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アドルフの指輪  作者: スダ ミツル
3/5

アドルフの指輪3

小学生のころから、ずっと、仲のよかった友人がいた。

僕は彼が好きで、彼の笑顔を見られれば、

「アドルフ。」

と呼ぶ声が聴ければ、いつも幸せだった。


彼は年々、美しくなっていった。


中学へ上がり、クラスが別になり、それぞれ別に友人ができても、

僕は彼に、会いに行った。


些細なことでも、彼から頼られると、とてもうれしかった。


けれど……

彼が声変わりして、僕は混乱した。

彼の新しい声を、自分は拒絶してしまう……。


わけがわからなかった。


動揺が彼にも伝わって、心配された。


下級生のかわいい少年に恋をして、自分はそういう人間なのだと気づいた時には、

友人とは距離ができてしまっていた。


その彼が、低い声で僕を呼び留めた。

「アドルフ!俺は今でも友達だと思ってる!」

「僕もだよ……!」

「どうしてなのか、教えてほしい。俺が何か言った……?」

「違うんだ……!」

心配そうな彼の眼……。

僕は、心がつらくて……

それでも、

「話せば楽になれる。誰にも言わないから。」

と、促されて……

優しい彼がそう言うならと……

僕は……ほとんど命がけで、彼に打ち明けた……。


「……最近……下級生の男子を……好きになった……。

……声の高い、綺麗な子で……。

……君の事も……

……

声変わりするまで、

……ずっと……

……

……好きだったんだ……」


震えて、ボロボロ涙をこぼしていると……


「そっか。……そういうことか……。

そうかもって、ちょっと思ってた。」

彼はただ、隣にいてくれた。


「ごめん、自分でもおかしいって思うよ。

ごめん、不安にさせて、傷つけて……。」


「……心配したし、不安にもなったけど、傷ついてないよ。

アドルフの気持ち、嫌じゃないよ。」

「……」


「……変わってほしくないって気持ち、俺にもあるよ……。

なんとなく、アドルフの気持ち、わかる気がする。」

「……そう……?」


「変わる前の方が好きだったって事、誰にでもあると思う。」

「そう、かな……。」

「そうだよ。」

そして、


「アドルフ、俺は誰にも言わないから。またいつでも声かけてきて。俺もそうする。」

と、微笑んだ。


彼は、僕を見守ると決めたのだ。


「うん……ありがとう……」

やさしい彼は、大切な友人……。


「アドルフの気持ち、嫌じゃないよ。」

「変わる前の方が好きだったって事、誰にでもあると思う。」


僕は、おかしいわけじゃないかもしれない……。

普通とは言えなくても、

可愛い少年が好きな事を、少しは肯定してもいいのかもしれない……。



僕は文芸部で、下級生から慕われる部長になった。

自分のセクシャリティを隠して、気になる子にも、公平に接するよう努めていた。

本や漫画の中の少年たちなら、年を取らないから、彼らを空想の恋人にした。


ネットで、僕と同じような人たちの集うサイトを見つけ、ほっとしたけれど、彼らとつながりたいわけではなく、見るだけにした。


僕は、空想の恋人との日々を日記につづり、詩を書き、恋文を書いた。

現実での両想いを、夢見て……。



かわいい後輩の一人が、

僕に付きまとってくるようになった。


おすすめの本を教えてください、とか、遊びに行きませんか、とか、いい笑顔でなついてくる。


「俺、先輩が好きです!」

と、彼は、屈託のない口調で言った。


「……ありがとう。」

と返すのが精いっぱいだった。


綺麗な月夜の晩……

後輩の彼が、いつの間にか僕の部屋にいて……

月明かりに照らされて、こちらを見つめている……。

ベッドに横になっている僕に、彼は近づいて来て……

キスした……。

それから、服を脱ぎ、

僕の隣に横になり、

すり寄ってくる……。

「いけない……」

「先輩。好きです……。」

僕を撫でて、身体を合わせてくる……。

「あ……」

嬉しくて……

幸せ……。


僕は……そんな夢を見てしまう人間……。

でも……次に好きだと言われたら、僕も告白しよう……。



校舎の階段下から、

後輩の彼の、あどけない笑い声が聞こえてきた。


僕に言ったのと、ほとんど同じことを言って、他の上級生にまとわりついている……。


無邪気で……幼い子……。

僕は、彼に書いた恋文を捨てた……。



一度距離ができてしまった友人に話しかけ、再び一緒に過ごすようになった。


友人は僕の眼を見て言った。

「打ち明けてくれた事、誰にも話してないから。

俺を信じて、勇気を出して話してくれてありがとう。

アドルフ、これからも友達でいてほしい。

またなんでも話し聞くよ。」


僕は……泣いてしまった……。

彼は、本当に優しい……。


「変わりたいんだ……!意志で変われるんなら、努力する……!このまま大人になりたくない……!」

友人は、肩をさすってくれた。


友人と同じ予備校で勉強をして……

彼と遊びに行って……

楽しんで……

同じ大学へ入って……

同じ寮で暮らして……

学生生活を満喫して……

もうすぐ卒業という頃に……


彼は、交通事故で、あの世へ旅立った……。

僕が打ち明けた悩みを、携えて……。



僕は、再び……

孤独になった……。


誰も、僕を知らない……。


後ろ指差されるセクシャリティの人間だってことを……誰も知らない……。


僕は……

生きていては、いけないのかもしれない……。


今後、理解者が現れるとは、思えない……。


少年と恋愛して幸せになれるなんて……、

……到底、思えない……。



僕は就職し……

時々、家出少年を家に泊めるようになった……。

彼らの力になりたかった。

温かく、養護したかった。

物を盗まれても、口をきいてくれなくても、

少年たちが愛しかった……。


年を取り……

幾人もの少年たちが、僕のそばを通り過ぎていく……。


綺麗な子供たちに惹かれるのは、変わらなくて……。


希望は、とっくの昔に無くしているのに……。


それでも、触れたいと思ってしまう……。



ステファンが高い声で言った。

「難儀な奴だな。」

まだ少年の骨格の彼にキスされ、僕は顔をそむける……。


ステファンは、僕を好いて、許してくれてる、稀な子だ……。


けれど……

ずっと夢見てきたのに、いざ、恋心を向けられると、

僕は、嬉しいと思ってしまう自分が、怖いし、気持ち悪くて、彼の気持ちを受け止められない……。


苦しくて……

辛くて……

早く僕を諦めてほしいと思っている……。


両思いになって、幸せになるには、

僕は、年を取りすぎた……。


片思いの方が、ずっと楽だ……。




アドルフはいつも、寝室のドアに鍵をかけて休む。

俺が入れないように……。

アドルフの寝室に、窓から入り込んだら、観念して、一緒に寝かせてくれるかもしれない。

と思って窓の鍵に細工して、夜中に忍び込んでみたら、

思った通りになった……。


夜中……

今日も俺は、アドルフと一緒に、彼のベッドで寝ている。

俺は、仰向けに寝ているアドルフの胴を、

パジャマの上からそっと撫でる……。


すると彼は目を覚まして、俺の手をつかんだ。

「やめて、ステファン……。」

「アドルフ……。俺たちは、お互いを好きなんだ。

それじゃ納得できねえのか……?」

「……。」


「アドルフが嫌なことはしたくねえし、

今の俺じゃ、どうしてもだめだっていうんなら、何もしねえよ。」

「……。」


俺は起き上がり、スタンドの明かりをつける。

彼はまだ目をつぶっている。

「アドルフ。俺を見て欲しい。」


彼は俺を見上げた……。けれど、すぐに目を伏せる。

「何が嫌なんだ?教えてほしい。」


「……。自分が嫌だ。君を傷つけてしまう……。

僕は、君に釣り合う年じゃない。」


「やっぱり世間体を気にしてんのか。」

彼は首を振る。

そして、辛そうに涙をにじませて言う。


「若い君を、変えてしまうのが、怖いんだ……。」


アドルフは、十四才の俺に触れようとしない。


俺は、彼をやさしく抱きしめる。


「アドルフ。怖がんなくていいんだぜ。

俺たちは幸せになれるんだ。

俺はそう思うぜ。

だから、何も怖くねえ。

アドルフとこうしたいって、ずっと思ってたんだ……。

アドルフも、そうだろ……?」


「……。」

彼は涙をこぼす。

重なっているところが温かい……。


「アドルフが嫌なことはしないから……。」

「……。」

彼を、パジャマの上から、そっと撫でる……。

でも、やっぱり手をつかまれる……。


「じゃあ、今日はこのままでいよう……。」

片手を伸ばして明かりを消し、再びアドルフを抱く。

「お休み。」


泣き止んできたアドルフは、

髪をなでてくれた……。

「お休み……。」




夜中……

隣で眠っているステファンが愛しくて……

僕は手を伸ばし……

彼の髪に触れては、

苦しくなって……

手を引っ込める……。


彼は……

僕みたいな、外れ物のそばにいるべきじゃない。

きっと将来に悪い影響がある。

すでに、家出少年なのだ……。


そのうえ、彼の望むままに手を付けてしまったら……


彼も、外れ物になってしまう……

若すぎる君を、ゆがめてしまう……。


それが、怖い……!


