちゃって、ステファンに電話したんだ。
そしたら、ステファンにもリョーヤさんがいること思い出して、
また寂しくなって泣いたとこまでは覚えてる。」
「お前、凍死するとこだったんだぞ。」
ルイスは驚く。
「えー!?ごめん……!リョーヤさんもすみませんでした。」
心から謝っている。
俺はルイスの顔を見て言う。
「マジでなんも覚えてねえの?」
「?はい。」
「……。」
俺に何言ったかも、全部忘れてるらしい。
俺が言った事も……。
なんかもう、遠い人って感じだ……。
ルイスは、俺の影響なんか受けない、白くて、自由で、遠いヤツなんだ……。
ステファンはため息をつく。
「駅まで送ってってやるからまっすぐ帰れよ。」
「今日は休みでしょ、もう少しいさせてよ。だるいんだ。」
と言ってから、ルイスは自分の頬に手をやる。
「ねえ、ここ赤くなってるんだけど知らない?」
俺は嘘を言ってやる。
「ルイスが俺を襲おうとしたから、ステファンがはたいたんだ。」
「えー!意外!ステファン、そんな独占欲強かったんだ!
アドルフの時もそんな感じなかったのに。
あー、そうだよね。僕は邪魔ものだよね!帰るよ。ごちそうさま!」
帰ろうにも、ルイスは上着がない。
「俺の上着貸してやるよ。」
と、言って用意してやる。だからとっとと帰れ。
ルイスは嬉しそうににっこりして言う。
「リョーヤさんって、いつもやさしくてかわいくて最高ですね!
後で、旅行中に隠し撮りしたステファンの写真送りますね!」
「は?」
俳優業で隠し撮りに敏感なステファンは一瞬嫌そうにしたけど、あきらめて、ため息をついた。
後日。
飛行機やバスで移動中、居眠りしているステファンや、
絶景を悠然と歩くステファンや、
知らねえホテルのベッドでぐっすり眠ってるステファンの写真が送りつけられてきた。
やっぱ……ほんとルイスは、俺をイラつかせんのがうまいよな……。
元のデータごとよこせ!
俺は車を運転しながら、ルイスに言う。
「悪かった。」
リョーヤの上着を着たルイスは、
「いいよステファン。僕がリョーヤさんに手を出そうとしたのが悪いんだ。」
と、ルイスは赤くなっている頬に触れる。
「俺じゃなくてリョーヤだ。」
「ああ……そっか……そりゃあ怒るよね。
リョーヤさん、割と嫉妬深いもんね。
僕がステファンを襲おうとしたら、平手どころじゃ……あれ?」
「俺はその場にいなかったけど、お前ら二人で会話してたんだ。
お前がなんか、あいつの癇に障ること言ったらしい。」
「何言ったのかなあ……僕……。」
「ルイス。寂しいんなら、ときどきうちに来いよ。」
「え……リョーヤさんに悪いよ……。」
「凍死されるよりマシだって言ってた。」
「ああ……そっか……。
ふふ。じゃあ、今度からはステファンちで飲むね!」
「酒はナシだぞ!」
「……。」
ルイスは黙った。
「えー!どうして!」
とか言うと思ったから、どうしたんだ?と、彼の顔を見る。
ルイスは目を伏せて、弱弱しく言う。
「……アドルフとも……お酒は適量って約束したのに……
何やってるんだろうね……。」
ルイスが涙をこぼしている。
「バカだよね……。僕ってホントに……」
ぽろぽろと、涙がシートベルトとコートに落ちる。ベルトは撥水なので、全部リョーヤのコートにしみこんでいく。
「あ、ごめん、これ借り物なんだった!」
セーターの袖を引っ張り出して、目をぬぐっている。
俺は車を路肩へ寄せる。
「ルイスはバカじゃねえよ。」
頭を撫でてやった。
ルイスはうるんだ目で俺を見て言う。
「このまま……
一生一人だったらどうしようって、
毎晩悲しくなるんだ……。」
「大丈夫だよ。ルイス。」
ティッシュを差し出してやる。彼は礼を言って受け取り、目を拭く。
「うう……僕ほど孤独で寂しい人はいないと思う……!」
俺はふっと笑う。
「そういうこと言える相手がいるのは、孤独じゃねえと思うぜ。」
ルイスは俺の眼を見る。
「……ステファンってそういうとこ男前でいいよね。」
「ルイスはちゃんと頑張れてる。
ちゃんと見てて、評価してくれてる人が、必ずいる。
だから、絶対、自分自身をあきらめるんじゃねえよ。」
「……ありがとう……。
どう生きていったらいいのかも、全然わかんないんだけども。」
「おいおい見えてくるさ。
今できることをしながら待ってても、損はねえと思うぜ。」
「……。」
やっと泣き止んだ。
ルイスは言う。
「僕ね、今の見た目が、僕の人生の中で一番だと思うんだ……。
最高に可愛くて、かっこよくて、美しいと思うんだよね……。
だから、これからは下り坂だと思うと怖くて……。
僕は、そういう研究をしようかな。老化を遅らせる研究。」
そんなこと考えてたのか。難儀な奴だな。
「いいんじゃね。アドルフの病を治すって夢は?」
「それも叶えるよ!
