2-52.違和感は遠く
思わず叫ぶアレッシアに女神はため息を吐き、エレンシアはくすくすと軽やかな笑い声を響かせる。
「この間から神殿務めになったの。そしたら貴女がここにきたとわかったから、女神様が会うのを許してくださったのよ」
「そ、そうなんだ……?」
たしかに、孤児院の娘達は神殿で働く役目を担っている。エレンシアにその手番が回ってきてもおかしくはないが……。
アレッシアは、おそるおそるエレンシアの肩に触れる。
「げ、元気にしてた?」
「ええ。貴女がいなくて寂しかったけど、でもやっと女神様のお側にいけて……」
ここで、アレッシアを囲むように祈りを捧げていた少女達が祈りを止める。
「終わったわ」
「アレッシア、これで大丈夫よ」
「もう痛くならないからね」
それぞれが控えめにアレッシアに触れ、優しく声をかける。皆がその無事を心から喜んでいるようで、その全身が半分以上布に覆われた状態でも、彼女達の嘘偽りない気持ちがアレッシアには伝わる。
「う、うん。ありがとう。でもこんな風に治せるのは、なんで?」
「祈りの力よ。祈りの力が、貴女から苦痛を取り除くの」
確かに孤児院では祈りを捧げるのが日常だったが、こんな不思議な力があるなんて聞いたことがない。否、アレッシアが知らないだけで彼女達にとっては当たり前だったのかもしれないが……。
エレンシアが答え、祈りを捧げていた少女達はアレッシアを抱擁し「またね」と口々に告げると、いつの間にか姿を現していた神官長の傍に戻る。
アレッシアの傍にはエレンシアのみの残り、一部始終を眺めていた女神が口を開いた。
「寂しいと言ったか」
エレンシアの発言だ。
特に不思議なことなどなにもないというのに、女神は真剣そうに彼女を見つめ、唇に手を当てる。
女はおそらく悩んでいたのだ……と気付いたのは、後になってからだ。
「アレッシア」
「え? 私? なに?」
「エレンシアを連れて行きなさい」
「は? 連れてくって、もしかして一緒にここを出ていいってこと?」
「そう言いました」
これまた唐突だった。他の少女達は「まあ」と上品に驚くだけだが、ソフィアは違う。
「我が神!」
「もう決めた」
どういうわけか、まさに狼狽といった様子で神を咎めたのだ。しかし異議を申し立てようとしても、肝心の神は一蹴だ。決定は覆らないようで、なぜ神官長が焦るのかわからないアレッシアは、黙って彼女達を見るしかない。
エレンシアが不安そうに手を握ってきたから、安心させるように強く握り返した。
「エレンシアは外に出たことないよね。それでいいの?」
「女神様がそうおっしゃってるし……」
アレッシアは眉をつり上げる。
その言葉に個人の意思はない。大事なのはエレンシアの意思なのだと告げようとしたところで、我にかえったエレンシアは、アレッシアの顔を見て「あ」と呟いた。
「そうね。私ったら、大事なことを忘れていたわ……貴女の教えてくれた『外』を見てみたいって気持ちを、心の隅に追いやってしまってたみたい」
本当? と聞きたい気持ちと、エレンシアは嘘を言っていないという奇妙な確信がせめぎあい、結果として信じる気持ちが勝った。
ただ女神に話を聞きに来ただけなのに、どうしてこんなことになったのか……。
他の人達なら平気だが、他ならぬエレンシアの前で女神に詰問するのは気が引けて、日を改める方がいいのだろう――と小さなため息を吐いたときだった。
「己の力の使い方を」
「え?」
女神がアレッシアを見つめている。
「時織りを知りなさい。力に溺れるのではなく、その眼に真実を映したとき、お前は運命の女神が在る意味を知るでしょう。そして――」
お前が生まれた意味も、と。
その言葉をすべて聞く前に、アレッシアは踵を返していた。意味などない、何もわからないのに、まるで考えたくないと言わんばかりに、逃げるように自然と足が動いていたのだ。「あ」と驚くエレンシアの手を引っ張り、足早にその場を後にする。
それ以上女神の声が追ってくることはなかったが、神官長は入口までアレッシアを見送った。待機していたらしいルドやリベルト、おまけに何故かまだ居るロアの元に駆け寄ると、ソフィアは一同を見渡し、やはりなんとも複雑そうな表情で下唇をわずかに噛みしめる。
ソフィアの変化を知らないアレッシアは、親友の変化に目を見張った。
「あれ、エレンシア。なんで顔を隠してるの」
ソフィアも気になるが、いつの間にかレースのフードを目深に被った友人の方が目に付いた。フードから黒髪を覗かせた少女は、鼻から上が隠れてしまっているから、すっかり顔が見えなくなってしまっている。
ルドが小さく「女神の巫女?」と呟いたのが耳を突き、エレンシアは微笑んだようだった。
「ごめんなさい。貴女の迷惑になるから、外では素顔を隠しておきたいの」
「そうなの? ちょっと見た目は怖いけど、そこの……以外はみんな優しいよ」
言い淀んだ対象は戦神だ。わずかに「ほぉ?」と青筋を立てたような声がしたが、素知らぬふりでエレンシアの気を変えさせようとする。孤児院でもそうだが、この世界は見とれてしまうほど空が美しく、雄大で美しい。わざわざ視界を覆って不自由をしなくてもいいではないか……そう訴えると、彼女は首を横に振った。
「いいえ。神殿の外に行く時は、顔を隠しておくのが決まりなの。貴女の気持ちは伝わってくるけれど、これは破っちゃいけないわ」
「……でもぉ」
「アレッシア。お願い」
こうまで言われてしまっては仕方がない。
侍従達にはエレンシアを紹介し、そのまま連れて帰る旨を伝えるのだが、どういうわけか皆は若干……不可解そうな表情だ。しかし疑問を形にするには決め手に欠けるようで、アレッシアにはその疑惑が伝わらない。
ねえ、とルドの袖を引っ張った。
「なに、その顔。友達を連れて帰るの、そんなにダメ?」
「ダメというわけではないが……」
「じゃあなんなの。リベルトも変な顔してさ」
「いや……なんでもないよ」
おまけに帰り際には、ソフィアが不思議な問いをした。
「アレッシア。貴女には、エレンシアの髪は何色に見えますか」
「……? 綺麗な黒髪ですけど……」
「……そう。あちらから聞いた話の通りですね」
あちら、とは孤児院の神官達のことだろうか。
懐かしい質問は、孤児院でされた投げかけと同じであり、アレッシアの返答にソフィアは瞑目してしまう。
「これも貴女の思し召しですか。我が神よ」
女神を始め、神殿関係者はいつも気になる呟きをするが、その答えが明確になったことはない。今回も答えてくれることはないのだろうと、不承不承ながらも諦めるアレッシアは神官長の背後に控える少女達を見た。
やはり彼女らも、ずっとフードを被って顔を衆目に晒さないよう気を配っている。
「みんな、またね」
アレッシアが話しかけて初めて、彼女らは一様に微笑んだ。
鈴を転がしたような涼やかな声音で「またね」「元気でね」「また会いましょう」と返事を返す。
孤児院を思い出す懐かしい光景だったが、まるで奇異なものを見たかのように急かされたようなリベルトが主の背中を押し、あっという間に神殿から遠ざかっていったのだった。
そろそろ2章が終わり、次からアレッシアの謎に迫る話になります。
たまに間が空いてしまいますが、話自体の構想は練ってあるので気長にお待ちください。
いつもお話に付き合っていただきありがとうございます。
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