邪悪なものありけり②
真っ白な空間に毛足の長い紅い絨毯。
マナが満ちる空気を肺一杯に吸い込んで、クロートは『彼女』の元へと落ち着いた足取りで進んだ。
「よく休めたようだの」
クロートの引き締まった表情にハイアルムはころころと笑う。
ソファから体を起こした彼女の白い肩を、冴えた月色の髪が滑っていく。
「ああ。すぐに宝箱――マナを循環させる『イミティオ』を設置しよう」
応えたクロートに、ハイアルムは今度は反対しなかった。
彼女はゆっくりと足を絨毯に下ろすと、ソファの後ろへと回り込む。
「来るがよい」
普段彼女が体を預けているソファの後ろはなにもない空間だったはずだ。
クロートは己の父――ガルムがそこに設置した宝箱を開けたことがあるので知っていた。
ところがいざ彼が回り込んでみると、なんとそこにはぽっかりと口を開けた地下へと続く階段がある。
「え……」
思わず声が出たクロートに、ハイアルムはぱちりと片目を瞑ってみせた。
「どうだ、宝箱専用部屋を用意してやったぞ? 喜ぶがいい」
「いや、用意って――はあ。まぁいいや」
もしかしたらもっと前から部屋を作っていたのかもしれないが――ハイアルムなら当日であってもやってのけそうだ。
クロートは大きく肩を竦めて階段を下り始めた。
レリルとレザが続くのを確認したモウリスとクランベルは立ち止まり、唇に笑みを浮かべるハイアルムを見る。
「――無茶をする」
「ハイアルム様……体調は」
矢継ぎ早に言い募る彼らに、ハイアルムは右手を二度振ると顔をしかめた。
「案ずるな、部屋のひとつくらい妾とてまだなんとでもなる。なにせ『マナを循環させる者』の誕生かもしれぬのだ。多少のお膳立てはしてやらんとの?」
わかっていた返答だったので、モウリスもクランベルも――彼女は心配そうな顔をしていたが――それ以上はなにも言わずに階段を下りる。
ハイアルムは彼らを見送ってから一度だけ深々とため息をこぼし、きゅっと表情を引き締めた。
「そう、これは――おそらく世界にとって最後の賭けのようだからの。あと数十年は……と思ったが……さて」
ハイアルムは己の感じている世界の様子にそう呟いて……彼らを追いかけた。
◇◇◇
白い部屋の下は、黒い部屋だった。
二頭の黒龍が翼を広げて向かい合う扉がひとつだけで、あとは磨き上げられた黒瑪瑙のような美しい壁に四方を囲まれている。
勿論、床と天井も同じ黒瑪瑙色で、大量に吊されたランプ――ひとつとして同じ形はなさそうだ――が煌々とあたりを照らし出していた。
人が十人寝たとしても、まだまだ余裕がある広さだろう。
「……よし。レザ、レリル」
クロートはその真ん中でふたりを呼び、彼らはそれに応えて左右に並ぶ。
濡羽色に艶めく黒髪を――この黒い部屋にあっても角度によって様々な色に見える――揺らして大きく頷くと、クロートは口にした。
「手筈は食事のときに話したとおり。準備はいいな?」
「いいよー、やろうかー!」
「はい!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
……しかし、その瞬間にクランベルが声を上げる。
出鼻を挫かれたクロートは唇を尖らせて振り向いた。
「なんだよクランベル……」
レリルとレザは苦笑している。
「だ、だって説明もなしに! 手筈って? 私たちにも教えなさいよ!」
クロートはため息をこぼしレリルを見た。
説明は頼むとでも言いたげだ。
レリルは首を竦めると、むうと唸って考えながら話し出した。
「えぇとね、クランベルさん。クロートとレザは一緒にひとつの宝箱を設置しようとしてて。レザがマナをかき集めてクロートがそれを形に……」
「ふたりでひとつですって?」
素っ頓狂な声で聞き返すクランベルに、モウリスが片方の眉をぴくりと動かす。
「はい。創るなら強力な宝箱が必要なはずです。だから、ふたり分の力を使ったものを……と」
レリルが言うと後ろからやってきたハイアルムがくすくすと目を細めた。
「なるほどの。それはまた突飛な発想をするものよ」
「そ、それでレリル。あなたはなにをするの?」
クランベルは自分の長い耳をむにむにしながらルビーのような目を瞬かせる。
「私は……これを」
レリルが取り出したのは、様々なレイドボスの核だった。
「この核からマナを引き出しながら、本を収束します」
いままで売らずに取っておいた高価な核の数々は……勿論それ相応のマナを秘めているはずだ。
クランベルはこぼれそうなほどに目を丸くして、首を振った。
「ええ? 核から? 待って、言っている意味がよくわからない……しかも本?」
混乱するクランベルにレリルは笑ってみせた。
「正直、私もなんでそれができるのかはよくわかりません。でもローティさんの核が教えてくれたんです。その香りで……クロートはより確実に思い描く宝箱を『創造』できる」
――もしかしたら、こんなことができるのは黒龍の血の力が私に馴染んだからなのかもしれないけど。私にそれができるなら、絶対にやってみせる。
心のなかで付け足すレリルに、ハイアルムだけは優しく頷いた。
レリルは小さく頷き返すと、クロートとレザに向けて自信たっぷりに笑った。
「やれるよね。【迷宮宝箱設置人】クロート、レザ!」
「ああ。任せとけ!」
「勿論ー。女の子の頼みとあれば、やるしかないよねー」
クランベルはそれでも困惑した顔をしていたが、その肩――ピンク色の鎧にモウリスが右手を載せる。
「あ、アーケイン……」
「……」
なにも言わないが、モウリスの灰色の双眸はクロートへと真っ直ぐ向いていた。
クロートは己の父親の戦友とでも言うべき彼に、精一杯の背伸びをした大人びた表情でにやりと笑ってみせる。
――任せろ、モウリス。俺は父さんに誓ったんだ。
「……さあ仕切り直しだ! やるぞ、レザ、レリル!」
クロートの声にレリルは彼の隣に戻ると、レザとも目配せして頷き合った。
たぶん日付変わった頃にもう1話いきます!




