01. その濃紅、なおも衣装
――煩悩。
性欲、怒り、迷い、無知……ありとあらゆる心の穢れ。
十九歳の健全男子である俺、そしてネオン街の華武吹町とは切っても切り離せない概念だ。
高校生活最後の春休み、謎の美女と出会い変身ヒーローの力を手に入れた俺は次々に襲い掛かる怪仏観音を倒して順調に街の有名ヒーローに!
……と誤魔化しを含めつつ言えば多少のカッコ良さもあるが、実際のところ俺は下心につけ込まれて変身ヒーロー「ボンノウガー」にされた。
何より、俺が手に入れた――もとい俺に寄生した煩悩ベルトだが、名前の如く煩悩がエネルギー源であるためにいちいちゲスな感情と向き合わなければならないし、気持ちは真言として出ちゃうしで怪我とか命の危機だとかに加え、社会的《死》を伴う極めてクソクソのクソ仕様。
ボンノウガーがどういう意味で街の有名人かはお察しだろう。
俺がベルトに寄生されてから、なんやかんやで四ヶ月目。
そんな語るに尽くせない不条理と不名誉に苛まれながら、なんとか鳴滝禅の日常生活を繋ぎとめている……そんな悲惨な状況だった。
その上、奔走の末に判明した事実は明るいものではなかった。
五十年前の災厄、煩悩大迷災。
優月はそれを鎮めるために華武吹曼荼羅を刻まれた贄の巫女であった。
さらに、俺の青春をドス黒く塗りつぶした《どっちかっていうと呪いのベルト》が、呪術実験の末に生まれたオカルトアイテムだった……というのも納得だ。
良縁や水商売繁栄で有名な愛染明王様の像を基に作ったって言うんだから、もうちょっと縁結びとか、恋愛とか、エロとかにご利益があっても良さそうなんだけど。
正直、こんな変身ヒーローなんて危ねぇモンはさっさと降板、残り少ない青い春を楽しみたい。
だが残念なことに、俺の青い春と変身ヒーローはあまりにも密接すぎた。
なんにせよ俺に出来ることは、南無爺から五十年前の煩悩大迷災について、優月について、聞きだすことだけだ。
優月。
輝夜優月。
贄の巫女……。
薄壁一枚向こうの彼女のことを色々と真摯に考え過ぎて、眠れない夜が続き寝不足気味だった俺。
その日は梅雨らしく、絶え間ない雨音が心地よかったせいもある。
高校生活では学生身分らしく、意識の限界を大人しく受け入れて居眠りを……
ウォッ――
「げぇっほ、ゲホッ! 巫女属性ッ!? 装束プレイはッ!?」
ピンク色から突然の暗転および覚醒に立ち上がったせいか、俺は気がついたら新たに開花した属性と夢の続きを教室いっぱいに叫んでいた。
空間に似つかわしくない棘の様な沈黙。ですよね。
自尊心を砕く視線を送ってくるクラスメイト。ですよね。
「みこ……ぞく、せい?」
隣に座る陽子が興味津々キラキラした目で問いかけてくる。ですよね。
イントネーションからすれば、天体だと思っているのだろう。
「陽子、お前は知らなくていい」
俺は今出来る精一杯のシリアスフェイスでざっくばらんに誤魔化すことしか出来なかった。
さて、一体全体どういうことだ。
机の上には二時限目に開いた数学の教科書と白いチョーク粉をほくほく巻き上げる黒板消し、教壇には赤いジャージの英語教師の赤羽根・ジャスティス・正義。
時計を見れば昼前。
……謎は全て解けた。
完全に、完璧に寝過ごしていた俺に赤羽根の制裁が着弾したってことか。
なるほどなあ、と自分で感心しているうちに「おはよう、鳴滝。いい夢でも見ていたのか」なんて無機質なご挨拶と共にジャキッと赤羽根の指の間で真新しいチョークが三本ほど装填される。
恐ろしさのあまり、俺は率直に応えた。こういうときは素直が一番!
