2-53.終わり続き、そして始まる
久方ぶりのストラトス家。
すでに我が家のような親しみを持っているアレッシアにとって、やっと帰れる期待に胸を膨らませていたが、戻ってからが大変だった。
「いーーーやーーーーだーーーー!」
「離してちょうだい」
「嫌だ嫌だ嫌だ! そういって、二度と私のところに帰って来ないつもりだろう!」
「だから違うって……どこ触ってるのよ、変態!」
エレンシアにストラトス家を紹介しようと、胸を高鳴らせ扉を開いたらこれだ。
必死の形相で女性の腰にしがみ付くストラトス家当主ヴァンゲリスと、彼の手から逃れようとする、その婚約者イリアディスの姿が目に飛び込んだ。
ヴァンゲリスは額に血管を浮き上がらせながら、目を真っ赤にして叫ぶ。
「ちょっと荷物を取りに来たなんて嘘だ。そうやって自然消滅を狙って私の前から永遠に姿を消して、その辺の男と結婚する気なんだ。私は知ってるんだ!」
「だからなんでそうなるのよ! 家が忙しいから手伝ってくるだけだって言ってるでしょ!」
「嘘だ!! そうやって君も私のもとからいなくなるんだっ」
「あーーもーーー!!!」
試練の件ですっかり頭から飛んでいたが、イリアディスの不在は出立前からの心配事ではあった。
ようやくストラトス家の問題を思い出したアレッシアであったが、よもや戻った先から二人が争っているとは思うまい。「ええ……」と困惑するアレッシアの傍で、エレンシアが「わぁ」と目を輝かせている。
「ねえアレッシア。もしかしてこれが痴話喧嘩というやつなのかしら」
「違うと思……違うよね、ルド」
「知らん。リベルトに聞け」
チッ、と舌打ちする相棒に、リベルトは困惑する。
「なんで私なのさ」
「妻帯者だろうが」
「いやそうだけど……あ、さては秘密にしてたこと、実は根に持ってたな?」
「そんなわけあるか」
従者達の団欒をよそに、玄関にはすでにストラトス家の筆頭執事が待機している。
兎の耳を持つ長身の女性が、恭しく頭を下げた。
「おかえりなさいませ。アレッシア様」
「ただいま、パパリズ。それで、あれってなぁに」
パパリズはルドのように獣混じりのためか、人間よりも耳が良い。
アレッシア達の帰宅に気付いていたろうに、主人達を止めなかった理由を彼女はこう説明した。
「アレッシア様の不在中、ヴァンゲリス様が勇気を出されてイリアディス様と仲直りされたのです」
ヴァンゲリスの追放された兄とイリアディスが本来の婚約者だった件だ。二人の仲を取り持たねば……と考えていただけに仲直りは嬉しいが、それにしては不可解な光景である。
「はぁ……仲直りしてるようには見えないけど」
「ひとえにヴァンゲリス様の自信不足が起因かと存じます。イリアディス様がご実家を手伝うために忙しくしたところ、二度と戻ってこないと勘違いされたようで」
「そっかぁ…………あれ、どのくらい続くの?」
にっこり笑うだけで答えない執事は、人の恋路に割って入るつもりがないらしい。
それよりもアレッシアの背後に視線を移し、疑問を呈する。
「時にアレッシア様。お手を繋がれてるお嬢様はご友人とお見受けしましたが、そちらの方は……」
「え……あっ」
背後に振り向き驚愕した。
「なんでまだいるの??」
「いい度胸だな」
「私が怒られる理由ある?」
器用に右目を痙攣させたのは戦神だ。
この中の面子で一番関係ない神が同行してきたのだから、アレッシアとしては他に言い様がない。さりげなくエレンシアを背中に庇いながら、パパリズに「えっと」と助けを求める。
「んー……なんていうか、一応かみ……」
「おい、そこの馬鹿共!!」
ロアが恋人達に叫ぶ。
そこでようやくアレッシア達の帰還に気付いたヴァンゲリスだが、怒鳴りつけてきたのは覚えのない顔だ。
「おかえりアレッシア……と、言いたいところだけど君は誰だよぉ、私の一生に関わる大事なところなんだから、邪魔をしないでくれ!」
ヴァンゲリスはロアの顔を知らないらしい。
青筋を立てる戦神を見て、アレッシアは小声になっていない声で「ヴァンゲリス!」と叫ぶ。
「だめ! これ、一応神様だから敬ってあげて!!」
「神ぃ?」
「戦神のロア! 面倒くさいから怒らせないで!」
一連の会話はすべて一同の耳に入っている。
いっそう口をへの字に曲げるロアに、カリトンがそっと輪から外れていった。
