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アドルフの指輪  作者: スダ ミツル
2/5

アドルフの指輪2

アドルフが言う。

「ルイス。

ステファンは、暴力的な風に装ってるけど、本当はそういう子じゃない。

暴力を振るったりなんかしない、優しい子なんだ。」

「僕にはしたけど。」

アドルフから、強引に引きはがされた。

それに、ついこの間まで、アドルフにカツアゲしてた。

「ルイスのことは、多少乱暴に扱ってもいいやつって思ってるんじゃないかな。」

「あぁ。ツンデレなんだね!」

イラついたり、ため息つきながらも、僕に心を許してる感じある。

ステファンは、迫力ある分、懐かれるとかわいい!

……なんて、本人に言うと、

「は!?懐いてねえ!」

って威嚇されるだろうけど。ふふふ!


アドルフが話す。

「……彼は……

僕といる口実を探していたけど……

離れることは、考えていなかった……。

けれど、僕は、

傷つけ合ってしまうから、

離れた方が良いと思ってた。

罪悪感が邪魔して、ステファンと向き合えずにいたから。

だからお互い苦しかった……。

だけど、

僕はようやく、彼と向き合って話ができるようになったんだ。」


「よかったね!アドルフ!」

僕はにっこりして祝福する。


「ありがとう。

ルイスのおかげだよ。

ルイスと出会って、僕は変われたんだ。

ステファンと向き合って、自分自身とも向き合えるようになった。

前みたいに否定的にじゃなく、落ち着いて、

お互いを受け止められてる。」


僕は笑う。

「チンピラみたいな態度が、演技だったっていうのが、面白い!

ステファンもアドルフも、幸せになってよかった!」

心からそう思う。





俺はアドルフに伝える。

「アドルフ……。

アドルフからもらった金、ほとんど使ってないんだ。」

毎月、カツアゲまがいにしてもらっていた現金は、そのまましまってある。

「返すよ。」

アドルフは首を横に振る。

「使ってほしい。ステファンにあげたんだ。

これも、受け取ってほしい。」

と、財布から紙幣を取り出して差し出す。

「職場を早退して来てくれてる分だよ。毎日来てくれて、ありがとう。」


俺は、

差し出しているアドルフの手をつかみ、

彼の顔にかがみこんで……

キスする……。


アドルフは嬉しそうに応えてくれる……。


……それから俺は、

離れながら金を受け取る。


アドルフは幸せそうに言う。

「君に……

当面の生活費と、僕の財産を贈りたいと思ってる。

それも、受け取ってほしい。」


俺はもう一度、

アドルフにキスする……。


しながら泣けてきて……、

彼の肩に、頭を置く……。



船が出る……。

積荷をおろし、軽くなった船が……

アドルフが……

港から、俺から、

離れていく……。


テープが……、

一本、また一本と、切れていく……。


アドルフが、離れていく……。


嫌だ……!

どこにも行くな……!



アドルフは、泣いている俺の頭を撫でて、温かな声で言う。

「ステファン。

僕はまだ生きるよ。

約束する。


君に、毎日会いに来てほしいから、

先の分まで渡すんだ。

受け取ってくれるね?」


俺は起き上がる……。

「……毎日会いに来るぜ……。」


くれた金が尽きて、さらにその先も……。


アドルフは嬉しそうにほほ笑んで、

「ありがとう。」

と、俺を抱えた……。


明るい目をして、俺を愛してくれているアドルフは、

まるで天使か神様みたいだ、と思い、

悲しくなる……。


あんまり泣いてちゃいけない。

アドルフが心配する……。

アドルフは、とっくに覚悟できてるんだ。

だから俺も覚悟して、

アドルフがよこしてくれたものを、ちゃんと引き受けて、

心配するなと、笑ってみせるんだ……。


そうすれば、

アドルフは安心して、

俺を頼れるようになるから……。


そうして

俺がしっかりした大人になれば、

アドルフと、より対等になれるだろう……。


「……」


俺は顔を上げて微笑む。

「アドルフ。やっとわかったぜ。」

「……ステファン、何が?」


「全部わかった。」

「全部って?」


「俺達の今までの出来事は、対等に愛し合えるようになるために、あったんだ。」

「……」


俺は長い間、

自分よりずっと大人のアドルフを、どうしたら幸せにできるのか、わからなかった。


病気を知ってからは、悲しくて嘆く気持ちに襲われるようになった。


でも、俺はようやく、どうすればアドルフを幸せにできるのか、俺も幸せになれるのか、わかった。


傷つけ合った事も、病気になった事も、

アドルフの全部が大切だし、愛しい……。

別れだって、そうなるだろう。


アドルフは俺を信じてくれている。

アドルフの愛が、俺を支えてくれている。

だから、しっかりと両足で立てば、俺もアドルフを支えられる。


俺はアドルフの手を握り、彼の眼を見つめる。


「対等に愛し合うためには、今までの時間が必要だったんだ。

俺にはそう思える。


アドルフ、俺とパートナーになってほしい。

必ず幸せにする。」


「ステファン……

あの小さかったステファンが、こんなに頼もしくなって……。

君はもともと頼もしかったけど……

眩しいくらい、立派で美しい大人になったね……。」

アドルフは、涙ぐんで俺に見惚れている。


それからアドルフは、涙を拭うと、幸せそうに言った。

「ステファン、僕からも言わせて。

僕のパートナーになってください。」





アドルフが僕に言った。

「ルイス。僕の財産を、受け取ってほしい。」


いつか、その話しをされると思ってた。


彼に訊ねる。

「……それは、ステファンと同じ額?」

「……そうだよ。」

「……僕は金持ちだから、ステファンに全部あげてよ。

僕は……

アドルフの家で……

たくさん、アドルフと一緒に過ごせたから、お金はいらないよ……。

彼にあげて……。」

けれど、アドルフは首を横に振る。 


「もし君が、

僕の財産で、よりよく生きることができるなら、

僕はとてもうれしいんだ。

お金で悪いけど、君にあげたいんだ。

受け取って。」


どうしても譲りたいらしい。

「……うん、わかった。大事に使うよ。」

と、僕はにっこりする。


でも、

使えないだろうな。

一生大切にとっておこう。


アドルフは嬉しそうに、

「ありがとう。ルイス。」

ホッとした笑顔を見せる。


彼の笑顔が悲しい……。


「ありがとうはこっちだよ!

……アドルフが、頑張って蓄えた……、

……未来だもんね……。」


声が震え、涙がぽろぽろ落ちる。


「ルイス……。」

抱きしめてくれた……。


「僕もね、

君のそのありがとうは、もっとずっと先に言われたい……。」


「……アドルフ……」

僕は、ずっと思っていて、言えなかった言葉を言う。


「アドルフ……!……離れたくない……!」


離れたくないよ!


ずっと触れていたい!


触れられていたい!


ずっと隣で見ていたい!


見つめられていたい!


声を聴いて、笑って、


僕の話で、歌で、身体で、心で、


彼を幸せにしたい……!


もしくは、このまま溶け合って……

一つになりたい……。


彼は、僕の髪をいとしそうになでる。


「僕もだよ……。ルイス……。


でも……

僕は、ずっと未来に、

あの世で、君とまた会えるって、

信じてるから。


君を待ってるから。


ルイスも、そう信じて……。」


アドルフ……。


僕は、鼻をすすって顔を起こす。

「……アドルフがそう言うんなら、信じるよ。」

彼に微笑む。


死は、別れじゃない。

あの世でまた会える。


アドルフがそう言うと、

ほんとにそんな気がしてくる……。


きっと本当なんだろうと思う。


「信じる。」

僕は涙をぬぐって、もう一度、にっこり微笑む。


彼は嬉しそうに笑う。

「ありがとう。」





一月ほど前。

アドルフの家にいたころ、彼と一緒にお風呂に入ってた時。


湯船の中のアドルフに言う。

「ねえ、アドルフ。アドルフは、ほんとに美しいよね……!」

「そうかな。」

「そうだよ!

骨格がきれいなのは知ってたけどさ、

初めてアドルフの裸見たとき、こんな美しくてかっこいい人初めて見た!

って思ったもん!」

どんなイケメンより、アドルフの容姿が好きだ。完璧だ。うっとり見惚れちゃう。

「……ルイスのほうが繊細で美しいよ。」

と、僕に見とれている。

「うーん、色白なのは気に入ってるけど……。

大人になったら、もっと綺麗に育つかな。」

「大丈夫だよ。素敵な大人になれるよ。」

やさしく微笑んで撫でてくれた。

「あはは!ありがとう!

ねえ、アドルフ。ヌードも撮影していい?いいよね?」

「……う……ん……。」

「やった!カメラ持ってくる!」

僕は喜び勇んで湯船から出る。

「え、今……!?」




病室で、

ルイスが、タブレット端末の画面を俺に向ける。

「ってことで撮ったやつだよ!ステファンにもあげるね!」


湯船で、恥ずかしそうに膝を抱えているアドルフが写っている。

ルイスは次々と、アドルフのヌード写真を俺に見せる。

アドルフは次第にリラックスして、表情もポーズも柔らかになっていく……。


「……ほら見て!この脇のライン、すっごくセクシーじゃない?あれ、ステファン?」

俺は、うなだれてしゃがみこむ。


「マジか……アドルフ……」

そういう人だと思わなかった……。


アドルフは言う。

「なんか、連日撮られてたら慣れたんだ。」

「さすがだよね!これなんかすごく良く撮れてると思わない!?」

と、俺の視界にかざす。


壁に寄り掛かっている、

一糸まとわぬアドルフの

右側と、右肩をつかむ左手に光が当たっていて、

あとは影。

影になっていても、目が離せなくなる、

穏やかに恋人を見つめる、美しい眼差し……。


……スゲー綺麗……。


「……。」

顔が熱い。心臓が早い。

ヤバい。感動して涙が……

汗もかいてきた……。


ルイスが撮った写真だから、写ってるアドルフが見てるのは、ルイスだ。

そんな写真、見たくないはずなのに、目が離せなくなる……。 

クオリティがプロだから……

被写体の存在感が、際立っていて、ルイスが

感じられない……。

俺はすんなり、写真のアドルフに恋をする……。


ルイスはくすっと笑ってから、端末を閉じて言う。

「あっ、僕そろそろ帰ろうかな!また明日ね!アドルフ!」

ルイスが病室を出て行った。

「……。」

俺はまだしゃがんだまま。

アドルフが、

「……ステファン、おいで。」

と、俺に微笑む。

「……無理……。」


本人をまともに見れない……。

でも、見たい……。

服を脱いだアドルフを……

いや、何考えてんだ!病気で怪我人のアドルフに……

「ステファン、早く怪我を治すね。できる事が少なくてごめんね。」

と、片手を差し出す。

「……」


病気のアドルフと、しかも病院でエロいことするなんて、どうかしてると思ってた。

でも、先週触ってくれた時……

驚いたし、スゲー恥ずかしかったけど……

幸福感が……


「無理に理性で抑え込まなくていい。

写真に見惚れてくれて嬉しいよ。」

「……隣りに行くからこっち見ないで……。」

「ふふ。」

アドルフは楽しそうに腕で目隠しする。

俺は熱くてTシャツを脱いだ……。



ルイスから、アドルフの裸の写真のファイルが大量に送られてきて、電話が入る。

「アドルフさ、なんか開花したっていうか、開通した感じあるよね。」

「しすぎだ……。」

「あ、ステファンのヌードも撮りたい!アドルフ喜ぶよ!」

「嫌だ!」

「えー!撮ろうよ!かっこよく撮ってあげる!」

「テメーが見たいだけだろうが!ドスケベ!」

「えー、そんなことないよ!」

「思いっきり顔に出てるぞ!」

「はは!だってだって〜、ステファン、イケメンでカッコいいもん!ステファンの腹筋見たいな〜!お尻も!ついでに撫でさせて!ステファンの筋肉好きだよ!肌の色も好み!」

「変態ヤロー……!」

ルイスはキャンキャンうるさい。

メス犬みたいで、引く……。


でも……

「……アドルフの写真は、ありがとうな。」

ウザいやつだけど、写真の腕は天才的だ。

こんなやつでなければ、俺も撮ってもらいたいくらいだ。

アドルフが喜ぶのは確かだろう……。


するとルイスが、

「ステファン、か・わ・い・い!」

手でハートを作ってウインクして、アップで映る。

「ウッザ!」

通話を切って、投げキスは防いだ。





僕は、ステファンにほとんど嫉妬してない。

もちろん、ずっとアドルフと一緒に過ごしたいけれど、半分ステファンに譲っている。


ステファンとのわだかまりが解けて、

苦しみと痛みが消えて、

アドルフは、より一層幸せそうだ。


僕とステファン、両方を思っているアドルフは、

ますます自由で明るく見える。


僕とステファンの二人で会話する時間も、増えた。

アドルフの言う通り、ステファンは優しい良いやつだ。

アドルフを挟むと、取り合いみたいになるけど。


ステファンは、僕ほどかわいくないけど、

力持ちだから、アドルフを運ぶことができる。

この先、アドルフの体力が落ちたら、ステファンが頼りになる。


しょうがないから、僕は二人の写真と動画も撮っている。

自分も写りたくなって、ステファンにウザがられるけど。

ラインでステファンに送ると、すぐにお礼の返事が来る。意外とまめな奴だ。


病室で、

「カメラ写りがいいよ。やっぱり俳優向いてると思う。」

と、ステファンに言うと彼は、

「アドルフにも言われた。そのうち試しにオーディション受けてみる。

今の仕事も好きでやってるわけじゃないし、行きたい学校とかないし。」

と言った。僕は背中を押す。

「だったら、そのうちじゃなくて、今からオーディション探して行きなよ。」

端末でざっくり調べて、

「ほら、これとか。」

「ふうん。」

気のない返事だけど、行く気はあるらしい。彼はひとりごとのように言う。

「ルイスのほうが向いてるんじゃないか?」

自信が無いらしい。

「僕はほら、こんなだからさ、役を選ぶでしょ。人が作った役になる気ないしさ。」

「ああそう。」

彼は片耳でしか聞いてない。

片手でオーディションの募集要項を調べている。ぼそっと言う。

「来週か。」

アドルフは微笑む。

「行っておいで。」





僕はセーターを脱いでから言う。

「アドルフ。今日が何の日だか、わかる?」

彼は微笑む。

「うん。昨日も今朝も、そのことを考えていたよ。

あの日から、ちょうど三か月だ。」


あの日。

僕がアドルフにプロポーズした日。

初めて彼とキスして、彼の家へ行って、

彼が余命三か月の病だと知った、あの日。

彼と生きると、決めた日……。


「三か月おめでとう!アドルフ!」

「ありがとう。僕はまだこの通り元気だよ!」

僕はベッドに上がって、アドルフを抱きしめる。

「ふふ!アドルフ!」


でも、別に、特別なことはしない。

ただこうして喜び合って、今日を過ごせれば、それで十分。

特別なことをして、それが最後になってしまうことを恐れているし……。

一か月後も、二カ月後も、こうして過ごしたい……。


アドルフも笑顔で抱きしめてくれる。

「ルイス。」


キスをする……。

僕は、彼のパジャマの襟元を開けて手を入れ、

彼も僕のTシャツの裾をたくし上げて、背中をなでる……。

「……ん……」


ノックの音がして、

「失礼します。」

と、看護師さんが入ってきた。

僕は振り向く。彼女は驚いていて、恥ずかしそうに、

「あ!すみません!あの、点滴が取れてしまったようなので……」

「あ、ほんとだ。」

アドルフは、自分の腕と点滴スタンドを見る。

僕に夢中で、気づかなかったらしい。

「あははは!」

僕とアドルフは笑う。

「どうもすみません。」

と、アドルフはパジャマの襟元を直す。

僕もTシャツの裾を直して、ベッドを下りた。


看護師さんが出て行ってすぐ、僕はまたベッドに上がる。嬉々として。

アドルフが端に寄り、僕は空いたスペースに横になった。

彼は楽しそうに上に覆いかぶさってくる。

「あはは!また点滴が取れるよ!」

点滴スタンドは、腕の反対側にあって、少し引っ張られている。

アドルフはスタンドを持ち上げて、ベッドの反対側へ置いた。

「ははは!元気!」

それから、僕の上にうつぶせに乗る。

重くて、あったかくて、うれしい……!