しなやかで、まだ幼い弱さのある彼と、

愛し合って幸せになったりしたら、

彼が声変わりした時、お互い絶望に落ちて、

心が壊れてしまう……。


僕は、ステファンを愛してる……。

でも、近づけない……。

明るい場所にいる君を、僕の不幸と絶望で潰したくない……。


このままがいい……。

今が、ずっと続いてくれたら……。


けれど、彼は成長している……。

もうじき声も低くなるだろう……。


また……

同じことの繰り返し……。


声変わりを寂しく悲しく思って、傷つけてしまう……。


でも、彼を突き放せない……。


このままでは、近い将来、

ステファンが傷つき怒るのは、目に見えているのに……。


僕はそういう人間なのだと、

少年の成長を受け入れられない、変人なのだと伝えたほうがいい……。

僕と一緒にいたら、不幸になると、伝えたほうがいい。


やさしい彼はきっと、

僕と恋仲になることをあきらめて、

友人として、仲良くしてくれるだろう……。


甘い願望だけれど、

いつかは、そうなってくれるだろう……。


昔、事故死してしまった友人のように、

生涯、僕の理解者でいてくれるだろう……。


それがいい。そうしたほうがいい。


でも……

伝えられずに、僕は一日一日と、過ごしている……。


彼と一緒に、

今までにはない、

新しい幸せを手に入れたいと思っている自分がいる……。


現実では無理だ……。

ただの願望に過ぎない……。

彼の成長を止める事はできない……。


それとも、

もしかしたら本当に……


ステファンの言うように、

彼と恋人になって、愛し合ったら……

僕は変われるのかもしれない……。


そこを通り過ぎたら、

もしかしたら、彼の成長を、喜べるようになれるかもしれない……。


いや、そんな一歩は踏み出せない……。


彼と一緒に幸せになることを切望しているのに、

その場所が……

とても遠い……。


どうしたって、彼の将来をゆがめてしまう……。


何度、

幸せになる夢を思い描いても、

現実には無理なのだ……。


僕は、幸せになることが、怖いのだから……。


彼に伝えないのは、

僕が、現実逃避し続けているから……。


残酷なことと知っていながら、もう少し今の関係を続けたいと、セクシャリティを隠して、

ステファンに甘えているから……。


ステファンには、誰よりも幸せになってほしいのに……。


しっかりした大人なら、こんな矛盾した事にはなっていない……。


僕は、

ひ弱で、情けなくて、どうしようもない、ひどい大人だ……。


「ステファン……」

そばにいて欲しい、

なんて言う資格は、僕にはない……。





アドルフが仕事から帰ってきた。

「え、ステファン……?」

俺はキッチンから顔を出す。

「おかえり。」

「夕食作ってくれてるの?」

「簡単なものしか作れねえけど。」

「大丈夫?」

「うちは、親があんまり料理しねえ人たちだから、俺がしょっちゅう自分の分を作ってるんだ。」

「そう。」

「怪我なんてしねえから、安心して。着替えてきて。」

「ありがとう。」


「いただきます。」

「おいしい!味付けちょうどいいよ!」

「よかった!」

嬉しい。

アドルフのいい笑顔が見れて。

それだけで、今までの苦労が報われる……。

どうしたらアドルフを笑顔にできるか考えてたから……。

それに、両親は、俺の料理より出来合いの総菜のほうが好きな人たちだ。

俺がキッチンにいると、むしろ嫌がられる。

手早く、美味い料理を作るのが日課になって、鍛えられた。



週末。

アドルフと、一緒に料理する。

ふたりで作るのは、うれしくて、楽しくて、

キッチンに立ってるアドルフの姿はきれいだし、幸せな時間だ……。


楽しく過ごす日々を積み重ねて……

少しずつ、アドルフの心が解けてきているみたいだ……。


でも、キスすると身を引くし……

抱きしめると、体がこわばってしまう……。


愛したいけど、愛せない……

その悪循環に、閉じこもってしまう……。


許されない……

普通じゃない……

犯罪だ……


アドルフは、自分で自分に、

いくつもくさびを突き刺しているように思える……。


俺が……

一緒に料理したり、映画見たり、

友達みたいに過ごしてるだけで充分だと思ってれば、済むのかもしれない。

安心なのかもしれない。


でも、俺は……

アドルフが、どうしても自分じゃ変えられねえところを、変えてやりたい……。


どうしたら……

彼を、救えるんだろう……。





アドルフは、俺に触れねえ。

俺のほうから触るのもダメ。

なら、

彼の手を借りたらどうだろう……。

やっぱり嫌がられるかもしれない……。

また泣くかも知れない……。

でも、試さなきゃわからねえ。


夜中……

隣で眠ってるアドルフの片手を借りて……

俺は、彼の手で、自分を触る……。


卑怯で無理のある方法だってわかってる。

でも、他に考えつかない。

さらにこじれてしまう可能性もあるけど……

それを覚悟でする。

どうか俺の努力を拒まないでほしい……。


彼のほっそりした美しい手指は、

温かくて、乾いている……。


アドルフ……。

どうか、嫌がらないで欲しい……。

拒まないで欲しい……。

祈りながら……

彼の手で、じかに、自分の肌に触れる……。


彼の手を、俺は……

胸から腹へ、へその下へと、滑らせていく……



「……っ……は……」

彼の温かな指で……、

そっと擦る……。

すごく良くて……

「ああ……」

声が漏れてしまった。


アドルフの呼吸が変わる。

少し手が動く。

「あっ」


「……。」

戸惑っている気配がするけど……

でも、手を引っ込めようとはしない。

俺はそのまま……

彼の手の中で……


…………


果てる……。



アドルフはやさしいから、

嫌でも、

最後までさせてくれたんだ……。


身体をはってみたけど、

今アドルフは、何を考えてるだろう……。


「アドルフ……?」

「……。」

暗くて表情もわからねえ。


でも、もうだるくて動けねえでいると、

アドルフの手が離れた。


そしてそのまま彼は

その手を自分の……

インナーの中へ……


「……は……」


俺は彼の横顔を見る。

アドルフが……

俺の隣で……


「……あ……」


俺と一緒に、彼も素直に感じてたんだ……。

俺の勇気を受け止めて……

心のくさびが消えたんだ……。

全部じゃねえかも知れねえけど。


アドルフが、気持ち良さそうに、何度も震えている。

愛しくて

彼に触りたかったけど、

やめといた。

小さな喘ぎ声が、かわいい……。


……もしかしたら、

突き放され、

もう、こういうことはやめてほしい、

と、泣かれるかもしれないと思ってたから……


彼の心が少しほどけて、

歩み寄ってくれたように思えて

うれしい……。


彼の肩にキスする……。


……終わって、アドルフは洗面所へ行った。

戻って来たアドルフと……

手をつないで……

眠った……。


温かくて……

幸せ……。




目が覚めると……

ステファンが隣で……

辛そうな息をしていて……、

僕の手が、彼の前に触れていた……。


一瞬、怖くなって手を引っ込めようとしたけれど……

彼は、自分本位にこういうことをする子じゃない……。


僕を……

何とかして変えたくて、

嫌がられるかもしれないと

覚悟して、そうしているのだ……。


自分のつらさで手いっぱいの

僕を助けようとして……。


僕は抵抗せず、力を抜く……。

ステファンの思いが、熱が、震えが、伝わってきて……

愛しさが湧いてきて……

彼の思いを、遂げさせてやりたくなった……。


僕は……

こういう事を、恐れながらも、待っていたのだと、気づいた……。

ステファンが窓から入ってきて、添い寝するようになって、以来、

一瞬も期待しなかったと言うと、嘘になる……。


温かな喜びが、心を浸していく……。


必死になって、苦しそうに喘いぐステファン……。

僕は感動して、涙がこぼれる……。

程なくしてステファンは、

僕の手の中で……


…………


僕も感じて熱くなっている……。


不安そうにこちらを見ている気配。

ステファンを幸せにしてやりたい……。

僕だって、何かを変えたい……。


僕は、彼に触れていた手で、

自分に触れることにした……。

それだけで、僕のこじれたセクシャリティーが変化するとは思えないけど……。

今だけは……

不幸を見ずにいよう……。


ステファンの気持ちと勇気と努力に寄り添いたいから……。


ステファンが好きだから……。


健気で、愛しくて……

嬉しいから……。


幸せにしてやりたいし、

僕も幸せになりたい……。


後で後悔するとしても……


一瞬だけ……


幸せを見ていたい……。




朝、リビングへ行き、

「おはよう、アドルフ。」

俺が微笑むと、

「……おはよう、ステファン。」

アドルフも少し微笑んでくれた。

俺は彼の片手に触れる。

俺に触れていた手に。


「夜中はありがとう。

幸せだぜ。」

と笑うと、

アドルフも少し、幸せそうに笑ってくれた……。


それから、愛しそうに、

そっと髪をなでてくれた。


良かった。アドルフは、自分を責めていない。

スゲーほっとする……。


朝食を食べ、アドルフは会社へ。俺は学校へ。


少しずつでいい……。

彼の心がほぐれて……

少しずつ、

喜びと幸せを増やしていって

アドルフを……

明るくしてやれたら……。

変えてやれたら……。


そうして……

その先……

将来……

彼といつか……


結婚できたら……。





ある時、アドルフの家へ行くと、

「ステファン、十八歳おめでとう……!」


俺のために、手の込んだ料理を用意してくれていた。


いつになく楽しそうなアドルフ。


何かが変わったのか……。

俺の声変わりを悲しむアドルフを置いて出て行ってから、様子を見に来るたび、辛そうだったのに……。


「ステファン、食べてって。」

久しぶりに食ったアドルフの料理は、やっぱりうまかった。

デザートも用意してあった。


アドルフが、優しい目をして言う。

「よさそうな映画を見つけたんだ。二人で見たいなと思って。」

アドルフにねだられたら、断れねえ。

ふたりで並んでソファーに座って映画を見た。


まるで四年前みたいだ……

またこうして過ごしたいと、ずっと願ってた……。


アドルフが、幸せそうに微笑む。

「いい映画だったね。」

「ああ。楽しかった。ありがとう。そろそろ帰るぜ。」

「ステファン。」

アドルフが俺をじっと見つめる。


「君とまた一緒に暮らしたい。」

「アドルフ……。」


俺はもう、とっくに彼の好みから外れてる。

子供に見えねえ。アドルフとほとんど同じ背丈だ。


「ステファン。君が好きだよ。そばにいて……。」

「……。」

「僕と、付き合ってほしい。」


アドルフに抱き寄せられ……

俺たちは……

キスする……。


アドルフと、こんなにちゃんとキスするの、初めてだ……。


嬉しい……。

アドルフと一緒に暮らしたい……。

いつもそばで見ていたい……。

付き合いたい……。


強い気持ちが湧いてくる……。


どれだけ、この日が来るのを願ったか、わからない……。

毎日、夢見ていた……。


けれど……


「ステファン……」

アドルフは、幸せそうに見える……。

でも……


でも、彼は、

本当に、俺と恋仲になりたいんだろうか……。


「アドルフ、

俺が子供に見えなくなって、

ほっとしてる……?」


「ステファン、」


「嫌いな自分を見なくて済むようになって、

ほっとしてる……?」


「うん……。そうだね、ほっとしてるよ。」


「アドルフは、俺でいいのか……?

本当に……?

