06. 真昼の太陽は今日も輝く
精神的ダメージから身体を引きずっていたが、何とか明珠高校にたどり着く。
眩しい夏制服、混ざる制汗剤の香り、期末テストの一喜一憂、午睡を阻害する蝉の声。
爽やかな日差しが入り込み、初夏なんて言葉が似合うきらきらした教室……そんな俺にとっての拷問空間からもおさらばだ。
期末テストでドジってしまった俺はまだ、もう少し、もうちょっとだけ、お世話になるのだけど。
赤羽根は俺に一瞥もくれず、涼しい顔。
俺としては、どう煮え湯を飲ませてやろうかと、ギスギスしたまま……要するに、いつもの通りだった。
無論、何代目かわからない校長の長話に意識が向くわけもなく、注意を促すHRが耳に入るわけもなく、俺の頭の中では今更ながら優月に対する反論がぶつくさと湧き上がっていた。
だいたい、俺と陽子は付き合ってる……ってことになっている。
俺が陽子のことをいきなり手の平返しするならまだしも、俺と優月の間には何かあったようで、何も無い。
そこを度外視にして、やれ節操なし、二股だと勘違いしてもらっては困る。
第一、おかしいのは優月のほうだ。
いい雰囲気になったら、すぐに逃げる。
変身ヒーローやらせといて冷た過ぎない?
俺は食わせる気がないニンジンを追っかけ続ける馬じゃねえっつうの。
「むしろ飢えていて、今すぐにでも食えるモンを食いたいってのに……」
チャイムが鳴った安心感のせいか、何週目かの結論の果てに、煩悩がつるりと落ちた。
あ、いけね。出たモンを拾わなきゃ。
きょろきょろすれば、陽子は大口を開けて「がはは」と、可憐な容姿に似合わぬ豪快な笑い声をあげる。
「腹減ってんだなあ。んじゃ禅兄、帰ろうぜ! ばっちゃが待ってるよ。今日は豚こま肉のからあげだってさ!」
「お、おう……!」
幸いにして、陽子には俺の穢れた思考回路なんぞ読み取っているわけもなく、その場が上手いことやり過ごされた。
学友とのしばしの別れが名残惜しいか、居残るグループをいくつか通り行く。
その傍らを、俺たちは高校三年生の廊下にもかかわらず足早に階段を下りた。
「禅兄は補習いつ?」
もはや補習アリ前提の言い草だが、あながち間違いではなかった。
「現代文の日」
おっと、言い訳させてもらおう。
平均点の半分以下が補習対象となるが、現代文の平均点数は三十五点。つまり十八点がデッドライン。しかし平均点三十五点はあまりにも低すぎるということで、急遽三十点以下は補習対象となったのだ。
なお、俺は二十九点。ひどい。
「だけ……? なんだあ、補習登校、一緒じゃないじゃん」
「うっそ! お前、現代文補習ないの!?」
「へへん、ヤマカンとオマケで三十点! 夏目漱石は中学校でもやったからな! で、補修はその他全部!」
「それはすげえな……陽子も吉宗ノートのコピー、もらっただろ? 俺にだって出回ってるのもらったんだから」
「吉宗のノート、難しい!」
秀才同級生が出回ることを承知で懇切丁寧にまとめてくれたノートだが、難しいときた。
陽子 (の学力)は、そんな感じでも有名だ。
こんな感じの、俺たちにとってはいつも通りで他愛ない話をしながら高校を出た。
見慣れた帰路も、青葉と積乱雲。
青い空に彩られた色彩に、目も心も眩む。
そんな煌きの中、すらりと伸びた手足を夏制服から出した陽子は、すれ違う男の視線を頂戴している。
まだ少女と大人の境界線上、だけど大人マン宣言をしてから艶っぽさにもほんの少し磨きがかかったようで、彼氏認定されて隣を歩いている俺からしたら優越感大盛り、いい気分だ。
その上、懐いた子犬みたいに俺の隣にいるだけで嬉しそうにするんだから……。
がばっと抱きしめて撫で回したい衝動を毎秒押さえ込んでるくらいだ。
いっそ……陽子とオトナの階段を上ってしまうってのも、アリかもしれない。
このまま優月を追いかけてたら、俺はいつ男になれるかわからない。
できれば華の十代で卒業したってことにしたいし……。
陽子のサインはハッキリしているわけだし……。
脳内天秤がそろりと傾いていた。
「禅兄さ……優月さんのこと好きなの?」
「ヒェッ!?」
「また怖い顔してた」
機を計ったかのように飛び出した言葉に思わず身を縮めながら、俺は曖昧に首をかしげる。
陽子は一瞬だけ翳りを見せた。
「だって今朝、夜這いって……ううん、アタシの勘違いだよね。禅兄がそんな積極的なワケねぇし」
「うん?」
否定するところおかしくね?