彼は僕の耳元でささやく。

「今朝、夢にルイスが出てきたよ。」

「えっ!どんなだった?」

「喫茶店でデートしてた。

おいしい紅茶を飲んでた。

君はチョコレートケーキを食べていて、僕にも食べさせてくれた……。

だから、起きてからずっと、チョコレートケーキが食べたくて仕方ないんだ。」

「ははは!買ってくるよ!」

「ダメ。行かないで。今日はここにいて。」

首にキスされる。

「じゃあ明日買ってくるよ。

実家の近くのケーキ屋のチョコレートケーキ、おいしいんだ!」

「楽しみだ!」


僕たちは、笑いながらキスする……。


明日は、ケーキ屋に四種類あるチョコレートケーキを、全部買ってこよう。

いや、それだけじゃ足りない!

アドルフのために、世界中の絶品チョコレートケーキを、全部買い占めたい……!





アドルフが言った。

「ステファンの部屋を見たい。」

「……じゃあ行くか。」

ということで、明日までアドルフの外出許可をもらった。


病院を出て、二人でタクシーに乗る。

「外に出るのは久しぶりだ。」

と、アドルフは嬉しそうだ。


俺が切ってしまった腰の傷は、すっかり治ってる。

毎日廊下を歩いてリハビリしたおかげで、顔色がいい。

俺がプレゼントしたセーターを着て、

車窓から街並みを眺める、元気そうなアドルフ。


タクシーはアパートの前に止まる。

タクシーから降り、門を通って敷地に入り、

雑草を踏み、剪定をさぼられてる木をよけて、

きしむ階段を上って、二階へ。

ドアの鍵を開けて中へ入る。

狭いワンルームだ。

ロフトに広めのベッドがあって、シャワーとエアコンがついているだけ、上等だと思う。

一つしかない椅子を、アドルフに譲る。

窓からは日差しが入り、近所の公園が見える。

このアパートは少し高いところに建ってるから、それなりに景色はいい。

「いい部屋だね。」

と、アドルフがコートを脱ぐ。

「俺の前は、職場の先輩が住んでた。ここに引っ越す前はもっとひどい部屋に住んでた。」



俺は、小さいキッチンで、パスタをゆでる。

レトルトのソースのパックも、一緒に茹でる。

足もとの電気ケトルの湯が沸いたので、狭いテーブルで、二人分のハーブティーを入れる。

「アドルフ、寒くないか?エアコン強めようか?」

「大丈夫だよ。」

キャベツも二枚、はさみで切って、パスタと一緒に茹でる。

……茹ったので火を止め、湯を切って、ソースを絡め、皿に盛り付け、サラダ用のレトルトの鶏肉を載せる。

「ありがとう。さすがだね。ちゃんとしてて偉いよ。」

「偉くねえよ。レトルトでちゃんとしてるって言わねえし。」

でも、褒められて嬉しい。

「ふふ。いただきます。」

「ん。」

俺は流しに寄り掛かって食う。

「おいしいよ!」

「よかった。」

俺は、職場の先輩の面白い話とか、近所にいる人懐っこい猫の話とかをする。

アドルフは楽しそうに聞いている。

俺も楽しい。


アドルフが、俺の部屋にいる……!

ただそれだけで、心が浮き立っている。


食い終わって、二人ともハーブティーを飲む。

アドルフは幸せそうにため息をついて、


「ここに来られて、本当によかった……!」

心から嬉しそうに、俺に微笑む。


アドルフは内心、ここに来られないかもしれないと、思っていたらしい……。


俺は彼に近づき、あごに触れて顔を上げさせ、キスする……。


「あんまりそういうこと、言うなよ。」

いちいち泣きそうになるだろ……。

彼は笑う。

「ごめん。でも本当にうれしいんだ!」


無邪気……。

もう一度キスする……。


……このオッサンは……

ほんとに……

キスしたくなるようなことばっか言う……。


俺も微笑む。

「アドルフ……。良かった。俺も、来てくれてうれしい……。」


窓辺で……

日差しを浴びて……

キスして……

笑って……

抱きしめて……

何度も優しく髪をつかまれて……。


アドルフは……

愛しそうに、俺の名を呼ぶ……。


「ステフ……。ステファン……。」

「アドルフ……。」

「愛してるよ……!」

「俺も……。アドルフ……愛してる……。」


離れて、二杯目のハーブティーを入れて飲んだ。

アドルフは幸せそうに言う。

「あとで公園を散歩しよう。」

俺も、幸せで楽しい。

「突っ切ってった向こうのパン屋がうまいんだ!」

「良いね。たくさん買おう。抱えきれないくらい。」

「はは!」

「ふふ……。その前に、少し昼寝していいかな。」


二人で、ロフトのベッドに上がって、

昼寝した……。


アドルフに、背中から抱きしめられて……

あったかくて……

幸せ……。


アドルフの寝息が、襟足にかかってて……。

俺も少し、夢を見た……。


……アドルフが起きた気配。


「……。ステフの、香りが好きだ。」

ロマンチストは、体臭を香りという……。


鼻筋を、首に擦り付けてくる。


彼の手が、俺の心臓の上を、やさしくつかむ……。


幸せで……


俺は、ため息のように、彼の名を呼ぶ。


「アドルフ……」



コートを着て、外へ出て、

公園を通って、

パン屋に行って、

食いきれねえくらいたくさん、パンを買った。

公園のベンチで、ひとつをアドルフと半分に分けて食べた。

焼きたてでうまかった。

背の高い木の下で、バイオリンとオーボエとチェロで、三重奏してる人たちがいる。

鳩を追いかけてる子供がいる。

散歩してる年寄り夫婦がいる。

連れが立ち話を初めて、爺さんはベンチに座って話が終わるのを待っている。

俺はアドルフに訊ねる。

「アドルフの親っていくつ?」

「親父が六十六かな。」

母親は亡くなっているらしい。

「伝えた?」

病気のことを……。

「……一年に一度は会ってるよ。」

「答えになってねえ。」

「そのうちね。」

もう会わないつもりらしい。

俺はため息をついて、パンの袋をアドルフに押し付ける。

両手がふさがった彼のコートのポケットを探って、手帳を取り出す。

勝手に開いて、電話帳から彼の実家の番号を探す。

「ステフ……。」

アドルフは嫌そうにため息をついている。

平日だし、いないかも。

案の定、留守電につながる。

手帳をアドルフに突きつける。

「……父さん……話があるから、またかける。」

彼は俺を見てうなずく。俺は通話を切った。



夕方。俺は夕飯を作っている。

「ステファン、何か手伝おうか。」

「ゲストはワインでも飲んでて。」

「ふふ。」

俺の部屋に、酒なんかないから、笑ってる。

俺は、ありったけの食材を使い、一つしかないコンロで、夕食を作っている。

スープを作り、牛肉を焼き、野菜を炒める。トースターでパンを焼く。

チーズを銀紙ごとナイフで切る。

狭いテーブルに乗りきらない。

昨日買ったローストチキンも切る。アドルフを切ったナイフで。

「食べきれないよ。」

「俺が食べるからいいんだ。」

結局、皿には盛り付けず、牛肉も野菜もチキンも、フライパンからそれぞれ取って食べた。

「おいしいよ!」

「あぁ。良かった。」

アドルフもちゃんと食べれてる。

アドルフの手帳の着信音がする。

親父さんからかと思ったら、

「ルイスからだ。」

俺は舌打ちする。

「うん。今食べてるよ。うん。ふふ。ありがとう。」

ルイスのわざとらしい舌足らずな甘え声が、漏れ聞こえてくる。

「わかった。お休みルイス。」

「……なんだって?」

「ちゃんと薬飲んで、血圧測ってだって。」

「長々電話しといて、内容それだけか!?」

アイツのいちゃつき方は、イラっとする……。



シャワーから出てきたアドルフ。

俺の部屋着を着ている。

「体調は?」

「いいよ。ありがとう。」

顔色がいい。

彼が、無事にロフトへ上ったのを見届けてから、俺もシャワーを浴びる。

アドルフに俺の服は似合わない。

けど……着てくれてうれしい……。


……アドルフが、俺のベッドで待ってる……。


「……ふっ!」

思わず笑ってしまう。


……アホか!

浮かれてんじゃねえ、俺……!

でも、喜びを抑えきれない。



……シャワーから出ると、部屋の明かりが消えていた……。


窓辺の椅子に、アドルフが座っている……。


街灯の明かりに照らされた彼は……


泣いている……。


彼は俺を見て言う。

「……幸せすぎて……」


ここで過ごすのは、

今日が、最初で最後だとでも思ってんだ。


これだから……

アドルフは……

いとおしくて……

支えてやりたくなる……。


俺は微笑んで言う。

「……また来ればいいだろ。」


「……そうできたら、いいな……」


震える声。

俺を見つめて。

あごから涙が滴る。


「そうなるさ。」

俺は涙をこらえて優しく微笑む。


「……うん……。」

彼も微笑む。


そう。信じて。

幸せが

続くことを。


もう、不安なんか、

何もかも

忘れて。


今を、

俺だけを

見て。


「ステファン……」


アドルフが、

笑顔で近づいてきて

俺を抱きしめる……。


「アドルフ……」


俺も、

彼だけを、

幸せだけを見て、

やさしく抱きしめる……。


キスして……

喜びを分かち合って……

ロフトへ上がった……。



ロフトは屋根裏だから、天井が斜めだ。窓も斜め。

ちょうど月が出ていて、窓から月明かりがさしている……。


「ステファン。」

俺が着てるTシャツを、アドルフが脱がせてくれる……。


「……月明かりで見る君は、……彫像のように美しいよ……。」

ロマンチストは、うっとりと俺を見ている。

彼は指先で、俺の表面にある影の縁をなぞる……。

鎖骨から……

胸へ……

腹へ……。

ズボンのウエストで止まり、手を離す。


「ステファン……。僕を、よく見て。」

アドルフが澄んだ目をして微笑んで、Tシャツを脱ぐ。

「写真じゃない僕を、よく見てほしい。」

と、下も脱ぐ。

「……」


スゲー綺麗だ……


思わず見惚れていると、

アドルフが近づいて来た。

「……あ…、」

アドルフに、キスされる……。

首を撫でられ、

肩を押されて、

頭を抱えられる……。

俺は後ろ手をつく。

さらに押されて、

アドルフが被さってきて、

俺は顎が上がる。

舌が、入ってくる……。

俺はビクッとして、思わず身を引く。

アドルフが、こんなキスするなんて……。

それに……


アドルフが間近で俺をじっと見ている。

俺は目を合わせられない……。

「……。」

「……ステファンは、攻められるのが苦手?」

「……そう……らしいな……。」

顔が熱い……。

「苦手っていうより……」

「恥ずかしい?」

「……。」

小さくうなづく。

次にアドルフがどう触ってくるのか、どう動くのか、考えるだけで……

恥ずかしさで脳が破裂しそうだ……。

でも、アドルフが望んでるんなら……耐えるけど……。


アドルフは微笑んで離れる。

「ステファンの好きなようにして。」


俺は華奢なアドルフを……

大切に……抱きしめて……

寝かせる……。

キスして……

舌先で、彼の舌に触れた……。

急にゾクっとして、自分でも驚く。

俺は起き上がる。

「ステファン……」

「は……はあ……」


俺は震えてきた……。

「はぁ……手加減、できるか分からねえ……」

衝動をコントロールできなくて、

アドルフを、また怪我させたりしたら……

穏やかに、優しく抱いてやりたいのに……

キスだけで、何も考えられなくなるなんて……

怖い……。


「本当に……君は、優しい……。」

アドルフが、俺の下を一枚ずつ脱がせる……。


その先は……

俺が動くたび、優しく語りかけて、合わせてくれて……

「そう……。上手……。」

怖さを消してくれた……。



「はあ……。アドルフ。もう一回いい……?」

「うん。ステファンの好きにして。」

また任せてくれた……。

でも、俺じゃなくて、アドルフの好みに合わせたい……。

「アドルフ。どうしてほしいか、言ってくれ。」

「え……」

「俺に譲ってばかりいないで、わがまま言ってほしい。」

「……ステファン……」



「は……あ……!ステファン……!」

……アドルフは……これが好きなんだ……。


「……!……!」

シーツを掴んで、声を殺して、身をよじっている……。


よほど快感なのか、彼は腰が抜けかけていて、俺が片手で支えている。

こんなん、ルイスには無理だろう……。

筋力と体重がねえと……。


俺にこうされたいって思ってくれてたのは、嬉しい……。

けれど……


「アドルフ、大丈夫か……?」

「あ……!ステフ……!もっと……!」


そんな声で言われると……

心配より、満たしてやりたい気持ちが強くなってくる……。


病気の事を忘れて、

願いを叶えてやるのも、

優しさだろう……。



「はあ……」

二人で横たわっている。

アドルフが、俺を抱えて俺の髪を撫でている……。

「ありがとう。頼みをきいてくれて……。」

俺は起き上がって、ベッドわきの壁にかけてある、ライトの明かりをつける。

俺は微笑んで、かがんでアドルフの耳元にキスする。

「また来て。」

「うん。」

彼も起き上がり、

「また来るよ!」

幸福で仕方がないという風に、俺を抱きしめて笑った……。

俺は、勇気を出して言う。

「次は……、受け身でもいい……。」

「ステファン……。君は、五年前は、頰にキスしただけで、しばらく目を合わせてくれなくなったけど……。」

一瞬、アドルフを睨む。

「そんな人間で悪かったな。俺はルイスより不器用で奥手なんだよ。」

アドルフは楽しそうに笑う。

「それがステファンの良さだよ!

……そうだな、可愛いステファンを、どうやって攻めようかな。」

可愛い……

可愛いアドルフに攻められるから、恥ずかしいんだけど……。

「決まったら教えてほしい。」

何されるかわかってれば、落ち着けるかも。

アドルフはうなづく。

「分かった。してほしいことはある?」

「……」

楽しそうに見つめられて、

そんなこと聞かれたって、頭が働かない……。

「アドルフが楽しめるんなら、……なんでも……。」

なんでもって……。

汗かいてきた……。

「……」

頰にキスされる。

「ステファンも楽しめるように考えておくね。」

俺の方が先に、恥ずかしさと幸福感で死にそうだ……。






駅に置いてあるストリートピアノのところへ行くと、

一人の中年男性がジャズを弾いていた。

僕は録画し始める。


彼の奏でる音は……、

暖かな草むらのような香りがする……。

乾燥していて、

日差しに温められた、

枯れ草と、樹皮と、土塊と、かすかに野生動物の香り……。

さわさわと、多種多様な草が、弱い風に揺れて……。


いったいどうやったら、こんな音が出せるんだろう……。


彼は弾き終わると、ピアノの上に乗せてあったクラッチバッグを取って、立ち去ろうとした。

「いい演奏でした。」

僕が拍手して伝えると、彼は僕を見つめ、微笑んだ。

「私ではなく、このピアノが、音楽を引き出してくれたんだ。

この駅には初めて来たけど、このピアノと出会えてよかった。」

良い笑顔で彼は立ち去った。

今日は気持ちよく弾けてうれしい。という風に。



「僕が弾いても、あんな音は出ないんだよね。」

と、言うと、アドルフは、

「ルイスの音、僕は好きだよ。

雨上がりにしずくが輝いてるみたいな、さわやかな美しさがあって。」

「うん、ありがと。でももっとこう、香りがする演奏がしたいな……。」

「僕には、ルイスの香りを感じられるけど。」

「アドルフ……。」

僕は、アドルフの腕の上で、アルペジオを弾く……。





僕は、

マンションのアドルフの部屋の、

アドルフのベッドに、

ひとり横たわっている。


一つ、また一つ、

可能性のドアが、閉じていく……。

初めから分かっていたことだ……。


アドルフは、

入院して以来、このマンションの部屋に戻ってきていない……。


もしかしたら、

もうこのまま戻ってこないかもしれない……。


アドルフは、ステファンの部屋には、泊まりに行った。

そう、彼に譲るべきだ。

アドルフは、僕よりもステファンと、幸せな時間を過ごすべきだ。

僕は、入院までの間、たくさんの時間をアドルフと、ここで過ごしたんだから……。

でも……

だけど……。



……この部屋は、時が止まっている。


アドルフの、飲みかけのハーブティーが、テーブルに置いたままになっているし、


アドルフが使ったタオルが、洗面所にかけたままになっているし、


アドルフの椅子も、彼が立ち上がったそのままの形に、置いてある。


僕がちゃんと家事をすれば、アドルフは褒めて、お礼を言ってくれるって、わかっているんだけど……

どうしても、片づけられない……。


片づけようかと、

彼のコップやタオルや椅子に手を触れ……

けれど……

彼がここにいた痕跡を、

そのままにしておきたくて……、

彼が帰ってきて、自分で片づけることを期待して……、

僕は結局、手を放す……。




「アドルフ、今日も元気そうだったな!」

病院で、いつものようにアドルフと過ごして帰ってきた。

アドルフの家の鍵を開け、玄関に入って、

びっくりした。


なんと、部屋に、アドルフがいる……!