好みの少年が現れて、俺が追い払ったら、また泣くだろ。」

「……そうだね……。」


「アドルフ。今の俺を、本当に愛してる……?」


アドルフは、俺が何を言っても、

俺を見つめ続けている……。

優しい穏やかな眼差しで……。


「ステファンに決めたんだよ。僕は。」


微笑む彼の眼に、涙がたまる。

「一緒に生きて行きたいのは、君なんだ。」


「……。」


俺はアドルフにキスする……。


彼に、そっと抱きしめられる。


けど、俺は押し戻す。


「うれしいぜ。

だけど、四年前にそう言ってほしかった……。」



悔しさで、

喉が震える。

涙でアドルフがにじむ。

俺は立ち上がり、玄関へ向かう。


「ステファン、待って!」

「……また来るから。」


「ステファン、行かないで!」


俺は外へ出て、歩き出す……。

アドルフは、追いかけてこねえ……。

また、ドアの内側で泣いてる……。


辛い……。

アドルフに完璧を求めるべきじゃねえって、わかってる。

せっかく、俺を受け入れる決心をしてくれたんだ。

引き返して、一緒に暮らせばいい。


でも、どうしたって悔しいし、悲しい……。


四年前に、

俺をいつくしんで見ていた目と、

今とでは……

違うから……。


俺に惚れていた輝きは、

とっくに消えてしまっているから……。


俺はこれから一生、

十四歳の俺には勝てねえんだ……。


アドルフを許して、受け入れたい……。

でも、もう俺に恋する事はないのだと思うと……。

悲しくて、苦しい……。


一緒に住んで、家族のように暮らして……

隣でアドルフが、少年に恋をするたび、俺も苦しむ事になる……。


俺は帽子を目深に被り、涙を堪える……。




僕の手をすり抜けて、

ステファンは行ってしまった……。


十八歳の青年になったステファンには、悩まず好きだと言えることに、僕は、最近気づいた。

苦しまずに、彼と付き合えるし、一緒に住める。


だけど、彼が子供だった頃ほどは、愛せない……。


それでも、そんな僕でも、受け入れてほしいと思った……。

なんて……自分勝手……。


ふられて当然……。


お互い妥協して、寄り添おうだなんて……。


愛したい。愛されたい。

その核心が希薄なまま、付き合おうだなんて……。

彼には耐えられない……。


妥協を迫って甘える僕は、酷い大人だ……。


また……

ステファンを泣かせてしまった……。

傷つけてしまった……。


……本当に……

一体、どうすればいいのだろう……。


彼を幸せにしてやりたいのに……。

僕も、幸せになりたいのに……。


心から、そう願っているのに……。



四年前、ステファンが言っていた。


「アドルフ、もし明日、世界が終わるとしたら、

恋人になってくれるか……?」


まっすぐな眼差しだった……。


「もし本当に、終わるとしたらね。」


明日、世界が滅びるなら……。

そしたら僕は……

再び、ステファンを愛せるようになるだろうか……。



「もし俺が、明日死ぬとしたら……?」


「……そんな事、起きない……!」

僕は震えて泣いた……。


「悪い……アドルフ……俺は死なねえよ。」

優しい君は、抱きしめてくれた……。

そんな君が大好きで、

怖かった……。



もし、明日が無いとしたら……。


わかってる……。


でも……僕は……。



「四年前にそう言ってほしかった……。」


僕はもう二度と、ステファンを……

愛せないだろう……。



どこかから、声がする……。

「アドルフ……」


変声前のステファンの声がする。

「辛いな……。」


幼い彼の片手が、僕の肩に置かれる……。

「俺も辛いぜ……。」


いつからだろう……、

子供のステファンが、僕の側にいる……。

けれど彼は、ステファンであり、僕が今まで恋をした少年達でもある……。


彼らは僕を見守ってくれていて、よく、優しい言葉をかけてくれる……。


ステファンは微笑んで言う。

「アドルフは、十分頑張った。」


「……うん……。

もう、何もしたくないよ……。

終わりにしたい……。

ステファン、ごめん……。」


「何も謝らなくていい。

俺はずっと、側にいるぜ。」


抱きしめてくれる……。


「ステファン……

僕と一緒に……

楽園へ……」


そうしよう。

少し我慢すれば、

彼らと一緒に、

楽園へ行けるんだ……。


僕は、苦しみが消え、楽になる……。


幸せは……

死の門の向こうに……。


少年は微笑む。

「ああ。一緒に行こう。アドルフ。」

「嬉しい……!」

僕は彼を抱きしめる……。



ガンガンと、玄関ドアを叩く音。

僕はビクッとする。

「アドルフ!」

十八歳のステファンの大声。

「……ステファン……」

僕は立ち上がる。

大人のステファンは、合鍵で玄関ドアを開く。

現れた彼は、走って戻って来たのか、息が切れている。

「はあ……アドルフ……」


一緒に住む気に……、

なってくれたのかな……。


ステファンは、まっすぐに僕を見て言う。


「アドルフ……!

頑張って、パートナー見つけろ!

一人で死んだら、俺は許さねえからな!」


「……」


ステファンは去り、

ガチャンと音を立てて、ドアが閉まった……。



「あ……」


今まで近くにいてくれた、


小さいステファンと少年達は……


いなくなってしまった……。



「一人で死んだら、俺は許さねえからな!」



「……ステファン……


……ステファン……!


……ああ……」








アドルフのお父さんが、アドルフの部屋に来てくれた、次の日のこと。


ステファンが言う。

「ルイス。アドルフの持ち物を分けよう。」

「うん。」

形見分けだ。アドルフのお父さんの許可も得た。


「どうしても欲しいものってあるか?かち合ったら話し合おう。」


「うーん……僕は、モノっていうより、この部屋がほしい。」

「……は?」


「ここに住む。親に頼んで借りてもらう。」

前から決めてたことだ。

アドルフには話してないけど。


「僕は、これから先もずっと、アドルフの部屋に住む。」


ステファンは眉間にしわを寄せる。

「ここから出れなくなるから、やめろ。」


それからため息をつき、

「はあ……俺だってここまで失いたくねえよ。

でも……それは……

アドルフが望まねえだろ。」


「そうかな……。」


アドルフは、自分の死後、この部屋を引き払うつもりだった。

荷物の整理を遺品整理会社に依頼してあって、

部屋の契約は、片づけが終わるまでの間なのだ。


でもそれは、僕を、僕らを、追い出すためじゃないと思う。

思いたい。


アドルフが借りた部屋だから、そうせざるを得ないだけであって、

その先は、僕らの自由なんだ……


でも、アドルフに、この部屋が欲しいと頼めなかった……。

僕ひとりだと、心配で断わられるかもしれないと思って。

でも、ステファンと一緒なら、きっと……

アドルフはOKしてくれる……。


「アドルフは、このまま僕たちがここで暮らすの、認めてくれると思うけど。

ねえ、このまま一緒にここで暮らそうよ!ステファン!」


数日、ステファンと暮らしてみて、楽しかった。

アドルフを思って、これからも一緒に暮らせたら、それはそれで幸せだと思う……。


「……。」

彼は黙ったまま、心配そうにこちらをじっと見ている。


ステファンは、僕ほどには、この部屋に執着してないみたいだ。

昔、何か月も、ここでアドルフと暮らしたことがあるのに。


「ああ、そっか、

ステファンは、今の自分の部屋に、アドルフが来てくれたんだもんね。」

僕は微笑む。うらやましくて……。


「でも、僕は……

ここと病院だけが、アドルフとの家だったんだ……。」


ステファンと違って僕は、

ここを失ったら、

アドルフと愛し合って過ごした場所を、

本当に失う……。


ステファンは顔を片手で覆い、深いため息をつく。

「はああ…………。」

それから髪をかき上げ、


「……全部、お前にやる。」


「え?」

「部屋以外、アドルフの持ち物、全部ルイスにやる。」


「ステファン、」

「俺の部屋は狭いからな、モノを増やせねえ。」

「でも……」

「アドルフの服も家具も、手帳も、お前が持ってろ。

とにかく、この部屋に住み続けるのは、

俺にとっても、お前にとっても、良くねえ。

前に進めなくなると思う。」


「どうして……?そんなこと……ないと思うけど……。

帰る家があるってだけで、

僕は気持ちが明るくなるよ。


僕にとっては、アドルフが、かけがえのない家だった。

アドルフのいた部屋は、

アドルフを思い出して、悲しく苦しくなる事もあるけど、

すごく愛しいんだ……。


思い出の場所を守るために生きて行くことは、明るくて優しいことだと思うよ。」


「……。」

ステファンは黙ってしまった。

僕は言う。

「モデルの仕事でもして、家賃は自分で稼ぐよ。」


ここを、自分で守る。

ねえ、アドルフ。そうしたいんだ!

お願い、一生大切にしたいんだ!


「お前、医学部目指すって言ってなかったか?」

「うん、ちゃんと勉強もするよ。」

「お前、アドルフに夢は何かって聞かれなかったか?」


「聞かれたよ。

……

アドルフの……

病気を治すって……

答え……」


涙がポロポロ落ちる。


ステファンが心配そうに言う。

「ルイス。

いくら頭良くて器用でも、全部は無理があると思う。

十六になったばっかで……。」


僕はステファンを睨む。

「……。そんなこと……

ない!

……そんな風に言わないでよ……!

今までも、少しずつ勉強してきたんだ!

マンション物件について、ステファンより詳しい自信あるし、

モデルのオファーは一度や二度じゃないし、

偏差値上位一割にいるし、

これからはちゃんと掃除して、手入れして住むから!


この部屋まで失いたくないんだ……!!

頑張りたいんだ……!!」


バイトしながら勉強ぐらいできるし、

一人暮らしだってできるし、

夢もあきらめないし、

ちゃんと、生きていくから、


だから、

アドルフ、

僕をここから追い出さないで……!


僕は、わぁわぁ泣く……。


「……。」

泣き止んで、手で涙を拭ってため息をつくと、

ステファンが腕組みして言った。

「話してなかったけど、俺、引っ越すんだ。」

「……え?」


「事務所に近いとこに住むことにした。」

「ステファン……!

それじゃ、アドルフと過ごした場所を失くしちゃうよ……!」


ステファンは、まっすぐに僕の眼を見る。



「ルイス。

だから、


俺と一緒に、


未来を


生きて行こうぜ。」



彼は、

今までで一番いい笑顔を

僕に向けた……。


僕は……

見とれてしまう……。

……。



すると、彼はちょっと嫌そうにティッシュの箱を取ってくれた。

僕は受け取り、顔を拭きながら言う。

「ステファン、それ、今決めたでしょ。

引っ越すって。僕と生きるって。」

「そんなことねえ。」

「演技しないでよ。」

「してねえよ。

一番前向きになれる方法を考えたら、そうすんのが良いって思えたんだ。」


僕は嬉しくて前のめりになる。

「もう一回言って!一緒に生きようって!

それって、」


とたんに彼は身を引き、嫌そうに言う。

「お前、毎日ラインしてくんなよ!

無視するからな。」

「え、ひどい!」

「日記は日記帳にかけよ。」

「毎日頑張るから、報告するから、褒めてよ~!

ステファンも毎日、どんな一日だったか教えてよ~!たくさん話そうよ~!」

「……。」

「無視しないで!

あ、そうだ、ステファン!

アドルフの行きつけのお店が近所にあるんだよ!

すごくおいしいんだ!食べにいかない?」

「……行く。」


アドルフが病院を抜け出して、帰ってきてくれた夜に、一緒に行った店。

魔法のように幸せで、

美しい夜だった……。


あの時食べたのと同じ料理を注文して、ステファンと二人で味わう。

ステファンが、グラスにビールを注ぎながら言う。

「昔、何度か連れてきてもらった事あるぜ。」

「やっぱり?」

「あ!お前は飲むな!」

僕はステファンのビールを奪い取って飲み干す。

料理も頬張る。


ビールも、料理も

同じ味。

変わらない店。

そりゃそうだ。

前回来た時から、まだひと月半しか経ってない……。

でも、アドルフは、もういない……。


「あ…、あどるふうー!うわあああー!」

僕は泣きながら食べた……。

「喉に詰まるぞ!食うか泣くか、どっちかにしろ!」

僕はむせた。

「げほっ!えほっ!ケホケホゴホ……!」

「落ち着け!」

「ステファンも泣いたらいいのに。」

「お前がそんな状態で浸れると思うか?」

僕は目を見開く。

「確かに……!

ステファン、むせび泣きながら食べて!で、もらい泣きしたい!慰めてあげたい!」

「百ドルで演技してやる。」

「なんでー!?自然としてよ!」

「……」

「あ、見られてると出ないか。ごめんね、あっち向いてるから。」

「ルイス、お前、偏差値いくつだ?」

「え?75。」

「ゼッテー嘘だな。」

「本当だよ!」



アドルフの喪失で空いた大きな穴を、

僕とステファンは、

お互いで補うことにした……。


もちろん、全然足りないけど、

僕はステファンが好きだし、楽しいし、

ずっと一緒に生きていけると思う。


ステファンも、僕をウザがりながらも、側にいてくれるし、一緒に寝てくれる。

アドルフを知ってる僕のぬくもりを、失いたく無いんだと思う。

僕もそう。

ステファンのぬくもりを、なくしたくない……。


その夜も、

アドルフのベッドで……

僕はステファンを抱きしめて……

眠った……。



ステファンは、

「引っ越したって、狭いのにかわりねえから。」

と、大半の遺品を僕に譲ってくれた。でも、

「調理道具だけもらってもいいか?」

「どうぞ!僕には使い道ないよ。」


意外に料理好きなステファンは……、

アドルフの道具で食事を作って

これからを生きていくんだ……。


僕は、椅子、テーブル、ベッド、机、

思い入れのある服や靴や食器、本、などなどをもらった。

手帳はステファンに譲った。

大型家電は処分し、

その他はアドルフの実家へ送った。


最後に、

アドルフの家だった部屋の玄関ドアの鍵を、

ステファンと二人で、

一緒に閉めた……。


施錠の音は……

二人で歩む未来の、スタートの音だ……。





ステファンが引っ越した。

アドルフと過ごした事のあるアパートを出て。

「遊びに行ってもいい?」

とラインしたら、

「かまわねえよ。」

と返事が来た。



「ステファン家、初めて来た!」

僕は勝手にドアを開ける。

「へえ、ここがシャワー室で、こっちがトイレか。

あ、ベッドに座ってテレビ見るんだね!」

僕はさっそく彼のベッドに上がる。

「前の部屋ってロフトがベッドだって言ってたよね。それじゃあ、これは新しく買ったんだね!」

僕は寝転ぶ。

「……このマットレスも?新しく買ったの……?」

「ああ。」

「……。そっか……。あ、僕は紅茶がいいな!」

ステファンは黙って紅茶を入れてくれた。

「ありがとう!」

僕は起き上がってマグカップを受け取った。

ステファンは一つしかない椅子に座り、インスタントコーヒーを飲みながら言う。

「学校はどうだ?」

「普通だよ。」

三か月以上学校を休んでたから、心配してくれてるらしい。

「なんか急に涙が止まらなくなることあって、授業中だと困るけどね。

ステファンこそ、仕事どう?」

役者の初仕事がドラマの準主役だから、不慣れなことが多くて大変だろう。

「割と必死に頑張ってるよ。」

「じゃあ、僕が癒してあげるよ。」

ベッドから降り、椅子に座っているステファンの後ろへまわる。

「何する気だ?」

警戒しているステファンの肩をもむ。

「どう?気持ちいい?」

「……。」

彼は無言でうなずく。可愛い!