ステファンはいいよね。きっと五十年たっても魅力あるよ。」
「努力する。」
ルイスは急に元気な口調で言う。
「そうだ、今度ステファンちで、ステファンが出てる映画を見ようよ!」
「それは勘弁してくれ。」
ようやく機嫌良くなったな……。
俺は目をつぶってハンドルに肘をつく。
「なんで?いろいろ裏話聞かせてよ!」
「いやだ。メイキングとか、オーディオコメンタリー付きのを一人で見てくれ。うちで見るなら、俺の出てねえ映画にしろ。」
「うーん、仕方ないな。じゃあ、ホラーで。」
「ホラーもやめろ!」
「あはは!ホラー映画出たことある癖に怖いんだ!」
「機嫌直ったな。駅すぐそこだから降りろ。じゃあな。」
鍵を解除する。
「ひどい!追い出さないで!」
犬みてえにしがみついてくる。
「わかったよ。お前んちまで運転してやるから。」
まだ俺の袖を放さない。
ルイスは寂しい子犬みたいな目で、俺を見つめて言う。
「……ステファン、僕の恋人になって。」
コイツは会うたびに一度はそう言う。
俺は微笑んで、やさしく言ってやる。
「今度の旅行、楽しみにしてるぜ。」
ルイスの目が見開かれ、頬が染まる。
「ステファン!今の言い方、すっごくいい!もっかい言って!」
普通に言う。
「宿は山小屋で、客全員、雑魚寝だからな。」
ルイスが残念そうに嘆く。
「ああー!台無し!」
「あはは!」
俺は運転しながらルイスに言う。
「なんか歌えよ。この車、ステレオ調子悪いんだ。」
ルイスはノリノリで歌い始める。
楽しい。
素面で機嫌良い時のルイスは、いいやつなんだけどな。
俺は、何度願ったか分からない……。
アドルフさん……
お願いです……
ステファンを……
解放してやってください……。
もう、忘れさせてやってください……。
と……。
アドルフさんのことを思ってる時のステファンは、
空気でわかる。
ああ、また、
悲しんでる。
寂しがってる。
彼の目が、ここではない空間を見て。
俺じゃない人を求めて。
今でない時間に、行きたがって。
そのたび俺は思う。
どうしたらいいんだろう。
どうしたら俺は……
アドルフさんに、勝てるんだろう……。
苦しくて、
悲しくて、
ステファンに縋り付いて、
アドルフさんを忘れてくれと、叫びたいと、
何万回も思った。
でも、そんなことしたって、
「ごめん……。」
と、言われるだけ。
ちげえんだよ!
謝ってほしくなんかねえんだよ!
そんな言葉、聞きたくなんか……!
…………
ステファン……
ただ……
……俺だけを見てほしい。
この悲しみと
苦しみを
消してほしい……。
ステファン。
もうやめようぜ。
こんなつらいことは、
もう……
ステファンがルイスと旅行に行ってる間、
俺がどれだけ不安か、ステファンは知らねえ。
もし、二人が事故って死んだりしたら……
アドルフさんをしのぶ旅の途中で……
アドルフさんのところへ行っちまったら……
二人にとって、本望でしかねえ……。
そしたら俺はステファンの隣へ行って、
後を追おう……。
毎回、そう思って過ごしてんだよ。
だから……
「ただいま。」
って、帰ってきた姿を見て、
毎回、スゲーほっとして、うれしいんだ。
それで、
疲れてるだろうけど、
俺の部屋へ呼ぶんだ。
そうするとステファンは、
次の日大変でも、必ず来てくれる……。
ステファンは、いくらかスッキリして帰ってきてる。
同じくアドルフさんを思っているルイスと過ごして、
寂しさを共有したから。
旅の香りのするステファン。
俺は、その香りを消すのが好きだ……。
俺のベッドで……
いつもより多く褒めて……
いつもより多く触れて……
いつもはしないことをして……。
どうしたらステファンが俺に夢中になるか、
いつも考えてんだよ……。
僕は、旅行中、
同じベッドで眠っているステファンを……
何度か触ったことがある……。
ステファンが好きだし、
興味があるから、でもあるけど、
アドルフが愛した体だと思うと、
触れたくなるんだ……。
アドルフの愛し方は知ってるけど、
アドルフが、ステファンから、どんな風に愛されたかも、知りたい……。
「ねえ、ステファン。アドルフにしたみたいに、僕を抱いてよ。」
ステファンは僕を睨み、ため息をつき、
「無理だ。」
「僕も演技するからさ……。」
アドルフの声色を真似る。
「ステファン、おいで。」
「……。」
彼は仕方なく、僕に近づく。
僕らは顔を寄せ合い……
キスする……。
お互いを……
通り抜けて……
向こう側の遠くにいる……
アドルフのもとへ……
行けたらいいのにな……。
ステファンが離れる。
やっぱり僕じゃダメなのかな……。
と、思っていると、彼は話し始めた。
「アドルフが初めて俺の部屋に来た日……。
アドルフに聞いたんだ。
五年前は、いつだって俺とできたのに、そうできなくてつらかっただろって。」
初めて聞く話だ!
「アドルフはなんて?」
「君は時々、夜中に寝ぼけて僕を触ってたんだよ。それで十分だった。って……。」
「あはは!なーんだ!よかった!ちゃんとしてたんじゃん!かわいいな!」
でも逆は……
「アドルフは?ほんとに全然触ってくれなかったの?」
「ああ。だから、何度か勝手に手を借りた……。」
そっか!
「あはは!かわいいなー!アドルフもステファンも!
