02. 誰が為のヒーロー-(2)
神妙な空気になる俺たちのテーブル。
対照的に正面入り口近くの席は盛り上がっているのか、笑い声と安っぽい電子音が沸いていた。
「なんだなんだ、景気いいな」
何事かと目を向けた俺の目の前で、ツラい光景が広がっている。
「フォルムチェーンジ! ギュインギュインギュインッ!」
「白澤ちゃん、素敵ーッ!」
「さすがイケメン医師ーッ!」
「今は通りすがりのヒーローだよッ!」
白澤光太郎、三十二歳。職業外科医。
俺の命の恩人で、俺だけではなく華武吹町のみんなを医療で救っている本物のヒーロー――もとい狂気のヒーロー厨だった。
彼は、サンバ衣装の緑アケミとピンクウンケミに挟まれた席から立ち上がり、謎の装置――恐らく特撮系のオモチャ――を掲げるとスイッチオン。
オモチャは派手な音を立て、節操無いカラーで明滅すると、銀色の両羽を広げてブレードの形に変形した。
まさしく小さい男のコの玩具である。
「シルバーあぁぁぁフォルムぅううううッ!」
「きゃ~! ヒーロー素敵よ~!」
「かっこいいわ~!」
「そうなんだよ、ヒーローってかっこいいんだよ~! いろんな人を救えるからね!」
「ヒーローの白澤ちゃん、ドリンクのおかわりは何にするう?」
「アイスコーヒーと、それからヒーロー!」
「はぁい、ヒーロー入りました~!」
ママは、溜息。
赤羽根は、何故か俺に舌打ち。
俺は「ヒーロー」という音が耳の中でゲシュタルト崩壊を起こし、えもいわれぬ気分に。
「アケミとウンケミ、二人揃って痔の手術したのよ。ウチ、座り仕事だしね。そしたらアレが検診代わりに居ついちゃって」
「そんなこと聞いてないし、知りたくなかった」
「アキラがいなくて静かになったと思ったら、次から次へと五月蝿いのが来るんだから……私、事務所で頭痛薬飲んでくるわ。あんたらはゆっくりなさいね」
ママの巨躯がのそりと動く。
不幸にも視線はその奥を射抜き、俺は件の白衣と目が合った。
「あ、やべ」
反射的にテーブルの下に身を隠したが……遅かった。
特撮オモチャの電子音を響かせながら、白い影がスキップ混じりに駆け寄ってくる。
「あっれー! 不良学生じゃんー! こんなテーブルの下に収まっちゃって、何してんのー? 青春しなくていいの?」
おめーから逃げてんだよッ!
なんて言えるわけもなく、俺は引きつり笑いの末に「皿洗いのバイトで……」とザ・当たり障りない返事。
「まあまあ、せめて席に座りなよ」
白澤先生に引き続き、アケミウンケミも押し寄せる。
赤羽根の隣には、緑のアケミが「禅ちゃん~このイイ男だあれ~?」と興味津々。
俺の横には白澤先生、さらにピンクのウンケミがどやどやと着座する。
こうして俺と赤羽根は、一瞬にして退路を失った
「ねえねえ、禅くん! 限定版ディスクゥー、見た?」
「いやあ、忙しくて……」
「ヒーローの活躍を目に焼き付ける以上に忙しいことって何……? 大丈夫?」
大丈夫じゃないのは明らかに白澤先生のほうなのだが、多分この人は本気で言っているし、本気で俺を心配している。
言い訳に困っていると、アケミとウンケミが「このコ、アパートの管理人のお姉さんにご執心でバイト代貢いでるの。今月のお給料だってそのまま彼女に渡すんでしょ」と話題をスッ転がす。
続いて「鳴滝、九条と付き合っているという話はどうした?」と、突然教師の目になって俺を刺す赤羽根。
極めつけに「え、二股? やるねえ、禅くん!」と大声の白澤空気読めない光太郎。
店内の視線が一斉に集まり、裏手からもママが顔を出す。
「や――家賃だよッ! 家賃払ってんだよッ! 優月さんとは、あくまでも住人と管理者の仲で……陽子とも健全な学生らしい付き合いというか――」
「なんだあ、彼女一筋なんだー! つまんないなあ」
と、白澤先生は人の話も最後まで聞かずに「でも、限定版ディスクゥー見ないで何してんの? ヒーローの活躍を目に焼き付けず何をしているの?」と話をループさせた。
この人、時空歪んでんのか?