「アドルフ!?」


驚いている僕に、彼は近づいてきて、

「おかえりルイス!」

嬉しそうにハグする。


「驚かせたくて、君が帰ってすぐに、タクシーで先回りしたんだ!」

「驚いたよ!」

僕もうれしくて、彼を抱きしめる。

パジャマじゃない、普段着の彼は久しぶりだ!


「すごくうれしい!!」


アドルフは、楽しそうに目を輝かせて言う。


「何をしようか?」


僕は、期待と希望にあふれる……。


何をしよう……!


「……写真撮りたい!

デートしたい!

アドルフの料理が食べたい!

一緒にお風呂入りたい!

映画が見たい!


なんでもしたい……!


……どんなことでも……」


僕は泣いている……。

アドルフのセーターをつかんで……。


「ルイス……。」


「だって……


もう、帰ってこないかと思ったから……!」


嬉しくて……


嬉しくて……


涙が止まらない……。


「ルイス。調子がいいから、また戻ってくるよ。」


頭をなでて、抱きしめてくれる……。


「……ごめんアドルフ、僕、全然掃除してない。洗濯物もたまってる。」

「じゃあ、一緒に洗濯して、掃除しようか。」

「うん!」

二人で洗濯をして、掃除した。


僕たちは、どんなことでも楽しい。


たくさん話して、たくさん笑った。


すっきり片付いた部屋で、アドルフが言う。

「夕食は、外へ食べに行こう。近くに良い店があるよ。」

僕は、アドルフが買ってくれた、生成り色のタートルネックセーターに着替える。

アドルフにコートを着せ、僕も着る。

部屋を出て、アドルフがドアに鍵をかける。

「さあ行こう!」

と、彼は明るく微笑んで、

僕と手をつないで歩き始めた。

温かい手。

うれしい!

外で、恋人同士に見えることはしないでほしいと、最初は言ってたから。


でも、こうも言ってた。

『僕だって、手をつないで歩きたい。』


アドルフは、したいことを全部しようと、思うようになったんだ……!


僕はうれしくて、彼の腕に抱き着く。

アドルフは、幸せそうに笑って僕を見る。

僕も幸せで笑う……。


着いたお店は、庶民的な雰囲気で、お酒のメニューが多い。

料理も、お酒に合いそうな料理。

はじめのころに連れてってくれた、おしゃれな店とは違う。

アドルフ、ほんとはこういうお店が好きなんだ……!


「どれがいい?僕はこれが好きで、よく頼むんだ。」

と、彼はメニューを指さす。

「じゃ、僕もそれ!」

アドルフが店員に片手をあげる。

「オーダーお願いします。」


毎週末にデートしてた、最初のころは、

ほんの三か月ちょっと前のことなのに、ずいぶん経ったように思える……。


アドルフは、ビールも注文した。


元気なアドルフと、

外で食事する!


本当に幸せで、


夢みたいに、


一秒一秒がうれしくて、


心が、炭酸の泡のように、明るく輝いてはじけてる……!


……運ばれてきた料理を食べる。

「おいしい!」

「うん。おいしい!いつもの味。」

僕もこの料理が気に入った!

アドルフが僕に、ビールの入ったグラスを差し出す。

「一口だけね。」

僕は笑って受け取り、一口飲む。

苦い。けど、

「おいしいよ!」

「そう。」

アドルフは笑って受け取って、

「でも、お酒は二十歳すぎてから、適量だよ。」

「うん。わかった。」

「ほろ酔いのルイスも、見たいけどね……。」

とつぶやく。

僕は彼の手からグラスを横取りし、いっきに飲み干す。

「ああ!ルイス!」

僕は唇をなめて言う。

「缶ビール一本くらい、飲んだことあるよ。」

「大丈夫?」

「これくらいで調子悪くならないよ。アドルフは?お酒強いの?」

「弱くはないから大丈夫。」

アドルフは、僕が勧めた漫画を読んでくれたらしく、感想を聞かせてくれた。

「あれは面白いね!」

「でしょ!」

僕はお酒が回って、少しろれつが怪しくなる。

「ルイス、水飲んで。

君はお酒弱いんだね。頬がきれいな色に染まってるよ。」

「ああ。じゃあ、ほかのとこも綺麗に染まってるね!」

と、セーターの襟繰りを引っ張ってデコルテを見せてほほ笑むと、彼の顔も染まった。


「楽しかった!そろそろ帰ろう!」

「ルイス、歩ける?」

「うん。」

僕たちはお店を出て、夕闇の中を、腕を組んで歩く。


僕は、彼を見ずに言う。

「また来たいな……!」


彼は、僕を見て笑って言う。

「また来よう!」


嬉しくて、夢のよう……。


アドルフが僕を見つめる。

「さっきから、キスしたくてしょうがないんだ。」

僕は立ち止まり、

「キスして!」

うれしくて笑う。

彼の、うっとりした顔が近づいてきて……

キスする……。

僕もうっとりする……。


本当に……、

素敵な夜だな……。


幸せで……

涙がにじんでくる……。


僕たちは見つめ合い、

笑いあって、

腕を組んで歩く……。


家の鍵を開け、玄関に入るなり、

僕たちは、笑いながら好きなだけキスする……。


彼はくすくす笑って、

「ルイス、ハーブティーを入れてくれる?」

「うん!」

キッチンで湯を沸かす。

僕は、ティーバッグを入れたカップに湯を注ぎながら、

幸せな香りを、深く吸い込む。

カップを二つ運び、

テーブルに置いた。

「ありがとう。」

僕も自分の席に座って、

カップを両手で持ち、吹いて冷ます。

シャッター音。

アドルフが、手帳で僕を撮っていた。

「かわいく撮れたよ。」

と、見せてくれる。僕は受け取って、素早く加工する。

「はいどうぞ。」

「さすがだね!」

僕も、自分の手帳で彼を撮る。

さっき、お店で散々撮ったけど。


……僕は、手帳を大事にテーブルに置き……

それから頬杖をついて言う。

「アドルフ……

今日はもう、何もしないで休もう……。

僕は、十分幸せだから。」


「そんなに疲れた顔に見える?」

と、彼は僕の手をつかんで持ち上げ、指にキスする。

元気そうにほほ笑んで、

「大丈夫だよ。心配しないで。楽しもう。」

と、優しく僕の手を両手で包む。


「……アドルフ……。」


彼は、僕の手を、両手と口で愛でる……。

僕はだんだん熱くなってきて、

セーターを脱ぐ……。


ハーブティーは、

ゆっくりと冷めていく……。


今度は僕が、

アドルフの手を、口で愛でる……。


それから僕らは、

見つめ合って、ハーブティーを飲み……

一緒にお風呂に入った……。




神様……。

どうか、もう一度、

もう二度、

もう三度、

今日のような、

幸せな時間を、

僕たちにください……。



……気が付くと、僕は裸でベッドにいて……

アドルフの上に、

うつぶせに乗っかってしまっていたので、下りる。


彼も目が覚め、

微笑んで僕を見る。


僕も微笑んで、

彼の頬と、髪と、耳をなでる。


アドルフも幸せそうに、

僕の腕と背中を、なでてくれる。


僕たちは……

そのまま抱き合って……

眠った……。



……病院へ行くと……、


真っ白な病室で……


ステファンが、こちらに背を向けて立っていた。


そのまま、低く震える声で言う。


「ルイス……!おせえよ……!」


振り向いた彼は、泣いている……。


「え……」


ザワッとする。


眠るようにベッドに横たわっているアドルフは、


白装束を着ていて、胸の上で、しっかりと指を組んでいる。


「あ……アドルフ……!?


そんな……!


嫌だ……!!


僕がそばにいないときに……!!


昨日は、あんなに元気だったのに……!!」



「や……」

「……イス?」


「あ……」

「ルイス?」


「え……?」

僕は目が覚める。

アドルフが心配そうに僕の髪をなでていた。


「いやな夢を見てたの?」

アドルフが、じっと僕を見つめている。


涙があふれる……。

「……うん。」


僕は喜びでいっぱいになって、彼に抱き着く。


「アドルフ……!」

「何?」

「アドルフ……!」


「ルイス。」

「アドルフ……!」


アドルフは、わあわあ泣いている僕を抱きしめて、髪をなでてくれた。


「ルイス。安心して。僕は元気だよ。」


「アドルフ……!

愛してる……!」


「ルイス。僕も愛してるよ!」


こんなに泣いてちゃいけない。

でも……

幸せで、涙が止まらない……。

今が永遠になればいい……。


僕は……、

日に日に、

アドルフを抱きしめた後、

離れ難くなっている……。


ずっとこのまま抱き合っていたい……。


……ダメだ。しっかりしなきゃ!


どんなことでもするって、

アドルフを幸せにするって、

誓ったんだ!

心配かけちゃダメだ!





ルイスがマスクをして病室へやってきた。

元気がない。

「ルイス……?」

昨日はここへ来なかった。

喉がかすれる、風邪かもと言って、トローチをなめていた。

「風邪の具合はどう?熱は?」

けれど……。

「アドルフ……」

かすれ声でルイスが言う。

「これ、風邪じゃない……。」

目に涙がにじむ。

「半年くらい前にも似たような感じになったけど、その時は、元に戻ったけど、

今回は……多分もう……」


声変わりだ……。


「ルイス……。」

僕はベッドから足を降ろし、ルイスに両手を伸ばす。

彼は、僕の膝にまたがって座って、抱き着いてきた。


「アドルフ……!

僕の声、すごく気に入ってくれてたのに……!

歌も褒めてくれたのに……!

もう二度と、

同じようには歌えないんだ……!」


声をあげて泣く。

「ルイス……。」

僕も涙がにじむ。

マスクでくぐもった泣き声が、病室に響く……。

僕は彼のマスクを外す。

彼は離れて言う。

「ごめん、アドルフ……。こんな泣きつくつもりじゃなかったんだ。」

手で涙を拭いている。

僕に心配かけまいと思ってくれている。

愛しい彼の髪をなで、

彼の眼を見て、ほほ笑んで言う。

「謝らないで。ルイス。

ルイスの低い声、楽しみだよ。

きっと、素敵ないい声だよ。」

心からそう思う。

「アドルフ……!」

彼は不安が解けて、ますます涙があふれる。

「それに、今の声も、セクシーでいいと思うよ。」

「……そう……?」

「うん。」

「そう思う?」

「うん。」

何度もうなずくと、

「……ふふ。」

やっと彼は少し笑う。

「……歌ってみようか。」

「うん。歌って。」

ティッシュで涙をぬぐってあげると、彼は膝から降りて、そばのスツールに座り、歌い始めた。


楽に、のびやかに発声できていた時とは違う、少し渋さのある歌声。


「やっぱりいい感じだよ。」

僕が笑顔で拍手すると、

眠れないくらい悲しんでいただろうルイスは、

ようやく明るく笑った。



ルイスは、背も少し伸びた。

ルイスの変化は、時の流れの速さを教えてくれる。


ルイスと出会う前、病気になる前は、

同じような毎日の繰り返しに、

空虚さと、寂しさと、

投げやりな気持ちと、

怖さを感じていた。


手で触れられる距離にやってきては、去っていく少年たち。


成長した彼らと

街中ですれ違ったとしても、

僕は気づかないだろう。


前の僕にとって、

変化は、成長は、

悲しく感じられた。


けれど。

今は違う。

ルイスは僕の希望だ。

僕は、

今日の彼も、明日の彼も、

ずっと未来まで、

愛している。


五年前のステファンにも、

そう思ってあげられれば良かった……。


でも、今は

彼も僕の希望。


どうか、これから先、

二人が最良の人生を

歩んでいけますように……。





今日は、夕方、

ステファンがオーディションを受けに行く。

なので、僕は四時にアドルフの病室へ行った。

ドアを開けると、アドルフが微笑んだ。

「ルイス。」

僕も微笑む。

「アドルフ。調子は?」

「まあまあだよ。」

ステファンが立ち上がり、リュックを肩にひっかける。

「それじゃ、行ってくる。」

アドルフが、

「うん。がんばって!」

と、見送る。

ステファンは微笑んでドアを出た。

アドルフが僕に言う。

「ルイス、少し手を貸して。」

「うん。」

トイレだ。この部屋は個室だから、部屋の隅にトイレと風呂場がある。

アドルフ、今日は少し疲れてるみたいだ。

僕は、点滴がついていて動かしづらいほうの腕を支え、ベッドから降りるのを手伝う。

肩を貸して少し歩いたところで、

アドルフは貧血みたいにくずおれて、

床に膝をついてしまった。

「アドルフ!?」

僕は急いで

「ナースコール!」

と、叫ぶ。ナースコールのランプがつく。

AIが言う、

「ナースを呼びました。」

僕は走ってドアへ行き、開けて叫ぶ。

「ステファン!」

エレベーターを待っていたステファンが、走って戻ってくる。

彼が来た頃には、

アドルフは床に横たわって、

気を失っていた……。



……目が覚めると、

僕は集中治療室にいた……。

廊下にいるルイスとステファンが窓越しに見える。

二人がこちらに気づき、医者を呼んでくれた。


「安定しましたね。病室へ戻りましょうか。」


点滴が、両腕になった。

ストレッチャーに横たわったまま、ルイスとステファンとともに、エレベーターに乗る。

僕は訊ねる。

「今何時?」

「二十時。」

と、ステファン。

「もう夜か。オーディションが……」

「また次がある。」

僕はごめんと言いかけて、

「ありがとう。ついていてくれて。」

と言った。

彼は優しく微笑んで、手を握ってくれた。


看護師さん達が、病室のベッドに寝かせてくれた。

彼らが出て行ってから、僕は、ルイスとステファンに、近くへ来るよう言う。

左右にいる二人の手に触れる。


「心配かけてごめん。

でも、ちゃんと帰ってきたよ。

ここが僕の家だ。」


と、僕が微笑んで二人を見ると、二人も微笑んだ。

「少し歩くのをさぼってたら、体力が落ちてしまった。恥ずかしいよ。

今日は本当にありがとう。疲れただろう。

点滴を増やしてもらって体調が戻ったから、二人は帰って休んで。」

ルイスがステファンを見る。彼は、

「昼より顔色がいい。帰ろう。」

ルイスはうなずく。

「じゃあまた明日来るから。」

「うん。」

二人は交互に僕の頬にキスしてくれた。僕はそれぞれにハグをする。



二人は帰った。

僕は一人、天井を見上げてため息をつく。

少しずつ、病が進行している。

食べられる量も、動ける時間も減ってきた……。


近づく死を待つ時間は、

悲しいけれど、

かけがえのない時間……。


二人の柔らかな笑顔が、

僕を安心させる。


家の近いルイスが、先に回線をつなげてきた。

「アドルフ。家に着いたよ。」

「うん。お帰り、夕食買った?」

「うん。スープとパンと、チキンナゲットだよ。」

僕はベッド付きのテーブルに手帳を立てて、ルイスの食卓を眺め、会話する。

そうするうちに、ステファンからも回線が入る。

「ただいま。」

「おかえり。」

彼の夕食も何か聞く。

僕も、夕食を食べ始める。

病院食の時間は過ぎたから、ストックしてある栄養食のビスケットをかじる。

少し会話し、食べ終わると二人はパソコンを見たり、勉強したりする。

小一時間経って、ルイスが言う。

「シャワー浴びるね。」

手帳が風呂場の棚へ移動する。

服を脱ぎ、シャワーを浴びるルイスが映っている。

「またアドルフを洗ってあげたいなー。」

僕はくすっと笑い、ステファンは舌打ちする。

ステファンは、僕と風呂に入ったことはない。


僕は……

五年前、ステファンといたとき、鍵をかけて風呂に入っていた。

寝室の鍵も、かけて寝ていた。

なのに、ある日、朝起きたら隣にステファンが寝ていたことがあった。

ベランダの柵を越えて、窓から入ったらしい。僕の部屋は三階……。

驚いて起き上がった僕を見上げて、ステファンは、

『何もしないから、隣で寝かせて……。』

と言った。

寂しそうな目で見つめられ、胸が痛くなった。


それからは寝室に鍵を掛けなくなった。

週に何日か、ふらりとやってくるステファンと、そのたびに添い寝をして休んだ。

僕がどうしても彼に触れられないとわかると、彼は物をねだるようになった。

僕は、何でも欲しいものを買い与えた。

すると、彼はとうとう泣きながら言った。


『ハグしてくれるだけでいいから……!

