表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

パソコンが無かったら、たぶん小説を書けなかった。

作者: 夢野ベル子

今日は日常系エッセイなので、肩の力をふにゃっと抜いて書きました。

わたし、文字書くの苦手なんですよね。

正直なところ、わたしの思考速度にぜんぜん追いつかないの。

指ちっちゃいんだもん。だって幼女だから。


まあ、そうは言わないまでもパソコンの打鍵に慣れ親しんだ人って、文章を実際に鉛筆やボールペンで書くより、圧倒的にパソコンで打つほうが早いよね。


生まれた時からパソコンが身近にあった若い人たちにとっては、もっとそうなんじゃないかな。


スマホばっかでパソコンは使ってないからそうでもないって?


そうなんだ?


……まあいいや。


ともかく、今の時代にはパソコンやスマホがあって、文字を手で書くより数段早いのに、かたくなにパソコンやスマホの導入を拒んでいる領域があるよね。


そう、試験ってやつ。


小論文とか、いまはパソコンで書いてもいいことになってるのかな。

わたしは幼女なので、ちょっと今の状況はわからないけど、少なくとも日本で最も困難な試験といわれている「新司法試験」はパソコンでの打鍵はダメで、文字をひたすら書かなくちゃいけないってことになってるんだ。


これって、まあ「法的知識」「法的思考能力」「論理的思考能力」などの素養を見るための試験だから、ツールに頼らない素の力を見たいみたいな発想があるのかもしれないけれど、仮に弁護士や裁判官になった後に、文字を手でシコシコ書いてるなんてことが果たしてあるのだろうかと思う。


つまり、実際の仕事ではパソコンというツールを使ってるのに、その前段階でツールを使っちゃダメというのはいったいどういうわけなんだろうか。


異世界もので、視力の悪い異世界人(美少女)にメガネを与えて、凄腕スナイパーに育てるみたいな発想があるけど、矯正された視力――つまりツールに頼った力だから、ダメって話になるだろうか。


スナイパーの仕事は、一撃のもとに命を刈りとることにある。

その結果が十全であれば、メガネはダメってことにはならない。


スナイパーの素養としては、「視力」より、スナイパー的な「命中率」のほうが本質だ。スナイパーの試験みたいなものがあったとして、裸眼でそこそこの命中率の人間と、メガネをかければ百発百中のメガネ美少女がいたとする。


どちらが、スナイパーとしての素養があるだろうか。答えは言うまでもない。


弁護士も、実際の仕事になったときに、素の能力はちょっと頼りないところがあるけれども、パソコンで書かせたら、たいそう力強い文章を書く人間がなかにはいるかもしれない。


試験は誰かを選び、誰かを選ばないことであるが、『現場』で役に立つのは文字で書く能力の高さではなく、実際に出力された文字のパワーである。


だから、パソコンを使っちゃダメという発想は、甚だ不合理のように感じるのである。




ここまで、パソコンというツールの力について書いてこなかったけれど、わたしが感じるのは①プロットを生成する力と②論理を高める力があるように思う。


プロットというのは、小説で言えば、話の骨格のようなもの。


用意周到な作者さんはプロットを書いているだろうけれど、パソコンというツールの力があれば、たとえプロットがなくても、プロットがある状態に近づける。


それは、たぶん思考を出力するスピードが、パソコンのほうが段違いに速いからだろうと思う。


仮に文字でひとつの文章を書く間に、パソコンでは十の文章を書けるとする。十倍の文章量があれば、筋道だったストーリーの流れや、話の運び方、キャラクターの内面の動きを無理がないように組み立てることができる。


文章の取捨選択や並べ直し、修正なども圧倒的にパソコンのほうが有利だ。


だから、書きながら脳内プロットに沿わせるような細やかな修正をしているともいえるのである。その修正量がパソコンのほうが多いので、パソコンというツールには、プロットを生成する能力があると考えるのだ。


もうひとつの論理を高める能力も、同じようにパソコンにおける出力スピードのたまものだろう。


はっきり言って、わたしの論理的文章を書く能力はボロボロです。


でも、そんなわたしでも、論理的っぽい文章を書ける。


……そう、パソコンならね!


わたしは、たぶんいろんなことを考えすぎちゃうところがあるのだと思う。

論理的と呼ばれる文章は、現実というスライムみたいなグチャグチャしたものを、ある一定のルールで解剖するような力だ。


語らないということが大事になってくる。

つまり、文章の余計な贅肉を削いで削いで、ようやく論理っぽいものが見えてくる。


究極的には数学になっていくんだろうけど、人間の内面は割り切れないところもあるから、やりすぎは注意って感じ。でも、贅肉だらけの肉スライム状態だと、「どこにコアがあるかわかんねえ」ってことで、それもまた人には伝わらない文章になりそう。


先にも述べたとおり、パソコンは手書きよりも十倍の文章量を書けるから、九の文章を殺して、一を生かすことができる。そうすることで、論理的っぽい文章を書けるんじゃないかと思う。




ふみゅ。だからなんだって話なんだが、わたしってパソコンなかったら、たぶん小説書けなかったよなぁという実感の話でした。


パソコンのパワー感じてますか? びびび。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] おはようございます。 いや~、全く同感です。 私も、もし手書きだったら、小説なんて書けませんでしたもの。 「ブラインドタッチ」はできませんが・・・たった二本指で打っていても、手書きよ…
[良い点] 同感です。 私もパソコンがなければ、書けません。 私は古い人間でして、書き始めは手書きでした。 それが、自分の字が嫌いで、それでも書いていたら気が狂いそうな感じかな。(誇張あり) それを…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