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時の織り神は そこ にいる  作者: かみはら
2部 神託の巫女
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閑話:末期に君を想う

 美しいものを見た。


 それは生涯忘れがたいものだ。

 しかしながら、人間の記憶は薄れやすい。

 年を取ったいま、いまや記憶すらおぼろげになっているが、この時ばかりは過去を辿るために目を閉じる。


「ふん。なかなか難しいな」


 なにせ過去を振り返る暇などない人生だ。

 ミノアニアを平定し、隣国を手中に収め、さらに他の国を手に入れたとあらば毎日が政だから、子の顔すらろくに見てこなかった。

 まあ、そのツケが回って実子に反旗を翻された挙げ句、こうして追い詰められているのだが……。

 腹心も殆ど死んだから後はない。

 最期は一応王らしくしてやろうと、傷ついた体で玉座に座っているのが現在だ。

 いまも彼に付き従う者達が最後の抵抗をしているが、聞こえてくる喧噪の距離的に、間もなく首を落とされるだろう。

 敵は、かつて青春を共にした仲間との間にできた子のため、それなりに思い入れがある。目をかけていたつもりだったが、不意打ちで受けた傷の酷さからしても、やはり母を殺した恨みは深かったようだ。

 テミスは息をついた。


「やれやれ、傷が治らん。とあらば、我が天命はここまでか」


 テミスは戦神ロアフェノの加護を受けた、類い希なる存在だ。

 その身に宿す人智を超えた力が人々を恐れさせ、あらゆる脅威を弾いた。たとえ致命傷であろうと一日で治ったものだが、今回は無駄だろうという感覚がある。

 であれば、とうとう神々はミノアニアのテミス王を見放したのだろう。


「ああ、であれば、ミノアニアは滅びるな」


 ひとり言が多くなったのはいつからだったか。

 なにせ彼はこの世界に置いて唯一無二の王だ。その身に宿す絶大な力と、分かち合うもののいない孤独と、一人で人の世を支えたという責務が自身との対話を深めた。

 テミスは視界がぼやけるのを感じながら思う。

 ここまでか、と。

 テミス王がミノアニアの威光を知らしめていられたのは、神の加護あってこそのもの。

 息子がその恩恵を授かった様子はないし、広大な土地を統治できる器でもない。これまで恨みの芽は潰してきたつもりだが、完全に上手くいったわけでもないだろう。

 つまり、テミス王が没したあとは諸侯なりが蜂起して、国の規模は小さくなる。下手を打てばミノアニアという国自体なくなるはずだ。

 せっかく国を大きくして、樹木のように大事に手入れしてきたつもりだが、こちらの心が伝わるとは限らないらしい。

 中々に堪える……と思ったが、すぐに短い嘆息を吐いた。

 否、それ自体は最初の王妃と側妃が裏切ったことで実感している。おまけに愛妾は胸に剣を突き刺して自殺したし、誰より自分を理解してくれていたはずの腹心は首を吊った。

 まったく思い出すのも嫌な記憶ばかりだ。

 楽しかった頃の記憶と言えば……ふと、巫女から側妃にした女の姿を思い出す。

 そうだ。ケルテラはレアとの間に生まれた子供を抱きながら、あやすように体を揺らしていた。彼女は嫌みったらしく口を歪めて笑うのだ。


「貴方も大概になさいませ。政にかまけて夫の役割を怠るから、レアも怒るのですぞ?」

「わかっている。だが、生まれる頃には隣国にいたんだ。そこから駆けつけるなんて到底無理だろう」

「それも、出立前から妾やリンヴェ様がお願いしていたはずです。せめて子が誕生するときは、近くに居てくださいと言っていたでしょうに」


 正論ばかりなので反論が返しにくい。

 口をへの字に曲げるテミスは、気まずげに視線を逸らした。

 

「二人はいつ来る?」

「戻り次第すぐに。まったく、ご帰還すら突然なのですから、お迎えが間に合わぬのです」

「……こればかりは伝令の問題だろう。私は悪くない」

「その言い訳は妾の前のみにしてくださいませ。二人にその言葉は通じませぬ」


 彼女達との関係は、即位して数年で変わったと思う。

 元々は誘惑の多い仕事だから、そういった風除けに妻になってくれと頼み込んだはずだが、よく引き受けてくれたものだ……と何年経っても思っていた。特にこのケルテラなど、巫女を辞してまで還俗したのだから相当だ。

 元々は単なる友愛だったが、男女の愛に変わるのは難しくない。

 この頃にはすっかり一つの家族になって、テミスを支えてくれていた。たぶん、人生で一番充実していたはずで……と思ったのだが、すぐに考えを改めた。


 人生で最も輝かしく、希望に満ちていたのは、皮肉にも奴隷時代だ。


 弟ニキフォロスを妬み、疎み、奴隷仲間を従えながら玉座を狙っていた時期が、彼の最も楽しかった時代だ。

 あの頃はまだ単純に夢を追っていられた。夢があるからこそ希望があった。

 そして夢を叶えてくれたのが……。

 目を開けていられなくなったテミスは、ふ、と笑う。

 もはや表情が動いているのかも不明だが、彼は確かに笑えたのだ。


「アレッシア」


 ケルテラと袂を分かった瞬間から、長らくその名は口にしていなかった。

 理由は単純。

 思い出せば懐かしくなる。未練がある。少年の頃の輝かしい時代が何よりも大切だったからこそ、迂闊には口に出来ない。その名を口ずさみ、懐かしむのが許されるのはケルテラだけだった。