「……僕ら、頑張ってるよね。

ちゃんと約束通り、生きてるよって、アドルフに報告できるよね……。」

「ああ。褒めてくれてる。」

「……。」

僕は手を止め、ステファンを背中から抱きしめる。

「ステファン、ありがとう。」

「何が。」

「僕があの部屋に住み続けてたら、きっといつか燃え尽きて、また体調崩して廃人になってたと思う。

親にもステファンにも、迷惑かけて。」

「俺だって、引っ越す決心がついたのは、ルイスのおかげだ。

きっかけがなきゃ、あのアパートの部屋から出られなかった。

マットレスも買い替えられなかった。

何も区切りを付けられなかった。

……。

ありがとう。」

「……。」

僕は……ステファンをぎゅっとする……。

「……泣いてんのか?」

「……泣いてないよ。」

嘘。

お礼を言われたって、アドルフと過ごした場所を失って、

寂しくないわけない。辛くないわけない。

ステファンも、僕も……。

だから、ここにアドルフがいればいいのにって思っちゃって……。


ステファンはこんなにいいやつなのに、

アドルフと、もっと一緒にいられれば良かったのに……。


そうだ、これからは、

僕が、ステファンの希望になろう。


ステファンが前向きでいられるよう、

支えなくっちゃ。


アドルフと過ごした場所より、

お互い支えあうことを選んだんだから、


ちゃんとステファンを見て、


彼と手をつないで、


生きていこう。


涙が、ステファンのトレーナーにしみこんでいく……。


ステファンは、優しく僕の腕をなでてくれた……。



「そろそろ昼飯の支度するけど、グラタンとサラダでいいか?」

「うん!」

彼がしたくしている間、僕はベッドに寝そべる。

ベッドのそばに小さい本棚があって、

アドルフのお父さんがくれた本が入っているのを見つけた。

アドルフ少年が好きだった小説。

ステファンにことわって手に取り、読み始める。

すると、アドルフの手書きの詩が挟まっているのに気付いた。

小説に出てくる少年に片思いしている、恋文のような詩。


……何度も少年に恋をしてきたアドルフ……。


成就したのは、僕とステファンだけ……。


僕にプロポーズされるまで、

毎日が暗闇だったと話していた……。


幸せそうに僕の名を呼び


愛しそうになでてくれた、アドルフ……。



「ルイス……。


こうして君と愛し合うために


今までの日々があったんだ……。」



アドルフの愛は……


今でも、こんなにも温かい……。



本を抱きしめて泣いていると、

ステファンは、ティッシュの箱をそっと近くに置いてくれた……。




ルイスが俺の部屋に遊びに来ている。

彼が何気なく言った。

「ステファン、あのね、あんまり驚かないでほしいんだけど、

僕、去年、上級生からいじめられて、強姦されそうになったことが」


「は!!?」


「わ!大声!」

「強姦!!?聞いてねえ!!いつだ!?」

「アドルフともステファンとも出会う前だよ。

高校に進級して同じ校舎になったら、早々にちょっかい出してきて、倉庫に引っ張り込まれて。」

「何された……?」

「怖い顔だな!

ネクタイとシャツのボタンとベルト外されたところで、先生が来た。

僕を撮ってた手帳を取り上げて、全員連れてった。謹慎食らってたよ。」

「はあ……!?それで謹慎だけって……退学処分で逮捕だろ!

それ、アドルフには……」

「言ってないよ!ステファン落ち着いて!僕は無事だったんだから!

ていうか、彼らは裸の僕を映して辱める目的だったみたいだよ。ゲイでもないのに、男の子とするのは嫌だったんじゃないかな。

でも、その時の僕は、ヤられる!って思ってすごく怖かった……。」

「ルイス……トラウマとか大丈夫か……?」

「うん、大丈夫。

……ユマが助けてくれたんだ……。」

「誰?」

ユマ?初耳だ。

「元カレ。二個上の先輩。僕の悲鳴を聞いて先生を呼んできてくれた。

その事件がきっかけで彼に興味持って、僕の方から近づいて、付き合い始めたんだ。

でもユマも……問題起こして、学校辞めちゃってふられちゃったけど……。」

「……。」


俺は、アドルフの言葉を思い出す。

『ルイスは、付き合ってた上級生と、ひどい別れ方をしたらしいんだ。』


ルイスが言う。

「ユマに、また会いたい……。

愛してるって、

待ってるって、

言ったんだ……。」

目が潤んでいる……。


「問題を抱えてるけど、優しい人なんだ……。

はあ……。

……なんでかな……。

僕の好きな人は、みんなどっか行っちゃう……。


ねぇステファン、ステファンはそばにいてよ……。


僕の恋人になって……。」


「……」


俺はルイスの頭を撫でてやって、

抱きしめる……。


ルイスは俺を。


お互いの、

喪失を

抱く……。



「一分だけ付き合ってやる。」

「えー!?短すぎるよー!でも嬉しい!

……キスして!」

俺はルイスの口を手で塞ぐ。

抱きつこうとする手を掴む。

彼の目を見て言う。


「ルイス。一緒に生きて行きたい気持ちは、本当だぜ。

だから、長生きしてほしい。

俺もそうする。」


彼の頬と首を撫でて、

微笑んで、

キスした……。


離れると、ルイスは夢見心地のキラキラした目をして、

「そうする……!僕、長生きする……!