そっかー。……ステファン、その時と同じこと、僕にもしていいんだよ?僕の手、好きなだけ使って?」
「……悪いけど、ルイスはもともとタイプじゃねえんだよ。」
「!」
こんなにバッサリ切られたのは初めてだ!
「ショック……!僕はステファン断然ありだよ!?僕のどの辺がダメなの!?」
「性格。と、顔。」
そんな!
「どうにもならないじゃん!」
「ならねえな。」
「ステファンー!ぼくにときめいてよー!
こんなにきれいでかわいいのにー!
なんで―!どうして―!」
ステファンを揺さぶる。
「そういうとこだよ……。」
「うう……。」
アドルフの真似をする。
「ステファン、ルイスにやさしくしてあげて。」
「そんなこと一言も言われなかったな。」
動じない。ダメか。
僕は手帳をいじって画面に話しかける。
「アドルフ。ステファンがひどいんだよ。ぐすん。」
ステファンがちらっと覗き見る。とたん、
「見せろ!」
手帳を奪い取ろうとする。
まだステファンに見せたことのないアドルフの写真だから。
「やだ!」
「見せ」
「見たかったら僕の要望少しは聞いてよ!」
ステファンはため息をつく。
「はぁ……。
……アドルフは……
上手かったよな。ベッドで、何をしても……。」
「え、」
思い出がよみがえる。
「そう……!そうなんだよ!
経験値低いはずなのに、天性っていうか!
もう、いろいろ教わることが多かったよね!」
「声がまたセクシーで……。」
「そうそう!
ちょっと恥じらって喘いでる感じがもうたまらなくて!
あんな美しくてかわいい人、二人といないよ!
あれ。」
いつの間にか、僕の手帳がない。
ステファンが持っていて、画面を見ている。
「あ!僕のアドルフ!」
取り返そうとしたけど、
「すごくきれいだ……」
と、見とれて、大事そうに眺めているステファンの表情を見て、僕は折れた。
「もう、しょうがないな!送ってあげるよ!」
「うん。ありがとう。」
キュンとする。
「そんないい笑顔初めて見たよ!?」
僕は病室で、アドルフの隣に寝そべって言う。
「ねえ、アドルフ。
一度、ステファンと三人でしたいな……。」
アドルフは少し考えてから、
「……たぶんそれは、ステファンが嫌がると思うよ。」
「だよね~。」
病室へやってきたステファン。
「ん?アドルフは?」
「今検査。看護師さんとほかの部屋へ行ってる。」
「ああ。」
「ステファン、あのさ、三人でしない?」
「何を。」
「もちろんセッ」
「いやだ!ぜって―いやだ!」
「そんなに全力で拒まなくても……。うるうる。」
「ルイスに三人でしようって持ち掛けられた。」
と、ため息混じりに報告すると、アドルフは苦笑して、
「はは、ルイスは好奇心旺盛だから。」
「アドルフはしたいって思ってる?」
「僕は、ステファンが大切で、ルイスも大切。
だからね、ルイスがしたくても、ステファンが嫌なことは僕もしたくないよ。」
「もし俺が……してもいいって言ったら?」
「そうだね、……僕にもっと体力があって、
ルイスがステファンに興味津々じゃなくなったらかな。」
俺は噴き出す。ルイスの人格変わって俺への興味失くしたら、三人でしょうなんて言わなくなるだろう。
だけど……
アドルフはしたいと思ってるんだ……。
アドルフも笑ってる。
「ルイスがごめんね。あの子はあのまま大人になるかもしれないな……。」
「謝んねえでいいよ。
別にアイツが嫌いなわけじゃねえし。いくらか気に食わねえだけで。
俺もアイツも、アドルフを愛してるんだ。
ルイスを嫌いになんかなれねえよ。」
「……ステファンは、ほんと、やさしい子だね……。」
「あのガキに俺を好き勝手されんのが嫌なだけだ。」
「ははは!」
「身も心も全開で、気が知れねえ……。」
でも……
いつかルイスに救われる……
アイツの愛に……
感謝する日が来る……。
そんな予感がしていた……。
アドルフが幸せそうに言う。
「ルイスが、ステファン大好きって言ってたよ。
イケメンで、顔中キスしたい!だって。」
「あいつのなつき方は犬だ。尻尾が無いのが不思議でしょうがねえ。」
「ははは!」
あれから五年……。
ルイスが俺を見つめて言う。
「一度でいいから、三人でできたらよかったのになって、やっぱり思うけど。」
俺のわがままで叶わなかったわけだから、アドルフに対してそれなりに申し訳なく思ってるけど、やっぱり無理だ……。
「なんでお前に見られて見させらんなきゃなんねーんだよ!いやだ。」
「ほら、少し離れて、官能的なアドルフを見られるし!」
「お前とくっついてるとこをだな。いやだ。」
「アドルフは嫌がってなかったよ?」
「アドルフがしたがってたかどうかは、わかんねえだろ。」
と、いうことにしておく。
「したいなって顔だったよ。二対一だよ。」
「それ、今、俺に肯定させてどうする気だよ。」
ルイスは自分の胸元の指輪に触れる。
「そりゃ、アドルフをしのんで二人で」
「断る!」
ルイスがアドルフの声色で言う。
「喧嘩しないで。」
「うぜえ!」
ベッドで……
リョーヤが……
俺の背骨を食んでいる……。
「お前は、俺の顔より、背骨が好きなのか?」
リョーヤは、毎回必ず俺の背骨を見たがるし、触りたがる。
「俺は、ステファンの全身が好きだぜ。
中でも背骨が一番、食いごたえがある。」
俺は笑う。
「リョーヤは肉食だもんな。
なるべく噛まないでくれよ。」
俺が俳優業だから。