俺を……

俺の心を受け止めてほしい……!』


心が揺れ、彼に触れた。

彼の背中を、肩を、髪をなで、抱きしめた。

キスもした。

そのままふたりで眠った。

二人きりで

孤独の闇に、浮いているような夜だった……。


そうして、お互いやさしくキスをして、添い寝する日々が続いた。

ステファンが声変わりして、

僕が悲しくなって、

彼が、自分自身を憎んで出て行ってしまうまで……。


ああ……

なんでもっと早く、

愛してると言ってやれなかったんだろう……。


ステファン、愛してる。

そばにいてほしい。僕は君のそばにいたい。


心の底に、それはいつも、あったのに……。

その言葉を、彼はずっと、待っていたのに……。


僕は……、

病気になり、ルイスからプロポーズされるまで、何も決心がつかなかった。


自分と向き合えず、

ステファンを傷つけ続け、

自分のことも彼のことも、どうにもできなかった……。


空虚で寂しかった。

自分の不幸ばかりを見ていたから。


自分は、

本当には、人を愛すことができない、

どうしようもない人間なんだと思っていた……。


だから、

ステファンを求めている反面、

どうせ彼も大人になって、僕に失望して離れて行ってしまうだろうし、

もう僕になんかこだわってないで、早く忘れてくれればいいのにと、思っていた……。


彼もまた、ルイスと同じく、

僕と生きていきたいと願い、

自分をさらけ出して、

僕が心を開くのを待っていたのに……。


彼を受け入れず、

深く傷つけて、

悲しませてしまった……。


『ずっと、君を引き止めたかった……。

最初から、僕はステファンのやさしさが、大好きだった。

どうか……そばにいてほしい……。』

ようやく彼を抱きしめ、


『ステファン。好きだよ。愛してる。』


彼に愛を伝えると、彼は涙をぬぐい、澄んだ目をして言った。


『アドルフが変わるのを、俺も待ってた。

俺を捨てずにいてくれて

ありがとう。アドルフ。』


と、僕を抱きしめた……。



五年間、

ステファンを断ち切ることなど、できなかった。


ステファンが僕を信じててくれたから、

彼をそれ以上、傷つけたくなくて、

僕は自分を、捨てきれずにいた。

ステファンをさらに悲しませてしまいたくなくて、

より悪い方へ進まないよう、気をつけた。


そうして、現状維持で、希望の見えないまま、ずるずると過ごしていた。


死ななくて良かった。

奇跡に出会い、

今がある。


この病室で、初めてステファンを抱きしめたとき、

僕は泣いて謝った。

『今まで、本当にごめん……!』


ステファンは、

僕をやさしく抱きしめて、

髪をなでてくれた……。


『アドルフ。謝ることなんか、ひとつもねえよ。』


涙をこぼして微笑む彼が、

神様のように美しくて……

温かかった……。



風呂から出て、ジュースを飲んでいるルイスに言う。

「ルイス、悪いけど、今度はステファンに洗ってもらうよ。」

「へえー。じゃ、僕は見学してるよ。」

「なんでだよ!覗くんじゃねえクソガキ!」

「アドルフが気持ちいい洗い方を、教えてあげようと思ったのになー!」

「いらねー!ヘンタイ!」

「喧嘩はしないで。」

「……。」

「……。」

ステファンも、ルイスと同じように手帳を風呂に持ち込んでシャワーを浴びる。

彼の上半身が映っている。

テーブルに頬杖をついてルイスが言う。

「ステファンって、かっこいい体型だし、よく鍛えてるし、大人になったらもっと体格良くなるよね!楽しみ!」

「テメーに見せてねえ!ドスケベ!」

「いーじゃん、俳優になってそういう役が来たら、みんなに見られるんだよ?

ステファンのラブシーン、楽しみだなー!」

「ルイスはそのままオッサンになったら、ただのエロおやじだな!」

「ステファンのプライドって、結構薄っぺらい。」

「は!?このナルシスト!鼻へし折るぞ!」

「はい、喧嘩はダメ。」

と、僕が言うと、ピタリと収まる。

僕は、二人がかわいくてしょうがない。





数週間前のこと。


病室へ入ると、今日はアドルフが起きている。

ベッドを起こして、座って手帳を見ていた。

「調子よさそうだね。」

「うん。いいよ。」

と、彼はにっこりする。

僕も笑顔になる。上着とセーターを脱いで、彼のそばへ行く。

「ルイス。」

彼は僕に、点滴の入っていないほうの手を伸ばす。

楽しそうにほほ笑んで、僕と手をつなぐと言った。

「おいで。」

誘われた僕は……

彼が見つめる前で、一枚ずつ、ゆっくり服を脱ぐ。

脱ぎ終わると、

彼の隣に座り、

起こしたベッドに寄り掛かる。

彼は僕の方を向き、

やさしい手で僕を抱えてなでてくれる。

僕も、彼の寝間着の裾に手を入れて、肌をなでる。

幸せで、

僕たちは笑ってキスをした……。




そして、今日……。


アドルフが小声で言う。

「おいで、ルイス。」


アドルフは、今ではもう、

そんなに声が出ない。

両腕に点滴が刺さっていて、

手も力が入らない。

倒れて以来、

だんだん食べる量が減り……、

もうベッドから立ち上がることも……

なくなった……。


彼自身も、

僕とステファンも、

その変化に内心戸惑っている。


アドルフの枕が、涙に濡れていることが多くなった。


遠からず、ここを去る、彼の、


僕を見つめるまなざしが……


より一層、愛を語っていて……、


幸せそうで……、


胸が苦しくなるくらい……、


やさしい……。



「おいで。」

彼は微笑んで両腕を広げる。


僕は、服を着たままベッドへ上がろうとした。

けれど、

「脱いで。」

僕は笑って服を脱ぐ。

彼の隣に横になり、彼に抱えられる。


アドルフは僕の髪を撫でながら、ささやく。

「……てほしい。ルイス。」

「え……」

彼の眼を見る。


「大丈夫。」

アドルフは楽しそうにほほ笑んでいる。

彼は苦労して寝返りを打ち、向こうを向く。


「……。」

「ルイス?僕のお願いを聞いてくれない?」

僕は涙を流している。

「いいよ。」

だいぶやせたアドルフは、心から僕にお礼を言う。

「ありがとう。」


たぶん、もうこれが最後だ。

そう思うと、涙が止まらなかったけれど……


……指を絡めて……


僕の片手を握っている……


アドルフの横顔は……、


幸せそうで……、


僕も幸せで……


「は……はぁ……あ……!」


……暑くて、僕は少し汗をかいた。


彼の隣にぐったりと伏せると、


アドルフは、肩で息をしている僕を、


点滴につながれた両腕で、


愛しそうに……


抱きしめた……。





雨が、降っている……。


ルイスに頼んで、

少しだけ窓を開けてもらったから、

雨の匂いと雨音が、

病室に流れ込んできている。


明かりを消して、薄暗い室内。


僕は横を向いて、ベッドに寝ている。


ルイスは、僕の背中に額をつけて、

指先で僕の背中を少しなでて、

歌を……歌っている……。


ルイスの声は、

声変わりが始まってから、少し低く、かすれるようになった。

こうして聞いていると、

性別がわからなくなってくる……。


ルイスの歌は……

前のさわやかさに変って、

深みのある、大人っぽさが出てきた。

今日は特に……

中性的で……

何歳ぐらいの人が歌っているのか、

わからない感じで……


背中から響いてくる

ルイスの心が……

愛が……


年齢も性別もなく……


ただただ、

僕に温かく……


伝わってくる……。


愛していると……


伝わってくる……。


雨音とともに……


僕の心に、


優しく染み渡っていく……。





ステファンが

病室へやってくるなり、アドルフにかがみこんで、

「アドルフ!受かったぜ!」

アドルフの顔が、見る間に輝く笑顔になる。

彼は口を動かす。

「おめでとう……!」

ステファンもうれしそうに笑う。ホッとしているのだろう。

僕は訊ねる。

「どんな役?」

「テレビドラマの準主役。」

紙の台本を見せてくれる。

「え、結構出番多くない?大抜擢だよ!やるじゃん!」

ステファンは、楽しそうに役柄の話をする。

アドルフも、嬉しそうに聞いている。

「はは!アドルフ、よほどうれしいんだね!数値が上がってるよ!」

アドルフとつながっている機械に表示されている、測定値。

血圧も心拍数も上がっている。

アドルフは、目を細めて笑っている。

「デビュー祝いしよう!」

僕は鞄からシャンパンを取り出す。

「お前は未成年だ!それ、どこでくすねて来た!?」

「え?この間、実家に行った時。冷蔵庫から。」

「返してこい!」

「えー?アドルフはどう思う?」

僕はアドルフの顔にかがみ込む。

彼は笑って、

「ステファンの栄光に乾杯。エアーで。」

僕は頷き、ステファンを見る。

「なんて?」

「ステファンにぶっかけよう!だって!」

「嘘だ!ゼッテー嘘だ!」

栓を抜いて、シャンパンの雨を降らせてやった!

「あははは!」

「やめろ!マジで!アドルフが笑い死にするぞ!」

「じゃあ大人しく乾杯しようよ!」

僕はグラスを取り出す。

三人分注いで、アドルフにも持たせて掲げる。

「ステファンにカンパーイ!」


……二十分後。

ステファンがため息をつき、窓を開け、

残りのシャンパンをトイレに捨てた。

今は借りてきたモップで床を拭いている。

僕はアドルフのベッドに寄りかかっている。

「うふ、アドルフ〜、今日はとなりで寝てもいい?きっと今電車乗ったら、終点まで行っちゃうよ!あはは!」

ステファンが舌打ちしてやってきて、僕の襟の後ろを掴む。

「俺が送り届けるから。」

「ステファンもここに泊まったらいいよ!」

「帰るんだ!俺たちがいるとアドルフが良く眠れねえかもしれねえだろ!」

僕は反論する。

「それは違うよ〜!僕らがいたほうが、安心して眠れると思うよ!」

僕らは、アドルフを見る。

アドルフは、僕たちに両手を伸ばして微笑む。

僕たちは、アドルフの直ぐ側まで寄り、彼の腕に抱えられる。


アドルフが

小声で言う。


「ここに……いて欲しい……。」


涙が目尻を伝い、枕に染み込んだ……。


……僕は

袖で自分の涙を拭い、

ステファンに言う。

「じゃあ、ステファン、先にお風呂どうぞ!」

「お前ゼッテー覗くだろ!入らねえ!」

「え〜、ステファン、シャンパン臭い。」

「お前もだ!病院で酔っ払うやつはお前だけだ!」

「アドルフも一口飲んだよ!久しぶりのお酒、美味しかったよねー!」

アドルフは笑っている。

ステファンはため息をつく。

「はぁ……。仕方ねえ……シャワー浴びて着替えてくる。二人とも、水飲んで酔を覚ませよ!」

「はーい!」

ステファンは、アドルフの寝巻きとタオルを持って、風呂場へ行った。

僕は水を飲んでから、眠気覚ましに、気分良く歌を歌った……。



僕はくすくす笑う。

「狭くてうれしい!」

僕はアドルフの隣に横になっている。

ステファンは、ストレッチャーを借りてきたけど、きしむ音がひどいから、結局床にマットを敷いて横になっている。


僕はアドルフに言う。

「アドルフ。また明日。」


「うん。ルイス。また明日。……ステファン……」

彼はステファンに手を伸ばす。


ステファンはその手を握って、

「アドルフ。また明日。」


三人で眠れて……

幸せ……。


アドルフ。

ずっとそばにいるよ……。

もう、二度と離れない……。

どこにも行かないよ……。





機械につながれ、

人工呼吸器をつけているアドルフ。


僕らを見ると、幸せそうに微笑み、

手を握ると、弱弱しく握り返してくれる。


アドルフは、倒れて以来、


日に日に食べれなくなってきて、

痛みが増してきて、


あちこちが調子悪くなってしまって、

何度も処置を繰り返し、


疲れている……。


栄養はすべて機械から得ている。


点滴の痛み止めは、もうかなり強いもので、

アドルフは、一日の大半を、まどろんでいる。


そうして、数日が過ぎた。


僕とステファンは、

ステファンのデビュー祝い以来、毎日、この病室に泊まっている。


よく眠れないし、

売店の食べ物は味がしないし、


もう、写真を撮ることもしなくなり、

会話もほとんどなくなってしまって、


僕もステファンも、一方的にアドルフに話しかけている。


もう、頑張ってなんて言えない……。

もう、頑張らなくていい……。


でも……

どうか、明日まで、生きていて……。


何度も手繰り寄せて……


でも、何も良くならなくて……


少しも時は、待ってくれなくて……


「アドルフ。」


彼にキスして……

手をつないで……


目を見つめて……

やさしくなでて……。


一滴、また一滴、

点滴が落ちるのを、見ないようにして……。


もう泣かないって決めているのに、


時折起きる、

アドルフの

優しいまなざしが

僕に向けられるたび、


彼の顔がにじんでしまう……。


彼の隣に座り続け、

手を握り続け

彼の名前をささやく。


アドルフ……。


ここにいて。

どこにも行かないで。


僕のアドルフ……。


早く、辛さから、解放してあげたい……。


でも、逝ってほしくない……。


アドルフ……。


アドルフ……


アドルフ……


僕はここだよ……。


ここにいて……。



僕は思う。


このまま三人で……、

千年生きる、植物になろう……。


そんな魔法があったなら……。



アドルフ。僕を心配しないで。

約束を守るから。


安心して。

僕はここにいるよ。


アドルフ。

暗くはない。

怖くない。


アドルフ。


僕らは……

こうしていられる……


今も、

奇跡が、僕らを照らしてる……。


アドルフ……。

僕らの周りは、まだまだ明るい。


僕たちは

僕たちだけの

幸福な世界にいる。


それは音楽のように


温かな光のように


生き生きと

美しくて


僕らを満たして


明るいまなざしにしてくれて


お互いを、もっと好きになるような

何か……。


ほら、今も僕らは満たされてる……。


ねえ?

アドルフ……。



……ぼんやりしていたアドルフが、

こちらを見て、口を動かす。


僕は、ハッとして立ち上がり、

顔を近づける。

ステファンもそばへ寄る。

「外してって言ってる。」

僕は人工呼吸器のマスクを外す。


アドルフは、

唇を動かす。


僕とステファンは、

注意深く、

アドルフの言葉を読み取る。



「ル・イ・ス。


ス・テ・ファ・ン。


……ありがとう……


……元気で……。」



アドルフは

交互に僕らの眼を見る。



「アドルフ……!」


僕は笑って

すぐ近くまで顔を近づけ、

彼の髪をなでる。


ステファンも

近づいて頬をなで、


「アドルフ!ありがとう!」



アドルフは


幸せそうに


微笑んでいる……。



そうして……


僕たちを……


見つめたまま……



僕らのアドルフは……


……息を引き取った…………





AIの知らせですぐにやってきた医者と看護師たちが、診断して、出て行った……。


僕は、目を閉じているアドルフに話しかける。


「アドルフ……。

四カ月と、十六日だ……!

三か月じゃなかった……!