ステファンに百万回キスされるまで、死ねないよ!」


俺は時計を見てから、ルイスを突き放して、手の甲で自分の口を拭う。

「はあ……。誰がするか。バカヤロウ。」

一分経った。

「あああー!やだやだ!僕のステファン、戻ってきて!」

揺さぶられる……。

「そろそろ帰ってくれ……。」

「やだ!泊まる!絶対帰らない!」

「はあ……。タダじゃねえぞ。アドルフの写真、よこせよ。」

俺が見たことない写真を、まだ大量に持ってるらしい……。

「うん、わかった!エッチなのと、そうじゃないの、どっちがいい?」

「お前が写ってないやつだ!」





僕は、初体験は、絶対好きな人とが良かった。

通りすがりにお尻を触ってきたり、ゲイを嘲笑う事を言ったりして、

僕が嫌がるのを笑って見てるやつらなんか、

二度と顔も見たくなかった。


……力づくで、倉庫に引っ張り込まれて、

叫んだけど……

これはもう……

何したって痛い目に合うんだと……思って……

怖くても、抵抗できない……。


二人に両腕を掴まれて……

もう一人に、シャツのボタンを外されて……

泣きながらうつむいて……


もう何も考えない。

感じない。

見ない。

聞こえない……。

望みなく、重く……。


嫌がって身をよじる僕を、もっといじめたくてたまらないらしい彼らに、

今、天罰が下ればいいと思いながらも、

僕が魅力的だからこうなってるってことは、

自業自得なのかもと思えて……

自尊心が砕け散って……。


汚れたら、

もうこの先、僕を愛してくれる人なんて、

だれもいないんじゃないか……。


そしたら僕は、何の望みもない……

壊された、

自壊した、

人の屑になり果てて……

死ぬしかなくなるんだ……。


彼らは、

僕がすすり泣いて震えているのも、

面白いらしくて、

髪をつかまれ、

下品な笑い声を浴びせられて……。


すでに、全身奴らに……

目で、頭の中で、喰われている……。


ガンガンと、

殴るようなノックの音がして、先生の声がして、

ドアの鍵が開いた。


僕の腕と髪をつかんでるやつらの手が離れて、

僕は床に崩れ落ちた。


先生が奴らの手帳を全員分取り上げて、

外へ出させて、

ドアが閉まった……。


一人残された僕は、

震える手で制服を直して、涙を拭いた……。


長居したくなくて、恐る恐るドアを開けたけれど……

外には誰もいなかった……。


僕は……

走って家へ逃げかえった……。




翌日、僕は相談室へ呼ばれた。

奴らが謹慎になったことを知らされ、倉庫には監視カメラを付けたと言われ、

「カウンセリングを受けてみませんか?」

と、勧められた。

「はい。あの、助けてくれた先生にお礼がしたいです。」

というと、

「知らせたのは三年生のユマ・フラウさんですよ。」

と言われた。

「ユマ・フラウ先輩……。」

「科学部の部長だよ。」



ステファンが言う。

「それでお礼言いに行ったのか。」

「うん。そしたら科学部に入らないかって誘われた。

ユマは僕を知ってるみたいだった。

後で聞いた話だけど、体育祭とか、球技大会とか、文化祭とか、僕を見てたんだって。

まあ、僕は目立つから、目に入るんだろうけど、ユマは僕のことが気になってたみたい。

落ち着いた雰囲気の、やさしい感じの人だったから、僕は科学部に入ることにしたんだ。

ユマは土日も一人で実験してて、僕は手伝いに行ってた。

物知りで、

植物が好きで、

僕が好き。

僕も彼が好きになって、

彼から告白された時はうれしくて泣いたよ。

毎週土日に、部室でデートしてた。

愛されてた。

僕を見つめる目も、声も、キスも優しくて……、彼が大好きで……、

我慢できなくなって、僕は脱いだんだ。

その時、僕は初めて、恋人に触れられて……。

幸せだった……。

でも彼は脱がなかったし、触らせてもらえなかった。

万が一誰か来た時、対処するためだと思ってたけど……

実はユマは、その時の一部始終を、

盗撮してたんだ……。」


「盗撮!!??」


「知っての通り、その手の動画はAIに削除されて出回らないようになってるけど……

手帳から手帳への直の送信はできる……。

二日後に、生徒会の人に呼ばれて、取り上げたらしい誰かの手帳で、その動画の最初を見せられた。

ユマはそんなことする人と思えなかったからショックで……。

その生徒会の人と一緒に、ユマが一人暮らししてるマンションに行ったんだ。

会えなかったけど、インターホン越しに、気持ちを伝えたんだ。

待ってるから会いに来てって。

……盗撮されてショックだったけど、それでも僕はユマのことが好きだったから……。

彼は学校を退学になって、引っ越して、それっきり会ってない。

元気だといいな……。」

「……。」



落ち着いた性格で、穏やかなまなざし。

ユマは、自分のセクシャリティーを隠していた。

僕と付き合ってることも、周囲に隠してた。

だから、休日のデートは、秘密のデートだった。

ユマは、好きな人との秘め事が好きだったんだと思う。

それで、そうして手に入れたものを誰かに見せるのも、好きだった……。

いや、好きだったかどうかはわからない。

盗みは、自分で直すのが難しい癖だった……。

そして、盗んだら、見せずにはいられない。

そういう人だった。

そのせいで、ユマは孤独だった。

ユマと僕は、孤独な弱さで、ひかれあっていた。


危うくて、明るくて、淡い、二人きりの幸せな時間……。

「ルイス。好きだよ……。」

「ルイス。綺麗だ……。」


撮っても人に見せびらかさないで、僕にくれればよかったのに……。

でもユマは、僕に限らず、そうできない。

恋人との関係を保つことができない人だったのだ。


僕は、ユマと付き合い始めてから、いくつか持ち物を無くした。

「これ、書き味良くて気に入ってるんだ。」

そう言って、ユマが他の部員に見せていたペンは、僕が無くしたのと同じだった。学校の売店で買えるやつだから、気に留めなかったけど……

そういうことだったんだ……。


好きな人から盗んだものを、誰かに見せたい。


ユマの孤独に気づいたら、

僕は盗撮されたことなんて、どうでもよくなった。


盗癖がある、一人ぼっちのユマ……。



ステファンがため息をつく。

「はあ……。そうだったのか……。」

「まだその失恋を引きずってるときに、アドルフと出会ったんだ。

そんなだったから、

……アドルフとうまくいくか不安だった。

でも、新しい恋に夢中だった。

最初のあの頃が懐かしいよ……。」




「ルイスのご両親ってどんな人たちだ?」

「……僕に興味ない人たちだよ。二人とも華があって、社交的だから、知り合い多いし、恋人とっかえひっかえしてるし、遊び放題の貴族だよ。」

「貴族……。」

「着飾っていちゃいちゃするのが好きなんだよ。

僕は二人とほとんど会話したことない。愛されてない。

あの家で、子供は邪魔ものなんだ。

二人とも僕の気持ちがちっともわからないみたいで、まるでお化け扱いだ……。

だから僕は、めったに自分の部屋から出ないよ。

うっかり親と恋人がその辺でエッチしてるのに遭遇したくないし。

そんなでも、両親は仲いいんだよ。不思議な人達でしょ?」

「……。」

ルイスの親ってそんな人達だったのか……。

それでこいつはこんななのか……。

「ステファンのご両親は?」

「……俺の親も、俺に無関心だな。

でも、イラつくと、怒りの矛先はこっちに向けてくる。

貧乏なのはしょうがねえことなのに、八つ当たりしてくるから、それが嫌で中卒で就職して、一人暮らし始めたんだ。せいせいしたぜ。


思えば……俺もアドルフに八つ当たりしてたのかも……。

何か言った記憶はねえけど、態度に出てた……。

アドルフが少年しか愛せなかったのは、アドルフのせいじゃねえのに、

俺はアドルフに腹を立ててた。

どうにもできねえ自分にはもっとだけど。

何度しょうがねえと思っても、見守る以外どうしようもなかった……。」

「ステファン……。」

「アドルフんちに行ったら、家出少年がいたことがあった。

俺は脅かして、そいつを追い払ったんだ。

そういうことは二度目だった。

だから、泣いてるアドルフに、もうこんなことやめようぜって言ったんだ。

何度少年をそばにおいても、愛し合えなくて、

声変わりして傷つく。その繰り返し……。」

「……。」

「そしたらアドルフは、

僕を罰してって言った……。

僕を罰して愛して……って……。」



俺は少年に言ってやった。

『このオッサンはな、ゲイで、しかもチビのガキしか愛せねえ人なんだ。

ただで泊めてもらおうなんて、甘いぜ。』

『……ステファン……!』

アドルフの辛そうな声。

「どうしても困ってんなら、児童相談所へ行け。」

少年は無言で玄関へ向かった。

玄関ドアが閉まり、少年が遠ざかって行った。

震えて泣いているアドルフに、俺は言った。

『アドルフ……。もうこんなことはやめようぜ……。』

『ステファン……。僕を罰して……。

僕を罰して、抱いて愛して……。』


それは嫌だと思った。

俺がやさしくキスしても、触れても、

アドルフは、罰だと受け取る……。

心に刺さっている氷のくさびは、溶けない……。


『アドルフ。アドルフが少年を好きなのは、罪じゃねえよ。俺はそう思うぜ。

誰であれ、人を好きになることが、悪い事であるはずがねえんだ。』


でも、アドルフを幸せにしてやれないガキがそばにいるのは、我慢ならなかった。

だから、追い出した。


『人を好きになることは罪じゃない……。

……そうなんだろうね……。

だけど僕の夢は……君の知っている通り、叶っちゃいけないんだ。

夢は夢のままにしておくよ……。

君のそのやさしい言葉を胸にしまっておくよ。

もう二度と、少年を泊めたりしないから安心して。

時々来て、僕を見張ってて。』


『見張るとかそういうんじゃねえよ。俺はただ、アドルフが……』


アドルフは少し微笑んで言った。

『……ステファン、言って。

今までみたいに、金貸してって言って。』

『……。』


『僕を心配して、君が来てくれる。

君に、僕のお金を渡せる。

それだけで僕は、もう少し生きていようと思えるんだ……。』


『……毎月会いに来てやるから、長生きしろよ。』



俺はルイスに言う。

「以来、アドルフは少年を泊めなかったし、

俺は毎月様子見に行って、金をもらってた……。

お前がアドルフと暮らすまで、三年間そうだった……。


アドルフの望む、

悲しみを食い合って愛し合う関係として、

付き合っていくことも、考えてみた……。


でも……

成長した俺じゃ、アドルフを満たせないってことが、

幸せにしてやれないってことが、響いてて……。

だけど、

もしかしたら、その関係を続けてるうちに、

何かが変わって、

成長した俺のことを、愛せるようになるかもしれねえって思ったけど、

……そうじゃないかもしれねえ。


思えば俺は、怖がって逃げてたんだ。

声変わり前に、泣いて懇願しても、身体をはっても、アドルフを少ししか変えられなかったから、

これから先は、ますます無理なんじゃないかって……。

逆に、アドルフを追い詰めて壊してしまうんじゃないかって……。


アドルフは、一人でいたほうが、

氷のくさびのことを気にしないでいられて、幸せなんじゃないかって……

思って、見守ることしかしなかった……。


ルイスがアドルフを変えてくれて、ほんと良かったぜ……。

ありがとう。

明るいアドルフと過ごした時間は、

今までの人生で、一番幸せな時間だったぜ……。」


「ステファン……!」

ルイスが泣きながら抱き着いてくる。





まだアドルフと出会う前のこと。


学校の図書室で。

「先輩……」

僕は図書委員の先輩に近寄る。

彼は一歩下がる。

「ちょっ、落ち着いて。」

と、本を盾のように構える。


「聞いてくださいよ僕の不幸を‼」

僕は、本を持っている彼の両手を握って泣く……。


「……わかったから、図書室では静かに。」

と、やんわり手をどけられた。


先輩は僕を、準備室に入れてくれた。

「どうぞ。」

お茶も入れてくれた。

僕はずっと泣いている。

先輩は軽くため息をついて、

「俺は何もしないし、聞いても忘れるけど。」

「いいんですよそれが。そのドライさが。」

「あ、そ。」

僕はこの二か月のことを彼に話した。

強姦未遂のこと。ユマのこと。

「……はあ、大変だな。」

彼の、大変だな。は、同情というより、

珍しいな。に近い。

「あのさ、もう向こうへ行ってもらってもいいかな。悪いけど。」

と、図書室のドアを見る。

でも、僕のことを嫌がっているわけじゃない。

泣いてる僕と二人きりで籠もってて、何か噂がたったらお互い困るからって理由で、僕を出て行かせようとしている。

僕は微笑む。

「先輩って、

僕に対してすごく清いし軽いですよね。

何も僕に刻み付けないし、

触れないし、

甘やかさないですね。

だから僕は、先輩の前では、みっともなく自立していられるんです。

先輩のそのニュートラルなやさしさ、好きですよ。」

「……。」

「あ、もしかして、その清さ、ほかの人にもですか?」

「割と。」

「へえ、間合いが取れてていいですね!」

僕はにっこりする。

「ドライな先輩の間合いに入って心を溶かす人、現れたら教えてくださいね!応援しますから!」

「いらないから、その代わり、図書室で派手に泣くのは今後一切勘弁して。」

「あはは!すみません!なんか先輩のたたずまいを見たら急に……こみ上げてきちゃって。

話聞いてもらったおかげで、少し元気出ましたよ。」

「もう忘れたけど。」

気にしてない振りをしてくれる。

人を心配したり、不安になったりすると、重くて、人間関係をフラットにできないと知っているのだろう。

先輩だって、重たい感情と無縁じゃないだろうけど、表に出さない人だ。 

やっぱり好きだなあ!

「僕でよかったら、先輩の悩み聞きますよ!」

「何とかなってるからいい。というか、楽しそうに言うやつに話したくないんだけど。」

「ふふ!すみません!あ、本を借りに来たんだった!」

と、手帳の画面を見せる。

「ああ、これならD-76だよ。」

「さっすが!」





僕は久しぶりに図書室へやってきた。

ちょうど、カウンターに図書委員の先輩がいた。

彼も僕に気づいた。

「お。」

「お久しぶりです。」

僕は笑顔を作り、手帳の画面を見せる。

「どれかあるといいんですけど。」

先週、アドルフの実家へお邪魔した時、アドルフのパソコンからコピーした読書記録を、先輩に見せた。

彼は、

「確かこの本は……」

と、次々見つけてくれた。

「ありがとうございます!」

手帳と本をカウンターに置き、貸出手続きをする。

先輩が言う。

「長く休んでるって聞いたけど。

復帰できて良かったな。」

「……。」


復帰したくなかった……。


ずっと、アドルフと一緒にいたかった……。


涙があふれてくる……。

「……。」


先輩は、こちらを見て静かに驚いている。

「すいませ……」

一度泣きだすと、止まらない……。


「あっちで一息ついたら。」

と、準備室を示し、僕の手帳と本を運んでくれた。


先輩がお茶を入れて、

「ん。」

僕の前に置いてくれた。

「ありがとうございます……はあ……。」

毎日こんな調子で、制服が涙まみれだ。

僕は、お茶を飲みながら窓の外を眺める。

木の下のベンチで、仲良くしゃべってるカップルがいて、また涙が出てくる……。



僕が泣くたび……


やさしく涙をぬぐってくれた……


アドルフ……。


アドルフが読んだことのある本の表紙をなでる。


今はこうして、

アドルフの残してくれたものを、

一つ一つ愛でるしかない……。


……アドルフのことは、先生にも、友達にも、だれにも言ってない。

でも、僕の様子からなんとなく感づいてるだろうけど。

常緑の木々が風になびいて、さらさらと音を立てている。


もう、春の日差し……。


アドルフと……


たどり着きたかった……


春が……


やってくる……。


……夏も、秋も、


次の冬も、次の春も……。


アドルフが病気じゃなかったなら……


今だって、僕らは……。



……頑張って勉強して、

アドルフの病を研究して、

僕が治せるようになったら……


この悲しみと無力感を、

消せるかもしれない……。


そう思っている……。


僕は振り向いて言う。

「先輩。僕、先輩と一緒に卒業しますよ。」

「……へえ。……いいんじゃね。」

彼はパソコンの画面を見たまま。

ドライな先輩らしい。

僕はにっこりする。

「一年三か月のハンデなんか、楽勝!」

お茶を飲み干した……。





僕は毎日、AIで勉強している。

AIは便利だ。

二世代前までは、紙のテキストや問題集を使って勉強してたらしいけど、今は使われていない。

AIなら、総体的にも、専門的にも、効率のいい勉強ができるから。

学校は、僕は勉強しに行くんじゃなくて、気分転換に行く。

友達としゃべったり、本を借りたり。

授業は家で、1.5倍速で、流し聞きしてる。

勉強時間は、毎日八時間ほど。


アドルフの病を治すまで、僕は頑張るつもりだ。


ステファンも頑張ってる。

いろんな役をこなして、活躍してる。





「ステファン、こないだドラマ見たよ!

