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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第三鐘 「煩悩白書」をもう一度
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12. 君想う、故に我在り

 春先の暖かい西日が射す中で、優月は静かにその墓前に手を合わせていた。

 長く、長く。


 望粋荘にやってきた日に着ていた白いワンピース。余所行き用の化粧。

 清楚なソレとは裏腹に、しみったれた顔をした俺が案内したのは梵能寺の墓地だった。

 彼女の浮かれていた足取りは察した途端に引きずるように重くなり、久々に見た温かみのある表情は次第に熱を失っていった。


 百は並ぼうという墓石の群、隅っこにもかかわらず鳴滝豪(オヤジ)の墓は立派なものだった。

 街では有名人だったオヤジだ。あっちこっちが金を工面してくれたという。

 俺さえ滅多に足を運ばない墓前は今も綺麗に整えられていた。

 その一方で墓石の裏には小振りの菖蒲が健気に揺れており、足元に眠るブ男のおっさんにはあまりにも似合わず笑いを誘う。本来なら。


 ようやく彼女の唇が動く。

 遅くなってすまない、と。


 優月は立ち上がり、遠く建ち並ぶ高いビルを見やりながら長く息を吐いた。

 一歩下がったところに立つ俺と沙羅に向き直ると、不器用に、賢明に、唇で弧を描く。

 暖かくも強い風が吹いて、彼女の髪をなびかせていた。


 オヤジの墓の存在さておき、罰当たりにも俺はその姿にさえ、やっぱ美人だなあ、なんて気持ちを抱いていた。


「なんとなく、わかっていた」


 嘘をつけ。

 行きがけに「どんな年の取り方をしているだろうか」なんて言っていたくせに。


「だから、平気だ」


 何の説得力も無い。

 瞬きの多い瞳では。


「優月さん。俺……鳴滝豪の息子で……鳴滝禅、です」


 二ヶ月を経ての自己紹介。

 優月は多分知っていて、俺も優月が気が付いているとわかった上での。

 もっといいタイミング、いい形があっただろうに。


 優月は晴れやかに、力なく笑った。

 それはきっと、己への嘲笑だったのだろう。


「そうか五十年……だったな。そんなに、経ったか」


 優月の言葉に沙羅が身を乗り出す。


「優月様」


「良い。下がって()れ」


 尊大……いや、高貴な身分を醸す凛とした口ぶりに、超悪い女ボスの沙羅さえも一瞬の戸惑いを見せて唇を結ぶ。

 恐らく、これが本当の優月だ。


 優月と鳴滝豪、そしてベルトのつながり。

 それは存外、さらりと語られた。


「私は災厄を鎮める(にえ)として選ばれ、曼荼羅を刻まれ……ベルトと共に目覚めがあるかもわからぬ眠りについた。時間ごと封じられたというべきだろうか。五十年前の話だ。ベルトも曼荼羅も……それに、私もこの街にとって必要のない――それどころか背中には何かが蠢いて……私はきっと煩悩大迷災そのものだ」


 贄。

 五十年前。

 時間ごと封じられた。

 華武吹曼荼羅。

 優月は――煩悩大迷災。


 理解が追いつかない。

 いや、受け入れたくなかった。

 五十年前、災厄の器として封じられていた贄だなんて。


「豪は街でも有名な悪ガキだった。私が幽閉された牢の小窓を見つけ出し、話しかけてくれた。その時の豪は子供で、寺の果樹からみかんを盗んだといっては投げ入れてくれたな。それから……一緒に逃げよう、そう言ってくれた。私もベルトを託すなどと……私自身が期待した故にそんなことを言ってしまった」


 どちらも叶わなかった。

 そして、すれ違うようにオヤジは死んで、優月は目覚め……何の因果か、息子の俺がベルトに適合した。


「ベルトはともかく、私はそんな身体だ。豪……それに禅、私の運命(さだめ)に巻き込んでしまって、すまなかった。こんなことを言えた義理ではないが――」


「優月さん、俺は!」


「――お前が、ベルトの適合者で良かった……私はそれだけで十分幸せだ」


「嘘つけ! 昨日ゲロぶっかけたときにお前なんて言ってたか俺は覚えて――!」


「禅」


「…………」


「感謝、する」


 かつん、と今では履きなれたヒールの音を鳴らして優月は颯爽と俺の横を通り抜ける。

 長い黒髪の香りだけが残っていた。


 ちょっとまってくれ、俺は何も理解できていない!

