守るもの在りけりは③
クロートたちは迷宮を進み続け、魔物に出会うことなく夜を迎えようとしていた。
とはいえ、空は霞がかかったようになっていて見えず彼らの感覚がものをいうので、実際の時間ははっきりしない。
できれば安全な場所で休憩を取りたいが、どこも同じような階段である。
彼らは壁際に陣取って食事を摂り交代で休むことに決めた。
クロートは乾し肉と乾パン、保存できるよう甘く煮つめた瓶詰めの果物を出し、ふう、と息を吐く。
「……あのさ。ちゃんと触れてはいなかったけど、アルカの奴、『イミティオ』を創造してたよな」
「……やっぱりあれ……アルカが設置したんだよね」
レリルも木の実をふんだんに使った携帯食糧を取り出しながら応え、似たようなため息をこぼした。
「同じ宝箱じゃん。驚くことなのー?」
レザだけは飄々と言ってのけたが、クロートとレリルは苦笑するしかない。
――わかってるんだよ。宝箱はマナ術で生まれたマナの塊……そう思えば『イミティオ』だって……マナの塊だ。だから……その『事実』を知りたかった……否定したかったんだよ、俺。
クロートは考えながら、乾パンを口に放り込む。
――モウリスがいた場所には『イミティオ』があった。白薔薇の核を手に入れた【シュテルンホルン迷宮】では、無法者たちの死体が消えた……。
もそもそとして味気なく口中の水分がすべて持っていかれるような感覚に、クロートはひたすら咀嚼を続ける。
――やっぱりモウリスが……そうしたのか? 本当に?
空いた手で濡羽色に艶めく黒髪をガシガシして、クロートはようやく口の中身を飲み下した。
「人を喰らう宝箱――それを【迷宮宝箱設置人】が設置できるとしても、俺は嫌なんだよ」
「うん。私もそう思う……。帰ったらハイアルム様に聞こう。三級まで待たなくても、ここまで見たんだもん……もしかしたら」
「あー。それ、俺は行かなくてもいいかなー」
そこで片手を上げ、話に割って入ったレザ。
クロートは鼻を鳴らした。
「馬鹿言うなよ。お前も報告するんだからな! そうだレリル、こいつの『物語』も書いといてくれよ?」
******
「それじゃあレリル、最初頼む。俺が次、最後がレザな」
クロートの意見にレリルもレザも反対はない。
食事を終えて一息ついた彼らは、時間を計るための小さなロウソクに火を着けた。
それが燃え尽きたときが見張りの交代時間だ。
「じゃあ先に寝るねー。おやすみー」
ルクスを灯したまま、レザはごろんと横になるとすんなり寝息を立て始める。
「……どういう神経してんだ、こいつ」
呆れつつもクロートが壁に寄りかかって呟くと、隣に座ったレリルは苦笑してみせる。
「疲れてたのかも」
「まあ……ほとんど馬で駆けっぱなしだったしな……」
「そうだよね――アルカ、ものすごく急いでた……ふたりはそれに追い付いたんだもん。……クロートも早く寝ちゃってね。ここ、マナが普通より濃いみたいで私はなんだか元気な感じがするから」
「……」
クロートはそう言ったレリルをじっと眺めたあとで、首を振った。
「お前、それ元気なんじゃなくて気が張ってるだけだと思うぞ」
「え、そうかな……?」
「少なくとも顔色がよくは見えない。……いいか、しんどかったら起こせよ?」
クロートは言いながら片膝を立てると、頭を載せるようにして目を閉じる。
レリルは首をすくめ、小さくはいと返事をすると、ふと思い直して付け足した。
「――クロート。来てくれてありがとう。嬉しかったよ」
「……ごめんな、不安な思いさせて。心配いらないから」
クロートは顔を伏せて目を閉じたまま、ふ、と笑うと、温かくて柔らかな声音で応える。
それきり会話はなく、しばらくするとクロートの寝息が聞こえ始めた。
……レリルはあたりを警戒しながらも……温かい気持ちに満たされている自分に、満足感を覚えていた。
******
次の日の昼頃に、彼らは迷宮の最深部らしき場所へとたどり着いた。
巨大な穴の底は平らな広場のようになっており、草のひとつも生えていないようだ。
そしてその一画には、蠢く黒い影。
大きな蟹のような形をしている魔物は全部で三体。円を描くように身を寄せ、向かい合って集まっている。
それらは一心不乱になにかをしており、こちらに気付く様子はない。
胴体はクロートの半分はあり、脚を伸ばせば悠にクロートの背を超える体長だろう。
(カンケルだね。見た目からはびっくりするくらい素早いよー。一気に叩き潰そう。弱点は目のあいだ)
レザに言われ、三人は各々の剣を構えて慎重に距離を詰め――息を呑んだ。
(――あ、うぅ……)
苦しげに呻いたのはレリルだ。
クロートもレザも動きを止め、『惨状』を目の当たりにする。
魔物の黒い体の向こうに見えていたのは――貪られる肉塊と血塗れた尾。
そしてズタズタに引き裂かれた衣服と装備。
蟹型の魔物――カンケルは、ハサミを突き出しては『彼』のはらわたを、肉を、皮を……喰らっていた。
近付くと、ぐち、ぶちゅ……と、耳に耐えがたい生々しい音が聞こえ、鼻を突くのは血の臭いとカンケルの発する生臭さが混ざり合った強烈な悪臭。
あたりに飛び散った血肉は落下の衝撃によるものか。
土に染み、こびりついたそれを見て、レリルは首を振った。
吐き気と震えが一気に込み上げ、彼女の呼吸は荒くなる。
「――アルカ……」
レリルがアルカと旅した十日あまりは忙しなく過ぎてしまったが――決して悪いようにはされなかった……と彼女は思っていた。
アルカはきっと【迷宮宝箱設置人】として優秀だった……それだけなのだ。
――もし私が非マナ生命体だったとしたら、違っていたのかな……。
そう思うが、自分が死を受け入れることは『間違っている』と認識したいま、レリルはその光景を受け入れる。
彼も、死は恐かっただろう。
――逃げちゃ駄目なんだ。私が招いた結果なんだ。代わりに命を捨てることは――できないから。
「……やるぞ」
彼らに見向きもしないカンケルに、クロートはそう言って腰を落とす。
「まあ、これはさすがに胸糞悪いよねー」
レザも瞳を鋭く光らせ、双剣をシャン、と打ち鳴らした。
レリルはふたりに頷くと、自らの魔装具にありったけの思いを込める。
――ごめんなさい、アルカ。私は生きることに決めたから。
20日分です!
遅れましたが、よろしくお願いします!