彼を引き留めようとするアレッシア、叫ぶヴァンゲリスとイリアディス達。同じように叫びたいが執事の矜持がせめぎ合い、結果全身を震わせるパパリズ。頭を抱える様子のルドに、からからと笑い声を上げるリベルト。
そして顔が隠れていても、彼らを不思議そうに眺めるエレンシア。
このとき友人と再会したから思いだすのだが、改めて見てみると、なんとも不思議な集まりになってしまったな……と感慨深くなった。
ふと、いまのアレッシアになる前のきっかけを思いだしたが……アレッシアは胸に手を当てる。
「ない胸に手を当てて、なにやってるんだ。どう足掻いてもお前は無残だぞ」
「うるさい。あんたは帰れ」
デリカシーのない戦神のせいで台無しだ。
過去に浸るのは一瞬。
彼に対し、前ほどの敵意を感じない自分に疑問を覚えながらも、戸惑いを表に出すことなくエレンシアの手を握りしめる。
「エレンシア。今日は私の部屋に泊まってよ」
「いいの?」
「うん、また一緒に寝たいからさ」
一瞬黙り込んだエレンシアが、とびきり嬉しそうな表情で頷いたのがアレッシアには伝わる。
そして言い終わってからアレッシアは思い出す。
エレンシアと一緒に寝た記憶など、いまの自分にはなかったはずだ。
無意識下からでた言葉に唖然とするも、ロアに向けたヴァンゲリスの土下座で今度こそ現実に戻る。
その後はもう大変だ。
帰還を歓迎する宴に加え、戦神の訪問だ。しかもしばらく世話になるとのたまうから、ヴァンゲリスは失神しかけた。アレッシアは露骨に嫌な顔になったが、そのくらいで帰ってくれるなら世話はない。
宴で腹を満腹にしたあとは入浴で疲れを取り、エレンシアと語らいながら眠りについた。
しかし普段ならば朝までぐっすりと眠って目覚めないところだが、唐突に目を覚ます。
エレンシアが深い眠りについているのを確認すると、彼女を起こさぬよう、おそるおそる寝台を降り、部屋を出る。
何か考えていたわけではない。
ただ、扉を開けると近くの部屋の扉から、少しだけ灯りが漏れているのだ。
裸足でペタペタと足音を立てながら、まるで誘われるようにそちらに赴くと、ノックをする前にひとりでに開くではないか。
アレッシアを出迎えたのは知った顔だ。
「まだ起きるには早い時間だよ」
「……リベルトは?」
「私たちを見てご覧。誤魔化しようがないほどに巫山戯た大人だ」
室内にはリベルトが座っていたであろう席に、低い長机を挟んでルドが座っている。
机には酒瓶と、深い葡萄色の液体を注がれたグラスが置かれている。
二人で飲み明かしていたらしいと悟り、アレッシアはリベルトに尋ねた。
「入っていい?」
「寝ていてほしいけど……君に閉ざす扉はないな」
どうぞ、と肩をすくめる動作に、悪巧みのような高揚感を覚えながら空いた席に座る。
ルドの目はアレッシアを通したリベルトへの不満に満ちているが、主が言って聞く質でもないのを理解している。渋々と酒を煽る姿に、アレッシアは頬を膨らませた。
「なんで二人だけで飲んでるの?」
「なにがだ」
「私も誘ってよ」
「年齢を考えろ」
「知ってて言ってるの」
バタバタしていたから腰を据えて話せなかったが、この件はまだ終わっていないのだ。
あの時はテミスと再会できた喜びと、彼の生涯に纏わる結末で混乱していたが、リベルトの過去を知る者としてルドと感情を共有したかった。
しかし目の届かないところで二人が飲んでいたとあって、仲間はずれにされたような気分が拭えない。しかもこの件について、ルドは「もう終わった」と言わんばかりに何も語ろうとしないのだ。
故に彼の態度に、アレッシアはいっそう憤る。
「私がテミスについて、ルドと一緒に話したかったのー!」
「なにを話すというのだ。こいつの正体については、すでに明らかになっただろう」
「そうじゃない。もっと、驚いたとか、テミスが立派になったぁとか……」
「知らん。無駄だ」
「はなそうよーーー!」
「大声を出せば、友人が起きるのではないか」
慌てて両手で口を押さえ、ぎぃ、とくぐもった声を上げる。
憎らしげに従者を睨むアレッシアだが、真横から聞こえてきた笑い声に矛先を変えた。
「なに笑ってるの、リベルト」
「……いや…………まあ……なんでもないよ」