「わかってるよ。噛んでいいのは、この中だけ……。」
と、インナーのウエストベルトを軽く引っ張った。
彼はかがんで、俺のインナーを下げる……。
そして、腸骨を噛む……。
リョーヤはたびたび、俺の腸骨を噛む。
「お前、骨好きだな……。」
「骨のそばが一番うまい。」
「こないだローストチキン作った時も、同じこと言ってたよな……。」
「チキンよか、ステファンのほうがうまい。」
「そうかよ……。」
彼は起き上がって、得意げに俺の目を見て言う
「ステファンは、俺の口が好きだよな。」
「……。」
「たまに見とれて、話聞いてねえときあるもんな。」
リョーヤの口は魅力的だ……。
初めて会った時、目を奪われたのも、口だった……。
声も魅力的で、声質と口の動きに頭を持ってかれてしまって、話しの内容が入って来ない事がある……。
「悪い……。」
彼は楽しそうにニヤッとした。
その口の形も好きだ……。
「……だから、俺たち相性いいよな。
俺は、ステファンを食いたい。
お前は、俺の口に食われたい。」
俺は笑って言う。
「口だけじゃねえよ。リョーヤの全身が好きだぜ。リョーヤの、全部が好きだ。」
リョーヤも笑う。
「あはは!……それじゃ、ステファン、あれして。」
と、俺の耳元でささやく。
リョーヤが吹き込む声は……
甘くて……ぞくぞくするし……。
言葉は、
小説家なだけあって、
引き込まれる……。
彼が言い終わって離れるころには、
俺は……
彼の術にはまって……
とりこになっている……。
誘うのも、注文するのも、リョーヤのほうが、ずっと多い。
それだけ、俺のことを考えてくれてるってことだ……。
俺は……
彼が、がっかりしないように、
それらにこたえる……。
嬉しそうに感じているリョーヤの相手をしていると……
俺も夢中になってきて、
満たされていく……。
リョーヤが唐突に言う。
「狂気……。」
彼を見ると、口元をあげてこちらを見ている。
「……キョウキ?」
魅力的な口と声で、リョーヤが言う。
「ステファンには狂気がねえよな。」
「……。」
それは彼にとって良いことなのか、そうでないのか……。
「うらやましいぜ。」
にっこりしている。俺はほっとする。
「狂気……。」
「そうそう。カオスに飲まれてパニクる、我を忘れる。
抑圧を受けて、暴走する。
恐怖に凍り付いて、何も考えられなくなる。とか、とか、
狂気に支配された、振り切れて壊れた状態。」
「……怖すぎると壊れると思うけど、考えたくねえ……。」
「ステファンは怖くても判断力無くさねえだろ。
ステファンは、どんな時も人に気を使える。
そういう筋力がある。
何かに没頭してたり、考え込んでるとき以外はな。
それに、何にも押し流されねえ。」
「俺は岩じゃねえ。」
「はは!ステファンは、人として備わっているべきものが、みんな揃ってんだよな。」
「全然完璧じゃねえよ。リョーヤのほうが頭良いし、話がおもしろいし、魅力あるぜ。」
「知性があっても話がうまくても、補えねえ人間性の厚みってのがあんだよ。
ステファンのファンは、みんなそこが好きなんだぜ。
なに演じてても、ステファンの安定感ある良い人間性がにじみ出てるから、安心して見てられんのさ。」
公平で、多角的なリョーヤの視点は、信頼している。
そんな彼に褒められると嬉しい。
俺は微笑んで、彼を、両腕で作った輪に入れる。
「褒めてくれたお礼をするぜ。何が良い?」
彼は照れて笑う。
「はは!」
リョーヤの眼鏡を外して、顔のあちこちにキスする……。
「ちょ、そんなされたら考えらんねえよ!ははは!」
こんな可愛い男、二人といない……。
夜中。
執筆に行き詰まったので、
ステファンのベッドにもぐりこんで、
仮眠をとることにした。
ステファンの隣で、うとうとしていると……
「……リョーヤ……。」
ステファンに触れられて、呼ばれて、目が覚めた。
じっとしていると、彼は俺のTシャツの裾から手を入れてくる……。
耳にキスしてくる……。
「あ……」
ステファンは時々、寝ぼけてこういう事をする。
良いんだけどさ……
うれしいけどさ……
これ、隣が、俺じゃないやつ、
例えばルイスとかでも、同じことするだろうなって思うと……
嫌なんだよ……。
まあ、でも、いつも少し撫でただけで寝ちまうんだけどな……。
で、覚えてねえの……。
ひでえよな……。
「………………」
「リョーヤ……」
なんか……
今日は長えな……。
と思っていると、
ステファンの手が下りてきて、
インナーの中に入ってくる。
「あっ……!」
ビクッとする。
「リョーヤ。」
「え、」
さすがにステファンの顔を見た。
こちらを見ている。
色気のある表情で言う。
「リョーヤも触ってほしい。」
あ……なんだ……
今日は、ちゃんと……
「……」
俺もステファンに触れる……。
お互い、熱くなる……。
「……」
「……う……」
終わって、俺はため息をつく。
「はあ……」
ほぼ同時だったし……
めちゃめちゃエロかった……。
ヤベエ、なんも考えらんねえ……。
でも、このままもうひと眠り……
ベッドがきしみ、
俺は目が覚めて、見上げた。
間近にステファンの顔。
俺の上に、覆いかぶさってる。
「悪い、リョーヤ。全部したい……。」
俺は彼の肩を押しのけて起き上がる。
「いいぜステファン。」
笑ってTシャツを脱いだ……。
恋人と……
バカみてえに……
夢中でセックスして……
後でだるいとか……
最高に幸せじゃん……!
