08. 酒と泪と男と女
「ゆづきちやめて沙羅にすればいいのに」
ブッ。
レジ前でもらったガムを二、三回噛んだところで俺は吹き出した。
会計後に珍宝と優月がトイレに行き、店の前で待っている最中だった。
電柱にもたれて煙草をふかし始めた沙羅。
メンソール系だろうか、細い煙草の先端にルージュが残る。
明るくて可愛らしかった沙羅。
ずいぶんと絵になる女傑になったな。
戦う女、頼れるお姉さん……って感じだ。
そう思っていた矢先である。
少し酒が入っているせいだろう、沙羅は不貞腐れた少女の顔になって先の通り、爆撃発言を口にしたのだった。
さらに続ける。
「沙羅はお金もあるし、頭もいいし、このとおり可愛いし、センスだって抜群。身も心も幸せにしてあげられるんだけどなあ」
何を言ってるんだ、こいつは。
いや、何を仰っているんだ、このCEOは。
俺が同意できたのは、その巨大な乳は確かに可愛いということだけだった。
「禅ちゃんは、初めて沙羅に抵抗したヒト。手に入らないものがあるって教えてくれたヒト。だから今の沙羅があるし、日本に戻ったら禅ちゃんが褒めてくれるって思ったら結構辛いことも頑張れたし……沙羅はいつまでも禅ちゃんが大好きよ。I Love You」
「……え?」
「ゆづきちは好きになっちゃダメな女なの。沙羅にはわかる。だから沙羅にしよっつってんの」
「ちょ、ちょ、と待ってく、れ。どうしたんだ突然。何か悪いものでも食べたのか!? 小麦粉が乳に合わなかったとか!?」
沙羅の肩を揺さぶると、その巨なる乳がばゆんばゆんとライダースーツの中で暴れまわって、俺は結果的にバストに声をかけていた。
「沙羅の本体はおっぱいじゃないのっ!」
フッと紫煙を吐きつけられて、俺はようやくコバルトブルーの目に視線を合わせる。
「はン……嘘。ゆづきちが嫉妬してて面白いから、邪魔してやりたかっただけ。沙羅は人のもの欲しがる強欲嘘つきだから」
「……あ、そうですか」
「沙羅はもう、おセンチな気分で双樹の使命を捨てるような女じゃないのよ」
「そんなこと言ってると、誰も信じてくれなくなっちまうぞ」
「信用よりも使命をとる、沙羅ってば強い鋼の女だから、ひとりでどうにかなっちゃうの」
「そりゃまあ、貫禄あるけど……」
歯切れの悪い俺の返事で上機嫌になり、沙羅はぷかぷかと紫煙を吐いた。
それからさほども待たぬ間に店から珍宝と、足元がおぼつかない優月が出てきて、沙羅は火をつけたばかりのタバコを店前の灰皿に投げ入れると、さも当然のようにがばっと優月に抱きついた。
「じゃあ、沙羅はゆづきちを幸せにする! ゆづきちの身体を幸せにする! おっぱいをよこせ!」
「やめろ、そんなとこ触るな!」
沙羅の指が食い込む深さをしっかり確かめる俺。
着痩せしているが優月は意外とある。
エロい感じに戯れた後、優月は魔の手から抜け出して回り込んで俺を盾にした。
このまま黙って見守っていたかったのだけど……残念だ。
沙羅より俺のほうがマシってことは相当苦手意識を植え付けられたらしい。
と、気がつけば珍宝と沙羅は息を合わせたように夜道を歩き出しており、俺はぐてんぐてんに酔っ払った優月を押し付けられていた。
「……おい」
「……はい」
下心半分、面倒臭さ半分。
複雑な気持ちで尊大モードになっている優月に肩を貸した。
*
深夜に近い時間の華武吹町。
ネオンは煌いているが繁華街から遠いここ、三丁目通りは静まり返っている。
「飲ませすぎちゃったあ。悪いことしちゃったね。メンゴメンゴ」
「アルコールハラスメントっすよ~」
「だってえ、ゆづきちがムキになって飲むから面白くなっちゃってえ」
相変わらず軽い調子の沙羅。
その被害者である優月はほぼ自立がかなわず、その頃すでに肩を貸すどころか俺は半ば背負っていた。
確かに優月は沙羅の言うことを片っ端から否定していた。
沙羅が白と言えば黒、右と言えば左。そして間違っている自分を誤魔化すために飲んで、このざまだ。
