紅に濡れにけりて⑤
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「うわああぁッ――あ、あぁ……!」
絶叫しながら握っていた手を振り解き、飛び退いたクロートは幻の痛みと恐怖に脂汗を滲ませた。
知らず眼の奥から涙が溢れだし頬を転がり落ちていくのを――彼は右腕でごしごしと拭う。
「……いまのが、カレンって人の……モウリスの……」
まるで自分のことのように『見えた』ものがクロートには信じられない。
モウリスに幸せでいてと祈る一方で死にたくないと叫ぶカレンの心の悲鳴が、クロートの胸を締め付ける。
モウリスは己の手――黒い革手袋で肩口まで覆われた左手を右手で強く握り締め、俯いて苦しそうに呟いた。
「……カレン……」
ハイアルムはそんなモウリスを黙って見詰めている。
彼女の金色の瞳に灯るのは憐れみだろうか。それとも慈愛だろうか。
けれど……ガルムが黙っていることはなかった。
「――アーケイン。カレンの気持ちはわかっただろう。あいつはすべての生命が生きる世界を望んだ――そうだろ。そのあとなにがあった! いい加減に話しやがれ!」
その剣幕は凄まじく、クロートはびくりと肩を跳ねさせる。
どうやらモウリスは、ガルムにそのあとのことをなにも話していないようだ。
モウリスは俯いたまま深く息を吐き出すと――訥々《とつとつ》と語り出した。
「カレンが喰われるあいだ、なにもできなかった俺は――周りの奴らが『カレンが核にならななかったこと』に震えるのを見た。そのとき俺のなかで、怒りとも悲しみとも……絶望ともつかない感情が爆ぜてマナが……応えたんだ。俺の左腕は光り輝く刃となり、翳した右手には黒々としたマナが収束していた」
「……っ」
クロートは自分の喉がひゅっと鳴ったのを聞いた。
なぜか周りの空気が――いや、もしかしたらマナなのかもしれない――ざわめいたような気がして……彼は首を振る。
――違う、違うよモウリス。その左腕は……きっとカレンって人があんたを守ろうとして……。
クロートは言いかけたが声は出ず、微かな空気がこぼれただけ。
「『創造』されたのは勿論『イミティオ』だ。そいつは混乱していた【迷宮宝箱設置人】たちを次々と喰った。そのとき……俺はアーケインを捨て、モウリスと名乗ることに決めた――古い物語の言葉で【原罪】を意味する単語だ」
クロートからは俯いたモウリスの表情が少しだけ読み取れる。
深い悲しみ――そして苦しみ。けれど奥底に蠢くのは、それでもやり抜く決意。
モウリスは己の罪を認めながらも、無法者を『イミティオ』で狩るために『ノーティティア』を去ったのだとクロートは知った。
「マナを循環させるために非マナ生命体をマナの生命体に喰わせる――それは確かに、理に適った行為であるといえようの」
ハイアルムはそう言って、ギリッと歯を鳴らすガルムを落ち着いた瞳で見つめる。
「ガルムよ。お主はアーケインの行動にどこかで気が付いておったのだろう? だから捜しに出た――世界が牙を剥くのであれば、アーケインは真っ先に『カレンが命を落とした迷宮』へと赴く……そう考えて追い掛けたのだろうの」
「ああそうだ。あの迷宮でカレンが犠牲になったのは――間違いない事実だったからな。『マナレイド』が起こり『レイドボス』がリスポーンするかもしれない状況なら、お前はそこに行く――『オウルベア』を狩るために。そう考えた。俺はな、アーケイン。ローティを守って犠牲になったカレンのために、てめぇをぶん殴ってやるつもりだったんだ」
ただ……と、ガルムは続けた。
「まだ世界は牙を剥かないと……俺はそう思っていた。この期に及んで甘く見ていたわけだ。その結果『アルテミ』の奴らも含めて、多くを失った……それは俺の罪だろう」
クロートはその言葉に俯く。
仲間を失って泣き叫んだレザの姿は、クロートの脳裏にはっきりと焼き付いている。それだけではなく、自分がなにひとつ役に立てなかったことも――。
「それは妾も同じだの。まだ保てると思っていたのだからな。……いいか、【迷宮宝箱設置人】たちよ。目的は『マナを循環させる』ことであり、特定の生命体を根絶させることではない。クロート、顔を上げよ。しかと聞くがよい」
「……はい」
クロートが素直に頷くと、ハイアルムはいつものように笑みを浮かべることもなく説明を始めた。
◇◇◇
いま世界は己を酷使して爆発的にマナを噴出している。
人々はそれにすら慣れ生活に支障はないように見えるが、未だ不安定な迷宮は多く犠牲者は数知れぬ状況だの。
……満ちるマナの量は確かに増したであろう。
ところが、世界に還るマナはいまも多くはないのだ。
『マナレイド』によってリスポーンした強力な魔物の『核』が、世界に還ることなく人々の手に留まっておるからの。
以前、話したことを覚えているか?
……【迷宮宝箱設置人】は、最終的にはマナの消費を抑えるか、より多くのマナを還すために動かねばならぬ。
それは生物を狩るという意味ではない。そして、ただ還すだけでもない。
永久に巡らせる――つまり循環させるのよの。
妾の懸念は……『ラーティティム』によって非マナ生命体が多く還されることで、世界が十分なマナを得た……または得すぎたと誤認してしまうこと。
すると、どうなるか。
世界は放出するマナを抑えてしまうであろうな――マナの生命体が生きられないほどに。
あるいは妾たちの戦争後と同じように、新たな迷宮や魔物を爆発的に生んでしまうことも考えられよう。
そのときに使われたマナはそう簡単には戻らぬ。再び混沌の時代が訪れるよりも前に、世界が終わるやもしれぬ。
……そこで、だ。
◇◇◇
ハイアルムが言葉を切り、クロートを見る。
彼ははごくりと息を呑み、続く言葉をじっと待った。
「まず、各地にある妾たちの種族の墓所へと『ノーティティア』本部の核を移す。少しでも歯車を増やし、マナの循環を助けるためだの。しかし、それには守人であるレザがいることが望ましい。扉を開けねばならぬからの。――そして当然『ラーティティム』の排除は急務となろう」
今週も、よろしくお願いします!