それに、
忘れたいこと忘れられるから、
いいんだよな……。
リョーヤが上目遣いで訴えてくる。
「ステファンにしつこく触られたとこ、服に擦れると痛え。」
「ごめん……。」
リョーヤは……
色白で……
でも、俺が触れてると、
肌が上気して、赤みが差してくる……。
その色がきれいで……
うるんで見える黒い瞳も、顔にかかる黒髪も……
色気があって……
何度でもキスしたくなるし……
触れたくなる……。
ちゃんと俺を求めて反応してくれるし……
どこもかしこも綺麗で……
つい……。
夢中になってしまう……。
「ごめん。」
リョーヤが近づいてきて、
間近で囁く。
「あのな、ステファン。
最高だったから、何度も謝んなよ……。」
俺を見上げてじっと見つめて、
微笑んでから、
自室へ去っていく……。
ステファンが
ルイスと旅行に行ってる間、
俺はしょっちゅう現地のニュースや、飛行機の運行状況を調べている。
どうしても気になって。
そのことを、ステファンは知らない。
もし……
ステファンとルイスが事故って、
アドルフさんとこに行っちまったら……
俺は……
ステファンの隣へ行って……
後を追おう……。
そう考えながら、
ステファンの帰りを待っている……。
玄関ドアの音がして、
「ただいま。」
ステファンの声がする。
俺は心からホッとして、うれしくて、
ステファン!
飛んで行って出迎えたくなる。
でも。我慢する。
ステファンは荷物を置くと、俺の部屋へやってくる。
彼の足音が近づいたころに、俺は振り返る。
「ステファン。」
「ただいま。リョーヤ。」
嬉しそうな笑顔。
「おかえりステファン。」
俺も笑顔を作る。
「変わりなかった?」
「ずっと執筆してた。」
もとい。ずっとルイスに嫉妬してた。
「そうか。」
俺は気軽さを装って誘う。
「今日はこっち来れる?」
ステファンは楽しそうに、
「ああ、来るぜ!」
風呂に入りに行く……。
……畜生、少し日に焼けてやがる……!
俺とじゃなく、ルイスとの旅行で……!
ルイス……いつか殺す……。
「今夜は骨まで愛して、旅の記憶を消してやる……!」
俺はシャワーを浴びながら思う。
リョーヤは今日も可愛かったな……。
ホッとするぜ。
年上で大人なパートナー!
ルイス犬も少しは見習って、落ち着いてほしい。
喋りまくったり、急に泣いたり、目まぐるしくて疲れる……。
旅行の間、俺はリョーヤが恋しくてしょうがない。
早くリョーヤを抱きしめて、髪を吸いたい……!
ステファンは役者だから、役として、仕事として、他人とキスすることがある。
大抵は女性とだ。
そりゃそうだ。世の中大半がノンケだから、共感できる男女の恋の話しが多い。
出来上がった作品を、俺も見る。
絵面キレイだな。と、眺める。
相手が男の時もまれにあるけど、俺はそんなに嫉妬しない。
俺に見せる表情と違う、作った表情だから。
演技のステファンより、ずっと多くの表情を、そして素の彼を、知ってるから。
でも……
ルイスにはスゲー嫉妬する……。
いくら欧米でも、友達同士でキスしねえだろ!
当たり前だけど、ステファンはルイスに惚れてねえ。ボランティアだ。
かわいそうだからって理由で、キスしてんだ……。
保護犬にエサやる感覚だ。
何が頭に来るかって、
俺と付き合う前からとっくに二人の関係、行為は習慣になっちまってて、
俺と付き合い始めてパートナーになったからって、やめる気配が全くねえってことだ……。
それなりに悪いとは思ってんだろうけど、
たまにだし、仕方なくだからいいだろう。リョーヤもレミーさんがいるし。
と思ってる節がある。
……俺が、
嫌だからルイスと切れろっつったって、ステファンはそうできねえんだ。
アドルフさんの形見と離れ離れになったら、幸せになれねえんだ……。
悔しいことに……。
百歩譲ってルイスが独り立ちするのを祈るしかねえ……。
それか、ステファンを突き飛ばして、とっととルイスとくっつけって言って、別れるか……。
あとは、いちいちルイスのことなんか気にしない、達観した大人になるか。
「はあ……。」
全部無理……。
「リョーヤ。悪い……。
アドルフを忘れられなくて……。
ルイスに過保護で……。」
ステファンは時々そう言ってくる。
イラッとするけど、抑えて、口角上げる。
「気にしてねえって。」
ステファンに自覚がなかったら、俺はとっくに別れてただろう……。
「リョーヤ……。そばにいてくれて、ありがとう……。」
そう言ってステファンはキスしてくれる……。
そうすると、俺の心はあっという間に溶けて、
ルイスのことなんか、どうでもよくなってしまう……。
ステファンのやさしさと情熱に、
酔ってしまう……。
何度でも……。
一生、離れられねえ……。
「リョーヤ!よく来たね!さぁ、入って!」
レミーは何時だって、喜んで俺を迎え入れてくれる。
俺もそんなレミーが大好きで、毎回甘える。
ステファンがルイスと会って過ごしている間、俺は一人でいたってイライラするだけだから、レミーと過ごすことにした。
でも、そんな理由で悪いなと思っている。
「どんな理由でも構わないよ。リョーヤと会えるのが、本当に嬉しいんだ!」
「レミー……。」
どこまでも良い人だ……。
俺もレミーくらい徳が高かったら、アドルフさんも、ルイスも気にならなくなるのかも……。
レミーは、楽しそうにいろんな話しをする。
俺もステファンといる時より沢山しゃべって。
笑って。
ルイスのことを、ひと時忘れる。
「お休みリョーヤ!」
レミーは陽気に寝室へ行く。
「お休みレミー!」
俺はリビングのソファーで横になる。
レミーといると、すごく幸せだ……。
このままここに住もうかと、何時も思う。
