知りがたきこと陰のごとく⑥
◇◇◇
中庭を彩っていた花はめちゃくちゃに踏み荒らされ、血と泥にまみれている。
聞こえるのは呻き声だけだ。
レリルは倒れ伏す人々のなか、一際白い髪を持つ男性を見つけて駆け寄った。
しわしわな顔も白く、黄ばんだ白ローブには誰のものともわからない血がべっとりと付着している。
右腕と右足は使いものにならないだろうとわかるほど酷い傷を負い、彼はぐったりと横になっていたが――レリルに気付くと薄目を開けた。
「……おおレリル……無事かの」
「アルデンテお爺ちゃん……!」
呻くように呟いた彼の名はアルデンテ。齢七十九歳になる『ノーティティア』でも古株の男性だ。
アルデンテはガルムが肩に大怪我を負ったときに治療に当たった治療士でもあるが、彼のような誰から見ても年配の者まで戦いに駆り出されていることがレリルには衝撃的だった。
けれど、彼女はそれほどまでに苛烈な戦いであるということも痛いほどにわかる。
アルデンテはそんなレリルの様子を正しく理解すると、安心させるように言った。
「掠り傷じゃ、掠り傷……若い頃はもっと戦えたんじゃがな」
「……うん。うん、そうだよね――。待ってね、いま治療薬を……」
掠り傷なんて言葉では済まないのは明らかだが、レリルは唇を噛んでから何度も頷きバックポーチからマナ治療薬を取り出そうと動く。
しかしアルデンテは左腕を僅かに持ち上げて「拒否」の意思を示し、唇を震わせた。
「儂はかまわん――致命傷ではないからの。ここにいるのはあらゆる覚悟をした者たちだけだ、案ずることもない。それよりも……中に、中にハイアルム様がいるのじゃ……儂らでは相手にもならなかった……あれは……」
そこにクロートとレザがやってくる。
アルデンテはクロートを見ると、僅かに瞼を見開き悲痛な面持ちで続けた。
「――ああ……ガルムの息子よ、ガルムは……死んだのか?」
「……え?」
突然の質問に、クロートはぎくりと肩を揺らす。
――そうか。まだクランベルとモウリス以外は知らされてないんだ……。
彼が困惑していると、アルデンテは目を閉じて静かに――深く息を吐いた。
「なんということか……ガルム……残酷な」
――きっと父さんが一級だから『ラーティティム』と渡り合えると思ったんだ……そうだよな?
憔悴したように見えるアルデンテに、クロートはそう思う。
どうしてガルムが死んだと思い当たったのかはわからないが、クロートは絶望の淵にいるアルデンテを元気付けようと唇に笑みを浮かべてみせた。
「――大丈夫。俺たち一級になったんだ! だからあとは任せて少し休んでてくれよ。すぐに戻って治療するから……頑張ってくれ」
「……」
アルデンテは再び細く目を開けると、顔をくしゃくしゃにして悲しそうな表情をする。
「相手はお前の心を揺さぶる――相手はお前の心に付け入る。隙を見せるな。すべては幻だと思え、ガルムの息子よ。……ハイアルム様と一緒にクランベルとアーケインがいるはずじゃ――すまない、儂にはこの残酷な物語を聞かせる勇気はない」
「……?」
クロートはアルデンテの言い回しに眉をひそめたが、それ以上時間を使うことはしなかった。
多くの負傷者を治療をするには道具も薬も足りないことは明白。用意している暇はない。
……なにより敵がまだすぐそばにいるのだ。
なんとかしたくとも、彼らはそこに留まるわけにはいかなかった。
「よくわからないけど……心配いらないよ。ハイアルムと一緒に必ず戻る! 行こう、レリル、レザ」
「はい。アルデンテお爺ちゃん……すぐ戻ってくるね」
レリルはそっとアルデンテの左手に触れると、しっかりと頷いてみせる。
……血の臭いと微かな腐臭に満ちた中庭を遠ざかる三人を見詰め、アルデンテは小さく呟いた。
「このような運命を知ることは……誰にとっても難しいはずじゃ。おそらくはハイアルム様でさえも予測できなかった……なんと悍ましい……」
******
白い扉を薄く開け、中の様子を窺う。
どういうわけか気配は感じないが、クロートの鼻は中庭よりも濃く香る『甘ったるい臭い』を嗅ぎ取った。
当然なにかが腐ったような臭いも強くなり、三人は思わず眉を寄せる。
クロートがちらと見るとレザは双剣『メリディエースアゲル』を胸の前に構えて小さく頷いてみせ、レリルはごくりと息を呑んでから瞬きと一緒に首を縦に振った。
「……よし、進もう」
クロートは扉を開け放ち、踏み込んだ。
彼らの視界に広がるのは、毛足の長い紅の絨毯が真っ直ぐ伸びる真っ白な部屋。
……中央に鎮座する大きなソファに『ノーティティア』を統べる者の姿はない。
満ちる空気はひんやりとして、甘ったるい臭いと腐敗臭を混ぜ合わせた淀んだものと化していた。
「ハイアルムたちは地下だな…………ん?」
クロートはふと気付いて絨毯にしゃがみ込むと、その痕跡に顔を顰めた。
「なんだ……足跡?」
残されていたのは、絨毯の毛にべったりと絡み付いた強烈な腐臭を発する黒い液体。
レザは点々と奥へ続くそれを一瞥すると、すぐに『答え』を口にした。
「――ゾンビの体液だね。足跡ってわけ。ここって迷宮なんだろー? 『リスポーン』したのかも」
「……そうじゃなかったら、『ラーティティム』がまた核で創り出したのかもしれないね」
レリルは言いながら収束させた剣と盾をしっかりと構えて、足跡をなぞるように奥へと視線を移す。
クロートは立ち上がって短く息を吐いた。
「どっちにしても地下に行くしかないな。……ハイアルムたちも『宝箱』も無事だって祈ろう」
彼らはすぐに歩き出し、ソファの後ろの階段を慎重に下りたが――――はたして。
「……なんだ、これ……」
階段を下りきったその先で、クロートは思わずそうこぼす。
階段の先に広がるのは黒瑪瑙に似た壁を持つ部屋だけのはずだった。
それなのに、ランプが照らし出す部屋にはさらに下へと向かう三個の大きな階段が『造られていた』のである。
「そんな、これ……まさか迷宮……? ハイアルム様がやったの……?」
――ハイアルム様はいま、弱ってるはずなのに……!
レリルは満ちるマナに血の気が引くのを感じた。
よろしくお願いします!