 彼女は、アレッシアは、テミスに幸運をもたらした神の御使いだ。

 初めて森で彼女を見つけたときは目を疑った。

 傷ひとつない柔肌に、引き込まれそうなまでにきらめく大きな瞳。成長過程特有の魅力にあふれる均整の取れた体つきに、純白の衣装はこの世の人ではなかった。だから自分の正気を疑って、実際捕まえてから、本当に存在する人間だったと驚いたのだ。

 ただでさえ目を離せない面差しが笑顔に彩られると、誰もが目を惹かれた。 

 彼女は表情豊かな、苛立つくらいのお人好しだ。でも他人の痛みに対し、自分の事のように泣いてくれる。その感受性にニキフォロスも彼女に惹かれていた。


 掠れる意識の向こうで、誰かが叫んでいる。


 おそらくは息子だろう。

 とうとう目の前まで迫ってきたらしいが、耳も遠くなってきたので聞こえにくい。

 かろうじて「母」とだけ聞き取れたから、やはりレアの自殺の件を恨まれていたのだろう。

 テミスとて彼女の死は心外だ。

 二十代の頃にリンヴェとケルテラが逝って、過去を共有できる人は減った。テミスなりにいっそう大事にしたつもりだったが、テミスの行いに「責任を持つ」といって命を断つなど思いもしなかったのだから。

 そろそろ肉体の死が近い。ようやく過去を振り返った結論を、テミスは心で呟く。


 ――大事なものから、零れていったなぁ。


 絶対の力を手に入れて夢を叶えた。

 満足していたはずだった。

 だが、大切にしたいと願った人達から目の前からいなくなった。

 そうなると心はいつも空虚で、最終的に、よすがになったのは神の加護だ。誰かが自分を肯定してくれている証左に縋るように、確認するように次々と侵略した。

 アレッシアが消える瞬間の言葉を覚えている。


“いい王様になって、いい国を作ってね”


 返事をしたかった。覚悟を聞いてほしかった。

 だがその前にアレッシアは消え、返すことのできない約束だけをテミスは抱くことになった。

 

 体が揺れる。

 誰かに引き倒されて、うなじを晒すように体を支えられた。


 痛みはもうない。

 想像していたよりゆるやかな最期に、テミスはぼんやりと思う。

 ……たくさん殺してきたから、いい王様とは胸を張れなくなった。

 流した血の分だけ豊かな治世を敷いたつもりだが、帳消しになってくれるか不明だし、

 何より神の加護が失せてしまったので、テミス王は悪い王と判断された可能性が出てきた。つまり自信が消え失せた。

 やり残しが多く、まったく締まらない人生だったが、最期にアレッシアへ伝えたい。

 

 君に出会えなかったら……と考えるなら、やはり悪くない生涯だった。

 

 奇跡の少女と出会えたこと、幻の人狼と出会い、お伽噺に出てくる竜の背に乗って敵陣から飛び立った夜。あの時見上げた星空と、彼女の笑顔がテミスを生かした。


 現実のテミス王は、既に虫の息である。

 王子は父王への怨みを聞かせることができなかっためか、業を煮やし、配下に王の体を動かすよう命じる。

 これは首を落とされる寸前、意識もまばらだった王が呟いた言葉だ。


「会いたかったな」


 アレッシアに。

 ルドに。

 ケルテラに、リンヴェに、レアに、オミロスに。

 

 こうしてテミス王は死を迎えたが、彼が高みに誘ったミノアニアの末路は悲惨だ。

 まずテミス王の首は三日三晩晒され、肉体は豚の胃に納まった。

 神の加護を失ったミノアニアは信頼をなくした。もとよりこの国が遠く離れた地まで治世できていたのは、テミス王と彼を信奉する優秀な配下あってこそのもの。まともに引き継がれたわけでもない上、裏切り者の王子の才は乏しく、以降はたった二十年で侵略した領地をすべて失い、最後に残った土地も侵略される結果となる。

 テミス王を裏切った王子は小さな村に逃げ延びるも、最後は捕まった末に処刑に至り王族は滅亡。ミノアニアは新しく興った国に吸収され、その名は本にのみ残ることとなる。


 奴隷から一国の王へ。

 王から偉大な覇者へ。

 神に選ばれしテミス王の偉業は、三百年経った後も人の歴史に刻まれている。

 しかしいくら書を紐解こうとも、彼に王冠を授けし“神託の巫女”の正体だけは、誰も解き明かせず謎のままとなっている。

 後世の歴史家は冗談交じりに“神託の巫女”を本物の神の使いだと言った。

 まさかそれが事実であるなどつゆ知らず、今日も歴史書を紐解き続けている。


 王となったテミスと女性陣の関係は

 リンヴェ=正妃

 ケルテラ=側妃

 レア=愛妾

 になります。これは彼女達の元の身分が考慮された結果です。

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― 新着の感想 ―
テミスの、大事な人達とのすれ違いが切ない。 それはそれとして、おいお前、ってなるけど。
テミスがアレッシアに覚悟を誓う時間があれば、何か変わったのでしょうか。 アレッシアに誓った覚悟を仲間が聞くことが出来ていれば、その後の行き違いは決定的なものには成らずに済んだのでしょうか。 独りきりの…
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