06. 穴にでも入ってろ、ブス
すっかり陽は沈み、節操無い配色のネオンが輝く時間になってしまった。
「禅ちゃんが住んでるところ、楽しみだなあ!」
「今なら引き返せるぞ! 引き返そう! ね!」
「大丈夫だって、沙羅は海外の汚い宿屋だって慣れてるから」
剣咲組の追っ手を露払いした後、沙羅はどこかに連絡をつけ、情報操作だとか、バイクの回収だとか、あれこれと指示を出していた。
恐らく双樹コーポレーションだろう。
その姿だけであれば、まるで映画に出てくるヤリ手女スパイさながらだった。
各所に金を握らせた情報操作の末、俺と沙羅はラブホテルにしけ込んでいるということになったらしい。
……何ヶ月か前にどこかで聞いた話だ。
「それに、今頃むさくるしい男たちが躍起になってラブホテル街を巡回してるわけだしさ。もしかしたら駅前のビジネスホテルにも行ってるかもしんないし? 住宅街方面のが安全でしょ」
ということで、反論も出来ずノコノコと沙羅を連れて帰ることにした。
同室。同衾。薄い壁。
当然、隣の部屋には優月。
脳内で明文化される以前に事故が起きることは明白。
俺は自らの身を守るために大玉メロンを一度見送ることとなった。
乳を揉むにも命と言う玉あってこそ。
残念だが俺は珍宝の部屋にでも邪魔すればいいだろう。
そして同時に、南無爺から話を聞いて優月とTogetherという計画はお預けになったのだ。
一兎しか追ってなかったのに横から衝突してきた二兎目によって両方得られず。
真実を求める真摯な気持ちを裏切られた俺のテンションはだだ下がりである。
なんて事情はひた隠しつつ平然を装う。
にやにやと笑う沙羅にはお見通しなのかもしれないけれど。
「だったらいいけど。ほら、そこだよ」
暗い中に聳え立つ木造建築、望粋荘。
先ほどまでああ言って余裕綽々だった沙羅は息を呑んだ。
「馬小屋じゃん」
「言い方ひどすぎない? さっきまで自信満々で大丈夫だって言ってたのに!」
「だってこんな――」
そこで沙羅が言葉を押し止め、俺も気がついて辺りを見回した。
何か、聞こえる。
か細げに、女の声が。
馬小屋改め、幽霊屋敷かな?
「誰か、そこにいるのか……?」
優月……?
一見して姿は無く、裏庭に回りこんでみると。
「優月さん? どこに」
「……禅」
「あ」
そこは氷川さんが頻繁に煙草を吸っていた場所で、朝の情報更新によれば優月がベトナムコンバット並みのブービートラップを作った場所だった。
覗き込めば、二メートルはあろうか。
思いの他、地面を深く抉っていた大穴の底から優月はばつが悪そうに俺を見上げていた。
自分で這い上がろうとしたのか、彼女の服は土塗れで今朝の氷川さんと同じ状態だ。
「優月さん、何してんの……」
「夕方、罠を片付けていたら……氷川に突き落とされた。氷川はそのままどっか行った」
散々優月を煽った挙句、高笑いして去っていく氷川さんの姿が脳裏に浮かんだ。
「もしかして夕方からずっとここにいたってこと……? 部屋の電気ついてたし、珍宝いたんじゃない? 呼べば良かったのに」
「……ちょっと、あいつは大声では、呼びづらいというか……その……」
「…………」
……たしかに、ちんぽうは、おおごえでよびづらい。
何にせよ。
優月とは久方ぶりの会話らしい会話だった。
「とにかく引き上げるから、手掴んで」
ちょっとしたスキンシップで凝り固まった誤解、他人行儀を解せるのではないか。
そんな可愛い下心を抱きつつ、しゃがんで手を伸ばすも、案の定優月は下唇を噛み思案する。
