2-51.この再会は吉か凶か
初めは質問の意図を掴みかねた。
それはこの女神が自分に意見を求めるなんて思わなかったせいだ。
だから問いの真意を掴むために、それこそ一言一句をかみ砕くように胃に落として考える。
不思議なことに、女神はアレッシアが答えを用意するまで辛抱強く待った。
或いは長くを生きる神にとって、この程度の長考は流れ星のように一瞬なのかもしれないが、ともあれアレッシアは時間をもらえた。
自身は気付いていないが、まるで正解を言い当てないと叱られると怯える子供のように、おそるおそる答える。
「それって、主神のことを言ってるよね」
返答はない。
しかし沈黙は肯定であると悟ると、深いため息を吐いた。
信用できない相手に対し、この世界の頂点ともいえる神について、本心を述べるのは得策ではない。
だが、アレッシアはどうしても――。
「理不尽だと思う。傲慢で、人を人とも思わない、自分のことしか考えてない勝手な存在」
女神には嘘を吐きたくない。
だから正直に話したが、本来なら即座に殺されてもおかしくないのかもしれない。
だが、同じ神であるはずの運命の女神は、まるで見当違いにも微笑んだ。
「……思ったより、素直に話しましたね」
「はぁ?」と呟きが漏れてしまったのは仕方ない。
問われたから答えたのに、虚言で神を弄するとでも思われていたなんて、心外もいいところだ。
アレッシアなりに誠実さを示したつもりなのに、失礼な神だ……と思ったところで、はたと気付いた。
いま、女神は笑った。
その唇から漏れた呟き、見たこともない表情。
やっと見れたという奇妙な安堵を抱く自分を疑問に感じるアレッシアは、自身の胸に手を当てる。
「……やっぱり、あなた、私のこと知ってるよね」
「お前が育った場所はこの運命が納める都市にある。知ってるという問いかけ自体が愚かですね」
「そういう意味じゃなくて!」
前回といい、今回といい、こうも自分に違和感を覚えれば知らない振りは出来ない。
この女神は、記憶を失う前……もっと言ってしまえば、いまのアレッシアとして、この肉体の制御を奪われた「本来のアレッシア」を知っている。
転生については、肉体の元の持ち主がどうなってしまったか気になっていたから、関わり合いがあったとなれば無視できない。
知りたいような、知りたくないような面持ちのアレッシアを、女神は一蹴した。
「私とお前は、あの神殿で相対した日が初めて。これに間違いはありません」
「ほ、ほんとに?」
「神がお前如きを欺く理由がどこに?」
たしかに何ら意味がない。
しかしそれだけにしては、女と相対したときの、わけもない感情に説明がつかないではないか。食い下がろうとするアレッシアだが、女神はもうその追及を許すつもりはないらしかった。
「此度の試練、お前はあの人に会いましたか」
あの人とはどの人か。
しばらく悩んだ末に、もしや前回で時を遡った際に出会った老婆ではないかと思い至った。
ぎょっと目を見開いてしまったのは「あの人」について尋ねた際の、女神の表情だ。
その面差しは先ほどの微笑よりも、より人間味があった。心なしか郷愁すら抱いているような、心配しているような面差しは、道の途中で迷子になってしまったかのような心細ささえ感じさせる。そんな風に感じたのは一瞬だけだったが、アレッシアは確かに、女神に対して「人らしさ」を感じた。
「あ、会ってない。というか、今回は貴女が過去に送ったようなものだったし……ってそうだ。テミスの件! 神々はニキフォロスを選ばせようとしてたのに、私はどうしてテミスと出会うよう仕向けられてたの」
そもそも神殿に戻った本題がこれだ。
主神マグナリスと運命の女神の仲が悪そうなのは、初めに目にしている。
最初の問いかけを鑑みると、もしやマグナリスが気に食わない女神が細工を施したのでは……と予想しているのだが、相手は当たり前のように質問を無視した。
「お前を招いたのは質問を許すためではありません」
「はー!? そうやって人の質問無視するの、よくないと思うんだけど! 感じ悪ぅ!」
「身体は?」
それまでまったく感じなかったが、声を聞いた途端、全身に襲いかかる疲労感に思考が向いた。不思議なことに、言われて初めて気付いたのだ。身体の重みと胸の中心にある不快感に立っていられず、床にぺたりと座り込む。
顔を上げていられなくなって、吐き気を堪えるように口元に手を当てる。
「ぉ……ぇ……うぁ」
吐きたいのに吐くことも出来ない、いつになく襲いかかる気持ち悪さだ。
ぐるぐると視界が歪んで、もはや質問どころではない。会話すらままならぬ状況で、ただただ意識を保とうと必死に堪える。アレッシアに余裕はないのに、なぜか女の声だけは鮮明に届いた。
「……お前ならば、そうなるでしょうね」
「な……に」
「我が助けがあるとはいえ、人が時を遡るのは代償を伴う。いくら時織りに見合った体へ成長を遂げようと、助けがなければ人の身には過ぎたる力」
問い返す余裕などない。
ずきりと全身が痛みを覚え、腕を持ち上げることすら難しくなって降ろすと、今度は顔から血の気が引くのを感じた。
それもそのはずで、アレッシアの右手は青紫色に染まっている。内部からうっ血したような色が全体に広がっているのだから、パニックにならないはずがないのだ。口数が少ないのは倦怠感が全身を覆っているからで、そうでなければ叫んでいたのは間違いない。
倦怠感は、やがて全身を走る形容しがたい痛みに変わった。
それは指の先端から始まったもので、意思に反して痙攣する体に、アレッシアはわけもわからず目を見開く。
――怖い。
手の甲が、まるでお湯が沸騰するときのようにぼこっと膨れ上がるような錯覚を覚えた。実際の肌はまだ青紫なだけだが、目を閉じようとも瞼の裏に鮮明に光景が浮かぶのだ。
このままの状態を許せば、木の根が地面の中で伸びるように皮膚の下を『何か』が走るだろう。理由もない確信に、ほとんどなにも考えることができなくなって、瞳からぽたりと涙が零れる。
これは、抗いようがない。
説明なんてなくても、待ち受ける未来は「死」だとはっきり理解した。
頭を過るのは神殿の外で待っているであろう従者や――。
「大丈夫よ」
包み込むように柔らかな声が耳朶を打つ。
その瞬間、体を支配していた、あらゆる苦痛が取り除かれた。変色した手を両手で持ち上げるのは一人の少女だ。
「貴女は大丈夫よ、アレッシア」
両膝をつきながら、安心させるように力強く囁くのは、見覚えのある少女。
孤児院にいるはずの『アレッシア』の一番の友達だ。
「エレンシア?」
彼女だけではない。
アレッシアを取り囲むのは、孤児院から神殿努めになった、アレッシアが見送った少女達だ。ベールを目深に被った彼女らは両手を組み合わせ、熱心に祈りを捧げるように目を閉じている。
彼女らの祈りはアレッシアから苦痛を取り除く。肌の色も徐々に落ち着き、元気になった頃にはすべてが元通りだ。
信じられないものを見るようなアレッシアへ、エレンシアは微笑む。
「もう辛くない?」
目の錯覚か幻覚でも見たのかと思ったが、やはりどこを見ても正真正銘エレンシアなので、彼女の肩を掴んだアレッシアは、勢いよく女神へ叫んだ。
「なんで!?」




