マナを循環させし者①
クロートはゆっくりと体を起こし……剣を収める。
フェイムが消えた場所にはハイアルムが生み出した小さな突起が残るだけ。
……すべては、終わったのだ。
クロートは胸にぽっかりと大きな穴が空いているのに――哀しみが止めどなく渦巻いているのに――涙を流すことができなかった。
彼は自分たちで生み出した『イミティオ』にそっと触れてマナに還すと――わかっていたのか銀色の宝箱は抵抗しなかった――レザに向き直る。
レザは俯いたまま双剣をくるくると回して鞘に収め、小さく息を吐いた。
その瞳に宿るのは哀しみだけ。憎い敵を屠った達成感も、歓喜も、どこにもない。
「……レザ」
「うん……」
……彼らはふらふらと『彼女』のもとへと戻る。
足は鉛のように重く、進もうとするのを拒むようだ。
モウリスは黙ったままふたりを見守っており、クランベルはぐったりと倒れたまま――意識はないのに――目尻から雫をこぼれさせていた。
クロートは蜂蜜色に煌めく大きな核の前までくると、そっと膝を突く。
「――レリル」
呼んでみても『彼女』が応えるわけもない。
そんなことはわかっているのに、どうしても……そうせざるを得なかった。
「なあ、レリル……」
ハイアルムは血が滲むほどに唇を噛み締めて、言葉もなく悲痛な面持ちで俯いている。
レザはクロートを見下ろして――瞼を閉じた。
「……嘘だよな」
――信じられるはず、ないだろ。こんな結末。
クロートは心のなかで呟いて、じくじくと疼く不安を拭おうとした。
それでも、拭えない。
拭いきれない。
――お前がいない世界なんて……俺……。
震える手を伸ばして、クロートはそっと核に触れる。
ひやりと冷たい無機質な塊――『彼女』は花の形をしていた。
美しい核だった――けれど、これはクロートが知っている『レリル』ではない。
クロートは堪らなくなって、かぶりを振って叫んだ。
「無理だよ――――これがお前だなんて信じられるわけないだろ⁉ レリルッ! なあ、応えてくれよ! レリル――」
拳を握り締め、力の限り、息の続く限り、名前を呼ぶ。
「レリル……お前……黒龍の血はどうしたんだよ! 俺たちの……【迷宮宝箱設置人】の【監視人】だろ……! ……物語、綴ってくれよ……レリル――」
クロートは呻き、歯を食い縛ってから肺一杯に息を吸い込んだ。
……そのとき。
ふわりと。優しい花のような香りがして――クロートははっとしてあたりを見回す。
同時に、彼は己の口にした言葉の意味に気付いた。
――そうだ、そうだよ。そもそも『黒龍』は――!
「…………ハイアルム」
クロートは唇を湿らせ、震える声で囁く。
「……」
決して泣くこともなく、ただ己の愚かさに打ちひしがれていたハイアルムがぼんやりと視線を上げる。
クロートはレリルの核を見詰め、続けた。
「――黒龍は核から創られたんだろ……? なら、ならもう一度――」
彼は腕を伸ばし、そっと蜂蜜色の核を持ち上げる。
――レリルを、もう一度――。
ハイアルムは眉を寄せると、力なく肩を落とした。
「……クロート。妾はフェイムとは違う。核からではなく迷宮のマナを集め、ほんの小さな赤子を生み出すことしかできぬのだ――それに妾にはレリルのマナを集めることができぬ。つまり、どちらにしても生まれるのは『レリル』ではない……だから」
「……ッ」
クロートはひゅ、と喉を鳴らし、ぎゅっと顔を歪める。
しかしその瞬間、黙っていた彼が動いた。
黒いバンダナを靡かせ、レザがハイアルムの胸倉に掴みかかったのだ。
「ふざけるなッ! 女の子があんたを守った、だから俺はあんたを狩らない――だけど、だけどあんたなんか大嫌いだ……! やれよ、やる前から諦めるのか⁉ ならなんで世界を守ろうなんてしたんだよ! 最初から黙って諦めればよかっただろッ⁉ やれ、やれよッ! いますぐッ!」
――――レザ。
クロートは彼の勢いに胸がぎゅっと痛んだ。
同時に、そうだよなと己を奮い立たせる。
「ハイアルム、やろう。俺がマナを集める。あいつのマナなら絶対にわかる――全部集めるから! 『ノーティティア』を統べる者。頼む……このままなんて俺、耐えられないんだ――」
クロートはそう言って胸に核を引き寄せ、抱き締めた。
――生まれるのがレリルじゃなくたって……このままにしておくなんてできない――でも、でも俺は。
「――――」
ハイアルムは金色の相貌を大きく見開いて、ゆっくりとレザの手を――震えている手を――包み込む。
彼女の瞳に力が戻り、唇には――強気の笑みが広がった。
「――ふ……そうだの。すまなかった、【迷宮宝箱設置人】たちよ。……妾は『ノーティティア』を統べる者。【迷宮宝箱設置人】を導く者である。やるぞ、しかし肝に銘じておけ。妾が再び生み出す『レリル』はお主たちの知る『レリル』ではないやもしれぬ。いま一度聞くぞ――それでもいいのだな?」
レザはゆっくりと手を解き、クロートを振り返る。
必死に堪えていたが、レザの目から大きな雫がぼろりとこぼれ落ちた。
クロートはそんなレザに――ハイアルムに頷いてみせる。
「いいさ。あいつがもう一度世界を生きることになるなら――俺たちはそれを守る」
ハイアルムはしっかりと頷くと、ばっと右腕を振り抜いて告げた。
「よくぞ言った。レリルのマナを集め妾に渡せ! 一度きりの創造だ、全力であたるがよい!」
「……!」
瞬間、びりびりと……体中をなにかが駆け抜けていった。
心が、体が熱くなり、クロートは核を掲げ、レザがともに支える。
そのとき、クロートは翠色の瞳に強い決意を灯してレザに囁いた。
「レザ。俺、どうなっても受け入れる。でも――諦めないぞ」
レザはそれを聞くと片腕で目元を拭って……へらっと笑ってみせた。
「馬鹿だなーあんた。俺が諦めると思ってるのかー? ……俺も一緒に生きたいと思ってる――『クロート』と、『レリル』と、一緒に」
ふたりは頷き合った。
「マナを集めるなら、呪文は決まってるよな――」
「そうだねー。女の子にも、きっと聞こえるからなー。じゃ、やろうかー!」
ふたりは大きく息を吸う。腹の底に力を入れる。
煌めく蜂蜜色の大きな核へと、彼らは視線を上げた。
「『創造』ッ!」
「『来い』ッ!」
優しい花のような香りが渦巻いて――彼らは祈った。
――レリル。もう一度、俺たちと生きよう。
――ここだよ、ここに戻っておいで――。
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