間違いなく陽子とのチッスが響いている。
俺はすっかり舞い上がったし、嬉しかったし、まあぶっちゃけ……アリだと思ってる。現在進行形で。
でも、俺が変身するとき、戦うときに真っ先に想い浮かべるのは優月の煩悩で、ここが途切れればボンノウガーとしても破綻してしまうだろう。
そういうわけで、別に二股とかではないのは誰にだってわかるはずだ。
確実に明らかだ。
「……わかった」
やっとのこと優月はぼそりと呟いて、清廉潔白な俺に手を伸ばし――
「どしたのお? うっそ、人いんの? マジウケるんだけど!」
――バチンと払った。
俺は驚くというよりも、チベットスナギツネのような顔になっていた。
「……また女友達ですか。ずいぶん顔が広いんですね」
「はいはい……梯子、持って来ますねえ」
あああ……やっちまった。
俺と優月は今、この感じなのである。
怒っていい。
そう言ってくれた優月のお陰でへらへらすることも少なくなった。
けれど俺は怒り下手らしく、中途半端に気持ちを表して不貞腐れてしまう。
自分でも意外だが、後で「俺、感じ悪かったな……」って反省しちゃうタイプだった。
弁明を用意しつつ塀に立てかけられていた梯子を取りに行っている間、沙羅が穴の淵にしゃがむ。
優月と沙羅か……相性最悪に違いない。
「禅ちゃん。コレ、今カノ?」
コレって。
大穴の中、優月から殺気を感じた。
「ここの管理人さん」
「おお、例の。いやはやぁ、手ブラで来て悪いねえ。ドーモドーモ」
手ブラ……。
手の、ブラ……って意味で、多分俺を責めているんだろうけれど、気がつかないフリしとこ。
優月は不機嫌具合をさらに濃縮させた。
「ああ~。そうなんだあ、そういうカンジなんだあ」
沙羅の頭の中で、煩悩ベルトを持って逃げていた謎多き女と結びついたのだろう。
しかしどうも、結びついたのはそれだけではないようで、沙羅はにやにやと含みのある笑みを浮かべる。
最初から嫌な予感しかしていないので、俺は黙って梯子を肩に担いだ。
俺の想像通り、沙羅はナチュラルに優月を煽った。
「禅ちゃんとは付き合ってもないのに、そんなに嫉妬しちゃうんだ~、ふ~ん。可愛いね~!」
「なっ……何なんだ、お前ぇッ! ヒトの上から偉そうに!」
「ヒトより低いところにいるのはあなたでしょ? 嫉妬の塊サン」
「ったあああーッ! 貴様、降りて来い!」
「あはあ~! 禅ちゃん、私こういうコ超タイプ! 沙羅が飼う! ここにテント張るからさ、梯子持ってこなくていいよ!」
「禅、早く梯子を!」
「ごはんは一日三回、おやつは一回、お風呂は沙羅と一緒に入ろうね!」
飼う!?
優月と沙羅が一緒に風呂!?
楽しそう! 仲間に入れて欲しい! せめて遠目から見守らせて欲しいッ!
「禅ちゃん、気持ちが顔に書いてあるよ?」
「……ゲフン、ゴホン」
……という言葉を懸命に飲み下し、俺は顔面上の冷静を装って梯子を大穴に降ろした。
心が血涙を絞る。
あてつけがましく梯子を軋ませながらようやく地下から地上に戻ってきた優月。
「どうもありがとうございました」
「どういたしまして」
お互いに棒読みだった。
その間でにやにやと笑う沙羅。
「ねえねえ、沙羅、おなか空いてきちゃった。管理人さんとも一緒に飲みにいきたいな~! だってぇ管理人さんってば――」
「お断りする」
「――いじめて、ひぃひぃ言わせたいんだもん~」
「だから、お断りすると言ってるだろ!」
これは……女の戦い?
今日は長いぞ、と俺は覚悟した。
その覚悟の倍ほどに、夜は長くなるのだけど。