エピローグ 三途に揺れる花のように
夕刻の公園。
三度目の逢魔が時。
沙羅からの電話で金銭的な夢が潰えた俺は、皮肉にも「LOVE&LIVE」とプリントされたダサいトートバッグを持って、南無爺の座るベンチ前に到着した。
この爺さんにタッチダウンするまで、とにかく長かった。
バイクに轢かれたり、優月が望粋荘から出て行こうとしたり、怪仏観音が現れたり……。
そのすったもんだの末に、沙羅の協力を得ることが出来たのだけど。
俺が断りなく隣に座ると、南無爺は俺が何を聞きに来たのかわかっているようで、軍手に包まれた両手でペットボトルを強く握り締めた。懺悔に指を組むように。
「愛染明王が認めし者、か……」
「あいぜん、明王?」
南無爺はぼさぼさの白髪から覗く目を瞑り、恐れるように身を縮めていた。
楽しく昔話って雰囲気じゃないことは確かだ。
「五十年前。ある男が煩悩大迷災の予兆を察知し、それを止めるため梵能寺に祀られていた愛染明王像と不動明王像から二つの丹田帯が作った。愛染明王像より作られたのが鬼……お前の丹田帯じゃ」
「……丹田帯……それってベルトのこと?」
「そうじゃ」
つまり?
煩悩ベルトは、梵能寺にあった愛染明王像から作られた?
煩悩大迷災以前の梵能寺は二つの明王像が有名だったらしい。
陽子の話では二つの明王像は煩悩大迷災のときに失われてしまい、今では華武吹曼荼羅しか残っていないそうだ。それもレプリカなのだけど。
「その男の名は、輝夜雪舟。華武吹町の土地の持ち主、輝夜神社の神主だ。その実はオカルト呪術にのめりこみ、妹に祭政全てを押し付けたろくでもない道楽者だった……」
神社の神主が、寺の明王様を呪術の道具に使うとはなかなか罰当たりな話だ。
俺は身を乗り出して南無爺の表情を探ったが、ぼさぼさの白髪からは何も読み取れない。
「煩悩大迷災を回避しようと雪舟の手により呪術の力で二つの丹田帯が生み出されたが、適合者が現れず使い物にならなかった。結果、雪舟の妹巫女は贄として封印された」
贄……。
巫女……。
「もしかして、その巫女の名前……」
「輝夜優月じゃ」
突拍子も無いオカルト話のはずが、不思議とすんなり頭に入ってきた。
優月が墓地で話した内容と繋がっていたからだ。
災厄を止めようと兄はベルトを作った。
しかし適合者が現れず、やむなく妹巫女が贄となった。
巫女は五十年後に目覚め……それが優月。
どこがファンタジーでどこが事実なのか切り離そうと必死だった。
結局、全部が事実だと南無爺の表情が物語って、俺は言われたことを頭で飲み込むしかできなかった。
「お主、怪仏観音も優月も知っているのじゃな。優月は目覚めたのか?」
とっ散らかった思考の中で慌てて頷くと南無爺は丸まった背中をさらに丸め、空のペットボトルを膝に置くなり両手で顔を覆う。
「まさか適合する者が現れるとは……すまなかった……すまなかった……愛染様は華武吹町を見捨ててはおらんかったのだな……」
そして南無爺は嗚咽を垂れ流すだけになった。
咆えるように啼く老体に詰まった情報をどうにか聞き出そうと、俺は逸る気持ちを押さえつけながら待った。
しわがれた声は震えたまま、なんとか言葉を唇から零す。
「……喋りすぎてしまったわい。鬼よ……この街はお前が思っているよりも、ずっと恐ろしく、穢れた場所じゃ……」
「だからこそ知りたい。煩悩大迷災は優月に押し付けられただけで、まだ終わってねえってことだろ? 何が起きたんだ、全部教えてくれ!」
俺は待った。
長く、長く。
日が沈む。
しかし、答えは苦い。
「すまんが今日のところは帰って欲しい……ワシに時間をくれ……」
いつまでも、この年になっても、南無爺と呼ばれてる今でも……手を合わせて謝り続けているこの爺さんに、俺は苛立ちながらも踏み込むことが出来なかった。
ダサくて生活感さえあるトートバッグを持ち上げる。
あっという間に陽は暮れていた。
夜空は晴れているのに、ネオンの光が乱痴気に食い込んだ。
愛染明王から作られた煩悩ベルト。
五十年前の災厄を刻まれた巫女――輝夜優月。
そして。
もう一つの不動明王からなるベルト。
俺の前に現れたジャスティス・ウイング。
月明かりは未だ冴えない。
*
――鳴滝禅が公園に到着するしたと同時刻。
「ベルト所持者同士が接触したか。結託されては困るな」
黒い円卓、頭上から降る無機質な光。
六つの席は四つだけ埋まっていた。
「我ら曼荼羅条約組織のためにも、華武吹町のためにも、危険の芽は早く取り除くべきですわ」
「その為には、先日ここで啖呵をきった剣咲組の若いのも……近いうちに始末しなければねえ」
着席者の服装はまちまちだったが、三人は五十をとうに越えた老人だった。
「早まるのはいけません。今、ベルト所有者と敵対するのはいかがなものかと」
「ずいぶんと肩を持つな、風祭」
風祭タクシー組合頭目は穏やかな営業スマイルを浮かべる。
「利用価値もあるはずです」
「情報網を握るお前だ、ベルト所持者の正体を掴んでいるのか?」
「…………」
五十年前の災厄を目の当たりにした面々と二代目の風祭では立場に差があった。
仕立てのよい背広に眼帯をつけた老人、双樹コーポレーション会長。
うぐいす色の着物に身を包んだ老婆、吉原遊女組合、組合長。
恰幅の良い人の柔和そうな老白衣、三瀬川病院、院長。
実質、華武吹町を支配してきた重役の目は冷たく刺さる。
「……いえ、恐れながら」
風祭の黙秘の意味を悟ったか、双樹コーポレーション会長は仰々しく唱える。
それはまさしく、警告であった。
「我々が煩悩大迷災を止めた、歴史にはそう刻まれたのだ。我々は華武吹町の救済者である。それを覆されてはならん」
<第三鐘「煩悩白書」をもう一度・終> To be Continued!