一月半も、頑張った……!」


「ああ、笑ってるよ。」

と、ステファンも微笑む。


それから……

……僕もステファンも、


泣いて……


泣いて……


動かない、


息をしていない


アドルフに触れて……



泣いて……



泣きつかれて……


アドルフの隣で眠ってしまった。


僕とステファンは、

そうして一晩、

アドルフと一緒にいた……。




次の日の朝……。


冷たくなったアドルフは、ストレッチャーで運ばれ、


病院の、一階の奥の部屋にある祭壇に、


横たえられた。



僕は……

綺麗な祭壇を、

一枚だけ、

写真に収めた……。





アドルフは俺の部屋に来た時、ベッドで言っていた。


『ステファン、

君はこの傷のことを後悔しているだろうけど、

僕にとっては……

大切な、記念の傷跡なんだ。』


アドルフは、わき腹の切り傷の跡を、大切そうに指でなでた。


『やっと

君を抱きしめることができて、

君は抱き留めてくれた……。

その時のものだから……。』


俺は、

傷跡に置かれているアドルフの手に触れ、

そっとどかし……。

かがみこんで、

傷跡に顔を寄せて、キスした……。



……アドルフがそう言ってくれても、

俺の後悔はなくならなかった。


彼も、きっと同じ。


俺を傷つけてしまった後悔は、

たぶん最後まで消えなかっただろう……。


けれど……

彼が亡くなった今は……


与えた傷も……


受けた傷と同じくらい……


恋しく、愛しくなっている……。


俺は、

アドルフの最後を飾っている祭壇を見ながら、

微笑んでつぶやく……。


「アドルフ……。

アドルフの全部が、

俺の宝物だよ……。」





看護師さんに呼ばれて、

僕とステファンは、

アドルフが使っていた個室へ戻った。


「これが、隠して置いてありました。」

と、看護師さんが封筒を二つ手渡してくれた。


ロマンチストは、

枕の下の、シーツの下に、僕とステファン宛の手紙を残していた。


何人かの看護師さんに、以前からそこに隠してある事を伝え、自分の死後、僕らの手に渡るよう、頼んでいたらしい。


僕たちは手に取り、封筒を開ける。


手紙が何枚かと、


何かのパスワードがいくつか書かれた紙が、入っていた。


手紙は、病院へ来てまだ日が浅いうちに、書いたらしい。

封はしてなくて、何度か書き直して入れたようだ。


まだ歩く元気のあった彼の言葉が、きれいな字で書いてある……。


感謝と、不安と、僕たちと過ごす時間が大切で、楽しいということ……

僕らの将来を、祝福しているということ……。


それから、そのほかにもう一つ、

あるものが入っていた。


僕は、それをつまんでよく見る。

「伊達指輪……。」


僕の手紙にも、ステファンのにも、

同じ指輪が。


けれど、内側のイニシャルは、アドルフのだけでなく、

僕のには僕の、ステファンのにはステファンのイニシャルも、刻まれていた。


棺に入れてほしいと、アドルフから頼まれていた、小さな箱がある。

綺麗に封がされているから、中は見ていないけれど……

きっとその中には、これらと同じ指輪が入ってる……。


もともと彼がはめていた指輪、僕の上着の胸ポケットに入れられた伊達指輪は、

たぶんその箱に入ってる。


きっと、三人のイニシャルが、刻んである……。


僕は左手の薬指に、自分のをはめてみた。


「はは!やっぱり僕には大きい!」

「俺は入らない。」

と、ステファン。


どちらも同じサイズ。

アドルフのサイズ。


「ふふ!アドルフ……!」

僕はくすくす笑う。


「僕たちを縛りたくないって言ってたから、こんな中途半端な形にしたんだ?」


「中途半端でごめんね。」

と、笑うアドルフの声が聞こえた気がした。


涙のにじむ目をこすって言う。

「ありがとう、アドルフ!気に入ったよ!」


ステファンも口元をあげている。

「アドルフらしいぜ!」





アドルフの葬儀の喪主は、彼の父親だった。

少しアドルフに似ている。


アドルフも、年を取ったらあんな感じなんだろうな……。

ねえ、アドルフ?

と言おうとした……。


そうだ。彼はいないんだ。

彼の葬式じゃないか。



どこかに……

孤独の闇が待ち構えている。


けれど、

アドルフとの約束を思い出す。


『変わらず、明るく元気なルイスのままでいて。』


うん。アドルフ。

そうするよ。心配いらない。



僕は、制服で参列した。

指輪は、ペンダントにして首から下げた。

ステファンは、黒のスーツ。

「あはは!カッコイイ!似合う!」

「オイ!葬式で笑うな!」


花に埋もれて横たわっている、美しいロマンチストに、僕は歌を歌った。

彼の好きな曲を、次つぎと。


「月へ……行きましょう……私と一緒に……。

あなたは……私のすべて……。

あなたを……愛してる……。」


大人達が、棺のふたを持ってきた。

棺のふたが……

閉まっていく……。


行きましょう……私と一緒に……

あなたは……私のすべて……


急に泣けてくる。

震えてくる。


僕は叫ぶ。


「アドルフ……!

嫌だ……!

僕も連れてって……!」


しがみつきたくなる。


ステファンに、腕をつかまれた。


振りほどこうと思ったけれど、


彼の手が、震えているのに気付く。


見上げると、彼も声を殺して泣いていた……。



僕は、運び出される棺に呼びかける。


「アドルフ……!」


かすれ声で。


「アドルフ……!」


冷たい土に埋められてしまう……!


起きて……!


今……!


そんなとこに寝てないで、


出てきて……!


僕に駆け寄ってきて……!


「アドルフ……!!」


けれど……


もう、答えてくれることはない……。



いくつもの約束を残して……


彼は逝ってしまった……



僕は、力が抜ける……。


アドルフと一緒にいて、無敵だった僕は……、


彼がいなくなって……


空っぽに……


なってしまった……。



ステファンに腕を引っ張られ、

引きずられるようにして、墓地へ向かった……。

その先は、

よく覚えてない……。

ステファンに促されるまで、参列者の後ろでしゃがみこんでいたらしい。


……真新しい墓の前から教会に戻る途中、

ステファンが、アドルフの父親に話しかけた。


そして、アドルフのマンションの部屋の鍵を差し出した。


「一週間後に、業者が部屋の片づけに来ますから、どうかその前に一度、行ってあげてください。」


父親は足を止めて鍵を受け取り、僕らを見る。

「君たちは息子の……」


「パートナーです。正式ではありませんが。」

ステファンは、左手の小指のリングを見せる。

僕は、襟元から指輪を引っ張り出す。


少し驚いたようだったけれど、安心したように少し微笑んで、

「息子を、どうもありがとうございます。」

そのやさしい目元が、アドルフそっくりで、僕はクラッとした……。


ステファンが大声で言う。

「アドルフを、ありがとうございます!」


ハッとする。

僕も精一杯感謝する。

「ありがとうございます!」


彼は言う。

「火曜日に、息子の部屋へ行きます。」

会釈して、去っていった……。




僕は、鍵を開け……

アドルフの家に入る……。


主を亡くした部屋に、

僕は、帰って来た……。


……アドルフの部屋のキッチンには……

アドルフが下げた食器が、そのまま置いてある。


……寝室には、

アドルフが畳んだ僕の洗濯物が、そのまま置いてある。


アドルフが触れたもの……、

使ったもの……、

置いたもの……、


みんな、僕は、片づけられない……。


またアドルフが帰って来て、

一緒に片付けることを期待していたけど……


叶わなかった……。


ああ……アドルフ……。



『ルイス、ステファン、


ありがとう。


元気で……。』



アドルフの、最後の眼差しを思い出す……。


やっぱり、明るい別れだった……。


僕は頭が真っ白で、気づくと泣いている。


夕方、教会から帰ってきて、


制服を着たまま、


食卓の、自分の席に座って……、


そのまま……、

何もする気にならない……。


……。



……物音がした。


……え……?


アドルフの椅子が、動く音だ……。


動いてはいない。

彼が立ち上がった時の、

そのままの形になっている。


不思議だ。

確かに聞こえた。


「アドルフ…………そこにいるの?」


僕は立ち上がり、

近寄って……

手を伸ばし……

空を通り……

イスに触れる。



「……アドルフ……?


…………帰ってきたの……?」



照明が、


瞬いた。



息をのむ。


目を見開いて見上げる。



アドルフが……


いるんだ……!!



「……ア……


……アドルフ……!!」



僕は


うれしくて……


うれしくて……


声をあげて

泣いた……。



「……アドルフ……!


……アドルフ……!!」



僕に触れて……!


僕を抱きしめて……!


ずっと一緒にいて……!




……泣いたら眠くなった。


僕は、制服を脱いで、

アドルフのベッドに潜る。


空中に微笑む。


「お休み、アドルフ……。」


僕は……


久しぶりに……


ぐっすりと深く、眠った……。




翌日の午後。

チャイムが鳴って、ステファンが玄関から部屋に入ってきた。

僕は笑顔で出迎える。

「ステファン!」

彼は眉を寄せて怪訝そうに言う。

「ルイス?アドルフがいるって、どういうことだ……?」


さっきラインで、どうしてるかって聞かれたから、

『アドルフがいるから大丈夫!』

と答えた。


「ルイス?」

ステファンは、僕の眼をじっと見ている。

僕は、昨夜の出来事を話した。

椅子の動く音がしたこと、

僕の問いかけに、照明が瞬いて返事したこと。

「……だからいるんだよ!この部屋のどこかに!」

と、僕は笑う。

彼はいぶかしそうに、部屋の中を見回す。

キッチンを覗き、風呂場と空き部屋を見に行く。

「……そんなの……偶然だろ?」

「ちゃんといるんだよ!」

僕はくすくす笑う。

ステファンは、心配そうに目の前に立ち、僕の両肩をつかむ。じっと見つめられる。

「ルイス?」

「そう思わない?アドルフは、ここに帰りたがってた!だから帰って」

ステファンが僕の頬を軽くはたく。

もう一度。

「やめて!」

手で払いのけ、あとずさる。

「お前、ちゃんと飯食ってるか?」

「え?」

「……いつから食ってない?」

「別に……」

いつからだっけ。

昨日の朝は、

ステファンが、売店で買ったパンを押し付けてきて、

それを一つ食べた……。

昼は着替えに戻ってきて、

午後に葬式で、

夜は……

「夕食と朝食買って帰れって、葬式の後に言っただろ!?」

そうだっけ……。

「いらないよ。食欲ないんだ。」

ステファンの眉間のシワが深くなる。

舌打ちして、

「ガキが!なんか作ってやる!」

と、キッチンへ行く。

冷蔵庫を見て、

「なんもねー!」

棚や引き出しを開ける。

イラついたため息。

「飯食いに行くぞ!」

「いやだ。いらない。何も食べたくなんか……」

クラッとする。気持ち悪くなる。

「ルイス!?」

床に座り込んだ僕の額に手を当て、

「熱あるじゃねーか!」

「熱……?」

ステファンは、自分のリュックから水のボトルを出す。

「水も飲んでねえだろ!」

「いらないよ!それ、ステファンの飲みかけでしょ!?」

「いいから飲め!」

「いらない!」

彼はまた舌打ちする。

僕は大声出した分、くらくらしている。

「とりあえず、おとなしく寝てろよ!なんか買ってきてやるから。」

腕をつかまれる。

僕は、立ち上がろうとしてよろける。

ステファンに抱き留められ、抱え上げられる。

怪力のステファンに持ち上げられた僕は、抵抗する。

「は……放して……!」


寝室へ連れてかれる。

「降ろして……!嫌だ!入るな……!」


彼を殴り、

精いっぱい叫ぶ。

「嫌だ!この部屋に入っていいのは、アドルフだけだ!」


アドルフだけ……!


他の人がズカズカ入るなんて、絶対嫌だ……!


ベッドに乱暴に降ろされる。


「いい加減にしろ!このクソガキ!

少しは大人になれ!


そうやって飢え死にしたら……


アドルフは、どんな顔すると思う!?

なんて言うと思う!?」


「……う……」

僕は涙があふれる。

ステファンも、涙が頬を伝っている。


「あのロマンチストが帰ってきたって思いたいんなら、思ってりゃいいよ!


けど、心中するな!


俺のとこじゃなくて、

お前んとこに帰ってきたのは、

お前のほうが心配だからだよ!


しっかりしろ!」


ステファンは、震えながら、振り絞るように、叫ぶように言う。


「アドルフが、

生きようと、毎日頑張ってたのは、

俺たちの未来を、

一日でも長く、一緒に見たかったからだ!


それを……

そんな簡単に後を追って死ぬな!


あのオッサンの努力を無駄にすんな!


俺たちは、アドルフの分まで生きるんだよ!


生きて、アドルフの希望をかなえてやらないでどうする!


お前も約束したんだろ!?

何があっても自殺しないって!」


「……。」

僕は泣くばかり。


彼は肩で息をしている。

袖で涙をぬぐって、深く息を吐く。

「じゃあ、食料と薬買ってくるから。」

ステファンは、こちらを見ずに出て行った。



……悔しいけど、彼の言う通りだ……。


僕は

アドルフと

心中しようとしてたんだ……。


そして、ステファンも、本当は、

心の底では、

アドルフを一人で逝かせたくないと、思ってる……。

後を追いたいと……。


でも、アドルフとの約束を守ろうと、

アドルフの思いを裏切るまいと、

必死に踏ん張っていて……


死にたがってる僕の手を、

懸命につかんで、引っ張ってる……。


……僕は……


生きなきゃ……ならない……。


アドルフの望みだから……。


けど、どうやって……


生きたらいいんだろう……。


アドルフと、たくさんの約束をしたのに……、


僕は……何も……


できない……。




ステファンが買ってきたスープを食べ、少し眠った……。



……物音がする……。


僕は飛び起きて、リビングへ行く。

「ステファン!やめて!!」


ステファンが、部屋を片付けている。

「やめて!!片づけないで!!」

彼の服をつかんで引っ張る。


アドルフが置いたもの、

使ったもの、

捨てたもの、

みんなそのままにしてあったのに……!!


彼の椅子も、

動かされてる……!!


「あ……」

僕は、心が深く傷ついた……。


「ひ……ひどい……!!」

僕は震えて、大泣きする……。


「ひどい!!……ひどすぎる……!!


ひとでなし……!!」


彼のシャツをつかんで、

彼を殴る。


「ルイス、」

ステファンは、僕の腕をつかむ。

「ルイス……。」

握力の強い彼に両手を封じられ、僕は殴れなくなる。

「俺が今日この部屋に来た時、人が住んでる部屋に、見えなかった。」

「……。」

「前回来た時は、

引っ越しの荷造り途中みてえだったけど、ちゃんと人の住む部屋だった。

でも、今は……」

横目で部屋を見て、

言葉を飲み込み、ステファンはため息をつく。

そして、

「頼むから、おとなしく寝ててくれよ……。」

震えて、泣いて、嗚咽している僕を

肩に担いで、運んだ……。



ステファンに、看病されている……。

僕は熱があって、だるくて、起き上がるのもしんどいし、めんどくさい。

ステファンが僕の肩に触れる。

「ルイス……?汗かいてるぞ。着替えはどこだ?」

「……。」

「探しとくから、とりあえず脱げ。冷えるぞ。」

「やだ。」

舌打ちされる。

ステファンは、クローゼットの引き出しから、アドルフのパジャマを出してくる。

布団をはがされ、部屋着を脱がされそうになる。

「やめてヘンタイ……!」

でも、もう抵抗するのも疲れる……。

「じゃあしんどくても自分で着替えろ!水も飲め!」

僕は耳をふさぐ。

「大声出さないで……頭に響く……」

彼は低い声で言う。

「頭いてえのは、食ってねえからだ。バカヤロウ。」

彼が出ていき、ドアが閉まってから、

僕は起き上がり、服を脱いで着替える……。


「あ……アドルフの香りがする……。」


着たパジャマの香りをかぐ……。

泣けてくる……。


アドルフを抱きしめたい……。

「アドルフ!辛いよ!」

って、泣きつきたい……。


水と栄養ゼリーを飲んで、横になった……。



……次に目が覚めて、トイレに行くころには、

すっかり、リビングとキッチンがきれいになっていた……。

埃が拭き取られ、空気は入れ替わり、新鮮な生活感がある……。

料理の良いにおいがする……。

疲れた様子のステファンが言う。

「料理したから、食えそうなもん、食え。」


僕は、

アドルフのガウンを着て……

アドルフの椅子に座って……

アドルフの食器で食事する……。


食べたくなかったけど、食べてるうちに食欲出てきた……。

ステファンが検温する。

「熱下がったな。」

彼は寝室へ行き、寝具カバーを取り換える。

それも変えてほしくなかったけど……

もう抵抗する気力は失せた……。

疲れたステファンの顔を見たら、可哀想になってきたから……。


……もう夜中だ……。

戻ってきたステファンに言う。

「どうもありがとう……。」

「ああ。」

「もういいから、帰って休んで。」

「もうとっくに、バスも電車もねえよ。」

「じゃあ、あのベッドで休んで。」

この家には、ベッド以外、ソファーもマットレスもない。

彼は鼻でため息をつく。

「始発で帰るから、お前が寝てろ。」

僕は、彼の眼を見て言う。

「ステファン。疲れた顔してる。

今度はステファンが倒れちゃうよ!

