かぐわしきは力になりて⑥
頷いて彼女が収束させようとしたのは『本』だった。
クロートとレザ、そしてガルム――レリルがともに歩んできた【迷宮宝箱設置人】の物語である。
クロートはその瞬間、はっとしてあたりを見回した。
マナが薄い緑色の光となって集まっていき、どこか懐かしい香りが……彼の胸を満たしていく。
――これ……この香り――いままでこんなことなかったのに……。
同時にレリルも困惑した表情で視線を泳がせる。
「なんだろう、クロート……いつもと違うマナが……?」
「……うん、わかってる」
クロートが思い出すのは温かい腕と、かろやかな旋律で奏でられる子守歌。別れたのは物心つく前だったはずなのに……なぜか、はっきりと浮かぶ記憶。
「……母さんだ」
思わず呟くクロートに、レリルが大きく目を開いた。
本の形を描こうとするマナがふわりと舞い踊りながらふたりの頬を撫でていく。
クロートは咄嗟にバックポーチをあさると、星の下でも息を呑むほどの美しさを持つ核の欠片を取り出す。
レリルは思わず目を瞠った。
「……ローティさんの……核が……」
「ああ。溶けてく――」
揺らめく蒼翠の光が散っていく。
「これが核のマナ――その香りなんだな、母さん」
クロートは「ありがとう」と呟いて消えゆく核をそっと撫でた。
哀しそうで、つらそうで、でも凛としたクロートの表情に――レリルは胸の奥がぎゅうっと痛むのを感じる。
「クロート……」
呟いた彼女の手元に古めかしく分厚い本が収まったと同時に、美しい核は最後の光を煌めかせ――溶け消えてしまった。
その瞬間をローティとよく似た微笑みで見送ったクロートに……レリルは息を詰まらせる。
クロートの眼と同じ翠色の本に瞳を落とせば華美な装飾はひとつもない――レリルはそれがとても悔しかった。
本来ならばもっと華々しく凛々しい本こそが、彼らに――どんな状況でも強くあろうとするクロートに――相応しいはずなのだ。
けれど。
「……泣かなくていいよ」
聞こえた柔らかな声。レリルは肩を震わせて顔を上げる。
どうしてなのか、彼女の瞳の奥からは熱いものがこぼれてしまう。
クロートはそれを見ないようにレリルの背にそっと腕を回して、とんとん……と叩いた。
「世界が牙を剥いたとき、お前こうやってくれたよな。……なあ、泣かなくていいよレリル。だって俺にはレリルもレザもいる。懐かしい香りだと思ったけど――お前のほうがいい匂いだし、レザも太陽みたいでさ。きっとそれが俺の力になるんだ」
レリルはその言葉にますます胸が締め付けられて、本を抱いたままクロートの肩に頬を寄せる。
「……どんなに時間が経っても」
――どんなに私の生きる時間が違ったとしても。
彼女が絞り出した言葉は、鼻声になってしまった。
「私もレザも、きっと力になるから……」
レリルが言い切らないうちに、クロートは耳元でふふと笑う。
「俺もレザもお前の力になるし――俺もレリルもレザの力になる。そうだろ!」
――ああ、そうだ。私が一緒に歩いてきた【迷宮宝箱設置人】はこういう人だった。優しくて、強くて……。
レリルはそう思い、本を溶かすとクロートの背に腕を回してようやく微笑んだ
「うん。絶対に――明日はがんばろうね、クロート」
******
「……あんたさぁ。そういう話を俺にしたら女の子が可哀想だと思うんだけどー」
レザは貸切状態になっていた共同風呂で浴槽に浸かり、足を投げ出してぼやいた。
「そうか? レザの力にもなるって話だけど」
クロートはレザの隣で右の肘に左腕を絡ませ、顔の前あたりで肩を伸ばしながら聞き返す。
その口元が幸せそうに綻んでいるので、レザは――つられてしまった。
「は、あんた緩い顔してるなー」
「レザもだろ」
ふたりはへへと笑い合って、同時に『ふう』と安堵の吐息をこぼす。
「――なんとかなりそうだねー、世界」
一呼吸置いてから、へらっと笑うレザがぽつりと呟いた。
「ああ。俺たちが――【迷宮宝箱設置人】がなんとかするんだ」
クロートが返すと、レザはへらっとした笑みを消して――目を眇める。
「あとは『ラーティティム』だね」
「うん。――同じ場所にいると思うか?」
「……わからない。でも『メルカトーレ』からなにか聞けるかもー。使えるものは使おう。十分な準備はしておかないとー」
「商人……ヒースのいる組織だな」
クロートは頷きながら、山賊のような風貌の男を思い描く。
ガルムを丁重にもてなすことを約束してくれた義理堅い男だ。彼が託してくれた書状もある。
「それじゃあまず宝箱を設置して、それから『メルカトーレ』に向かうんでいいな、レザ」
「うんー。あとは『アルテミ』にも行こ――ふあ」
レザはそこで大欠伸をすると、肩を回して立ち上がった。
「あー、眠い。明日は大仕事だからなー、さっさと寝ようー」
「……ふわぁ。結構いい時間だよな」
「あんたのせいだろー」
……クロートとレザが軽口を叩き合いながら着替えて部屋に戻ると、レリルはすでにすやすやと寝息を立てていた。
ふたりは顔を見合わせて……彼女のベッドのカーテンを引いてから自分たちもベッドに潜り込む。
核のマナを嗅ぎ分け、喰らう『宝箱』。
クロートはその宝箱の形を思い描きながら……束の間の平和をじっくりと噛み締めるのだった。
少しアオハル的な回です。
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