女優さんとのダンスシーンがすごくきれいだった!

ステファンの、女性を見る表情って、色っぽくっていいよね!

あんないい雰囲気で演じられるんなら、女性とも交際できるんじゃないの?」

「女性はきれいだけど……

いまいち考えてることがわからねえんだよ……。

気の合う人はいるけどな。

惚れた事は一度も無いし、交際する気にはならねえな。」

「うーん、ステファンって、やっぱりちょっと深みが足りないよね……。」

「うるせえ。お前に言われたくねえ!」





アドルフが入院する前のこと。


アドルフが、

リビングの、

自分の席に座って、

手帳を見ている。

僕は、彼に微笑む。


僕は、

片付いているテーブルの上に、

身軽に飛び乗って

寝そべる。


「ア・ド・ル・フ!」


手帳より、僕を見てほしい。

僕は、着ているシャツのボタンを、

ひとつひとつ外していく……。

肌を見せて……

ズボンの前立ても開ける……。


アドルフは愛しそうに微笑んで、

僕の肌をなでてくれる……。

僕の片手を持ち上げて、

指にキスしてくれる……。


僕はうれしくて笑う……。


彼は、僕の前立てに手を入れ、

インナーを下げる……

それから、

温かい両手で、

そっと包んでくれた……。


「あ…………」


やさしく押し包まれて……


「ああっ……!」


僕は震えて

身もだえる……。


…………


僕は

ぐったりと……

テーブルに寝そべったまま、

片手を伸ばし、

アドルフの腕に触れる……。


彼は席を立ち、

僕を抱えて、

ゆっくりと抱き起す……。


そして、

正面から抱きしめられた……。


頭と肩を……

やさしくなでられる……。

キスされる……。


僕は……

彼のズボンの前立てを開け……

さっき彼がしてくれたのと、

同じことをした……。




「ア・ド・ル・フ……!」


アドルフの席を見つめ

僕はテーブルに寝そべる……。


「アドルフ……。

あの頃より、十五センチも背が伸びたから、

テーブルが狭いよ……。」


薄っすらほこりの積もった椅子の背を、

指先でなでた……。





ある日の夜。

酔っぱらったルイスから、電話がかかってきた。

「ステファン~。迎えに来て~。動けないんだー!早く来て!」

ルイスは、今二十歳。医学部三年生。


言われた場所に急いで行ったけど、

「いねえ……。」

舌打ち。

周囲を探すと、ルイスが男と腕組んで歩いてるのを見つけた。

「ルイス!」

「あ、ステファン!奇遇だね!」

と、彼は軽く手を振って、すれ違おうとする。

「ちょっ、お前が呼んだんだろ!」

「え?そうだっけ!ごめん、僕、この人とデートするから帰っていいよ!」

と、男に寄り掛かる。

「ね。」

と、そいつに微笑んでキスする。

俺は男に言う。

「お宅、どちらさんですか。」

男は冷たく俺をにらむ。俺はルイスをにらむ。

「ルイス?」

「いいじゃん、さっき歩道の柵に座ってたら声かけてくれたんだ。

やさしーんだよ、彼。行こう。」

と、立ち去ろうとする。俺はついていく。

「待てよ!どこ行くんだ!?」

「どこって、はは!野暮だなあステファン!」


ゾワッとする。


俺はルイスの腕をつかんで引き止め、胸ぐらをつかむ。

「ルイス!お前、しょっちゅうこんなことしてんのか!?」


「ああ!もう、乱暴者!嫌い!」

と、俺を振り払おうとするルイスの手をつかむ。


「お前……!!いつからだ!?

アドルフが悲しむだろうが!!

自分を大切にしろ!!」


なんで俺は、今まで気づけなかったんだ……!


「……。」


ルイスは半目で俺を見つめる。


「……じゃあステファンが忘れさせてよ……。

僕が、真っ暗で空っぽなことを忘れるくらい、僕を」


手で彼の口をふさぐ。


問答無用でタクシーに乗せ、俺の部屋へ連れ帰った。



「いい部屋に住んでるよね。やっぱり人気俳優は違うな!」

ルイスに水のボトルを渡す。

「全部飲め。」

「ハイハイ。」

ルイスは一気に半分飲み干す。にっこりして、

「飲んだよ。早く寝室へ行こう。」

俺の腕に抱きついてすり寄る。


俺はルイスを寝室へ連れて行く。

それから俺のパジャマを手渡す。

「休んで忘れろ。」

「もう〜、なんなの〜?ステファン〜。」

部屋を出て、彼が着替え終わったころに様子を見に行ったら、ルイスは着替えずにベッドに横たわって、寝息を立てていた。

俺はため息をついて、彼を脱がせてやる。

「ん……。」

パーカーと靴を脱がせてから、抱えてジーパンを脱がせて転がすと、Tシャツと下着姿の彼は、薄目を開けて俺を見上げていた。

「起きてんなら自分で着替えろよ!」


ルイスは起き上がり、

片手を伸ばして

俺の頬に触れ、

撫でる。

彼はやさしく微笑んで、


「アドルフ……。」


「……。」

俺は今、役のために髪が短い。少し、アドルフに似た髪型……。

それに、俺がスタンドの明かりに背を向けてて逆光だから、アドルフと間違えているらしい……。


ルイスは幸せそうに

俺を抱える。


「アドルフ……。

今日も、月夜の神殿に連れてって……。

僕を愛して……。」


と、俺の耳を食む……。


……あのロマンチストは、その設定が好きだった……。

俺にも話してくれた……。

俺の部屋の、ロフトベッドで……。


「僕が、月夜の神殿を訪れると、

側の川辺一面に、白くて細かい星のような花が咲いているんだ……。

その向こうに、ステファンが、川に足を浸して、僕を待ってる……。

僕達は、歩み寄って、キスして、

花畑の小道を、神殿へ向かう……。」

『綺麗だな……。

だけど、もしかして、ルイスにも同じ話してねえ?』

と言ったら、アドルフは真っ赤になって、顔を手腕で隠して、

『ステファン!

ルイスとは違う場所なんだ!ステファンのは川辺にあって、ルイスのは、』

俺はおかしくて笑った。

『ははは!そんなんどっちでもいいけど!

そうだな、違う場所にして!』

『……。ごめん……。』

目を伏せて恥じているアドルフは、かわいかった……。

『笑ってごめん。アドルフ……?

……あの映画みたいだ。昔一緒に見た。』

『うん……。』

俺は、印象に残っているセリフを言った……。

すると、

本当に二人で神殿で過ごしているように……

感じられた……。



Tシャツ姿のルイスは、俺にキスする……。

俺は、髪をなでてやる……。


ふたりでゆっくりと……

横になる……。


アドルフのいない……

神殿のベッドで……、

俺たちは……

行き場のない心を……

抱き合っている……。


香の香り……。

中庭の噴水の音……。

銀の月明かり……。


俺はアドルフの口調を真似る。

「……ルイス。ごめん。今日は疲れてるんだ……。」


ルイスは優しい声で言う。

「そっか……。

ごめんね、アドルフ。じゃあ、僕を抱えて眠って?」


「うん。おやすみルイス……。」


明かりを消し、

俺たちは、抱き合って……

眠った……。



翌朝。

抱えているルイスが目を覚ました。

「ん……。……あれ!ステファン!?

え!?ステファンの家?ここって!」

と、部屋を見回す。

「覚えてねえのか。」

「うん、全く……。

えっと、昨日はバーで飲んで……好みの人が一人も捕まんないから帰ろうと思って、

……んん、そっから先が思い出せない……。」

「はあ……。お前が電話してきたから、迎えに行ったんだ。そしたら男に釣られてたから、連れ帰ってきたんだ。

ってか、酒に強くねえのに飲んでんじゃねえよ!」

「ううん、そうだね。気をつけようと思ってるよ。

今までも何度か、朝起きたらこんな風にホテルにいて、知らないお兄さんが隣に……

あ!ステファン、もしかして僕たち、昨日何かした!?」

「キスしかしてねえ。」

「そう……。」

「ルイス。頼むから、行きずりに、見ず知らずの人とホテルに行くな!」

「うん……そこはいつも記憶になくて。

普通に恋愛するつもりで飲みに行くんだけど……。

良いなって思った人じゃなくて、なんでこの人と?って思うような人と寝てるんだよね……。

僕だってそういうのは嫌だからさ……、

はあ……。もうあんまり飲まないようにするよ……。

シャワー借りていい?」

「どうぞ。」

ルイスがバスルームへ行った後、

俺は舌打ちし、深くため息をついた……。

「はぁ……。ルイスの大バカヤロウ……!アドルフが泣いてるぜ……!」

俺もだ……。



朝食を食いながら、説教と尋問をする。

「リスクしかねえんだからな。今までに何人だ?

物を取られたり、ケガさせられたりしてねえだろうな。」

「してないよ。三人だよ。僕はそんな怪しい人についてったりしないよ……。

ステファン、顔怖い。」

「昨日のお前は、そうは見えなかったんだよ!」

「うん、ごめん、ほんともうやめるから。

せっかくのステファンの料理がまずくなるから、お説教はその辺で勘弁して。

すみませんでした。ちゃんと生きていきます。」

俺はため息をつく。

「はあ……。」

それから、ルイスの眼をじっと見て言う。

「……ルイス。寂しいんだったら、俺んとこに来いよ。」

「え、ありがとう!やさしい……!

そっか。そうだよね!やっぱりステファンも寂しいよね!

恋人になって、一緒に住もう!」

「いらねーから。毎日お前の世話すんのはごめんだ。」

「……振られた……。」

しゅんとする。

「……。」

なんか一つくらいほめてやろうかと思ったら、ルイスが顔を上げた。

「……あ、思い出した。」

「何を。」

「あー、また同じパターンになるなーと思って、ステファンに電話したんだった。」

俺はため息をつく。

「自分で気づけるようになったんなら、大した進歩だ。

……今度の土曜日、予定空いてるか?」

「うん。デートしてくれるの!?」

「病院行こう。付き添ってやるから。」

「ええー!……ありがとう。」

「……まて。もしや、何度か行ったことある……?」

「う、うん。病気怖いからね、ちゃんと毎回検査してる……」

「……てめえ……いつもとか、毎回とか、本当は何回だ……?三回じゃねえだろ……?」

「あ、そうだ!旅行来月だね!すごく楽しみなんだ!僕、火山の噴火を生で見るの、ずっと憧れてたんだよね!」

「ごまかすんじゃねえ!!」

「ごめんなさい!ステファンは噴火しないで!