僕は構わないから、ちゃんと横になって休んで!」

彼は僕をじっと見る。

「……やっと、人の心配ができるくらい、まともになったな……。」


ステファンは、シャワーを浴びた後、

アドルフのパジャマを着て、

寝室へやってくる。

「狭いな……」

と言いながら、ベッドに入ってくる。

ため息をつき、独り言のように、

「襲うなよ。」

僕は笑う。

「襲わないよ!そっちこそ!」

「……。」

聞いてないらしい。

彼は、三分後には、寝息を立てていた……。


彼は、

四つ年上なだけで、気を張って僕の面倒を見てくれてる……。


きっと、本当は、

僕と同じように、

悲しんだり嘆いたりしたいんだ……。


「……ありがとう、ステファン……。」


彼の髪をなで、

目元にキスして、

彼にくっついて眠った……。




朝……。

目が覚めた……。

「……は!?」

ルイスが、俺を抱きかかえている……。


まだ眠ってる……。

俺は深くため息をつく……。

「はああ……」

コイツになつかれても、うっとうしいだけなんだけど……。

何とかしろよアドルフ……!

ルイスの両足が、俺の片足にしっかり絡みついてて、動けない……。

スヤスヤよく眠ってやがる……。

「あーめんどくせー。」

ルイスがピクッとする。

ぎゅっと抱きしめてくる。

「やめろ!離れろ!」

ルイスがビクッとして気づく。

「……なんだ……ステファンじゃん……。」

ひどく残念そうな声。

でも、離れねえ。

「おい!離せ!」

肘で押す。

「やだ……。」

「……。……どういうつもりだよ。

……俺はアドルフの代わりじゃねえんだからな!」

「少しくらいくっついてたって、なにも減らないでしょ。」

「家に帰れ!一人で寝ろ!抱き枕買え!」

俺は振りほどいて起き上がる。

「お前、汗くせえよ!飯の前に風呂入れ!」

「ひどいなぁ、慰めてあげたのに。」

「はあ!?いらねー!」


ルイスが、半裸で風呂から出てくる。

「オイ、服着ろ!」

「ステファンが僕の服、全部洗っちゃったから、着る物ないんだ。パンツもなくて、しょうがないからこれが代わり。」

女物のショートパンツをはいている。

ルイスは、髪を拭いたタオルを肩にかけ、自分の席に着く。

「わあ、おいしそう!ステファンって意外と料理上手いよね!」

乾燥機にかけとくべきだった……。

夜だから、近所迷惑だと思って部屋干しにしたんだ……。

しょうがねえから、アドルフのシャツを持ってくる。

「着てろ!」

「ありがと!」

ルイスは、にっこりして受け取ってはおる。

袖をまくって、カトラリーを持つ。

「ちゃんとボタン止めろ!」

「なんで?いいじゃん、別に寒くないよ。」

ニコニコして食事を始める。

そうだった……。

コイツはこういうヤツだった……。

俺はため息をつく。

「はあ……今日はアドルフの親父さんが来るんだ。ちゃんとしてろ!」

「ああ、そうか。今日火曜か。」

片手で器用にボタンを留める。

けど、一つしか留めない……。

ウザイ……!

俺は舌打ちして、乾燥機をかけに行った……。

ルイスの、明るくなれなれしい声が飛んでくる。

「ステファーン、しょっちゅう舌打ちするの、感じ悪いからやめてよ!」

舌打ちする。




昨日の夜……

僕はステファンを、パジャマの上から触った……。

良く寝てたから……。


アドルフと違う骨格……

違うにおい……

違う寝息……。


アドルフの、愛した人……。

アドルフを、愛している人……。


僕たちは……

仲良くやっていけると思う……。


ステファンを抱きしめて……

僕は

彼の中のアドルフとの思い出と

自分自身も、抱きしめた……。




僕は、アドルフの手帳を充電する。

ふと思い出す。

指輪が入っていた封筒に、パスワードがいくつも書かれた紙が、入っていた。

アドルフの端末は、この手帳だけだから、どれもこの中の設定……。

とりあえず、クラウドにアクセスしてみた。

すると、

僕とステファン、

それぞれに宛てたビデオレターが、いくつも保存されていた。

「ステファン!

アドルフがこんなの遺しててくれた……」

僕とステファン、両方に宛てたものも、ひとつあった。

僕は、自分のノートパソコンでそれを再生する。

ステファンと並んで画面を見ていると、

病室にいるアドルフが映った……。


『ルイス。ステファン。

この動画を見てるってことは、

僕はあの世に行った後だね……?』


まだ点滴が片腕のアドルフが、元気そうにほほ笑む。

『僕の葬儀はどうだった?

二人とも、きっとたくさん泣いただろう。

ごめんね……。

今もきっと、泣いてるね。

涙を拭いてあげよう。』

と、彼はティッシュをカメラに近づける。


『二人とも、僕の父親に会っただろう……。

あの人とは、どうしても分かり合えなくて、距離を置いているけど、

冷酷な人ではないんだ……。


ルイスとステファンのことも、彼には受け入れられないだろうけど、

それは、君たちが悪いわけでも、

父が悪いわけでもない……。


寂しく悲しく、感じられるかもしれないけど、気にしないで。』

と、やさしく微笑む。


『母は、僕がゲイだと知らないうちに亡くなったけど、

僕を愛して、大切に育ててくれた人だった。


あの世で再会したら、

ルイスとステファンと過ごせて、とても幸せだったと、伝えようと思う。

母なら受け止めて、一緒に喜んでくれるだろうと思う。


ルイス、ステファン、

僕は、遠い将来、

君たちと再会できると信じているよ。


その時が来るまで、あの世の入り口で待っているよ。


二人とも、

あまりケンカしないで、仲良くね。』

と、くすくす思い出し笑いする。


『二人がいつまでも元気で、

最良の人生を送れるよう、

心から祈っています……。』


彼は、しばらくの間、無言でほほ笑んで僕らを見つめている……。


録画はタイマーになっている。

アドルフが言う。

『……もうそろそろ、ルイスが来る頃だ。

昨日も自撮りしてたみたいだから、それを見せてくれるだろう。

ステファンは、

僕が選んだ服が、昨日届いたと言っていたから、着て見せてくれるだろう。

楽しみだ!」

それから、残念そうに、

「……ルイスがどんな仕事に就くのか、見たいし、

ステファンが、カッコイイ俳優になるのも見たい。

素敵な大人になった二人を、毎日想像しているよ……。


ルイス。ステファン。


たくさん学んで、

たくさん楽しんで、

たくさん幸せを感じて、

自由に、生きて行って……。』


と、明るく微笑んで涙をこぼす……。


病室のドアが開く音がする。

アドルフが手帳を倒して、画面が暗くなる。

『ルイス!』

『アドルフ!調子よさそうだね!』

と、変声前の僕の声が聞こえる。

『うん、いいよ!今日は美少女だね!かわいいよ。』

『ふふ!もっと褒めて褒めて!』

軽やかな足音。

……録画が終わった……。


僕は、笑いながら涙をぬぐう。

「ああ、あの日に撮ったんだ!」

自分の手帳で、その日に撮った写真を探す。

ロングヘア―のウイッグに、オフショルダーのチェックのワンピース。

「ああ、俺が部屋に入ると、チェリータルトを食べさせあってたな。

わざとだろう。」

「ははは!ステファンも、食べさせてもらってたじゃない!

僕が差し出しても、食べてくれなかったけど。」

「お前にいちゃつかれてもうれしくねえ。」

「ステファン、アドルフの言う通り、仲良くやってこうね。」

「はあ……お前の仲良くは、手に余るんだよ……。」

「そんなこと言わないで、なんでも助け合っていこうよ!」

「お前に気軽に助けを求めるほど、プライド薄くねえよ!

それより、いい加減、ちゃんと服着ろ!さっき乾燥機鳴ってたぞ!」

「ああ、アドルフのお父さんは、いつ頃来るんだって?」

「そろそろ来るかもな!」

「ゲイを受け入れられないお父さんなら、僕、女装したほうがいいかな?」

「葬式で会って、声変わりしてるの知られてるだろう!」

僕は女声を作る。

「風邪ひいてたんです。」

ステファンはうんざりした目をして、

「婦人科に連れてかれても知らねえからな。」

僕は両手で顔を覆う。

「お父さん!

私、アドルフの子を産んで、立派に育てます!だから、

あれ?ステファン?」

乾燥機を開ける音がする。




アドルフの父親がやってきた。

彼は、片付いていて、掃除してある部屋を見渡し、つぶやく。

「ここへは初めて来ました……。」

僕は、ハーブティーを入れてお出しする。彼は、

「ありがとうございます。……君はいくつですか?」

「十六歳です。」

ステファンを見て、

「君は?」

「二十歳です。」

「……息子を……

肯定してやればよかった……。

こんなにしっかりした人たちとお付き合いしているのを、知っていたら……。」

「……。」

「彼が……苦しんでいるのを知っていながら、受け入れてやれなかった……。」

「無理もないです。

俺が初めてアドルフと会った時、俺はルイスより背が低かった。

そんな子供といたいと思うセクシャリティを、アドルフ自身、肯定できないでいました。」


僕は何も言えずにいる。


……アドルフの親が、後悔してる……。


僕は思う……。

……僕の親も、息子のことを理解してやれなかったと、後悔する日が来るだろうか……。


いや、僕の親にかぎってそれはない。

痛い思いをして思い知ったじゃないか……。

とっくに闇に葬り去った事だ……。

親から愛されたいだなんて、もう今さら思ってない。


アドルフは、僕と親の関係を心配していた……。

僕も、アドルフと父親のすれ違いを、なんとかできたらいいのにと思ってた……。


アドルフ。

お父さんが歩み寄っているよ……。

ここにいて、和解できたら良かったのに……。


お父さんは話す。

「……最後に彼と電話で話したとき、

いつになく元気そうな、明るい表情と声をしていました……。


息子は、

とても幸せだと、

父さんは長生きしてくれと、言っていました……。


母親が、早くに亡くなっているので、そう言うのだと、その時は思いました。


けれど、病院から知らせを受けて、祭壇室で息子と対面したとき、

あの時の言葉は、母よりも、ではなく、自分よりも長生きして欲しいという意味だったのだと知りました……。


毎日彼に会いに来ていた子達がいたと、看護師さんから聞いたとき、

私は思いがけず、幸せな気持ちになりました……。


もうなにも、息子に対する不安も偏見も、心配も無くなっていたのです。

以来、

後悔の毎日です。」

「……。」


アドルフ……。

お父さんが、涙ぐんで謝ってるよ……。


「息子を救い、私に優しい言葉をかけさせてくれたお二人に、

私は、感謝しかありません……。


彼の闘病生活を、幸せで明るいものにしてくださって、

本当に、ありがとうございます……。」

涙が落ちる……。



お父さんに、アドルフの持ち物を見てもらった。

「まだ、これを使っていてくれたんだ……。」

と、手に取ったのは、ハンガー。木製の、美しいハンガーだ。

いくつもあって、どれもスーツがかけてある。

「彼が就職した時に、買ってやったものです。」

お父さんは一つ持ち帰ることになった。

食器も、いくつかは実家から持ってきたものだとわかった。


僕は彼に、僕たちの写真を見せた。

明るい表情のアドルフを、たくさん見せた。


それから、さっき見つけた動画も見せた。

お父さんは、後悔しながらも、

心からよかったと思っている風に、微笑んで見ていた……。


お父さんは、帰り際に微笑んで言った。

「お二人とも、今度うちにいらしてください。

息子が使っていた部屋がありますし、本やアルバムもありますから。」

僕は喜ぶ。

「ぜひ見たいです!」

ステファンも、

「落ち着いたらご連絡して伺います。」




お父さんが帰られたあと、

ステファンと二人で、夕食を作って食べた。

僕はステファンに言う。

「今日も泊まってよ。」

「……。」

まっすぐにステファンを見て言う。

「四日後には、ここにはいられなくなっちゃうんだ……。

アドルフのいた場所だよ。

ここにいなよ。」

「……。」

「まだいるような気がするし……。」

アドルフ……。

アドルフも、ステファンを引き止めて……。



夜。

ステファンが、お風呂から出て、寝室へやってくる。

「ステファン!」

僕はハグしようと、両腕を広げてほほ笑む。

彼はため息をつく。

「はぁ……。……お前、昨日、俺の体触っただろう。」

「え、」

なんでわかったのかな。

「はあ……。だろうと思った……。」

「ごめん……。」

ステファンは何も言わずに、ベッドに腰掛ける。

そして、話し始める。


「十四の時……毎晩のように……

このベッドで、アドルフと添い寝し

てた……。

こんなに狭かったんだな……。」


「え……」


彼はベッドに入る。

「ルイス。向こう向いて横になれ。」

「……うん。」


言われたとおりにする。


この間……

僕はステファンに、

『寝室に入っていいのはアドルフだけだ!』

と喚いて、彼を殴った。

ステファンも、ここでアドルフと過ごした事があるのに……。

だから、ステファンにとっては、僕こそストレンジャーなのに……。

あの時は、まったく頭から抜けてた……。

ステファンは、傷付いたはずなのに、その事についてなにも言わない……。


僕が、言われた通り、ベッドに横になると、

背後に横たわっているステファンは

僕を、背中から抱きかかえた……。


「アドルフは、頼めば、こうして寝てくれた……。」


……すごく……

切なくなってくる……。


ステファンとアドルフは、

すれ違ってしまって……

何年も……

そのままで……

苦しくて……

愛し合えたのは、

ほんの短い間だけだった……。

僕よりも短い……。


僕よりも、

ステファンの方が、

ずっと……


僕は起き上がって、彼のほうを向く。

「……ステファン……。」


彼に顔を近づけ……

……唇にキスする……。


可哀想な……

ステファン……。

ごめん……

やっぱりもっと、

アドルフを譲れば良かった……。


……彼もキスに応えて……

僕の髪をなでてくれる……。


優しい……。

でも、僕は不安で尋ねる。

「ステファン、僕を憎んでる……?嫉妬してる……?」


彼も起き上がる。

「いや。してない。

アドルフが、ルイスと出会えてよかったと思ってる。


ルイスの強さが、アドルフを変えた。

俺にはできなかったことだ……。


おかげで俺は……

アドルフと……

幸せな時間を過ごせた……。


三回も、俺の部屋に来てくれたし……。


……だから、おまえには感謝してる。」


と、澄んだ目をして微笑んだ。


「……ステファン……!」


僕は、彼を抱きしめる……。


「アドルフはお前のこと、

だいぶ心配してた……。

だから、

ちゃんと生きて行ってくれねえと、俺が困るんだ。」


「うん……!


ステファン……、

アドルフは、ステファンと一緒になれて、

すごく明るくなって、幸せそうだった。


僕一人じゃ、

あんなに幸せにできなかった。」


「……ああ……。」

ステファンも、やさしく微笑んで僕を抱きしめてくれた。


「ステファン、ごめん……!