「……禅」
酒くさっ。
酒樽担いでるみたいだ……。
しかし意識は一応ある。
飲まされたとはいえ、結構、酒強いな……。
「降ろせ……」
搾り出すような熱い声が耳を掠めたが俺は相手する気なく担ぎなおす。
とはいえ、優月の身体をこんなに近くに感じたのは、久々だった。
最初に出会った晩は、負ぶってシャンバラまで歩いたっけ。
あのとき優月は……ノーパンだった。
あとは……特に覚えていない。
「禅、降ろせ……イヤ……だから」
曼荼羅のことで距離をとりたい。
優月はそう思って突っぱねているのか。
いや、そもそも心底幻滅されているのかも。
俺にはわからない。
ただそんな言われ方されては、俺だってささくれ立った気持ちにもなる。
「……はいはい。俺じゃイヤだね。珍宝に代わってもらうから」
一旦、優月を降ろす。
アルコールハラスメント先輩の愚痴、手持ち花火を向けてくる同僚の奇行話、プロレス談義と話題を移ししながら先を歩く沙羅と珍宝に声をかけようと――寸前で俺は躊躇った。
こんな静かな住宅街で「ちんぽう、いかないでくれ」と大声で呼びかけることに。
「無理だな」
その間に、地べたに座った優月はぐずぐずと鼻を鳴らし袖で顔を拭う。
声を堪えたかと思うと、子供のように嗚咽を垂れ流した。
「ぁぁああっ……イヤな女っ……私なんて、ここに捨ててくれっ……喋るゴミの日までここにいる……! でなければまたゴミ箱に入っておく……!」
「あー……優月さん、喋るゴミの日は来ないから。ゴミ箱も入らなくていいから」
ああ、なるほど。
典型的泣き上戸な上に、沙羅のねちねちとした責めが効いたのか。
それから必死に抵抗したが飲まされた酒が回って支離滅裂に沙羅を否定していたわけだ。
自分を守る事もできない上に、強がることさえ下手なんだから。
それなのに……。
こんな弱っちい女があの禍々しい曼荼羅を一人で抱えてるだなんて……。
彼女に、何があったんだ。
「禅……最後に、言わせてくれ……」
「何、最終回みたいなこと言ってんの」
優月は俺のベルトのバックルを掴むとそこに額を預ける。
「お前が、ベルトの適合者で良かった……本当は、一緒に……逃げてしまいたい……」
ちょっと待った。
何か良い雰囲気になりそうなことを言っているようだが、その姿勢はマズい。
俺にだってわかる。
「優月さん、どこに顔を……っ!」
酔っ払って彼女の熱い吐息が、容赦の無く俺の最重要ポイントを襲っていた。
せめて今後のために光景だけでも目に焼き付けて――
「禅ちゃん、どしたのー?」
――やっぱりな!
このタイミングで沙羅と珍宝が引き返してくる。
最悪だ。
「大丈夫っすか、ゆ――道端で何させてんすかッ!」
後ろから見たらそうなるよね!!
違うんだって!
手前では優月が状況をわからぬまま、シリアスなことを呟き続けいていた。
「禅……お前を、鬼にして……すまない……すまない……」
鬼……?
何のこと?
ボンノウガーのこと?
「禅くん、見損なったっす! 警察いきましょ!」
「違うって!」
「禅ちゃん、それはマジ無いわぁ。沙羅でもやらないよ」
「だから違うって!」
確かに熱っぽい吐息とか声とか、ちょっと想像するものもあって、戦闘態勢になっちゃってるけど――!
「んヴッ……」
「ん?」
ぐいっとバックルが引っ張られたと同時に、俺の熱い下半身がさらに生暖かいもので包まれる。
びたたたたた、と腿、膝、すねに落ちていった。
「ぉ、おおぉヴろぇええ"……っお、ぉぼえぇっ……」
「え」
どういうわけか、優月は俺のズボン、そしてパンツをひっぱり、その中に――ビールと、先ほどまでお好み焼きだったもんじゃを、盛大に吐いていた。
「ウヴわぁぁぁぁぁあアアアアアアアッッッ!!」
近隣の皆様には、深夜にお騒がせして大変ご迷惑をおかけいたしましたが、どうかこの気持ちをご理解いただきたく存じます。





