ゆめゆめ忘れることなかれ⑥
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「足元、滑りそうだから気を付け……うわっとぉ!」
「きゃあ! クロート!」
レリルに注意を促すつもりだったクロートは【アルフレイムの迷宮】――その入口である巨木のうろに空いた穴を派手に転げ落ちた。
幸いそんなに深くはなく、すぐに体勢を立て直すことができたが……クロートは肩を落として唸る。
「か、格好悪……」
「――大丈夫!? 怪我してない!?」
後ろから慌てたようにレリルが降りてきて、クロートは肩を竦めてみせる。
恥ずかしくて顔が熱いが、できるだけ動揺を隠したい年頃なのだ。
レリルはクロートが大丈夫だと判断したのか、ほっと安堵の息を吐き出す。
……薄暗い迷宮内部は、そのほとんどが絡み合う乳白色の木の根で構成されていた。
レリルが掲げたランプの灯りが白い木の根を照らし、複雑な濃淡を帯びた闇を浮かび上がらせている。
奥へと続く通路はクロートやレリルが通るのにはさほど不自由しないだけの高さと幅があり、ひんやりとした空気が満ちていた。
根が呼吸しているからだろうか。迷宮内にも関わらず空気は澄んでいるようで、クロートは大きく息を吸う。
――とりあえず、だ。早いところ調査を済ませて、宝箱もさくっと設置して……父さんのところに帰ろう。
クロートはひとりで頷くと通路の奥へと体を向けて……。
「――ん?」
自分の目線より少し下にある、張り出した木の根に目を留めた。
……白い根の先、細い部分が千切れている。
まだ瑞々しいその傷痕は、根が傷付いてからあまり時間が経っていないことを示していた。
――転げ落ちたときに引っ掛けたかな?
クロートはそう考えたものの、思い直して注意深く視線を走らせ――気付いた。
「どうしたの?」
話しかけてきたレリルに見えるように、クロートは右の人さし指を立てて自分の唇に当てる。
「――先客がいるみたいだ」
クロートが声を落として囁くと、レリルがごくりと喉を鳴らしたのが聞こえた。
……ランプで照らせる範囲はそんなに広くない。
しかしその狭い空間のなかだけでも、何カ所かの根が傷付いていたのだ。
『今回の仕事は宝箱設置だけじゃなく、ほかに調べてほしいことがあってね』
クロートは、ノーティティアで働く【監視人】のひとり、エルフのクランベルがそう言ったのを思い返す。
『実は……【迷宮宝箱設置人】が置いたんじゃない、謎の宝箱の情報が入ってきたのよ――。それでハイアルム様が、次に謎の宝箱が見つかるとしたら【アルフレイムの迷宮】じゃないかって言っているの』
ハイアルムは、仕事――つまり宝箱設置を終えて各地から戻った【迷宮宝箱設置人】の報告により、多くの情報を集めることができる。
複雑に絡み合うそれらを紐解くことで予測することができるのだ……と、クランベルは語った。
……もしその予測が当たっているのなら、この先には『ノーティティア』に所属していない【迷宮宝箱設置人】が――そんな奴が存在するのなら――いるんじゃないだろうか。
本来これはガルムへの仕事だったわけだが、そのガルムはまだ満足に動ける状態ではない――実はガルムなしで迷宮攻略に挑むのは初めてで、クロートは知らず身震いをした。
――もし宝箱設置の瞬間を『誰か』に見られてしまったら、俺とレリルはその『誰か』を処刑しなくちゃならないんだよな……。
――じゃあその【迷宮宝箱設置人】はどうなんだろう? 俺たちがその瞬間を見てしまったとしたら――。
クロートが無言で考えていると、不意にレリルがひょこんと視界に入ってきた。
びくっと体を跳ねさせて瞬きしたクロートに、彼女は声をひそめて告げる。
「クロート、慎重に進もう。……もし誰かに会ったとしても、私たちは――」
「……わかってる。ただの冒険者――だろ?」
それは耳にタコができるくらい、ガルムに聞かされてきた言葉だった。
不安を振り払ってクロートが応えると、レリルは小さく笑みを浮かべ、無言で頷いてくれる。
たぶんレリルも同じことを考えているのだろうとクロートは思った。
どう転んでも、誰がいるのかは調べる必要があるはずだ。
――ここにいるのが【迷宮宝箱設置人】ではなくただの冒険者で、ただ先に迷宮に挑んでいただけだとしても――『真っ当な奴』かはわからない。
「剣、いつでも抜けるようにしておいて」
クロートが言うと、レリルはゆっくり瞬きをして、護身用のナイフ――これは魔装具ではなく普通のものだ――を手に取った。
武器を装備していない冒険者は、マナ術が使えるか、恐ろしいほどに無垢で無知か……そのどちらかである。
【ヒカリゴケの洞窟】攻略のとき、武器を持っていなかったせいでクロートに変な誤解を与えたことを申し訳なく思ったレリルが考えた苦肉の策だったが、確かに必要な措置だったろう。
ふたりは慎重に、迷宮の奥へと踏み出した。
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木の根が絡み合う通路は信じられないくらいに歩きにくかった。
ずむりと足が沈むこともあれば、複雑に絡んだ太い根に引っかかって転びそうになったりもする。
けれど、なんとか小一時間進んだところで、彼らは思わぬ状況に出くわした。
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