ちゃんと健康だから許して!」





何度電話をかけても、ルイスが出ねえ……。

舌打ち。

前回、酔ったルイスに呼び出されて、どこの馬の骨だか分からねえヤローから引き剥がして、タクシーで連れ帰って以来、

俺は毎日、この時間に彼と連絡をとっている……。

もう一度かける。やっぱり出ねえ……。

不安だ。GPSの示してるバーに問い合わせようかと思っていると、

玄関チャイムが鳴った。

画面を見ると、ルイスが映っている。

ホッとしてドアを開けると、酔っぱらったルイスが入って来た。

彼は、入ってくるなり俺に抱き着いてきて、

悲痛に叫ぶように言う。

「ステファン!僕を抱いて……!」

「酒くさ!もう飲まないことにしたんじゃなかったのかよ!」

絡みついてくる腕をほどいて、酔いを醒ましてやろうとしても、しつこく絡んでくる。

「ねえ!ステファンっ」

服を脱ぎ始めて、俺も脱がされそうになる。

俺はルイスの両腕をつかんで抵抗する。

「いやだ!お前とはしたくねえ!」

するとルイスは涙目になって、切実な声で叫んだ。


「じゃあ、僕を殺して……!」


俺も怒鳴る。

「お前、もう二度と酒飲むな!」


彼は傷ついた眼をして、俺に縋り付く。


「この暗闇を、忘れさせて……!

お願い……!

ステファン……!」


震えていて、涙が幾筋も頬を伝う。


こいつは酔うと、怪しい男について行くか、死にたがりになるのか……!


俺は舌打ちして、

ルイスをソファーのところへ引っ張っていき、

「ここに横になれ。」

横向きに寝かせた。


「ステファン……?」


それから、

彼の腸骨をつかんで……

ゆっくりと……

揺らした……。


昔、アドルフにしてもらった方法だ。

ルイスにするのは嫌だけど、しょうがねえ……。

間接的だけど、十分感じる……。

十四の時、アドルフにしてもらって、すごく気持ちよかった……。

けど、ルイスは……


「あ……ステファン……!やめ……うっ」

ルイスは床にうつむいて、苦しそうに吐いた。

あぁ……そりゃそうだよな……。


「悪い……。気にしねえでいいから、全部吐いちまえ。」

「うっけほっ……うう……はっ……はあっ……」


吐瀉物は、ほとんど液体だ……。

俺は冷や汗を拭いてやり、

起こして、隣に座って支え、水を飲ませる。


「俺んとこに来るようになったのは進歩だけど、吐くほど飲むんじゃねえよ。

どんだけ暇なんだよ、医大生……。」

ルイスはぐったり俺に寄り掛かったまま、弱々しく言う。

「ごめん……ありがとう……ステファン……。」


栄養補給飲料も飲ませた。

担いで運んで、ベッドに寝かせ、

汗で湿った服を脱がせた……。

後始末してから、

一緒に眠った……。



『暗闇を忘れさせて……!』


か……。


俺も、忘れたい……。


アドルフを失ってできた、

真っ暗で、果てしない穴を……

もう、見たくない……。



『僕を殺して……!』



アドルフのところへ……


俺だって……


行きたいさ……。




翌朝。

「ん……あれ!?ステファン!」

目覚めたルイスは、きょとんとしている。

「……。」

俺の顔を覗き込んで、首を傾げ、

「……ステファン、僕たち昨日、何かした?」

「お前が吐いて、俺が掃除した。」

「え、ごめん……。」

すまなそうに、手で口を覆った。


その日の午後。

ルイスの手帳は、飲んでたバーで見つかった。

「よかった。取りに行かなきゃ。」

「今度手帳を忘れたら、額にGPS埋め込んでやるからな!」

「え!なんでおでこに!?やめて!手首とかにして!もう〜、そんなに心配なら、僕を恋人かペットにして、連れ回してよ!」

「あのな、心配なのは、お前がガキだからだ!」

「え!そんな事ないでしょ!?まだ学生だけど、ちゃんと自立してるよ!」

「はあ……頼むから、酒の適量を覚えてくれ……。ってか、飲むんじゃねえよ!

なあ頼むぜ、ルイス。ふらふらするな。俺が遊んでやるから。おとなしくしてろ。」

「ステファン……!嬉しい!遊ばれたい!セフレでもいい!」

俺は舌打ちする。

「ああ、言い方悪かった。……はあ……。」

ルイスは期待して待っている……。


「俺の声が届くところにいてくれ。」


ルイスは目を輝かせて身悶える。

「……ふわあ……!もう、プロポーズにしか聞こえない……!」

どこがだ……。

「繰り返すが、お前がガキだから心配してやってるんだ!」


ルイスの高揚した顔面が間近に迫る……。

「ステファン、誓うよ。」

キスされる……。

「……」

「ん……」


「……ルイス。」

「うん?」

「お前は良いな。正直で。

自分の生きたいように生きてる……。

嫌なら嫌だとはっきり言える。

羨ましいぜ。

アドルフも、お前のそういうところに希望を見てたんだ。」


「ん?人間、したいようにしかできないと思うけど?

わがままって、誰にでも必要だと思うんだよね。

でも、僕は、アドルフみたいに忖度する機能が欠けてるのかも。」


「し過ぎないって事なんじゃないか?思いやりはあるんだし。良い事だせ。

アドルフはそのへん不器用だったな。忖度し過ぎてた。」


ルイスは甘い笑顔で言う。

「ステファン、僕、アドルフを幸せにできて、僕もすごく幸せだった。

ねえ、僕と付き合ってくれたら、ステファンの事も、きっと幸せにしてみせるよ!

二人で、愛の階段を登ろう。」

「……」

アドルフも言ってたな。愛の階段、か……。

アドルフが言うと……、

詩的で美しかった……。


ルイスは再び、キスしようと近づいてくる……。

「……」

「…………」


何度もキスされる……。

「……は……」

ルイスの息が熱くなってくる……。

「……」

「ちょ、舌はやめろ!」

「ええー!?いいじゃない!……え、ちょっと、キモいとか思ってるの?ステファン?」

ルイスは悲しげに俺を見ている。

「そうじゃねえけど……」


俺は少しも、そういう気分が湧いてこない。

気づきたくなかったけど、

そうなんだ……。

コイツのせいじゃなくて……

多分……


ルイスが不安そうに俺の目を見つめる。

「……ステファン……僕、下手かな……?」

「いや……」

ルイスを抱き寄せ、髪を撫でる……。


「悪い、

俺はきっともう、

誰かと過ごして、幸せに浸り切る事はできないんだ……。

お前に限らず。」


幸せへ駆け上がる事は、

もうできない……。


「……ステファン……」


「悪かったな……。」


「……そんな事、無いと思う……!

きっと僕が……

僕でなくても、いつか必ず、誰かと恋をするよ……!

ステファン……」


ルイスは涙をこぼして、俺を抱きしめた……。





撮影が終わると、マネージャーが俺のところへ走ってきた。

そして手帳の画面を見せる。

そこには地図が映っている。

彼女が言う。

「ルイスさんが、バーから出て、移動中です。」


俺はルイスのGPSを追って車を運転する。

アイツは車で移動して、ビルに入ったらしい。

イヤホン越しにマネージャーに聞く。

「何のビルだ?」

「それが……噂がありまして、もしかしたら……」

彼女の説明を聞いて、俺は車を飛ばす。


ビルにつくと、ダッシュで中へ入り、暗い廊下を通り、

「どけ!」

人を押しのけ、次々とドアを開ける。

「ルイス!ルイス!?どこだ!返事しろ!」



僕がいい気分でフラッシュを浴びていると、聞きなれた声が。

「ルイス!」

ドアが開き、ステファンが走ってやってくる。

「ああ、もう、何!?ステファン!」

「何やってんだお前‼」

手に持っている自分の上着を僕に投げつけてくる。

僕は払いのける。

「見てわかるでしょ!ファッションモデルにスカウトされたんだ!」

けれど彼は怖い顔で舌打ちする。

「話しは後だ!」

振り向いて、

「おい、今撮ったデータ全部渡せ。でないと訴えるぞ!」

カメラマンを脅し、メモリーカードを受け取る。

「ええ!?ひどい!なにそれ!ステファン!?どういう事!?」

「こいつの服はどこだ!?」

と、スタッフをにらむ。

もう僕はうんざりしてあきらめた。

「衝立の後ろ‼そんなに僕がモデルするの嫌いだったんだ!?」

ステファンは舌打ちしながら服を持ってきた。

「控えめに言って、最低だよ!?」

裾をたくし上げて脱ごうとしたら、ステファンに無理やり裾を下ろされて、上着を着せられた。

腕をつかまれ、引っ張られて、早足で廊下を通り、建物の外へ出る。

停めてあったステファンの車に乗せられる。

ステファンは、上着で顔を隠してここまで来た。

彼はかぶっていた上着を取り、車を発進させる。

ステファンはため息をつく。

「はあ……お前がここまで馬鹿だとは思わなかったぜ……。」

「こっちのセリフ!いったい何なの!?過保護やめて!」

ステファンはバックミラー越しに、じっと僕をにらむ。

「……どうせ僕は、ちやほやされたいだけの、さびしがり屋の酔っぱらいだよ!」

「よくわかってるじゃねえか。

はあ……あいつらの目的はな、お前のAV撮ることなんだよ。」


僕は驚く。

「ええ!?うそ!」


「噂だけどな。火のねえところに煙は立たねえ。」

「僕をスカウトした人も、スタジオも、感じ良いと思ったのに!」

「そういう手口なんだよ!」


「そんな……」

ショック……。

それで露出多めの服着せられたのか……

ポーズも可愛くセクシーにって……。


「……バカでごめん……。ありがと。」

「今日はそんなに酔っぱらってねえんだな。」

「うん、バーで飲み始めて、割とすぐ話しかけられてさ……。」


知ってるファッション雑誌だったから、うれしかったのに……。


こんな、自尊心を踏みにじられて……。

まんまと騙されて……。


ステファンが来なかったら僕は……

囲まれて、

脅されて、

何をわめいても、

従わざるを得なくて……

知らない人たちの前で、

全部見られて……

屈辱を……

味わわされて……。


僕は、好きな人とエッチするのは大好きだけど、

そうでない人と、無理やり見せ物にされるなんてまっぴらだ……。


そんな仕事、絶対したくない……。


ステファンの言う通り、

信じて浮かれて、あいつらについて行った僕もどうかしてるけど、


人を騙して傷つけるのをなんとも思わない、

若者を食い物にする、あの大人たちは……


「……。止めて。」

「ルイス?」

「気分悪い。」

車を止めてもらい、路肩の排水溝のとこで吐いた。

「……うう……」

「全部吐いちまえ。」


僕を誘った人たちの顔を思い出す。

大人たちの悪意が、

気持ち悪い……。

嫌だ……。


「うえ……」

最悪な気分だ……。

高一の時、倉庫で脱がされそうになった時の事も思い出してしまった……。


僕が綺麗なのは……

こんな目に遭うためなんかじゃないのに……!


