ゆめゆめ忘れることなかれ②
レリルに案内されて、ノーティティアからほど近いぱっと見が民家のような店に入ったクロートは、そのなかに満ちるい香りに思わずごくりと唾を呑んだ。
肉の焼ける匂いや、なにかを煮込んでいる匂い。
迷宮に挑むあいだは大半が携帯食糧を食べることになるため、温かい食事ともなればありがたさは倍増する。
やっぱり気を張ってただけで体は食べ物を欲してたんだな……と、クロートはひとりで納得して店内を見回した。
決して派手ではなく親しみやすい内装で、使い込まれたテーブルや椅子が並び、どこか温かい雰囲気だった。
「隠れ家みたいでしょ? 本当に美味しいんだよ」
レリルはそう言って、隅の目立たない場所……空いている席に座る。
クロートは彼女の向かいに座ってから、歳の近い異性とふたりきりで食事をするのは初めてだということに気付いた。
――うわ、どうしよう。
「なに食べる? お勧めはね、やっぱりステーキかな! でもシチューも美味しいよ」
けれどレリルはあんまり気にならないのか――もしくは慣れているのか、普通に見えた。
「あ、うん。じゃあお勧めで……」
「わかった。……私はシチューにしようかなぁ」
クロートは勝手がわからずレリルに対応を頼むことにして、店員が運んできた水をちびりと口に含む。
やがて料理が運ばれてくると、レリルは幸せそうに頬を緩め、クロートに言った。
「迷宮のあとは温かいお料理、食べたくなるよね!」
******
食事はじっくり味わって食べることができた。
すっかり満足したクロートたちは食後のお茶を前にして、本題へと移る。
「それじゃあ【監視人】についてなんだけど……最初に聞かせて。クロートは……このあとも迷宮に挑むつもりなの?」
レリルが口にした言葉に、クロートはきょとんとした顔で瞬きを二回した。
「なんで? 迷宮攻略しないなんて、俺、口にしてないと思うんだけど……」
その返事に、今度はレリルが二回、瞬きを返す。
「えっ、だ、だって――目の前で、その……ガルムさんがあんなことになったんだよ?」
少しだけ目を伏せたレリルは、お茶の入ったカップを両手でさわさわと撫でた。
クロートは「ああ」と頷いて、頼んだ林檎の香りがするというお茶をひとくち飲んだ。
「……ん、美味しいなこれ。……ええと。俺さ、小さいころから父さんと迷宮攻略してきたんだよ。それが当たり前の世界だったんだ。危険は承知の上ってやつ。だから――そうだな、父さんが噛み付かれたときも、沸いてきたのは怒りだった。正直……父さんが生きてたから言えるんだと思う。でも、生きてたからこそ……俺は迷宮攻略を続ける」
それは、ガルムとクロートが生きてきた全てだ。
同時に、生きるための術であることも間違いない。
それに――あの状況下で宝箱を設置しろと言ったガルムは、どんな気持ちで【迷宮宝箱設置人クリエイター】を続けてきたのか――クロートは知りたいと思ったのだ。
話しながらクロートはふと、レリルはどうなんだろうと思い当たる。
「……レリルは【監視人】として……どうしたいんだ?」
疑問を口にすると、レリルはきゅっと唇を結んでから両手でカップを口に運び、ひとくち飲んだ。
「――私は恐かったなぁ。でも……ええとね、私って、家族がいないんだ。ハイアルム様は私を育ててくれた恩人で――そう、【監視人】はね、皆そういう人たちなの。ノーティティアで育てられた身寄りのない人たち。大まかな言い方をすれば、私もクロートと一緒なのかも……監視人でいることが当たり前。だから、辞めようとは思わない。ちなみに、私はクロートより四カ月くらいお姉さんで、一年の初めの祝日、マナリムス生まれなんだよ!」
クロートはレリルが話すのを聞き、いくつか投下された情報を頭のなかで整理しながらこめかみをぐりぐりした。
「ん、と……ごめん、なにから聞いていいのか」
「あはは、そうだよね。クロート、ハイアルム様は【監視人】のことは私に聞くよう言ったよね? だからきっと、いまの私が知っていることは話していいんだと思う」
レリルは笑うと、左手の手のひらを上にして、クロートのほうに差し出した。
「……収束」
ふわりとマナが集まり、淡い光が散る。
クロートは慌てて店内を窺ったが、誰も気付かなかったようだ。
別に悪いことをしているわけではないが、マナ術は相当に珍しいものである。
誰かが見れば彼女に興味を持つのは間違いなく、それが冒険者だとすれば勧誘すらあり得るだろう。
レリルが隅の目立たない席に座ったのは、このためだった。
そして、その手の上に現れたのは一冊の閉じられた本――まるで古文書のような古めかしさに、辞書のような分厚さである――だ。
弓矢や長剣、盾……そして本。
レリルは小さく笑みを零して、これ以上、隠しているマナ術や魔装具はないよと言った。
「この本はね、【監視人】が綴る物語なの。行動をともにした【迷宮宝箱設置人】との迷宮攻略を、ここに記していくんだよ」
レリルはそう言って、まだなにも書かれていない表紙を撫でる。
「いまここには、クロートとガルムさんと一緒に行った【ヒカリゴケの洞窟】のことが綴ってある。【監視人】は、こうやって綴った物語をハイアルム様へと献上するの。同時に、【迷宮宝箱設置人】が不正を働いた場合においては、その命を速やかに刈り取らなければならない。例えば、仲間を連れて行って不正に宝を取得させたりしてはいけない。――宝箱を設置するっていうのは、それだけ責任の重い行為なんだ」
レリルの黄緑色をした眼は、真っ直ぐにクロートを見据えた。
「宝ひとつで、人の生が変わることだってあるんだから」
すみません、しばらく空いてしまってました。
年度末と逆鱗のハルト3巻の原稿が被ってしまいてんやわんやです。
できるかぎりの早さで更新いたします!
よろしくお願いします。