独りよがりに喚いて殴ったこと、後悔してる……!」


彼は、

「あぁ、別に怒ってねえよ。」

と、優しい兄みたいに微笑んだ……。

「ルイスが元気になってくれれば、それでいい。」


ああ……ステファンは、

僕の向こう側に、アドルフを見てる……。


「……さあ、もう寝よう。

明日もやることいろいろある。」

「うん。」


彼はスタンドの明かりを消した……。

今夜のステファンは、とても優しい……。

ステファンの、この優しさが、アドルフは大好きだったんだな……。


僕は、今朝みたく、

ステファンにくっつく。


ステファンも……

僕を抱えて眠った……。




次の日は、

掃除したり、

アドルフの持ち物の残りを、形見分けしたり、

彼の手帳のデータを、僕もステファンも持っていられるよう、二人分コピーしたりした。


僕は、部屋のあちこちを写真に撮った。


アドルフが入院してた時より、

部屋全体が、明るく見える。


ステファンと

買い物に行って、料理して……

何気ない普通の会話をして……

時々笑って……。


……ステファンがいてよかったと思う。


僕一人では、業者が来るまで何もできなかった……。

というか、死んでた……。


こうしてまた、アドルフの部屋で生活できて、


頼れるステファンと、過ごせて嬉しい。


アドルフをよく知っているステファンと……


一緒に明るく過ごせて、


うれしい。



夜。

風呂から出たステファンが、寝室へやってくる。

「ステファン!」

僕は、彼を抱きしめようと近づく。

「やめろ!くっつくな!」

邪険に肩を押される。

「え!昨日はあんなにやさしかったのに……。」

寂しいな……。

彼は僕をにらむ。

「毎日ひっつかれるのは迷惑だ!」

「ああ!もしかして、

僕の魅力に我慢できなくなってきてる!」

怖い目で見下ろされ、

「殺されてえのか。」

すごまれた。ちょっとゾクッとした。

「あはは!わかったよ。おとなしくしてるよ!」

彼ににらまれるのは、割と快感だけど。

「もう。ほんとツンデレなんだから〜!」

「……。」

彼は嫌そうに僕を見下ろしてから、天を仰いで深くため息をつく。

「はああ……。」

かっこいい首がよく見えて、セクシーでいいな。と思ったけど、黙っといた。



ベッドに横になり、

明かりを消す。

「……。」

「……。」

僕は小声で言う。

「……ステファン、眠った……?」

「……。」

僕は、ステファンに寄り添って、くっつく。

「……ルイス……。」

「ん?」

ひっついてんじゃねえ!と、しばかれるかなと思ったら、彼は落ち着いた声で言った。


「……アドルフは、俺のところにも来たんだ……。」

「え?」


「気配が、してたんだ……。俺の部屋に……。

アドルフが帰って来てた……。」


「……よかった。

アドルフは、ステファンのことも、心配してるんだね!」

「……。」


僕はうれしいし、安心した。

微笑んで彼の髪をなでる。

それから、彼をしっかり抱えた。

ステファンは嫌がらず、そのまま眠った……。




次の日。

昼間に、僕は言った。

「ステファン、あのさ、」

「何。」

「考えたんだけど、アドルフが行きたがってたところに、二人で行かない……?」

「……。」

「ひとつずつ、一緒に巡ってみない……?」


二人で旅行したい……。

いい考えだと思う。


ステファンと疎遠になってしまうのは、寂しいことだし。

ラインでやり取りして……

時々旅行して……

ずっと友達でいられたら……。 

そうして、

アドルフを思いながら……

また二人で過ごせたら……。


「……ああ……。そうだな。」

ステファンは口元をあげる。

僕はアドルフの席を見て、にっこりして言う。

「三人でさ。行こうよ。ねえ、アドルフ!」




穏やかに時間が過ぎ……、

二日後に

遺品整理業者が来て、

大型家電の処分と、

ステファンと形見分けした遺品の梱包と、運搬をしてくれた……。



身じたくしたステファンが言う。

「鍵を貸せ。俺が閉める。」

「いいよ。僕が閉める。」

「……じゃあ、二人で。」 


最後に、


アドルフの家だった場所の、

玄関ドアのカギを、


二人でかけた……。





「あはは!見てみてステファン!すごいかわいい!」

「……うん……。」


僕たちは、アドルフの実家にお邪魔している。

アドルフの子供のころの写真を、端末で見させてもらっている。


おとなしそうな、細身の子供のアドルフ……。


アドルフのお父さんが言う。

「どうぞ、コピーしてお持ちください。」

「いいんですか!?ありがとうございます!」



アドルフの部屋を見せてもらう事になった。

「二階の左が、アドルフの部屋です。」


僕とステファンは二階へ上がり、左のドアを開ける。

レースのカーテンから穏やかな日差しが差し込む、落ち着いた雰囲気の部屋……。

そこには、高校生のころまでの、アドルフの持ち物が残っていた。


「アドルフはこの机で勉強したり、詩を書いたりしてたんだ……。」

僕は机の前の椅子に座る。

ステファンはベッドに横になる。

「あ!いいな!ズルい!僕も!」

ステファンの服を引っ張る。

すると彼が、

「何か書いてある。」

「え?」


ちょうど枕の横の、ベッドの枠に、文章が数行書いてある。

詩かな。寝そべってペンで書いたんだ。

でも、薄くて読めない……。


「残念!なんて書いたんだろうな……!」

僕は、机の上のパソコンを起動させる。


何を学び、何を楽しみ、何を気に入って保存したのか。

アドルフ少年は、

美しい絵や、詩や、文学、写真、動画、たくさん持っていた。

彼の書いた詩も、保存されていた。

初々しくて、

感受性豊かな子供のアドルフは、

少年らしい繊細さと、

やさしさと、

悩みがあって、

やっぱりロマンチストで……。

僕とステファンは、

アドルフの成り立ちを感じ取っていく……。


保存されていたデータと、

彼の作品も、コピーした。


アドルフの部屋には、アップライトのピアノもある。

「長く習ってたって言ってたな。」

蓋を開け、僕は奏でる……。


「優しい、いい音……。」



……夕方。

もっと長く、アドルフの暮した家に居たかったけど、日が傾いてきたので、おいとますることにした。

「またいらしてください。」

と、お父さんは言ってくれた。

僕は、アドルフのセーターとコートをもらった。

アドルフがよく着ていたそう。

少し大きいけど、着られる。

ステファンは、本を三冊もらった。

冒険小説。

アドルフが何度も読んでいたそう。


僕とステファンは、アドルフの通っていた中学校も見に行った。

彼が毎日通った通学路を歩く。

アドルフの部屋には制服はなかったけど、着た姿は写真に残っていた。

同じ制服を着た子たちとすれ違う。

ステファンが言う。

「ルイスは進級できんのか?」

アドルフにつきっきりで、三ヶ月以上、学校を休んでたから、実は単位がヤバイ。でも、

「うちは課題をこなしてテストでそこそこの点取れれば、問題ないよ。」

「旅行は、上に上がれてからにしよう。」

僕はむっとする。

「信用ないな。旅行くらい行ったって僕はダブったりしないよ!」

ちゃんと毎日勉強してる。

高一の内容なんて、たかが知れてる。楽勝!



僕は実家に帰り、自分の部屋に入る。


袋から、

アドルフの

セーターとコートを

取り出して

眺め……、


僕と同い年のアドルフを……


……抱きしめた……。



マンションの部屋は失くしてしまったけど……

子供のアドルフの部屋は……

まだあって、良かった……。

僕はとてもほっとした……。




駅の改札で、僕は手を振る。

「ステファン!」

「おう。」

彼も片手をあげる。

アドルフの指輪が、小指に光っている。

僕も、同じ指輪を首から下げている。

「お前、また背が伸びた?」

「ステファンこそ、ますます体格よくなった?」

彼の胸板をなでようとすると、

手首をつかまれた。

「鍛えてんだよ。

そういやお前、身長だけ伸びて、いつまで経っても声変わりしねえな。」

「とっくにしたよ!」

アドルフ好みの声を維持しようと頑張ってる。

「ヒゲも見当たらないし、骨格も華奢で中性的だし……」

ステファンは気持ち悪そうに引いている。

「うふ。知りたい?」

僕は美容医療を受けている。

美少年を維持したいから。

「お前の自由だろ。害になる事はするなよ。」


今日は、ステファンと一緒に出かける。

旅行に行く。


アドルフが、行きたかった場所へ……。


三人で……


新しい景色を見に……。



「あ、ステファンが主役のドラマ、見てるよ!すごい好印象に映ってるじゃん!」

「割と評判良くて、ほっとしたぜ。」

アドルフに見せたかったな……。

ステファンが出演した作品、全部……。

「次は何の役?」

「大学生。」

「えー、どんな?」

「……旅行中は、仕事の話ぬきがいいんだけど。」

「ええ~?まあ、そうか。僕も旅行中は勉強から解放されたいし!

ステファンとアドルフと、ラブラブな旅行をするんだもんね!楽しみ!」

と、ステファンの腕に抱き着く。

「……お前、いいかげん病院行って脳の虫駆除してもらえ!」

拳で頭をグリグリされる。

「痛い痛い!あはは!ひどいな!」





ようやく着陸した飛行機から降り、空港のロビーを通る。

僕は伸びをする。

「ああ……良く寝た……!」

「爆睡してたぞ。」

と、ステファン。

「んん、徹夜してテスト勉強してたから……。」

「医学生は大変だな……。そんなにしないと、単位もらえないのか?」


僕は今十九歳。おととし、医大に合格した。

「ほら、僕は飛び級してるから、人より頑張らないと。

でも、勉強は趣味みたいなものだよ。」

と、僕がにっこりすると、ステファンは鼻で笑う。

「ルイスは、熱中するとへばるまで頑張るんだな。」

「休憩は挟んでるよ。自撮り写真を加工したりさ。あの作業、テンション上がるんだ!昔の僕ももちろんかわいいけど、今の僕も、最高にセクシーで良いと思うんだよね!

そんなことより、早く絶景見たいな!すごく楽しみにしてたんだ!」

「……。」

彼は黙ってしまった。

「あれ、もしかしてステファン怖いの?」

「怖くねーよ。」

「あはは!声小さいよ!」

僕はリュックから本を取り出す。自然遺産の本。

「アドルフが好きだったこの本、まだまだ行ってないとこ、たくさんあるな……。

全部巡れるかな……。」

アドルフは、人を寄せ付けないような秘境にあこがれていた。

冒険家や登山家の本を、たくさん持っていた。

でも、一人で行く気にはなれなかったらしく、僕やステファンと一緒に行きたがってた。


アドルフが亡くなって、もうすぐ四年……。

僕とステファンは、今まで半年に一度、この本に載っている場所を巡ってきた。


自然遺産の映像を、アドルフと見たりしたな。

アドルフの胸の高鳴りを感じ取って、

本当に好きなんだな。一緒に行きたいな。と思っていた……。


「どのバスに乗るって?」

と、ステファンはマネージャーに尋ねる。

彼女は綺麗な黒髪をなびかせて、

「あっちです。」

僕はステファンに言う。

「休暇なのにマネージャーさん連れてきて、ステファンは鬼だね。」

するとマネージャーさんは、

「あ、いえ、私のほうからお願いしたので、お気になさらず。」

と、微笑む。

まあ、今回は南の島の観光地だし。

僕はステファンの肩を突っつく。

「何?」

耳元で小声で言う。

「ステファンって、ゲイなんだっけ?」

「……は?」

「前から思ってたけど、マネージャーの彼女、美人で優秀で、センス良くって勤勉で、完璧だよね。」

ステファンは、めんどくさそうにこちらを見ながら、声を落として言う。

「あのな。俺はゲイだし、彼女はレズビアンだから。」

「……へえ。」

「信じないんなら本人に聞けよ。」

「残念……。」

「人のマネージャ―狙ってんじゃねえよ!」

「冗談だよ!ああ、でも、ほんと何年もフラれてばっかりでさ……。」

「勉強ばっかで、休みがねえからフラれんだろ。」

「ううん。来年やっとインターンに参加できるし、予習が結構大変なんだよね……。」

「楽しそうだな。」

「うん!楽しいよ!」

「はあ……そうかよ。」

マネージャーさんが、日傘を畳んでこちらに微笑む。

「バスが来ましたよー。」 



僕たちは、

展望デッキから、

噴火している山を見ている。


赤く光る溶岩が、火口で沸騰していて、時折、間欠泉みたいに吹き上がっている。


スケールが大きくて、僕は興奮している。

「すごい……!

エネルギーが!

初めて本物のマグマ見た!

あさってからも勉強頑張るぞ!」

となりのステファンを見る。僕とは対象的におとなしい。

「……。」

「大丈夫だよステファン。大噴火したりしないって!」

肩を撫でると、鬱陶しそうに離れた。

「……。」

ステファンは、腕を組んで、眉を寄せて、目をすがめて火山を見ている。

「きれいだと思わない?」

「……。」

吹き上がるたび、ちょっとビクッとしている。

かわいい!

僕はくすっと笑って言う。

「ステファンって、波も苦手なんだね。

サーフィンしてる人達を心配してたもんね!」

バスの車窓から見て、

『気が知れねえ……』

ってつぶやいてた……。

「アドルフは、ステファンの怖がり知ってたのかな?」

「さあ。……いや、怖がってねーよ。」

「こういうとこ、かわいいですよねー!」

と、マネージャーさんに言うと、彼女は優しくにっこりして、

「そうですね。」

彼女は熱心に、楽しそうに、火山の動画を撮っている。

この二人、いつ見ても美男美女で、目の保養……。

うふ。




僕がシャワーから出ると、

ステファンは広いベッドに寝そべって、台本を読んでいた。

「旅行中は仕事抜きって言ったの、ステファンだよ?」

「ああ、そうだな。」

僕は、細い鎖に通して首にかけてある指輪をつまんで、

「アドルフ、せっかく久しぶりの旅行なのにね?」

ベッドに上がり、ステファンのすぐ隣に座る。

「今度は?ラブシーンは?」

「……ある。」

「やった!楽しみ!」

内容は聞かないことにする。

彼は台本を閉じた。

「はあ……。」

ため息をついて仰向けになる。

なんか、悩んでるみたいだけど、彼が話してくれるまで、干渉はしない。

彼は僕を信頼してくれてるから、こっちから聞かなくても話してくれる。


「……ステファン。」

僕は微笑んで、彼の顔にかがみこんでキスする……。


彼は応え……

僕の髪をなでてくれる……。

離れると、僕は彼にくっついて横になる。

僕たちは、旅行のたびにこうしている……。


「ステファン、恋人出来た?」

「いや……。」

「じゃ、こうして過ごしたことあるのは、アドルフ以来、僕だけ?」

「……いや……。」

「……。」

「ルイス……。アドルフの話しろよ。」

「どんな?」

「何でも。」


彼はため息をつく。

「はあ……。……アドルフに会いたい……。」


切ない……。

「……僕だって、会いたいよ。」


僕は起き上がり、彼にキスする……。

アドルフのキスを真似る……。

アドルフの癖を真似て、ステファンの胴をなでる……。


「……やめろ。」

ステファンに押しのけられた……。

腕で両目を覆っている。


「ステファン……?僕は構わないけど、いや?」


「……無理なんだ……。

アドルフじゃないと……。

どうしても……。」


「……。」

ステファンは、僕とは、違う……。


「そう……。お休み。」

僕は明かりを消す。


孤独なステファンを抱えて眠る……。


夜中……。

眠っているステファンの横で、僕はつぶやく。

「アドルフ……。いいよね……?」




朝……。

目が覚める……。

「……は!?」

ぎょっとした。

俺に引っ付いてるルイスが、ほぼ裸だ……。

俺も大体、脱がされてる……。

全く記憶にない……。

起き上がって彼に言う。

「ルイス!俺に何した!?」

「ん……」

「ルイス!おい!?」

彼を毛布の上から揺さぶる。

「ステファン……もうちょっと寝かせて……。」

「俺は、こんなこと望んでねえ!」

こんなのはいやだ!

「……。」

「おい……!」


昨日、俺が、アドルフ以外受け付けないと話したから、

コイツなりに、それを何とかしようとしたんだろうけど……

こんなことで、何も変わりはしない……。

「ルイス!」


ルイスは薄目を開けて、寝起き声で言う。

「……アドルフは、僕達を縛りたくないって言ってた。

でも、ステファンは、縛られたいと思ってる……。


ステファンは……、

僕が、そのまんまにしておきたかったアドルフの部屋を、片づけたでしょ?


