ゆめゆめ忘れることなかれ⑦
「――!」
クロートは『その状況』に気付いて、左腕で後ろにいるレリルに止まるよう合図をする。
ふたりがたどり着いたのは、ちょっとした大部屋といえる広さの場所だった。
ここまでの通路と変わらず白い根が絡み合った空間は、天井がより高くなっているようだ。
そこで、灯りが揺れ、影が躍っている。
部屋に入る直前で立ち止まったふたりの視界に飛び込んできたのは――大柄な、男。
ガルムにも負けないほどの巨躯をした熊のような男が、魔物と戦っていたのである。
『シューッ!』
威嚇音を発しながら鎌首をもたげるのは、蛇型の魔物。
ここ【アルフレイムの迷宮】に生息する『スネイキー』だ。
全長はクロートと同じくらいあり、体の途中で二股に分かれ頭はふたつ。
周囲の木の根に似た白い体には紫色の毒々しいまだら模様が走り、その見た目に違わず神経性の毒を持っている。
ちろちろと躍る赤い舌の先も小さな蛇の頭で、むしろその舌の部分が毒を吐き出すとされていた。
それが、男を中心にして五匹。
多勢に無勢――このままでは男が危ないとクロートは思った。
「――フンッ!」
しかし。
気迫のこもった右手の一撃が正確に魔物の頭を貫いて、彼は信じられないほど機敏な動きで体を捻りながら、引き戻す刃でもう一方の頭も斬り飛ばす。
まず、一体。
男の右腕には、肘から先に固定する鉤爪のような武器――刃は男の太い腕と同じくらい幅広のものがひとつだけだ――を装備しており、分厚い胸は黒いブレストプレートで覆われていた。
「オォッ!」
『シャ――』
男は左から飛び掛かる魔物を、低い声を轟かせ、たったの一突きで両断。
核となって弾ける二体目の魔物には興味すら示さず、次の獲物へと視線を走らせる。
男の後ろで一体のスネイキーがまさに躍りかかろうと体を縮めるが、間違いなく彼は気付いているだろう。
――強い。あれなら大丈夫だ……。
クロートは息を呑み、男がどう動くかを見定めようとしていた。
だから隣から弾かれるように飛び出した『彼女』に、反応が遅れてしまったのである。
レリルは『そういう性格』なのだと、クロートはそのとき、ようやく認識した。
「――危ないっ! 後ろです!」
「!」
男が眉を寄せたのが見えたが、声を上げながら魔物へと走る彼女を放っておくわけにはいかない。
「レリル! くそっ、馬鹿――!」
クロートは剣を抜き放ち、真っ直ぐ彼女を追いかけた。
レリルが持っているのはナイフ。
男の前でマナ術を使うことは、どうやら躊躇ったのだと判断する。
理性がすべてもっていかれたわけではないらしい。
とはいえ、さほど長さがない武器ゆえに、頭がふたつある蛇への接近は無謀だ。
噛まれればたちまち体が麻痺し丸呑みにされてしまう。
「はあぁっ!」
それでも彼女は引かない。
クロートは心のなかで彼女の行動に賞賛を送り、同時に憤慨してもいた。
――誰かが危険な状態だとわかったとき、レリルは放っておくことができないんだ。
あんな無茶、迷宮では命取り以外のなんでもない。しかも、あの男には必要のない――おそらく、ありがた迷惑な部類の行動である。
――もしあの男が『真っ当な奴』じゃなかったら。
クロートは熱を帯びる自分の体を低くし、ぐんと加速した。
……自分がなんとかするしかない、そう思ったのだ。
そこでレリルの一撃が、男に飛びかかろうとする蛇型の魔物を捉える。
しかし魔物はその一撃に気付くと、片方の首をぐにゃりと捻りレリルに向かってガパアッと口を上下に開いた。
舌の先、小さな頭がさらにレリルに牙を剥く。
「――このおおぉッ!」
瞬間。
追い付いたクロートの剣が閃き、レリルへと迫る顎を下から斬り刎ねる。
レリルはそれを予想していたのか、魔物へとさらに踏み込んでもう一方の首へとナイフを振り抜いた。
――ザッ!
しかし、浅い。
彼女が普段使っているのは、もう少し刃の長い短剣だ。
目測を見誤ったのは、経験の浅さゆえだろう。
『シャアァッ!』
「く――っ!」
牙を剥くスネイキー。
シューシューと音を立てて、舌の先で赤い頭がゆらりと蠢く。
レリルは身を躱そうと、重心の乗った上半身をなんとか立て直しながら足を踏ん張った。
ズドンッ!
そのとき、熊のような男の一撃が彼女の目の前で炸裂する。
頭を貫かれたスネイキーはのたうちながら必死の抵抗をみせていたが――やがてだらりと崩れたかと思うと、光が弾けて核が落ちた。
どうやら、別の一体をすでに屠ったらしい。残っているのは一体だけだ。
「――死にたいのか」
低く重い声がレリルに向けて放たれる。
男はそれ以上はなにも言わずに黙ってレリルを見下ろしながら、彼の左手――クロートたちの右手から飛び掛かるスネイキーを、装備のない手袋だけの左腕で易々と叩き落とした。
ズシュッ!
間髪入れずに男のブーツがその双頭を踏み抜き、嫌な音とともに魔物は消滅――核がこぼれる。
クロートは黙ってレリルの前に立ち、男を見上げた。
「……ッ!」
「クロート……!」
――ああ、くそ。俺も十分、お人好しかよ。
獣のようなギラついた眼光を受け止め、クロートは心のなかでこぼした。
謎の男現る、です。
引き続きよろしくお願いします!