悲しい……。涙が落ちる。

「はあ、……うう……うえ……」


ステファンが肩を擦ってくれる。


……少し楽になった。

あいつらに向かってつばを吐く。


ステファンが水のボトルを差し出した。

僕はそれで口をゆすぐ。それから何口か飲んで、残りで排水溝を洗い流した。


「ステファン、ごめん。ほんと助けてくれてありがと……。」

ステファンは、じっと僕を見て、

「ルイスは被害者で、あいつらは犯罪者だ。

地獄に落ちる奴らの事なんか、忘れろ。」

「うん。ありがと。」

僕はまだ、涙が止まらない……。



ステファンは、僕のアパートの部屋まで僕を送ってくれた。

さらに、ストックの缶詰とレトルトの米で料理を作ってくれた。


「はあ……ハードな一日だったぜ……。」

と、ステファンは、ぐったり壁に寄り掛かる。

ずぶぬれで犯人を追いかける撮影だったらしい。

「それで髪が濡れてるんだ!」

滴ってシャツの襟ぐりも濡れてる。ろくに拭かずに服を着たのだろう。寒そうな顔色。

「急いで着替えたから下着も濡れてんだよ。」

「ステファン……。アドルフの服貸すからお風呂に入って。風邪ひいちゃうよ!」

さっきも、くしゃみしてた。


ステファンがお風呂に入ってる間、僕は彼のマネージャーさんにメールする。

「すみませんでした。これからは十分気を付けます……」


彼女とステファンのおかげで、

僕は悪意に食われずに済んだ……。


自業自得だと、自分を傷つけずに済んだ……。

嘆いて泣き寝入りせずに済んだ……。

フラッシュバックに心を壊されずに済んだ……。


本当に感謝だ……。


アドルフの服を着たステファンが、ため息をつく。

「はあ……ほんと、通報しねえで済んでよかったぜ。」

「うん……。」

「お前がひどい目に遭ってんじゃないかって、ぞっとしながら踏み込んだんだぜ。」

「うん。本当にありがとう。あ、あとからもう一人来てくれてたね。」

ビルの外にスーツの男性がいた。

「ああ、弁護士だ。もぎ取ったメモリーを渡したんだ。撮影権に強い人だから、ちゃんとしてくれる。」

「謝罪のメールをしなきゃ。」

「俺から伝えとくよ。ほかにも被害者が写ってるかもな。

ルイス。今後は、ろくな紹介状も契約書もねえのに人に撮らせんなよ。

モデルの仕事してえんなら、まず俺に相談しろ。

それと、人前で気軽に脱ぐな。」

僕はさめざめしている。

酒が入ってたとはいえ、甘い言葉をうのみにした自分が情けない……。

「うん、ほんと気を付けます。」

「つーか、酒飲むんじゃねえよ!」

「はい。」

寂しいと、つい、出会いを求めてバーに行っちゃうの、いい加減やめよう……。

「あ、ステファンもリゾット食べて!」

器とスプーンを用意してよそう。

「あのな。寂しくても、どんな理由でも、絶対身売りすんなよ。」

「え、うん。しないよ。約束する。嫌だよそんな仕事。」

「いたたまれねえから。」

「え、もしかしてだれか知り合いにいるの?」

「いねえけど……。」

「ステファンが演技してるとき、わかるようになっちゃった。

もしかしてそれ、リョーヤさん?」

リョーヤさんはステファンの恋人だ。

何か事情があって故郷の日本を離れているらしいし、謎が多い人だ。

「……。」

否定しないってことは……。

「とにかくするなよ。」

「うん。しないよ。ありがとう。ステファンがいてくれて、僕は幸せだな!」

僕は彼に抱き着く。

「何度も言うけど、寂しいんなら俺を呼べよ。」

髪をなでてくれる。

「うん……。」

ぎゅっと抱きしめる。

ステファンとこうしてると、ほんと安心する……。

心配そうな表情で、頬にキスしてくれる……。


ステファンが、恋人になってくれたら……。

僕はもっと、頑張れる気がする……。


けど、言うのやめよう……。

引き止めるのも、やめとこう……。


これ以上、彼に甘えて迷惑かけるわけにはいかない……。

もう、ステファンには恋人がいるんだし……。

これからは、僕は今までみたいに甘えていられないな……。

自分一人で、ちゃんと頑張らなきゃ……。


一人で……


ステファンが言う。

「もう少し料理してやるから、風呂入って来い。」

「え、」

「そんな目えしてるやつをほっとけねえよ。泊まってやる。」

「ステファン……!ありがとう……!」

すごくうれしくて、抱き着く。

キスする。

でも、髪を引っ張って引きはがされる。

「犬みてえななつき方すんなよ!」

「ああ、もう……キュウン……しくしく……」

そのまま襟首をつかまれ、風呂場へ連れてかれた。

嫌がりながらも世話してくれるステファンが、かわいいし、うれしい。



ベッドに横たわって、僕はステファンをまっすぐに見上げてほほ笑む。

「ステファン。好きだよ。

大好きだよ。」


彼は僕にかがみこんで……

長いキスを……

してくれる……。


そうしながら僕らは……

お互いの気持ちを……

食べあう……。


僕たちは、アドルフが生きていた証……。

だから僕らはこうして助け合って、

心を寄せ合って、生きている……。

し、ステファンのやさしさが、僕は大好きだ……。


ステファンのキスは、いつもやさしい……


幸せ……。


離れて横たわったステファンの肩を枕にして、片手で彼の胴を抱える。


「……ステファン、ごめんね。

僕、ステファンの希望になるって決めたのに、

逆のことばっかりしてて、自分が嫌になる……。」


もう何度も彼に救われてる……。

申し訳ないな……。


「ごめん。僕は壊れてるし、重いよね……。

ごめんね……。」


彼は僕の髪をなでて、優しく微笑んで言う。

「ルイスは、ちゃんと頑張ってるし、壊れてなんかない。重くもないぜ。謝らなくていい。」


気休めの言葉だ。

ステファンの、可能性のドアである僕が元気ないと、ステファンは自由に活躍できないから、そう言うのかもしれないけど……

ステファンにやさしくそう言われると、

少しは自分を信じられる気がしてくる……。


「うん……ありがとう。ステファン……。」


彼が着ているアドルフのパジャマに……

涙がしみ込んでいく……。



「ありがとう……

ステファン……。」



温かくて……

安心して……

溶けるように……

眠くなってきて……


そのまま眠った……。




寝付いたルイスに言う。

「ありがとうはこっちだぜ……。」


ルイスはさっき言っていた。

『僕、ステファンの希望になるって決めたのに、

逆のことばっかりしてて、自分が嫌になる……。』


俺の希望になる……。

そんなこと考えてたのか……。

コイツはだいぶウザいけど、いいやつだ……。

俺はコイツをちゃんと気にかけて、助けて、守ってやらなきゃ。

それには、俺がちゃんと、生きてなくちゃ。





ステファンに恋人ができて、よかった。

本当によかったって思う。


ステファンは電話で伝えてくれた。

「ルイス。

俺はつい最近……、恋人ができたんだ。」

「……そう。」

「リョーヤって名前で、俺がよく夕飯食いに行く店で知り合った。」


良いことあったって雰囲気だなと思ったよ……

「そう……そっか……

そうなんだ、よかったね、ステファン……!」


僕は泣いた……。


喜ばしかったけど、

悲しくて、痛くて……。


本当にステファンは……、

僕じゃダメなんだ……。


僕は、

いつかはステファンだって、

僕に恋してくれるんじゃないかって、

ずっと……

期待してたんだ……。


泣き止むまで、ステファンは待っててくれた。



僕は鼻をかんで尋ねた。

「どんな人?リョーヤさん?日本人?」

「ああ。俺より大人で、ちょっとネコ科の動物っぽい人だ。」

「わあ、いいね!日本人ってかわいいよね!

アドルフには……似てない?」

「ああ。全然違うタイプだ。」

「そっか。ふふ。もうキスした?」

「……。」

ステファンは目を伏せて、眉間にしわが寄る。俳優のくせに……

「はは!顔に出てるよ!おめでとう。ステファン。幸せになって。」

言葉ではそう言っても、僕の心は……

失恋の痛手に震えている……。


「ルイス。今後も、お前との付き合いは今まで通りだから。

無理して俺を突き放すんじゃねえよ。」


「……やさしい……。ありがと。」

たわいもない会話をして、電話を切った。


これからも、今まで通り……か……。

ステファン……

そうは言っても……、

今まで通りには……

できないよ、きっと……。


確実に、連絡が少なくなって、

会うことも減ってしまうだろう……。


「ステファン……

さよなら……。

今まで本当に、ありがとう……。」


諦めて、見送るしかないよ……。


ああ……

僕はステファンを失ったら……、

真っ暗だ……。



「はあ……」

何もする気になれなくて、ぼーっとしている……。

もう、ステファンに会えないな……。

ラインも……したくない……。


ステファン……

僕を、愛してほしかった……。


僕の心を振り落として、去らないでほしかった……。



チャイムが鳴った。

「ルイス。開けろ。」

玄関ドアをノックする音。

「え!?ステファン!?」

つい、開けてしまった。

「あ!入っちゃだめだよ!」

「なんで。」

と、彼は勝手に入ってくる。

「真っ暗じゃねえか。」

勝手に明かりをつける。

「帰って!しばらくステファンに会いたくなかったのに!」


「……俺は今までと変わらねえ。

恋人ができたって、なにも変わらねえ。」


「僕を振ったのに、すぐに会いに来るなんて……!

残酷だよ!」

僕は彼の胸板をこぶしで殴る。


ステファンは動じずに言う。

「あのな、

振ったとか振らねえとか、そういうんじゃねえんだよ、お前との関係は。」


「ステファンにとってはね!

でも僕にとっては……」


「ルイス。メシまだだろ。作ってきたぜ。一緒に食おう。」

と、バッグを開け、次々とタッパーを取り出す。

「……ごはんでごまかさないでよ!食べないからね!」


温めた料理がテーブルに並んだ。

ステファンはおいしそうに食べている。

「自分で言うのもなんだけど、こいつはまあまあいけるぜ。」

しょうがない……。

僕も、一口だけ……

……。

もう一口……

「うう……、おいしいなあ!全くもう!

ステファンのバカ!」

僕はかき込んで食べる。

「そんな急いで食うと火傷するぞ!」

「いいの!火傷するくらい熱いほうが!

バカバカ!えーん!

すてふぁん~、僕とも恋人になってよ~!」

「ルイスは俺の大事な弟だ。」

僕はテーブルをたたく。

「もう帰さない!毎日ご飯作って!」

「時々な。」

ステファンは微笑んで僕を眺めている。

僕はフォークの先をステファンに突きつける。

「何も変わらないなんて嘘!その余裕さ!腹立つな!

あーもういいもんね!ステファンよりずっと男前な恋人見つけてやるもんね!」

と、地団駄踏む。ステファンは優しく微笑んでいる。

「きっと見つかる。祈ってるぜ。」

「やっぱりステファンが付き合ってくれるまで一人でいる!」

涙が頬を伝う……。

「ルイス……」

ステファンの手が伸びてきて、僕の顔に触れる……。

「珍しいな。器用なおまえが。」

口元の食べこぼしをぬぐってくれた。ステファンは、指についたそれを舐めとる。

僕はドキッとする。

「……ステファン、今日は僕を抱いて寝て。」

「今日も、だろ。」

ステファンは食事を続ける……。

「……。キスもしてくれる?」

「ああ。」

「……今、キスして!」

「……」

ステファンは水を一口飲むと、こちらに身を乗り出す。

僕も、ドキドキしながらそうする……。

ステファンは……

キスしてくれた……。


僕を、恋人にはしてくれないけど……

好きでいてくれてるし……

愛してくれてる……。


結局、僕はこれだけで、幸せになっちゃう……。



片付けをしているステファンに近づいて言う。

「ステファン、これからも、一緒に生きて行ってほしい。」

「もちろん、そのつもりだ。」

「……」


僕は、ステファンの胸に寄りかかる……。

彼は、僕の頭を撫でてくれた……。


「ステファンに恋人ができて、嬉しいのは、本当だよ……。

でも……、寂しくて……。」


「お前は俺の恩人だ。

一生、見守っててやるよ。」


ステファンは、僕を抱きしめた……。

僕と……、

アドルフを……。


僕もそうする……。


僕がステファンを好きな理由……


アドルフとの思い出が、

ステファンと共に、今も生きているから……

でもある……。


だから余計に、失いたくないんだ……。

もう何ひとつ、アドルフのいた証をなくしたくないよ……。



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