真面目とか誠実とか言い方あるんじゃね?
ひっかかったものの、俺の口からはいつも通り、しれっと言い訳が排出された。
「俺の部屋エアコンないし、蝉も怖いしで、熱くて頭クラクラしてたから、ちょっと部屋で涼ませてもらってただけだよ! なんも起こってない! なんも!」
結果的に、そうなってしまっただけだけど。
「あ、そか! 蝉、苦手だもんな! 夏は大変だなあ」
「誰のせいだよ!」
「ごめんて~……アッ! じゃあ、もういっそ、夏の間はうちに泊まれば?」
「え……!?」
「電気代もかからないし、メシだって出るし……アタシだって毎日禅兄に会えるしさ! アタシも少しは罪滅ぼしが出来るってもんだ!」
家賃光熱費無し。
メシ、俺に懐いてる美少女付き物件……だと!?
そんなん……天国じゃん。
もちろん意志薄弱な俺のことだ。
一度甘えれば快適な環境に居ついちゃうし、気がついたら冬になって、俺も陽子も無事に学校を卒業し、さらに一年か二年してばっちゃに呼び出されて「あんたたち、これからどうするんだい」って話になってじゃあそろそろですかって二人で華武吹町を出て静かな土地の安いアパートに部屋を借りつつ落ち着いたところで教会の鐘をリーンゴーンと鳴らすんじゃなかろうか。
しかし式場に現れる優月。手にはナイフ。白いタキシードは血に染まって……FIN.
「禅兄、どうしたの? 急に脂汗かいて……」
「いやあ、そこまでお世話になるのは悪いかなーって……管理人の方が何て言うかわからないし……」
「家賃払ってんならいいんじゃない?」
あと三か月分、未納でそろそろ四ヶ月目の支払日が来る。
要するに払えてない。
要するにギルティだ。
「ん……んまぁ……そう、だけど……! あー、腹減っちゃってるから、豚こま肉のからあげ、楽しみだなーッ!」
これ以上つっこまれても分が悪いのは目に見えている。
俺は盛大に話題を逸らした。
案の定、陽子はにこにこと白い歯を見せながらばっちゃの料理自慢を始める。
この雰囲気……。
俺に後ろめたいことが無くて、むしろ前向きだったら、きっともっと楽しいし、本当に何の障害もなく上手く行っちゃうんだろうな……。
そんなこんな、体感時間が二倍に膨れ上がった道のりの末、梵能寺に到着。
しかし往く手を阻んだのは、トラックとガテン系のお兄さん達だった。
木材を抱えてあっちこっち、せわしない。
境内を囲む塀の上には提灯、紅白幕やらステージやらで、浮かれた装飾があちこちに賑わっていた。
陽子はちらりと俺に視線をくれながら、小声で言う。
「明日、華武吹祭りじゃん。人の出入りも激しいし、落ち着かないんだよなあ~」
「もしかして、その落ち着かなさを紛らわすために俺を呼んだ……とか?」
「にひひ、それもある。だってあっちこっちうるさいと、逆に心細いしさあ! そういうときは誰かと一緒にいたいじゃん!」
実に素直である。
見上げる笑顔につられて俺の顔もほころんた。
そばにいて違和感がない。
陽子は俺のことを真っ直ぐに慕ってくれている。
…………。
アリ、なのかな……。
何より、はっきりしないとボンノウガーとしての必殺のビームがまた二股になってしまう。
それは今後の戦いにおいて俺の命にかかわりかねないのだ、早々に解決せねば。
そんな思惑をめぐらせる俺の腕を抱えるようにして、陽子はぐいぐいと引っ張った。
「なあ、禅兄! いつもの昼飯の時間までちょっとあるし仏殿のほういこ!」
確かにせわしない境内、裏手も人が行き来している。
だが、陽子は何か含みがあるようで、どうしても俺を仏殿に案内したい理由があるらしい。
華武吹曼荼羅――のレプリカしかないってのに。
「禅兄、いいこと教えたげるから」
仏殿――そんな神聖な場所でイイコトを教えてくれるって!?
そういう背徳的なのも大好きだ!
「断る理由がどこにある! いいことを教えてくれ!」
力いっぱい答えた俺に、疑問符いっぱいの顔で首をかしげる陽子。
あ、これ違うな。