でも……
俺の手は、ステファンの髪や肌に触れたがっている……。
俺の耳は、ステファンが俺の名を呼ぶのを聞きたがっている……。
「……ステファン……。」
何度でも……
彼の名を呼びたい……。
彼を見ていたい……。
彼の愛に、飲まれたい……。
翌朝。
「ありがとうレミー。また来るぜ。」
彼を抱きしめる。
「いつでもおいで。待っているよ!」
彼は軽くキスしてくれる。
嬉しくて、俺もキスする。
彼が、
「長いよリョーヤ!」
と笑って離れるまで……。
俺たちは明るく笑顔で別れる。
俺が表通りに出ると、レミーはリビングの窓から顔を出して、手を振ってくれる。
俺とレミーは、これでいいと、お互い思ってる。
レミーんちの帰りはいつも、
無傷で、温かい気持ち……。
「そうだ、ステファンの好きなパンを買ってやろ!」
ステファンの笑顔を思い浮かべ、パンを買って帰った。
家に、ルイスんちからの朝帰りのステファンがいても、気持ちは沈まない。
「お、ありがとう!」
彼は期待通りの笑顔でパンを受け取り、ダージリンを淹れてくれ、一緒に朝食を食べた……。
俺は、レミーの話す日本語が好きだ。
彼は耳がよくて、とても流暢に日本語を話す。
彼の言葉を聞いていると、日本語は美しい言語なんだと思える。
レミーの日本語が聞きたい気持ちもあって、彼のところへ行く。
「私は普通のビジネスマンだから、仕事に必要な会話を中心に覚えたんだ。
だから、まだまだ勉強中だよ。
リョーヤの話す日本語は、新しく知ることが多くて面白いよ。」
「俺の言葉使いはあんまし良くねえから、真似しないで。」
「ふふ。ビジネス口調より、ずっと魅力的だよ。
確かに、私には似合わないだろうね。」
と、笑う。俺も笑う。
「俺もさ、スーツ着て、スラスラビジネス会話してたら、心配になると思うぜ。」
「うん。小説書く方が楽しそうだね。」
「マジそれな!ネタなら売るほど湧いてくるからさ!」
「新作楽しみにしてるよ!書き疲れたら、遊びにおいで。」
俺はニコニコして甘える。
「レミー。またジェラート食べ行きたい。」
レミーは嬉しそうに、
「今から行こうか。」
「やっった!」
ある日、
俺がレミーの家へ行くと、女がいた。
誰かがいるなんて、初めてだ。
レミーは楽しそうに、彼女に俺を紹介する。
「ティナ、彼はリョーヤ。私の大切な人なんだよ。」
「まあ、はじめまして、ティナです。」
「はじめまして。」
俺と彼女はにこやかに握手する。
「こんなにお若いお友達がいるなんて、素敵だわ!」
ティナさんと、そんなに年違わねえと思うけど。
背が高くて可愛らしいティナさんは、レミーに手を振って帰っていった。
俺は微笑んで言う。
「良い人間のレミーの周りには、感じのいい人が集まるんだね。」
「彼女もこのアパートの住人なんだよ。やさしい人なんだ。」
テーブルに菓子がある。かわいいラッピング。
「彼女が持ってきてくれたんだ。」
「へえ。」
レミーは、よく人から道を聞かれたりするし、店の人とすぐ打ち解けたり、俺の時みたいに、絶望してる人に声をかけたりする。
だから、老若男女、町中に友人がいる。
ただ……
あまり家に人を招き入れない人だと思っていたから、ティナさんを見て、ちょっとショックだった。
俺に彼女を紹介してくれるんじゃなくて、俺を彼女に紹介したのも、蔑ろとまではいかないけど、レミーがティナさんに夢中だと理解するのには、十分だった……。
俺は勝手に、自分は特別だと思い込んでいたんだ……。
いつでも、いつまでも、レミーの一番は俺だって思ってたんだ……。
そうだ……
そもそもレミーは、男が好きなわけじゃない。
俺といるうちに俺を好きになったんだと。
昔、若いころ女性と付き合ったことがあると話していた。
しばらく続いたけど、結婚には至らず、別れたらしい。
心根の良い、素敵な人だったそう。
以来、片思いと失恋続きとか。
どうして、こんなに優しくて良い人間が、何度も失恋すんのかわからねえ。
女達は見る目ないぜ……。
俺は……
女とは、フツーに友達になって話すけど、恋愛感情はあんましわかねえ。
話しやすいらしく、学生の頃は女友達が多かった。
そのうち一人と、興味本位で付き合ったけど、すぐ興味が失せた。
女とは、友人としてしゃべってた方がおもしれえ。
けど、女子と仲いいと、俺が片思いしてる男から、
「リョーヤって、女子と仲いいよな。付き合ってねえんなら、紹介してくんねえ?」
とか言われたりする……。
女友達が、俺がいいなって思ってる男に告るの励ましたりしなきゃなんなくなったりとか、
付き合うことになって祝ってやったり、
んで、別れることになって泣いてんの慰めたり。
しんどいこともあったけど、俺よく頑張ってたよな……。
「レミー、ティナさんのこと、好きなんでしょ。」
「リョーヤ……。うん、そうだね、でも、友達としてだよ。」
顔色良いし、なんとなくそわそわしてるから、結構好きなんだ。
紅茶を入れてくれた。
彼女が置いていった菓子を、二人で食う。
「手作りっていうのがまた、愛情こもってるよな。」
ちゃんとうまいし。
「菓子作り上手な女っていいよな!」
別に嫉妬して嫌味言ってるわけじゃねえ。
素直な感想。
まあ、確かにショックだったけど、俺は十分、レミーに良くしてもらったし、彼の恋を妨げる理由はない。
レミーには、幸せになってほしい。
「リョーヤ……。」
少し不安そうなレミー。
「あのな、レミ―。
レミーが女とくっつこうが、何しようが、俺は構わねえよ。
見守るぜ。
気軽にこの部屋に来れなくなんのはさびしいけどさ。
俺はレミーと深い仲になりたいってずっと思ってたけど、
レミーはそうじゃねえじゃん?
