迷宮はかくありなん⑩
クロートは剣をしっかりと握り、レリルを後ろにして立つ。
ガルムの集中を妨げるわけにはいかないが、なにかあれば飛び出せるようにしたかった。
煌々と光るランプによって、前に立つガルムの影が揺らめいている。
沈黙は、一瞬。
『シャアッ!』
鋭い刃が紙を切り裂いたかのような音とともに、真っ黒な巨軀がガルムに躍りかかった。
ガルムは大剣でそれを受け止め、弾き返して大きく踏み出す。
「オォッ!」
気合を音にして吐き出しながら、ガルムは大剣を左から右へと横薙ぎに振り抜いて、剣の勢いそのままにぐるんと一回転。
流れるような動作で剣を逆手に持ち替え、再度飛び掛かったリザードラの頭に、大剣をぶち当てた。
『ジャ、ギャッ……!』
ランプの灯りの範囲から弾き出されたリザードラが、断末魔を上げる間もなく沈黙する。
――仕留めたッ!
ガルムは手応えを感じ取り、念のため確実にとどめを刺すべく踏み出そうとしたが――気付いたときには遅かった。
クロートには別の方角から飛び出した黒い影がガルムの左肩へとのし掛かったように見え、声を上げる間もなく。
「ぐあっがああぁ――ッ!」
……耳をつんざく絶叫。
弾き飛ばされるようにして通路のすぐ横の壁に叩きつけられたガルムは、大剣を取り落とす。
リザードラの巨大な口が、ガルムの左肩を噛み潰そうとしていた。
みしみしと骨が軋む音。
眼を見開き、ものすごい形相で、ガルムが歯を食い縛る。
「あ、が――ぐうゥゥっ!」
「と、父さ……!」
「ガルムさんッ!」
「来るんじゃねぇっ! 二匹――いやが……ックソ!」
ガルムは左肩に噛み付かれたままなんとか踏ん張り、右手でリザードラの頭を殴り付ける。
けれど、動かない。
その程度では、びくともしない。
「父さん――ッ!」
めきょり、と音がした。ガルムの血飛沫が、飛び出しかけたクロートの頬に飛び散る。
「がああアァ――ッ!」
再びの絶叫は、クロートの思考を真っ白に塗り替えていく。
「う、あ……いやあああぁっ!」
恐怖したのは、レリルだった。
彼女は弓を構えると、その真っ黒な巨軀へと矢を射った。
何度も、何度も、何度も。
至近距離から放たれる矢の勢いは凄まじく、また、至近距離であるが故に外れることもない。
『シャアアァッ!』
たまらずガルムから首をもたげたリザードラは、レリルへと目標を変えて――。
「うおあああぁぁっ!」
怒りで我を忘れたクロートの剣が、飛び掛かろうとするリザードラの喉を捉えた。
刃はリザードラ自身の勢いそのままに、頭へと突き抜けていく。
ズシャアァッ!
その衝撃に踏ん張りきれずリザードラとともに床に転げたクロートは、それでも剣を放さなかった。
やがて……四肢をびくびくと跳ねさせたあと、リザードラは絶命。
クロートの上で光りが弾け、核となる。
「――はぁッ、はぁッ……」
死んでいたかもしれない。
そんな恐怖は、怒りで忘れていた。
クロートは呼吸を荒げながらもすぐに立ち上がり、倒れ伏すガルムによろよろと駆け寄る。
「父さんッ……!」
「……ちきしょう、ざまぁねぇ……」
ガルムは、意識を保っていた。
噴き出す脂汗が、その激痛を物語っている。
変色し、めちゃくちゃに潰れたように見える左肩から、クロートは思わず目を逸らした。
それでもガルムが生きていることにクロートは安堵し、込み上げるものをぐっと噛み殺す。
揺らめくランプの灯りだけがあたりを照らし、ガルムの傷の状況がはっきり見えなかったことで、彼は冷静さを保てたのかもしれない。
……もう動くものはない。
甘ったるい臭いも、嘘のように消えていた。
「大丈夫、もういないはずだから……すぐにここを出よう父さん、肩貸す」
「……んなことより、早く宝箱置いてこい馬鹿野郎!」
「なに言ってんだよ! それどころじゃないだろ!」
ガルムに怒鳴り返したクロートは、駆け寄ってきたレリルが布となにかの液体が入った小瓶を持っているのを見た。
「痛みますが我慢してください! クロート、お願い、応急処置のうちに宝箱を置いてきて!」
「はあ!? なに言ってんだよ、だからそれどころじゃ……」
「置いてきて!」
クロートは、うっと喉を詰まらせたような声を上げ、ガルムの隣に膝を突いたレリルを見下ろした。
彼女は彼に目もくれず、小瓶の蓋を開けて中身をガルムの肩へと振りかける。
「……ぐ、ぅ」
呻いたガルムは、意識を手放しかけているように見えた。
どちらにしても、応急処置は必要だろう。
「……わかったよ」
初めて名前を呼ばれたのすら、気付くこともなく。
クロートは少し奥まで歩いて、両手を前に出した。
願わくば、ここに来る駆け出しの冒険者が無事にここを出られるよう。
思い描くのは、回復の道具。
万が一またあんな魔物が沸いたとしても、なんとか耐え抜けるように。
「……『創造』ッ!」
マナが集まり、形を描く。
その光が収束して弾けると、そこにはボロボロの木製の宝箱が生み出された。
「……父さんの宝箱……もっと格好よかったな……」
思わず呟いて、クロートは静かに瞼を閉じ唇を噛む。
――甘く見てた。
これが迷宮。これが――マナレイド。
……彼は己の心に刻み込み、すぐに顔を上げるとぱっと踵を返して宝箱を置いたことを報告する。
「……よくやった……それでいい……」
ガルムはなんとかクロートと視線を合わせ、ぐったりとしたままそう呟いた。
いつもありがとうございます。
よろしくお願いします!