 追って体を翻すも、息を合わせたように沙羅が立ちふさがる。


「気は済んだ。双樹の者、後は任せる」


「……そう。各員配置に。車を寺の前まで」


 どこか近くで監視していたのだろう、黒服の男がさっと優月に駆け寄って案内する。

 優月は名残惜しさもなく、後ろ髪も引かれずに俺の視界から逃げるように建ち並ぶ墓石の向こうへ消えていった。


 なんで?

 どうしてこうなっちゃったんだ?

 何がいけなかったんだ?


 わからないまま立ち尽くしている様子を見かねたのか、それとも自らの仕事終えて安堵があったのか、沙羅は大胆に開いた胸元に手をやりながら息を吐く。


「封じられていた優月様の身柄は、ずっと曼荼羅条約が管理していた。元いたところに戻るだけよ。そんじゃ、禅ちゃん。沙羅も行かなきゃ」


「あ、沙羅……」


「ん?」


「会いに、行っていいんだよな……?」


「……ん~、それは優月様のお望みのままかなあ」


 沙羅はニヤァとチェシャ猫笑いをして覗き込む。

 きっと俺を見透かしたのだろう。


「てかさ、禅ちゃんさあ~」


「だって、急にいなくなるって言われても寂しいじゃん!」


「まだ何も言ってないんだけどお?」


「忘れ物とか、気に入ってる服とかあるかもしれないしさ。あと……そうだ、獅子屋の特選いちご大福とかさ、俺持っていくよ」


「……優月様が望んでいれば、ね」


「……沙羅?」


「んもう~! 妬いちゃう! だから沙羅にしておけって言ったのに」


「え? 嘘っていってなかった?」


「そだよー。嘘だよ。嘘つきの嘘だよ」


 冗談めかして言い残し、沙羅は大股で去っていった。

 やっぱり、双樹沙羅は変わらず、俺の知っている気まぐれで強欲な女のままだった。


 超イーヴィルな女ボス。

 貫禄あるその後姿を見送る。


 それから。


「優月さん……優月……」


 本当に、行っちゃったのか。

 最初に会った晩のように、振り返りもせず。


 なんだよ。

 感動の抱擁くらいあってもいいのに。

 冷たいな。


 しばらくの呆然。

 しばらくの感傷。


 すっからかんになってしまったゴールデンウィークの予定を強引に埋めるとすれば。


「ズボン、買うかなあ」


 必要なのは、ズボンだけじゃないけれど。


 ふと内ポケットに手を入れると、思っていた紙の束とは別に、薄く安っぽい感触にあたる。

 引き出してみると、茶封筒が入っていた。


 封筒に古風な達筆で「明日読んで下さい」と書かれていたが、俺は親切に優月の指示を受ける気分じゃなかった。


 愛の告白なんかじゃないんだろ。

 どうせ、馬鹿とかみかん缶持って来いとかそういうのだろ。

 陽子とのこと、勝手に想像してチクチクねちねち言いやがるんだろ。


 封を開き紙を引き出す。

 そこに綴られた言葉は、便箋の面積の割りに文字数は少なかった。


『やはり逃げきれませんでした。

 私は災厄そのものです。これ以上、誰にも迷惑がかからないように、私はもう一度、眠りにつこうとおもいます。双樹もそう手配してくれるそうです。だからもう目覚めず、永遠に誰とも会うことはありません。

 幸せな時間をありがとう。さようなら。それから騙すようなかたちになって』


 すまなかった、という文字は塗り潰され、その横にたどたどしい線で、


『ごめんね』


 と短い文章は結ばれていた。


 俺は震えた声を漏らし、文字を滲ませる。

 優月は願っていた。

 沙羅は知っていた。

 やっぱり女どもであれこれ隠して、俺を蚊帳の外にしやがって……!


「マジ、ウケる」


 ウケないよ。


 ギリギリと、歯を食いしばるようにベルトは唸りを上げる。


 そうだな……。

 そうだ。

 欲望を押さえ込んでどうする。

 俺の、優月に対する《煩悩》はまだ終わっていない。


 この悶々とした気持ち、一生押さえ込んでいられるか?

 ――いいや、無理だ。

 そんな不自由や胸クソの悪さを抱えて背負って生きていけるほど、俺は強くない。


 答えが出ると同時に、俺はその力にコーティングされていた。

 この力があれば、優月を乗せた車に間に合うはずだ……。

 怪仏観音相手じゃなくても、私利私欲のためでも力を使わせてくれるなんて、さすがは煩悩(・・)ベルトちゃん。気前がいいな。


 ベルトちゃんの粋な計らいを受けた俺は、気の早いネオンが灯る街へ駆け出した。


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