より深きを知るなれば⑤
「……ッ!」
その瞬間、クロートは冷や水を浴びせられたかのようにびくりと体を跳ねさせて、己の肩の――いや、全身の力が抜けるのを感じた。
「…………なにを」
――ハイアルムを、殺す――だって?
彼の頭のなかで、恐ろしい言葉が渦を巻く。
クロートの目の前にいるのはとてもか弱い少女の風貌を――それが見かけだけだとしても――持つ者だ。
剣を振るえば一瞬で命を刈り取ることができそうなほど――細く、小さい。
しかしクロートは自分を見つめる金の双眸に畏れを抱き、よろりと後退った。
――そうじゃない。ハイアルムだからとか、見た目が幼いだとか、そういうことじゃないんだ。
「そんなこと……できるわけ……」
ハイアルムはその様子にすっと目を細める。
「遠慮するな。妾とてただでは死んでやらぬぞ? お主が妾の首を取るというのなら反撃するであろうの。――妾とて、死は恐い」
「……え?」
――恐い?
「考えてもみよ。こうやって世界相手になんとかせねばと立ち回るのは死にたくないからだ。五級でも話したが、妾が【迷宮宝箱設置人】を統べるのは、マナを循環させマナの情報を集めるため。……つまり、長きを生きるためよの」
……クロートはそれを聞いて、自分がいかに愚かな怒りを抱いたのかを思い知った。
彼女の話からすれば、ハイアルムはクロートの何倍、何十倍、その何百倍もの時間を生きてきたのだろう。
そのなかで、彼女は世界を相手にずっと戦ってきたのだ。
結果、レリルのような――まだクロートには信じられないが――マナの生命体を生み出したとして、どうして責められようか。
――そんなことを言ったら、人は……自分たちの生活のために、どれだけのマナの生命体を――。
唇を噛み締めるクロートに、ハイアルムは自嘲気味に鼻を鳴らすと言った。
「……『ノーティティア』本部には、美しい像が並んでいる。お主も知っておろう? あれに埋め込まれているのが妾が創ったマナの生命体の核だ。頃合いをみて世界へと還せば時間は稼げるだろうの」
「……!」
「赤子から育てた最初のひとりは、妾が命を奪った。次は、迷宮で死んだ。そのたびに世界は少しだけ長らえたのかもしれぬ――幾度となく繰り返した歴史よの。しかし全員、己の道は己に決めさせてきた。結果、妾を殺そうとした者は屠ったし、自由に生きたいと言えば自由にさせた」
「……ハイアルム……」
彼女は自分が生み出した【監視人】を、すべて犠牲にしてきたわけではない。
それは彼女の話からもわかるとおりだ。
しかし、それでも『ノーティティア』を守るあの像の数を思うと――胸が痛い。
望んで核になったのだろうか。それとも、志半ばで往ったのだろうか。
それを考えるだけで、クロートは息が詰まる思いだった。
「お主がレリルを守るために妾と戦うなら、それもよかろう。しかし勝つのは妾だろうの。どうする? それでレリルが喜ぶとは思わぬぞ?」
そこでハイアルムはきっぱり言い切ると、苦虫を噛み潰したような顔をしたクロートに、ふふと笑ってみせた。
「多くの迷宮宝箱設置人が五級と四級で辞めていく。それは必然だ。妾のしていることが不快な者や、気味が悪いと言った者――理由はいろいろだがの。言っておくがこの先には三級、二級、そして一級も残っておる……妾はまだ情報を出しきってはおらぬ」
クロートはそれを聞くと両手を肩の高さに上げて降参の意を表し、こくりと頷いた。
「わかってるよ。肝心の『イミティオ』のことだって聞いてないし。……とにかく、ハイアルム。その……ごめん……俺、ちょっと身勝手だった……と、思う。――レリルに話すかどうかは、まだわからないけど……」
「ふは、急にしおらしくなりおって。そこはガルムには似なかったのかの。……まあ、ローティに――」
言いかけて、ハイアルムはその小振りの唇を噤んだ。
クロートは首を傾げる。
「ローティ?」
最近どこかで聞いたような気がしたが、クロートはどうしても思い出せない。
――なにかの道具の名前とか……だったかな。それとも、人?
「いや、いまのは失言だの。……では【迷宮宝箱設置人】クロートよ。仕事の報酬は、受付にて受け取るがよい。次の仕事は別途連絡させる」
「……? あー、その前に聞きたいんだけど……」
「なんだ、ここで辞するか?」
「まさか! わかってるくせに聞くなよ。……ほかに、マナの生命体の【監視人】はいるのか?」
ハイアルムはくくっと喉を鳴らして笑ったあとで、ゆっくりと首を振った。
「いまはレリルしかおらぬよ。その前にはひとりいたがの……」
「――そっか。ほかの【迷宮宝箱設置人】は、レリルがそうだって知ってるか?」
「いや。誰が『そう』なのかは、マナの生命体を【監視人】として持つ【迷宮宝箱設置人】にしか明かさぬ。ただ――」
「ただ?」
「気付いている者はいるであろうの。【迷宮宝箱設置人】にも、【監視人】にもな」
「――まあ、そうなるよな」
四級以上になれば、この事実を胸に留めおくことになる。
だからきっと、皆『気にかけている』のだろう。
誰が、『そう』なのか。
――もしかしたら、レリルは危うい状態にいるのかもしれない。
クロートは胸のなかに生まれたその不穏な考えを、かぶりを振って押し込めた。
――俺たちは【迷宮宝箱設置人】だ。誰かの命を奪うためにいるんじゃないんだから。
早めですが投稿です。
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