華武吹町の女王-(2)
「優月さーん、優月ー! ゆぅづきちぃ~」
ヤケクソ半分で望粋荘管理人室のドアを叩くと、明らかに加害意思がこもった勢いで扉が開いた。
「あぶね!」
「妙な呼び方をするな」
掃除中だったのか、ハタキを持ったエプロン姿の優月。肩のあたりで髪を結わいて、生活臭が濃くなっていた。
「大福買ってきたから、一緒に食べようと思って」
「……は?」
色気の無い返事をして目を白黒させる優月。
そりゃあそうだ。
あれだけのことがあって、いきなりサヨナラ宣言されて、なんだかんだで日常に収まってしまったのだから。
俺と顔を合わせることだって気まずさ満点だろう。
だからこそ、距離感を修正したいという思惑があった。
当然、いつものように下心もあるけど。
「華武吹町は獅子屋の大福有名なんだよ。買うのに一時間並んだんだから」
優月は口を半開きにしながらぶら下げたビニール袋に視線を下げる。
チラシが見えたのか「みかん大福……!? 期間限定!」と食いつきわかり易く呟いた。
そして彼女は唇が表してしまいそうな表情を噛み締め、上目遣い。
懐かしさに胸を打たれ、すぐにそれがあの晩に似た表情だと思い至る。
少し怯えるような、信じようとしているような。
「…………」
様々な思案を重ね、表情をすっとぼけるように変え、優月はとうとう「お茶、淹れる」とぼそぼそ呟いた。
右に左に、廊下を警戒すると入り口を譲る。
俺はさっとそこに身を滑らせてから、ふと悪いことをしているような気がして、そそくさと扉を閉めた優月に振り返った。
彼女も同じ気分か視線を合わせず、ただ耳の先を赤く染めている。
「どけ、邪魔だ」
乱暴に押しのけられるがまま卓袱台前に着座。
気が付けば以前同様にきょろきょろと室内を見回していた。
俺の挙動は前回と変わらず、女性の部屋に上がりこんだ童貞男子のような――というかそのものだった。
部屋の中は変わらず、質素と貧乏そのもの。
大家のばあさんが残していった家具もあるので、俺よりは物持ちが良いようだけど。
「安心しろ、お茶くらい淹れられる」
俺の落ち着き無い視線を勘違いしたのか優月はわざわざ不穏な宣言をした。
自分が料理下手な自覚が芽生えてきているのかもしれない。
そらまあ、現代語やカタカナ語を知ったかぶって強行しているのだから上手くいくはずが無いわけで。
「大丈夫、期待してないから」
「……くっ」
小さな台所に立ってヤカンを火にかけた優月の華奢な背中を見て思い出す。
金も無いし、世の中のことは知らないし、金銭感性は五十年前のままだし、ネオン街華武吹町で生きていくのには弱すぎる。
そんな彼女の、だぼついたダサいトレーナーの下には……禍々しい華武吹曼荼羅が咲いているのだ。
「……すまない、迷惑かけて」
「迷惑……?」
聞き返すと滑車がすべるように優月は言葉を巻き上げた。
「あの……っ、五十年前のことも突然白羽の矢が刺さったような話だったし、ええと、私が目覚めたときは意識がはっきりしないまま必死にもがいて走っていたらコート一枚で街中に出ていて……!」
「ゆ、優月さん、落ち着いて」
「あ、ああ……私は……! 私も、実は良く……いや、何も……わかっていないんだ。役立たずで、すまん……」
俺がわかったのは、優月に料理と祭政などは無理だということだった。
オカルト呪術にかまけた兄は、無責任にも難しいことを優月にブン投げたが、彼女にその知恵も経験もなく、ただ出来たことは虚勢を張ることだけ。
彼女は牢の中で、降りかかった悲劇を恨むではなく、自分の態度と無能を責めていた。
自分を責めていた。
そのまま封じられた。
こんな空気を変えよう。
率直な意見を茶化すように言う。
「優月さんがポンコツなのは今に始まったことじゃないし」
「……そうか」
「よし来い! 蹴りか? パンチか? チンターマニ二個分、チンターマニ二個分ッ強化された今の俺には、お前の蚊トンボのような攻撃なんて効かないぜえ?」
「…………」
「……遠慮すんなって」
「気分じゃない」
ひとまず小さな卓袱台の直角位置に着座した優月は頭を垂れたままだった。
愉快な空気にしてやろうという俺の気遣い空しく――俺が滑ったわけではない――反省するようにぽつぽつと言葉を落とす。
「その上、お前がベルトに適合してしまったのは私のせいだ。私はどこかでお前と豪を重ねて甘えてしまっていた。そんな資格は無かったのに……勘違いも甚だしいイヤな女だな。お前にはいいヒトというものがいるわけだし、私のために危険な目に合うのは不本意だろうに」
なるほど、と俺は手を打った。
素性をまったく話してくれなかったのは巻き込むまいなんていう、優月なりの配慮だったということか。
意外と健気というか……一人で背負い込んでしまうタイプらしい。
それならば、と挙手。
「そ、そのことなんですが……陽子とのチッスは事故みたいなもんでして……」
すまん、陽子……!
でも俺はウソを吐いているわけではない!
「沙羅の胸を揉んだというのは……?」
「そぉッ!? それも事故……かなあッ!?」
沙羅ァッ!
尻も口も軽いあんのド畜生ッ!!
CEOの埋め込んだ時間差攻撃のせいで完全に動揺してしまったが、優月は「……そうか」と言葉を鵜呑みにしたようだった。
「私とは……起こっていないな、事故」
そんなことないけど。
素直に言いかけて俺は口ごもった。
耳と頬に茜が差して唇に指を当てる優月。
なんかこう……そういう事故を期待している……でいいのか?
…………。
いいな。
いいよな!
優月の生態として……まずはちょっとした収穫の話をして、優しい言葉をかければ……間違いなくデレる。
「実は、五十年前に詳しい人から聞いたんだ。地主の輝夜神社のこととか、優月さんがそこの巫女さんだったってこと」
「……そう、か」
「やっと目が覚めて五十年経ってたなんて……ちょっと残酷すぎるよな」
「禅……うん。そうだな……何度も言わなくて、巻き込まなくて良かったと思っていたが……お前は自分勝手な男だものな。手紙も勝手に見てしまうし……私が意固地になっても、無駄だったものな」
想像以上に柔らかな反応を示した優月。
憂いを帯びた薄暗い流し目に、俺の全身 (特に下のほう)が熱を上げる。
後一押し。
焦りを抑える。