病院の開かずの間 ─ローカルルール─
私が看護師として勤めている病院には、使われていない病室があります。
重篤患者用の個室で、病棟の奥まった場所に、その病室はありました。
私がこの病院に入ったばかりの頃、その病室に近づいてはいけないと、入ったその日に言われたことを覚えています。
理由を聞いても教えてはくれませんでしたが、この病院に勤務して1年くらいになると、先輩看護師の1人が教えてくれました。
「あの病室に入っていた○○さんという人は……医療ミスで死んだと言われているのよ」
つまり、医者の手違いで死亡したことを恨んで、○○さんの幽霊が現れるというので、その病室は使われなくなったのです。
まさかとは思いましたが、先輩は大まじめで「とにかく、あの病室には近づかないように」と念を押すので、私はあの病室には近づかないことにしました。
ある日、夜勤の担当になった私は、看護師センターで事務作業と医療の勉強をしたり、見回りをしていたところ、ナースコールが鳴ったので、どの部屋かを確認しました。
すると、その発信源はあの、開かずの病室からのものだと表示されています。──そんなはずはありません。
あの部屋には誰も入っていないし、それ以前に、あの病室のナースコールを含んだあらゆる機器には電気が通っていないのですから。
私は怖くて、もう1人の仮眠室で寝ている看護師を起こそうかと思いましたが、勇気を振り絞って懐中電灯を手に、その病室の前まで行くことにしたのです。
開かずの病室の引き戸には鍵が掛かっているので、何も異常があるかどうかなど確認できませんでしたが、私は懐中電灯で部屋の周辺を確認し、看護師センターへ戻ろうとしました。
「ぅうぅうぅぁあぁぁぁあぁ……」
そんな、気味の悪いうめき声が開かずの病室の中から聞こえてくるのです。
私は怖気がして、小走りに逃げ出しました。
私は看護師で、死んだ人の相手は管轄外です。
仮眠室に向かうと、私は同僚の看護師を起こそうとしましたが、相手はぐっすりと、死んだように眠っていて起きないので──仕方なく、私はその後も1人で夜勤を続けました。
すると──廊下の方から「ズズズッ、ズズズッ」と、何かを引きずるような音が聞こえてきたのです。
もちろん懐中電灯で音のする方を照らしてみましたが、何もありませんでした。……そんな音が何度かして、そのたびに明かりを照らしてみても、何の姿もありません。
不安を感じながらも私が席に着くと、何かが私の膝に乗せられ、私はびっくりして足下をみたのです。すると……
そこには苦しそうな、青白い肌の、醜く引きつった顔の老人が苦悶の──あるいは恨めしそうな表情で、私を見上げているのです。
そのしわだらけの手が私の膝に置かれ、その男の人がしゃがれた声でこう言うのを、はっきりと聞きました。
「肺が……呼吸が……くるしぃ──たすけてくれぇえぇぇ」
私は気絶したらしく、起きてきた同僚の看護師に起こされると、いま起きたことを説明しました。すると彼女はこう言ったのです。
「開かずの病室には近づいちゃいけないって、言われませんでしたか? ナースコールが鳴っても無視していれば、そのうち諦めますから……」
この病院のルールは、明文化されていないものが多すぎる。
いまでは私も、ナースコールが鳴っても、あの病室の前には行かないようにしています。