組織にとってはこともなし①
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空はすでに薄らと明け始めていた。
ようやく【シュテルンホルン迷宮】を抜けたクロートは、なんとなく弛緩した気がする空気に、緊張していた肩をぐるりと回す。
まだ草花も微睡んでいるようで、そこにあるのは静かな平穏であった。
迷宮は目と鼻の先に存在し、いままさにマナレイド――マナの異常な増加――が起きているというのに……である。
やはり迷宮は決して優しくなどない。
見返りが大きい分、強大な危険を孕んでいるのだと……クロートは再確認し、肝に銘じた。
「……長い夜だったね……」
レリルがほっとしたような顔で伸びをする。
ガルムは水筒を取り出すと中身をがぶりと呑み込んでから言った。
「お前らも水分摂っておけ。思った以上に消耗してるはずだからな」
「わかった」
「わかりました」
確かに、体は思ったよりも疲れているようだ。
クロートは突然感じ始めた四肢の怠さに、水を飲んでからふーっとため息を付いた。
喉を通り体内に染みていく水が、彼にたまった疲れを流していく。
どこかでひと息入れて、食事もしたいところである。
「少し先に水場がある。そこで休むからもうひと踏ん張りしろー」
ガルムはそんなクロートの考えを読み当てたのか、苦笑した。
クロートは頷いて、ガルムに視線を向ける。
「わかったけど……なあ、ただ歩くのもなんだから、そろそろ聞かせてよ父さん」
「ん、ああ、そうだな。……さぁて、とはいえなにから話したもんかね」
ガルムはガシガシと頭を掻くと、歩きながら話し始めた。
◇◇◇
ハイアルムからの書状には『イミティオ』のことが書いてあった。
お前らが【アルフレイムの迷宮】に行っていたことは肩の治療中に当然聞いていたんだが……本当に『イミティオ』に遭遇するとはさすがに思っていなくてな。
知ってるかわからねぇが『イミティオ』についての情報は【迷宮宝箱設置人】の三級になると解禁される。
この情報は巷に流れているようなもんじゃねえ、もっと核心の話だ。
お前が知りたいと思っていることはそのときにわかる。
言っておくが冒険者の大半は『イミティオ』の存在自体を知らねぇし――そもそも『イミティオ』に遭遇した奴は『ノーティティア』にもほとんどいねぇ。
だから、ほかで情報を探してもそうそう出てこねぇとは思うぞ。
あぁ、俺か? 俺は――まあ、遭遇したことはある。あー、戦ったわけじゃねぇんだが。
で。ハイアルムの書状にも書いてあったが、お前らが知りたいことにアーケイン……モウリスって名乗ってんのか? あいつのこともあるんだろ?
――なんつーんだ、あいつは『失踪』しちまってた昔の……そう、仕事仲間っつーか……いや、面倒臭ぇな。
あいつは【迷宮宝箱設置人】だ。
まあ、いい大人だから心配なんぞしてなかったんだが……【アルフレイムの迷宮】にも【シュテルンホルン迷宮】にもアーケインがいたとなると――ちと気に掛かる。
……悪いがその気掛かりの内容はまだお前たちに話せねぇ。
だから情報を少しやる。よく聞け。
いいか、六級に上がると『ほかの【迷宮宝箱設置人】の物語が読める』ようになる。
そこでアーケインの物語を探せ。
あいつと【監視人】が見てきたもの、経験してきたこと、それを読んでいきゃ自ずと見えるもんもあるだろうからな。
◇◇◇
ガルムはそこまで言うと、はーっと息を吐き出した。
クロートは続きを待っていたが、待てど暮らせどガルムはなにも話さない。
「……え? 終わり?」
まさかと思って聞いてみると、ガルムは大きな体を揺らして頷いた。
「終わりだ」
「ええ? 本当にそれだけ? なんの解決にもなってないよな?」
「解決もなにも、問題にすらなってねぇだろ」
「いやいやいや、だってさ、モウリスが言ってたんだぞ。『やり方が違っても目的は同じ』って。それどういう意味? 俺たちのやり方って……宝箱を設置すること? じゃあモウリスはどんなやり方でなにしてるんだよ。父さんは知ってるんだろ?」
「……落ち着け。お前、自分が【迷宮宝箱設置人】だって名乗ったのか?」
「名乗るわけないだろ――あ、そっか」
「だろ? 俺に会ったから、あいつはお前らが【迷宮宝箱設置人】だって気付いた。だからその前に言ったことなんてなんの意味も持たねぇよ」
「……いや、でも」
クロートは口を尖らせた。
――でも、なんとなく腑に落ちない。モウリスは俺が【迷宮宝箱設置人】だって気付いていたんじゃないかな。
クロートはそう思っていた。
――なにか切っ掛けがあったんじゃないかな、俺がそうだって気付くような。
もやもやする気持は形容しがたく、肺をぎゅーっと掴むような息苦しさをクロートに与える。
「――私、仕事で来たって言っちゃったかもしれません」
そのとき、ずっと黙っていたレリルがぽつんとこぼした。
「普通なら、攻略しに来たって言うはずで……前の迷宮で会ってますから、『アルテミ』じゃないこともわかったはず」
クロートははっとして顔を上げ、彼女がこめかみのあたりをぐりぐりしながら唸るのを見つめる。
「ええと……それでモウリスさんから、無法者のことをわかっていてきたんだなって確認されて……」
そこまで聞いて、クロートは小さく息を呑んだ。
「そっか、そのときなら予想できたかもしれないな。……だとしたらあいつ、俺が【迷宮宝箱設置人】だって気付いたからあんなに喋ったのかな……」
「ったく、アーケインめ……余計なことを」
ガルムはふたりの話を聞くと肩を竦め、諦めたように首を振った。
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