僕も、その時のステファンと同じ気持ちだよ……。

いつまでもそのままじゃ、生きていけない……。」


ルイスが起き上がる。

「ステファンが、アドルフ以外、だれも愛せないなんて、

アドルフが悲しむと思って。

安心して。脱がせて少し触ったけど、何もしてないから。」

あくびしている……。


「……。

……こんなことしたって、お互い傷つくだけじゃねえか……。」


そのままにしておきたかった……。

か……。

そう。

アドルフじゃなきゃ嫌だと、今でも思ってる……。


ずっと思ってた……。

アドルフと心中したかったのは、俺だ……。

後を追おうとしているルイスが、うらやましかった。


でも、苛立ちながらも、

こいつを世話してると、気がまぎれた。


ルイスは、俺に助けられて、とりあえず前向きになったけど……

俺は……

俺の後ろ半分は……

いまだにアドルフのほうへ行こうとしている……。


俺はちゃんと大人になって、

アドルフを愛したつもりでいた……。

アドルフがいなくなった後も、

しっかり生きていくつもりだった……。

アドルフがくれたものを大事にして……

順調に、約束を果たしていくつもりだった……。


なのに、いつの間にか暗闇にいて……

何も希望が見えなくて……

前向きになれない……。

ずっと暗闇にいる……。


アドルフが死んだあの日から、

一歩も先に進めずにいると気づいた……。


俺は、誰といても、アドルフと比べてしまう……。

アドルフ以上の人はいない……。


好きになりかけても、

結局、相手を傷つけ、俺も傷つく……。


アドルフがいない……。


その痛みが、

すべてに響いていて、

つらい……。


ルイスが言う。

「僕は傷つかないよ。」


俺は顔を上げる。

「……え?」


ルイスは、

楽しそうな目をして

俺をまっすぐに見ている。


「ステファンのこと、

割と好きだし、

別に、何されてもいいよ!」


と、明るく笑った。


なんでこいつは、こんな明るく笑えるんだ……。


ルイスだって、真っ暗な穴が空いてるはずなのに……。


「そんな……」

そんなこと言われたって俺は嫌だ。

と言おうとした。


ルイスも俺も、

アドルフの恋人だったんだから……。

今だって……俺は……俺たちは……


けれど。

なぜか、心が緩んで……

ルイスを見た……。


今まで、人から好きだと言われても、

何も続く気がしなかったのに……

閉じていたのに……


アドルフが死んだ、あの日から

どこへも進めずにいたし……

進みたいと思えなかったのに……



……目の前のルイスが……

明るい明日への

ドアのように思える……。


ドアが開いてる……。


そのドアを、

たった今、

開けてくれたのは……


……アドルフだ……。


なぜかそう思える……。



真っ白な光が、俺に差し込む。


まばゆさに、目を細める……。


俺はもう……


外にいる……。



何が何だかわからねえけど…

俺は、

開かれた明るいドアに、

感動している……。

そして、ルイス自身にも。


コイツは、俺に、

軽々と、自分を差し出している。


ルイスはウザイヤツだけど、嘘は言わない。


本当に傷つかないし、

俺が好きで、

何されてもいいと思ってる……。


周囲の人間を変えることを恐れない、

そういう強さがあるし、

どんな奴か、よく知ってる。


アドルフと、比べようがない……。


俺は……、

コイツが、

アドルフと一緒に、俺を救ってくれることを

望んでいたのかもしれない……。


だからいつも、心を許してそばにいさせた……。


アドルフが見え隠れしているような気がして、

明るさが感じられて、

そばにいたいと思えた……。


ルイスに、

開かれた、可能性のドアは……


アドルフからの……

プレゼントだ……。


それを欲しがったのは、俺だ……。



ルイスが微笑んで近づいてくる。

「ステファン?どうする?試してみる?」

俺の肩に手を置く。


「……。

……アドルフも、こんな感じだったんだろうな……。」

「え?何が?」


「ルイス。ありがとう。

なんだか、

俺は、生きていける気がする。」


俺は恩人に微笑む。


ルイスは、きょとんとしている。

俺の肩から手を放し、

「なんか、よくわからないけど、役に立てたんならよかった。」


俺は目をそらす。

「うん。感謝してるから、とりあえず、服を着てくれ。」

ルイスはニヤッとする。

「……そんなに僕がまぶしい?」

しまった!

「ねえ、ステファン?」

目を輝かせて、俺の視界に入ってくる。

コイツはこういうやつだった……。

ルイスが飛びついてくる。

同時に俺は彼に枕を押し付ける。

彼は大笑いする。

「あははは!」

それから、

「え、で、何が起きたの!?説明して!」




ステファンの表情が明るくなった。

良かった。

アドルフといた時以来だ。

なんか、不思議なことを言っていた。


「ルイスは、俺を外へ出してくれた。」


引きこもりだったらしい。

確かに、いつもアドルフを恋しがって閉じこもっていた。

それが、僕のおかげで前向きになれたらしい。


「え、僕と付き合うっていうのは、ナシなの?」

「お前は俺のドアだから、普通に生きててくれれば、それでいい。」

「意味が分からない。ドアってなに?普通ってなに?つまんないな!」

「また来年、旅行しようぜ!」

「うん。それは、もちろん。」


ふられちゃったわけだけど、

でも、

ステファン、すごくいい笑顔だった!

結構、キュンキュンした。

アドルフも、この笑顔が大好きだったんだろうな……。





前に、ステファンに訊ねたことがある。

「僕の面倒を見てやってって、アドルフから言われてたの?約束してたの?」

「いや、そんな事頼まれてねえ。」

「よかった。」


ステファンが面倒見いいのは、もともとの彼の性格らしい。


アドルフは、

自分の死後、残される僕らのことを心配し、

けれど、解放しようとしていた。

だから、僕らを縛るような言葉は、何一つ言わなかった。


でも、

僕もステファンも、

自分一人では、悲しみを、執着をなくすことはできず、

お互いをよりどころにして、毎日のようにラインをやり取りして、時々会って、支えあって生きてきた。


アドルフが亡くなって、四年近くたつ。


アドルフから愛され、愛した僕たちは、

年に一度か二度、アドルフのあこがれた場所を旅し、

夜はお互いを抱いて眠った。


アドルフと過ごした日々を思い、現在との距離を測って。


離れたようでいて、少しも離れていないような。

変わったようで、何も変わっていないような気がする。

僕もステファンも、

アドルフと同じくらい大切な恋人やパートナーとは、まだ巡り合っていないから……。


いつかそういう人に出会ったら……


僕とステファンは、

お互いを、

自分自身を、

それぞれの中のアドルフを……

抱かなくなるのかもしれない……。



アドルフの死後、ステファンが献身的に僕を世話してくれたおかげで、

僕はアドルフと心中せず、

ステファンと支えあって生きていこうと、思えるようになった。


でも、ステファンには、

そうやって引っ張り出してくれる人が、今までいなかったんだ……。


僕は、彼を居場所にしていたけど、

彼にとって、僕はそうじゃなかったのかもしれない。


そばにいることを許してくれたけど、

彼にとって僕は、世話をすべき年下で、

僕を一方的に構うことで、彼は彼自身を支えていたのだろう。


でも、もしそうなら、それは孤独なことだから……

僕はずっと、気になっていた。


僕が、ステファンの希望になれたら……。

そう思っていた……。


そんな彼が、

僕に価値を、希望を、見つけてくれたのは、大きな変化だ。


これで、ステファンも僕を、

対等な友人と思ってくれる……!


世話すべき年下じゃなく、

大事な友人と思ってもらえる……!


ドアっていうのは、

出発の場所でもあるけれど、

帰る場所とか、居場所ってことでもあるのかもしれないから。


『アドルフがドアを開けてくれた。』

と、ステファンは言っていた。


僕がステファンに、アドルフを感じ取っているように、

ステファンも、僕の後ろにアドルフを見ている。


でも彼は、僕をはっきりと見て、感謝していた。


ようやく彼は、僕を居場所に認めてくれたんだ……。

アドルフの遺族同士という悲しみを伴ってではなく、

前向きに、僕と過ごすことを喜んでくれるようになったんだ……!


ひと肌脱いで、脱がせて、誘ってみるもんだな!





半年後の旅行中。

「え、なんでツインなの!?」

僕はステファンを見上げる。

彼が取った部屋は、ダブルじゃなかった。

「取れなかったの?」

「いや。」

「ステファン!やっぱり、僕の魅力に、」

抵抗できなくなってる……!

前回、僕に告白されたから……!


「前も言ったけど、ルイスは俺のドアだから、そのままでいてほしいんだ。

可能性のコアだから。」


可能性?

「それってやっぱり、僕が好きってことだよね……?」

「可能性が狭まるから、お前とは付き合えない。友達でいたい。」


そんな……!

僕は肩を落とす。


「ステファン、この前の旅行以来、

いい感じに心を開いてくれるようになって、

恋人同士みたいに会話できるようになって、

触っても、前ほどは威嚇されなくなって、

今日はもう、ラブラブな夜を過ごせるかもって、結構期待してたのに……!」

「それはお前の妄想だ。」

「そんなあ!」


大切な可能性のコアだから、友達のままでいたい……。か……。

だから紳士にツインルームにしたのか……。


「……ああ、またふられた……。」

「ルイスはほかに好きな人いるだろ。」

「そりゃあ、何人かはいいなって思う人いるけど……

でも恋人じゃないから……。恋人欲しいな―!」



シャワーから出ると、ステファンがベッドに座って、明日の計画を見直していた。

僕は彼に近づく。

ベッドに膝をつき、

ステファンの肩と頬に触れて、唇にキスする……。

「友達はキスしねえ。」

とか言いながら、

僕の髪をなでて、ちゃんと応えてくれる。

うれしい。

「じゃあ、キスシーンの練習……。」

キスする。

「可能性の口移し……。」

キスする。

彼は、ふっと笑う。

僕は、枕を持ってきて、無理やり彼の隣に横になる。

「狭い!」

シングルベッドだから。

ステファンはちょっと嫌そうだけど、僕を追い出さない。

彼は手を伸ばし、明かりを消して、横になる。

「お休み。」

「うん。お休み。」


友達か……。


なら、

僕らのこの関係が、

終わることは……

壊れることは……

ないんだ……。


ステファンが温かくて、


近くて、優しくて、


僕は、


安心して……


眠った……。



朝食を食べながら、僕は言う。

「次はダブルにしてよ。ステファンがでかすぎて、寝がえり打てない!」

「そうだな。」

隣のテーブルの人が、横目で僕らを見た……。

僕はにっこりして、ステファンのほうに前のめりになって、色っぽい雰囲気を作って言う。

「ステファン〜、昨夜は最高だったよね!」

「何がだ?……笑ってねえで早く食え。」

「あはは!照れてる!かわいい!」

突っつこうとする僕の指をうっとうしそうによけ、彼はため息をつく。

「お前な、少しは節操のある物言いをしろ。」

僕は彼を見つめてほほ笑む。

「ステファンは、僕にドアを見つけて以来、説教の声も優しくなったね!うれしいな!」

彼は腕時計を見る。

「ルイス。チェックアウトまであと一時間もない。

徹夜で勉強してから来たせいで、今朝寝坊したのはお前だろう。早く食え!」

「やっぱり気のせいかも。」





すっかり冷えて固まった溶岩の上に立つ。

あたり一面、黒い溶岩に埋め尽くされている。

でも空は、爽やかな青空。

日差しが、のどかで心地よい。


「すさまじいな……。」

と、ステファンが景色を見渡してつぶやく。


僕はカメラを構え、彼の写真を撮る。

「かっこいい!」

「……お前も撮ってやろうか。」

「うん!撮って!」

カメラを渡し、僕は座って、青空を見つめ、何気なく見えるポーズをする。

ステファンが僕を撮ってくれた。


ふと視線を落とすと、

「……ん!」

溶岩の隙間に、みずみずしい新芽を見つけた。


「すごい……。こんな岩の上で、育つんだ……。」

ステファンも気づく。

「ほんとだ。」

僕たちは、黒い岩の上を歩いていく。


ここも、アドルフが来たかった場所……。


僕たちは、アドルフを思っている。

明るいまなざしのアドルフを。


「アドルフは、

厳しい自然環境の場所に身を置くと、

自分たちが生きていることを、はっきりと実感できると思うって、話してた。」

「ああ。」



僕たちは、

ここに、今、生きている。


アドルフの心を、

まなざしを、胸に、

生きている……。



アドルフにとって、

僕たちは、

かけがえのない、大切な希望だった。


アドルフは、僕たちの未来を見つめていた。


僕らは今、そのまなざしの先にいる。


だから、

今でも彼は……

あのロマンチストは……

時空を超えて

僕らを愛していて、

美しいと

思ってくれている……。



僕は、

胸の指輪に手を当てて

風を浴びながら

彼に語り掛ける。


「アドルフ。次は、どこへ行こうか……。」






年を取らない少年と……

ずっと一緒にいられたら……。


もう長いこと、夢見ている。

ピーターパンのような少年と暮らせたら……、

どんなに素晴らしいだろう……。


身軽で、キラキラと良く笑って、

「アドルフ!」

楽しそうに僕の名を呼んでくれる。


「アドルフ!大好きだ!」

幸せそうに、僕に抱き着いてくる。


美しくて、明るくて……

いとおしい……。


……そんな幸せを……

思い描いては……

現実の少年たちを見て、

大人になってしまう彼らに動揺して……

僕は悲しく、辛くなる……。


児童養護施設の子を引き取ろうかと、考えたこともある。


けれど……

親として養育したら……

いつか手元を離れて行ってしまう……。


そうではなく、

僕と……ずっと……

生活を共にしてくれる子と、出会いたい……。


「アドルフ!」


僕といることを喜んでくれて

少年のような容姿と心で

添い遂げてくれる人が……いたら……。




アドルフが、僕の髪をなでている。

僕は起きていたけど、眠っているふりをする。

アドルフがつぶやく。


「ルイスは……

明るくて、純真な心を持っていて……

勇敢で、美しくて……

僕をいつも驚かせてくれる……。

ルイスは僕のあこがれだ……。

君はいくつになっても、

僕のピーターパンだよ……。」


頬にキスされる。

僕は……目を開けて……

彼を見上げる……。


「……聞いてた……?」

と、アドルフは恥ずかしそうに身を引く。

僕はくすっと笑う。


「アドルフ。そうだよ。

僕は、空だって飛べるんだ。

ワニとだって戦える。

僕といれば、怖いものなんて、何にもないよ。

僕も、アドルフといれば、なんだってできるし、

楽しくて、幸せで……

ずっと……

……一緒にいたい……。」


僕は顔を背ける。

涙が溢れる。

彼は僕のあごに触れ、顔をあげさせる。


「ルイス。

君は、これから先も、


たくさん楽しんで。

たくさん遊んで。

たくさん学んで生きて。


それから

時々、僕のことを思い出して。


僕が、君を……

言葉に表せないくらい、


とても大切に思って、

愛していることを……


思い出してほしい……。」





夜……。

僕は、緩やかな谷を見下ろしている。


谷には、無数の青白い炎がある。


僕は嬉しくなる。


あの中に、アドルフがいるんだ……!


僕は谷へ下り、走って彼を探す。


……いた!

彼だ……!


「アドルフ!」


彼は振り向く。


「ルイス!」

と、口が動く。


嬉しそうに笑っている。


僕は、青白い炎をまとっている彼を抱きしめた。


……通り抜けてしまうか、僕も燃えてしまうかすると思ったら、

意外とちゃんとした手ごたえ。


……僕たちは……


……いつの間にか

アドルフのマンションの部屋にいる。


「ルイス。」


声に顔をあげると、

彼は普段通りの姿で、僕に微笑んでいる。


「ルイス。ハーブティーを入れてくれる?」

「うん!待ってて!」


僕はキッチンへ向かう。


準備しながら彼のほうを見ると、

彼は自分の椅子に座って、愛しそうに微笑んで僕を見ている。


そうだった!

彼は病気が治って、今日退院してきたんだった!


今さっき、タクシーで一緒に帰ってきたんだ!


これからは、ずっと一緒に暮らせるんだ!


「アドルフ!退院おめでとう!」


長かった……!

早く体力がつくように、支えてあげよう!


「元気になったら、旅行に行こうよ!」


僕は、ずっと、この日を待っていた。


幸せだ……!


けれど……


アドルフは、

見守るように僕を見つめて

明るくほほ笑んでいるだけで、


何も言わない……。


アドルフ……?

ふふ。

嬉しそうだね。

僕もすごくうれしいよ……!




……目が……

……覚めた……。

朝日が、まぶしい……。


「ああ……アドルフ……!」


夢の中で

僕を見つめる……

彼のやさしいまなざし……。


アドルフが会いに来てくれた……!


心が……

温かい……。



『僕が、君を……

言葉に表せないくらい、


とても大切に思って、

愛していることを……


思い出してほしい……。』


思い出さない日はないよ。アドルフ……。




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