邪悪なものありけり④
それは白い宝箱。
黒い部屋の中、浮かび上がるかのような純白だ。
つるりとした白磁の表面には蔦のような細かな模様が彫り込まれ、蓋の中央に大きな薔薇が咲き誇っている。
薄く開いた口の部分からはいまも微かにしゅうしゅうと音が聞こえているが、クロートはいまのところ『甘ったるい臭い』を感じない。
「……でき、た……?」
思わずこぼしたクロートの腕の中、庇われていたレリルが身動いだので彼は慌てて腕を解いた。
レリルはまだ霞んでいる目を懸命に凝らしてそれを認識すると……ごくんと息を呑む。
「――宝箱……ある、ね」
腕で目元を守っていたレザも両手を下ろし、ゆっくりと二度瞬きをした。
「うわ、でっかいなー!」
……そう。
その宝箱は人ひとりを丸ごと呑み込めるどころか、三人は軽々と食べられてしまいそうな大きさなのである。
ぽかんと佇む三人の後ろから、クランベルが唸った。
「み、見たことない大きさだわ。……念のため注意して」
そのすぐ隣でモウリスも様子を窺っている。
「は、ハイアルム、これ…………っ⁉ おい、ハイアルム!」
判断に困ったクロートは『ノーティティア』を統べる者を振り返り――大声を上げた。
彼女は真っ青な顔で、その小さな体を抱え込んでいたのだ。
いったいどうしてそうなったのか……宝箱を『創造』することに集中していたクロートにはまったくわからない。
『ハイアルム様!』
レリルとクランベルが同時に叫んで駆け寄ると、唇まで紫色になったハイアルムは力なく俯いたまま、呻き声の合間になんとか声を絞り出した。
「う……邪悪な……マナが……。あやつら、まさか王都まで……来るとはな」
その言葉を聞き取ったクロートは眉をひそめる。
「あやつら……って、まさか『ラーティティム』か……?」
ハイアルムはレリルとクランベルに支えられ、頷いてみせた。
冴えた月の色をした髪が一房、ハイアルムの青白い頬を滑る。
「先ほどの異常なマナの歪み――気になってな。……少し、近辺のマナを読んでみたのだ……」
クロートは前にもハイアルムがこんな状態になっていたことを覚えている。
彼女がここから一週間ほど離れた迷宮――クロートとレリルがレザと初めて出会った【シュテルンホルン迷宮】のマナを読んだときだ。
ハイアルムは深く息を吸うよう意識しているらしく、大きく肩を上下させる。
しかし苦しげに寄せられた形のよい細い眉が緩むことはない。
それでもいくぶん己を取り戻し、彼女は自らの足でしかと床に立つと言った。
「……アーケイン、クランベル。【迷宮宝箱設置人】と【監視人】たちに告げよ。これは討伐などではない――戦争となろう。武器を取れ、備えるのだ」
「いいだろう」
「かしこまりました」
モウリスはきっぱりと応えると、くるりと背を向けて階段を上っていく。
クランベルはレリルと視線を交わして頷き合い、身を翻して彼の背を追った。
「ハイアルム様、『ラーティティム』は近くに?」
レリルが問い掛けるとハイアルムは頷く。
「すぐに王都に入るであろうの。かなりの『邪悪なものたち』を率いているようだ――」
「なら、俺たちも行かないと」
ハイアルムの言葉を聞き終わらないうちにクロートが踏み出そうとするので、ハイアルムは首を振ってそれを制した。
「待て。……まったく、せっかちな奴よの……」
「冗談言ってる場合かよ。このままじゃ王都が危険なんだろ!」
クロートが顔をしかめると、ハイアルムは真面目な顔をして腕を組んだ。
「そのとおりだ。だからこそ聞けクロート。あやつらの目的は『非マナ生命体』の排除。そのために邪魔な存在である妾――つまり『ノーティティア』を狙っているのは間違いなかろう。ならばここで滅さねばならぬ。いましかないのだ」
「いましか――ない? どういうことだよ?」
訝しげに聞き返すクロートに、ハイアルムは告げた。
「この宝箱が世界のマナを循環させる――それはつまり世界にマナが満ち、妾の種族がこの先どんどん回復するということ。いまの妾たちはマナの枯渇によって……これでも過去に争ったときの力はほとんど残っておらぬのだ」
レリルは昨日の夜にそれを聞いていたので、唇をきゅっと引き結んで俯く。
「力が残ってない……?」
反芻したクロートはなにか続けようとして言葉にならず、唇を噤む。
吊されたランプの灯りに彼らの影だけがゆらゆらと動いていた。
「回復されたなら最後……『非マナ生命体』たちは壊滅的な被害を被るであろう。だからいま力が必要なのだ。お主たち『メルカトーレ』の書状を持っておろう? すぐに商人たちの組織へと赴いてもらう。ありったけの魔装具を運ばせて【迷宮宝箱設置人】と【監視人】に武装させるため、言い値でかまわぬから持ってこいと交渉してくるのだ。――王都は我ら『ノーティティア』が守る」
『メルカトーレ』の扱う魔装具のほとんどは過去に設置された宝箱から得られたものだろう。
――きっと、このときのために魔装具をたくさん『創造』しておく必要があったんだ……。
ハイアルムはこのような事態も想定していたのだとクロートは思った。
「――わかった。俺たちはすぐに『メルカトーレ』に行ってくる」
頷いたクロートは、そこでレザが難しい顔をして腰の黒い双剣――『メリディエースアゲル』に触れているのに気付く。
「…………」
「どうした、レザ……?」
「――――戦争かー……それなら俺――」
言いかけるレザにはっと息を呑んで、クロートは思わず首を振った。
「ま、待てよレザ」
レザは『アルテミ』に戻ろうとしている……彼にはそれがわかったからだ。
レリルも不安そうな顔でクロートとレザを交互に見る。
けれどレザはふたりを見ずにゆっくりと瞳を伏せた。
「……ごめん。行かなくちゃ……いままで好き勝手させてもらってたからさー俺。きっと『アルテミ』は動く。――アルたちがいたら無法者から王都を守ろうとするはずだからー」
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