ヒーローという単語、そして白澤先生の押しの強さに、さすがの赤羽根も状況のヤバさを察知したらしい。
何か策を考えているようだが、その視線は俺に向いておりどうやら雲行きが怪しい。
野郎、まさか口八丁手八丁で俺を生贄にして逃げようって魂胆じゃないだろうな。
顔をよーく見ると……やっぱりそうだ。
そうはさせねぇ。
口八丁は俺の十八番だ!
互いに思うところは同じか、俺と赤羽根、指刺す手がクロスした。
先手必勝!
俺は一層声を張り上げた。
「この人、恋人に逃げられて超凹んでたので、相談を聞いてあげてたんですッ!」
「――なッ!」
珍しく驚きに歪む赤羽根の表情。
へへん、人を二股みたいに仕向けようとしたお返しだっつの。
「えー! じゃあフリーってことぉ!?」
「あらあ、どんなコが好みなのお!? ここならより取り見取りよ!」
盛大に食いつくアケミとウンケミ。
「わかるー! 僕もオタク趣味だからさあ、女の子にはわかってもらえないし失望されちゃうこと、よくあるんだよねえ!」
白澤先生のはオタク趣味とかじゃなくて、熱量の問題だと思う。
すっかり話の軸は赤羽根に移って、俺はしたり顔。
まさかその鬼畜眼鏡が本物のヒーローとは露知らず、白澤ヒーローバカ光太郎はオモチャのブレードを振り回しながら熱弁を垂れ流し始めた。
「でも大事な人だから、大事なことだから、諦められない。その気持ちと向き合い、強さに変えるのがヒーローさッ!」
ジャキシーン。
ピロピロピロ。
白澤先生の手の中でオモチャが鳴り、アケミウンケミが「きゃ~! ヒーローかっこいい~!」とヨイショ。
さらに饒舌になる白澤先生。
「そうして必ず立ち上がり、諦めない者のことをヒーローと言うんだ! そう、自分を救おうと立ち上がるときでも、それはヒーローなんだ!」
白澤先生は妙に良いことを言っている気もするが、せっかくターゲットが赤羽根に移っているんだ。
今のうちに俺だけでも脱出しよう……。
そ~っと、テーブルにもぐりこんで……。
「ママ! 大変なの!」
唐突にシャンバラの玄関が開き、ケバケバしい化粧の女性――ここの従業員だろう――が見た目とはちぐはぐに低い声で叫んだ。
ゴゥッっとテーブルを下から突き上げたのは、その声に驚いた俺の頭。
「すぐ近くで暴走事故が起きてるんですって! まだ暴走してるみたいであっちこっちで怪我人が……!」
ざわつく店内。
裏手の事務所から、のっそりとママが現れる。
「まあ、大変じゃない……お帰りになるお客様は少し時間をあけたほうがいいかもしれないわね、それまではウチに――」
ゆっくりして金を落としていけってか?
商売人だなあ。
ひねくれた俺の考えとは真逆に、ピロピロ電子音を鳴らしながら白澤先生が神妙な顔つきで立ち上がる。
どーせ、ヒーローが現れるかもとか――
「僕、応急処置に行って来ます! ママさん、ツケておいて!」
言うなり、白澤光太郎医師は颯爽とテーブルを飛び越え、店を出て行ってしまった。
その去り際に、アケミウンケミは大盛り上がりだ。
「きゃ~! 白澤ちゃん、カッコいいわ~!」
「やっぱりヒーローはああでなくっちゃねえ!」
……俺はちょっとひねくれすぎていたかもしれない。
ここは大人しく帰って反省をするべきだ。
さて、帰ろう。
「で、あんたたちは?」
と、ママの目が光る。
いやぁ、事故なんでしょお?
警察に任せたほうがいいんじゃないかしら。
ね?
顔面にそう書いたのを読み取ったのか、はたまた予見していたのか、ママは俺のバイト代が入っているであろう茶封筒をひらつかせた。
「いくぞ、鳴滝」
「いやだ! 厄介ごと嫌い! 俺はエアコンがついてなくても、おうちが大好きなんだ!」
「家は家賃を払わないおまえが大嫌いだろうがな」
「うわああああああんッ!」
こうして、俺はバイト代 (人質)を救出すべく、現場に向かうことになった。
なってしまった。