レミーは、好きな女と付き合って、
結婚して、子供作って、
もっと幸せになれんだから、
俺に遠慮してチャンス逃すんじゃねえよ。」
「……ありがとう、リョーヤ。
……でも、ティナは、……恋人いるんだよ。」
と、くすくす苦笑する。
「へえ、そいつからうばえばいいじゃん。」
「そんなこと、私にはできないよ。それに、彼女の恋人は、……美人な女性だよ。
ティナはレズビアンなんだ。」
「……マジか……!
ステファンなら、難儀な奴だなって言うな……!」
「その通りだよ。」
俺たちは笑った。
「かわいそうに、レミ―!」
俺は彼の頭をなでる。
「じゃあ、もうこれは公園のハトにでもやったらいいじゃん!」
彼の手から菓子を取り上げる。
「……でも、」
「でもじゃねえよ。体に毒だぜ!」
あーあー、傷ついた顔しちゃって。盲目の彼に言う。
「未練と傷心に浸りたいんなら、俺のいねえときにしろよ。
ビアンより、菓子より、今は俺のほうが大事だろ?」
彼はハっとする。
「それは、そうだ。申し訳なかった。」
と赤くなる。
俺は菓子をまとめて全部、自分のバッグに突っ込む。
「ふふ。レミーも、恋をするとぐだぐだになるんだな!」
ちょっと小さく見えるし。
「リョーヤ、悪かったね、立て直しておくから、今日はもう帰った方が、」
「別に怒ってねえし、面白いから一晩泊めて。」
「……うん。かまわないよ。」
ため息をついている。
「はあ……こんな失敗、大人げなくて申し訳ない……。すみませんでした、リョーヤ……。」
反省して恥じてる男って、かわいいんだよな!
襲いたいけど、良い親友として付き合ってくって決めたし、やさしくしよう。
「レミー、ごちそう作ってよ。ステファンが撮影旅行でいねえから、ろくなもん食ってねえんだ。」
「それじゃあ、腕を振るうよ。」
「やたっ!」
夕食後、俺のバッグを見て、レミーが、
「その菓子は、私が捨てるよ。」
そう言ってくれんのは嬉しいけど、そこまでさせたくはねえ。
俺はにっこりする。
「彼女、ちょっとあれだけど、感じの良いかわいい人じゃん。うまい菓子だし、俺が食うよ。」
「そう……。どうもありがとう。」
と、すまなそうに言う。
「ふふ!レミーもちゃんと人間なんだなってうれしいよ!」
「私は人間だよリョーヤ!」
「うん。」
笑ってうなずく。
レミーは俺の神様で、
かわいい恋人で、
大事な友人だ……。
「今度、デートしましょう。リョーヤの行きたいところへ。」
「え、じゃあ、城を見に行きたい!」
レミーは楽しそうに微笑む。
「そうしましょう。リョーヤは古い建物好きですね。」
「こっちの建築様式が、いまだに不思議で魅力的なんだ!」
「私には、日本の建築がとても魅力的だよ。」
アパートの階段で、ティナに会った。
私はお礼を言う。
「ティナ。お菓子、とてもおいしかったよ。ありがとう。」
「よかった!またおすそ分けするわ。」
「ありがとう、でも、申し訳ないけど、私には、手作りの菓子を持ってきてほしい人がほかにいるんだ。だから……」
「あら……そうよね、その方とばったり鉢合わせしちゃったら悪いわね!