「隣に住んでるお姉さんの巫女装束に縄が食い込んで宙吊りプレイを楽しんでいる夢を見ていま――」
次第に鋭く締め付けてくる眼光に容赦は無く、白い弾丸は無慈悲に解き放たれていた。
物理演算が狂っているとしか思えない衝撃が俺の顔面を襲ったかと思うと、身体は錐揉み状態で掃除用具の入ったロッカーに激突。
気がついた頃には鉄の箱を抱きかかえながら床に倒れていた。
「起きたか?」
冗談抜かすな、どういう力でチョーク投げたらあんな脳震盪寸前の威力で着弾するんだ暴力教師! 俺とチョークに謝れ! チョーク作ってる人にも謝れ!
……と言いたいところだったが、殺し屋のような目で真上から見下ろしていた赤羽根にさすがの俺も返事を選ぶ。
「いい夢かどうか聞かれたから、どんなにいい夢だったのか答えたんじゃんッ! 素早く五秒以内に!」
「ならば寝ていていいぞ」
「そいじゃお言葉に甘えて」
赤羽根も寛容になったなーと、そんなはずもなく赤いジャージ生地が目の前を通ったと思うとその腕に締め上げられる。
やばいと思った瞬間には呼吸が妨げられ頚動脈に圧がかかった。
これは……!
「直々に静かにさせてやる」
「――ッ!」
赤羽根の野郎、チョークと居眠りでチョークスリーパーとは面白いことを考えついたもんだははは白いといえばだんだん目の前も白く――!
「ギブ……ギブ!」
「あ? なんだって?」
「んごッ」
助けて、PTA! いや、レフェリー! セコンド!
誰でもいい、タオルを投げてくれ!
目の前が白く塗り潰された丁度そのタイミング、肩から上に血の気が走り、脳が呼吸を取り戻す。
粗雑に放られて床に打ち付けられた身体側面の痛みが眩んだ意識を現実へ繋ぎとめた。
生かさず殺さずとは……赤羽根・バイオレンス・暴力ここに極まれり。
「禅兄! 大丈夫かよ!」
幼馴染――陽子のすらりとした健康的な足が目の前に着地、同時にスカートがふわりと浮かんで――やっぱりな、今日もブッターさん! という感じで痛みはすっかりピンク色に塗り替えられた。めでたしめでたし。
一つ言わせてもらうと。
「陽子……カワイイより直接的なほうが良い」
「まだ錯乱してるのか? ほら、深呼吸して! 頭に酸素を送るといいんだって!」
「違う、俺はわかりやすいエロのほうが良いんだ!」
「いつも通りだな! 良かった!」
そうこうしている間に、赤羽根は教壇へと戻って教科書とチョークを構え直し冷たい一言。
「阿呆のせいで時間を無駄にした。教科書を開け、二十六ページだ」
そんでもってクラスメイトも「またか」という空気。
同情してくれる陽子が天使のように輝いて見えるわけだ。
「ったくよぉ、デコ痛ぇな……あいつ、人間離れしすぎだっつの」
「未来から来た殺戮ロボットみたいですげーよな! あ、禅兄。これ落したよ」
「うぅおお、さんきゅー……」
そんな天使陽子が差し出したものを何の疑いもなく受け取り学ランのポケットに入れ……かけるが、飛び込んできた文字に目を見張る。
あちこちが擦り切れ毛羽立っていて年代モノと窺えるその朱色のお守りには、金糸で輝夜神社と縫い込まれていた。
これ、俺のじゃねえけど……?
そんで陽子のでもなかったら……?
つか、輝夜神社って……煩悩大迷災のときに潰れた優月の神社だ。
つまり、五十年前以上前のもの。
てことは……優月!
俺の身を案じてそっと忍ばせてくれたのか!
口先の凶悪さは相変わらずだが、なんだかんだで心配してくれてるもんな。
まったくあのツンデレは受身なんだから。
しょうがないやつだ、そろそろ俺も強引で男らしいところを見せて巫女装束プレイで……。
略。
何はともあれ、南無爺ももうちょっとで口を割りそうだし、俺が唯一の理解者ともあれば優月がデレるのは必然。
俺のお子様卒業もこの夏には果たせるかもしれない。
いや、果たす!
弾んだ気持ちで内ポケットに入れ、鼻歌半分に席に着く。
どういうわけか、カカカッと俺の机にチョークが刺さった。
「邪念を放つな」
「何でそんなことまでわかるんだよ、お前はッ!」