「どうしてそこで言わないの? 思うことがあるならちゃんと口にし……」
そこで、気付いた。
「リベルト、なんでそんな離れて座ってるの」
アレッシアが座ったのは、リベルトが座っていたであろう長椅子だ。
ちゃんと彼も座れるように腰を下ろしたのに、リベルトは必要以上に離れ……るどころか、端っこに体をぴたりとつけている。
「え? ああ、ちょっと寄りかかりたいだけだよ」
「それにしては必要以上に端に寄ってない? なに、真ん中に座りたかったの? 私が邪魔?」
「違う違う。そうじゃないから気にしないで」
はは、と乾いた笑い声は無視する方が難しい。
しばし眉を寄せて悩んだアレッシアは、そのままの姿勢でじりじりとリベルトににじり寄り、リベルトは彼女を止めようとする。
「ちょ、アレッシア。いいからいいから、君はそのままで」
「だからなんで? 私が隣に座ってるの嫌?」
「違うんだよ。ちょっと、若い頃の思い出というか、懐かしいと言うか、青臭かったというか……」
「なに?」
これまで散々主人を肯定してきたというのに、いまさら拒絶するような反応は気に食わない。彼が逃げ出さぬよう服の端を掴んだところで、面倒くさそうな声に割り込まれた。
「放っておいてやれ」
「ルド? なにか知ってるの?」
「おおかた、これまで抑圧してきた分、改めて昔の感情でも自覚したのだろう」
「んん?」
「誰しも稀にあることだ。リベルトの場合は、テミスの頃に経験したはつこ……」
その瞬間、ひゅん、と高速で物体が飛んだ音がした。
壁にグラスが投げつけられ、粉々になった音に沈黙が走る。
これまで一切穏やかさを崩さなかったくせに、余裕が消し飛んだ様子で荒い息を吐いているのはリベルトで、彼はグラスを投げたであろう姿勢のまま、全身から汗を流して相棒に語りかけた。
「ルド?」
たっぷり三秒。ルドはリベルトの顔を見て、静かに口を開いた。
「…………アレッシア」
「はい」
「つまりリベルトは、昔を懐かしんで気恥ずかしくなっているそうだ」
「そうなの?」
「そうだ」
「ああ、たしかに……」
ルドが力強く断言するのだから間違いないのだろう。
リベルトにすれば二人に奴隷時代、子供時代を知られているのだ。誰しも隠したい過去のひとつはふたつはある……と聞く。いわば「あなたのおしめを変えたのよ」と言われるようなものだろうか。例えは違うかもしれないが、ともあれ納得したアレッシアは破顔する。
「そっかそっか。でもリベルト、私はあなたに会えてうれしいんだから、照れなくてもいいんだよ」
「いやぁ、そうなんだけどね。そうじゃないというか……」
大体いまさら遠慮するような仲でもないし、いまさら関係を変えられるのは絶対に嫌だ。
何故かやたらと焦りだすリベルトに向かって、アレッシアは両手を広げて意気込んだ。
「というかね、ちゃんとリベルト……テミスがここにいるって存在を実感したかったんだよね。さ、私とルドと一緒にぎゅーってしよ」
「ごめん! どうしてそういう思考になるのか、私にはわからない!」
「あの時は頭がごちゃごちゃして、あんまりわかんなかったんだもん」
「勘弁してくれ! 君だけならともかく、なんでルドと……」
ルドも「わからない」という顔をしているが関係ない。
アレッシアにとっての「テミス」はルドと過去を共に歩んだからこその尊い存在。
伝えるだけの上手な言葉を持たないが、二人が自分の傍から離れない証明が欲しかったのかもしれない。
にじり寄るアレッシアに、逃げるリベルト。嫌な予感にそっと退室しようとするルドが「命令」を喰らい、三人仲良く抱擁を交わした話は、翌朝にはストラトス家全体に広がっていた。
死んだような目をする従者達を差し置き、顔を輝かせ息を弾ませる運命の女神候補は、目を引くような可憐さも相まって煌々と輝いている。
その躍動する美しさが人々に知れ渡るのに、時間はかからないだろう。
彼女を幼い頃から知る友人が、顔半分を覆うベールの奥で涙を浮かべ、胸の前で両手を組んでいる。
何のまじりけもない明るい顔で、最年少の候補アレッシアのためだけに、女神へ祈りを捧げていた。
2章完結となります。
時間をかけた連載に辛抱強くお付き合いいただきありがとうございました。
次はアレッシアの正体に迫る3章。どうぞよろしくお願いいたします。