ごめんなさい、私ったら気が利かなくて!」
「いいや、私のほうこそ悪いね。そうだ、リョーヤもおいしいって言っていたよ。きっと君の菓子を食べたい人、たくさんいると思うよ。」
「まあ、ありがとう!それじゃあ、バザーで売ろうかしら。」
「それはいいね!」
「レミー!プレゼントだぜ!」
俺は小さい紙袋を手渡す。彼は中身を見て、
「リョーヤ!これ、君が作ったの!?」
「俺だって簡単な菓子くれえ作れんだ。あ、ステファンの力は借りてねえから。」
紅茶を入れて、二人でクッキーを食う。
「うん、おいしいよ!」
「だろ!」
二度、試作した。
食いきれねえで余ってるけど、ステファンにはやらずに、俺一人で食うつもり。
「ティナさんのほうがうまいけどな。」
何入れたらあんなうまくなんだか、わからねえ。
レミーは首を横に振る。
「リョーヤが作ってくれた方がおいしいよ!」
幸せそうにかじってる。
「ふふ!そりゃよかった!」
練習した甲斐があった。
嬉しくて、レミーの袖をつまんで引っ張る。
「キスして。」
片手で眼鏡をはずす。
デーブル越しかと思ったら、彼は立ち上がってこちらへ来る。
俺も立ち上がる。
彼が、俺の髪に触れる……。
俺はレミーに抱きつく。
「ははは!リョーヤ!」
俺たちは……
甘い……
長い……
キスをする……。
レミーは
俺の頬をいとおしそうになでて
ほほ笑んで言う。
「私は幸せ者だ。」
彼が愛しくて、俺はもう一度レミーを抱きしめる……。
彼も笑いながら抱きしめて、背中をやさしくなでてくれた……。
「レミー、大好きだよ……!」
ずっとこうしていたい……。
「私も。リョーヤを愛しているよ……。」
くすくす笑う……。
キラキラしてて……
ひだまりみてえに温かくて……
幸せ……。
アドルフを偲ぶ旅行中。
部屋のベッドで、俺の隣にいるルイスが言う。
「一人、大切な人を亡くすと、
果てしない道のりが待ってる。」
「……。」
「後悔が大きいと、特に……。」
俺はルイスの肩をさすってやる……。
「アドルフと一緒にいたときは、
後悔の無いよう、精いっぱい頑張ったし、
楽しんだつもりだった。
それでもやっぱり僕は、
弱くて、物を知らない子供で、
アドルフが経験してきたことの全部は、
理解できてなかった。
うち開けてくれた辛さを、
半分もわかってなかった。」
「お前はよく頑張ってたぜ。
俺達はまだ十代だったんだ。後悔なく過ごすなんて、無理だった。」
ルイスは申し訳なさそうに口元をあげる。
「ありがと。そうかも。
ステファン、今まで、たくさん心配かけてごめん。
僕は、アドルフの喪失を埋める誰かがほしかった。
同じ喪失を抱えてるステファンと、
お互いを求めあえたらと、思ってた。
でも僕は、
ひとり、アドルフを思いながら、
果てしない道を歩むべきだったんだ。
ひとりで、
アドルフへの理解を深めていくべきだった。
失った、痛みも悲しみも寒さも、
思い出して感じる、温かさも愛も喜びも、
アドルフがいたから、あるものだ。
新しい恋人を求めてさまよい歩いたり、
ステファンにしつこく甘えて泣きついたり、すべきじゃなかった。
逃げず、目を背けず、素直に
アドルフがくれたものを
見つめているべきなんだ。
……そうして
アドルフを偲んで生きた、
果てしない未来に、
きっと、
成長できた僕は、
新しくて優しい
愛を
得られ、与えられるんだろう……。」
「ルイス……。」
「だからもう僕は、
ステファンを求めて困らせたりしないよ。
今までごめん。」
ルイスが神々しく見える……。
ルイスは遠くを見つめ……
それから小さくため息をつき、
グラスのワインを一口飲んだ……。
「……ルイス。その考えは立派だと思うぜ。
でも、いろんな経験をした方がいいし、
そうしながらだって、向き合えるんじゃねえか?
それに、俺と二人でアドルフの思い出話しするのも、偲ぶことだと思うぜ。」
「……うん。そうだね。
じゃあ、これからも、一緒に生きて行こう。」
「ああ。」
俺たちは、約束の酒坏を交わす。
ルイスに、
大人な優しさと、包容力を感じる日がくるなんて……。
朝。
ルイスが起き上がり、伸びをする。
「ああ……よく寝た!おはよ!ステファン!」
「……おはよう。」
朝食の時、彼に尋ねる。
「お前、昨夜の話、覚えてるか?」
「……あー、なんだっけ?」
「歩むべき道の話だよ。」
「……んー?」
ルイスは不思議そうに首をかしげる。
「歩むべき道?」
俺はカトラリーを手放し、背もたれに寄り掛かる。
「はあ……。」
こんなことだろうと思ってたけど……。
短かったな……。
「何?ステファン、今度は哲学者か修道僧の役でもやるの?」
と、人懐っこく笑ってるルイス。
「……。
まあ、お前は、
さまよって、甘えて、しつこくして、傷ついて、泣いてる方が似合ってるかもな。」
「えー!なにそれ!嫌だよ!僕だって幸せになりたいよ!
ステファンは良いな―!リョーヤさんがいて!」
「……。」
笑いがこみあげてくる。
「なに?」
「いや。」
あんな聖人なルイス、二度と拝めねえだろうな……。
『失った、痛みも悲しみも寒さも、
思い出して感じる、温かさも愛も喜びも、
アドルフがいたから、あるものだ。
逃げず、目を背けず、素直に
アドルフがくれたものを
見つめているべきなんだ。
そうして
アドルフを偲んで生きた
果てしない未来に、
きっと、
成長できた僕は、
新しくて優しい
愛を
得られ、与えられるんだろう……。』
俺もルイスも、その途上にいる……。